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 四度目の衝撃は飛行艇から打ち出された飛船捕縛用の鉄索が食い込んだため、最後の衝撃は飛行艇が勢いよくアデライードたちの飛船に接舷したためだった。

 飛行艇から迅速に飛船に乗り移ってきた帝国軍人たちは、手際良くイーサンの部下を拘束していく。アデライードたちは甲板の端に固まって、大人しくその様子を眺めていた。

 軍人たちの中にはカーツの姿も見えたが、彼はちらりと視線を寄越しただけで近付いてはこなかった。二隻の飛船と飛行艇を忙しげに行き来するカーツに、アデライードも声を掛けることはなかった。

 帝国軍の捜査を待っている間、アデライードは何も考えられなかった。

 起こったことを振り返る余裕もなくて、ただ、終わったのだ、という感覚と脱力感が全身を包んでいた。

 やがて捜査に区切りが着いたのか、軍人たちの動きが静かになってきた頃、アデライードの前に一人の男がやってきた。

 背筋の伸びたその姿には見覚えがある。ドルトムント港でカーツの正体を明かした“隊長”と呼ばれていた男だ。

「お前がアデライード船長か」

 ドルトムント港で一度会っているからか、既にカーツから報告を受けているからか、隊長はアデライードを見ても船長かと疑うような素振りは見せなかった。

「はい。『黒の天鵞絨』号船長のアデライードはわたしです」

 対するアデライードも、帝国軍の将校相手だからといって恐れたり卑屈になることはなかった。

 琥珀の瞳をまっすぐ前に向けてはっきりと名乗る。

 その態度をどう思ったのか、隊長の眉が軽く上がった。

「いくつかの商船から『黒の天鵞絨』号を名乗る飛船に襲撃されたという被害届けが出ていた。だが、我が部隊員の調べによると、盗賊行為をしていたのは『黒の天鵞絨』号の名前を騙ったイーサンという男とその一味であって、本来の『黒の天鵞絨』号船長であるお前や船員たちは預かり知らないことだったとか。これに間違いはないか?」

「……ええ。ありません」

 隊長の言葉には異議はない。だが、彼が何を確かめようとしているのか掴みかねて、アデライードは慎重に頷いた。

「盗賊船首領のイーサンは、お前たちを襲撃中に飛船から落下して行方不明。この高度だから生きてはいまい。聴取は捕らえた部下たちから行う。そしてこの飛船は証拠品として接収する。だからお前たちは早く自分たちの・・・・・・に戻れ」

「……え?」

 隊長に言われたことがすぐには飲み込めなくて、思わず聞き返してしまった。

「この飛船は、我々の目前で本来の『黒の天鵞絨』号に自ら追突して飛行を妨害している。名前を騙ってさらに本船を乗っ取ろうとする悪質な行為だ。お前たちはその被害者だったのだ。被害者の飛船まで接収するつもりはない。必要な捜査は二船ともに終わっているから、船に戻る際は忘れ物のないように」

 その説明で、アデライードは隊長の言わんとすることを察せられた。

 今までアデライードたちの乗っていた飛船をイーサンたちの船とみなすことで、不慮の事態だったとはいえアデライード船側から衝突してしまったことを、不問にしてくれるのだ。さらに本来の『黒の天鵞絨』号へ乗り移ることを暗黙のうちに認めてくれているということだ。

 アデライードの顔に笑みが浮かぶ。勢い良く頭を下げた。

「ありがとうございます! 隊長さん!」

「別に感謝されるようなことはしていない。感謝するのなら、私の制止を聞かずに無理矢理飛行艇を接舷させたグリュームバルトにするんだな」

 ぱちくりと目を見開いたアデライードに、隊長は表情を変えずにそれだけ告げると飛行艇に戻っていった。

 その後ろ姿を見ながら、今の彼の言葉を反芻する。

 やがて、先ほどの自分の危機を助けてくれた存在に思い当たって、胸の奥に明るい金色と碧緑が広がった。

「……どういうことだ? 船に戻るって」

「馬鹿! 帝国軍が、あっちの『黒の天鵞絨』号を俺たちの船だってお墨付きくれたってことだよ!」

「しかも、俺たちの荷物はちゃんと残してくれてるみたいだし」

「なんだよ、あの隊長さん、物騒なツラしてるわりに、いい人なんじゃねーか」

 アデライードの背後に控えていた船員たちが、状況を理解して騒ぎ始める。

 そんな男たちを振り返ってアデライードは笑顔で告げる。

「さぁ、みんな! わたしたちの船に戻るわよ!!」

 そうして二年振りに乗り込んだ『黒の天鵞絨』号はアデライードの記憶にある姿とほとんど変わりがなかった。

 黒く塗られた帆柱や船体。磨き上げられて白くなった甲板。眩しく輝く帆布とそれを張る帆綱の凛々しくも繊細な構造。

 イーサンも飛船の手入れは怠っていなかったようだ。

「……そうね。イーサンもこの船のことは大切だったはずだものね」

 メインマストの感触を確かめながら、アデライードはひとりごちる。

 船員たちがそれぞれに飛船との再会を噛み締めているのをゆっくりと眺めながら、アデライードはクォーターデッキに上る。そしてそこで思いがけない対面を果たした。

「やあ、アデライード」

「……カーツ」

 まさかこんなところに帝国軍人であるカーツが、しかも一人きりで残っているとは思っていなくて、アデライードは戸惑いを隠せなかった。

「どうしてあなたがここに……」

 これでは、まるでいつか見た夢と同じではないか。

 だが、夢と違って、目の前のカーツは消えることはないし、表情もはっきりとわかる。

「君とどうしても直接会って話がしたかったから、ちょっと無理を言ってみたんだ」

 それはそうだ。帝国軍飛行艇部隊は、旧アデライード船の曳航準備を終え、そろそろ離脱しようかというところだ。けれどカーツはそんなことは気にする様子もなく、碧緑の瞳を細めた。

「ようやくこの船を取り戻せたね。おめでとう」

「みんなが手伝ってくれたおかげよ。カーツも、いろいろとありがとう」

「これから、どうするの?」

「まずはこの船の修理からかしら。発掘装備もやり直さなきゃいけないから、オラニエの新遺跡に向かうのはしばらく先ね」

 船員の質素な服ではなく堅苦しい帝国軍の制服姿のカーツだったが、不思議と気負うことなく、以前と変わらない調子で言葉を交わすことができた。

 もう今後は会うことはないだろう。だから最後くらい自然に話して、良い別れにしよう。そんな風に思っていたからかもしれない。なのに——

「君の目的は達せられた。これで飛船を降りる気はないかい?」

「どうして?」

 なぜカーツがそんなことを聞いてくるのか、アデライードにはまったくわからなかった。

「父上の仇は討てたんだ。この船はそれこそ航海長にでも任せてしまえば、君が無理に飛船に乗り続ける必要はないだろう? 船を降りて、船主として港で暮らしても問題ないはずだ。ドルトムント港だったら規模も大きいし、俺の知り合いもいるから、何だったらいろいろ手配を手伝っても……」

「ちょっと待って! なんでそんな話になるの? わたしは船を降りるつもりなんて、これっぽっちもないわよ!」

 話の流れが見えなくて途中で遮ったアデライードを、カーツは残念そうに見返してきた。

「……やっぱり駄目か。君が地上にいてくれれば、まだ会いやすいと思ったんだけど」

「え?」

「これの代わりになるものも贈りたいし」

「……それ」

 カーツが懐からちらりと取り出したのは、以前に港町の露店で彼に買ってもらった髪留め。細工は元のままだったが、金具の部分が歪んで壊れていた。

「まだ、持っていたの」

 その髪留めが壊れたときの衝撃を思い出して、かすかに胸の奥が引きつれる。一方で、カーツがわざわざそれを残しておいてくれたことに、なぜか嬉しさも感じた。

「今度はどこかでもっとゆっくり選んであげたいんだけど。あちこちの空域にでかける飛行艇部隊員と各地の遺跡を飛び回る発掘屋じゃ、なかなか会う機会が作れないだろう? せっかく君の疑いが晴れて、心置きなく付き合えるようになったのに」

「つ……って、えっ!?」

 琥珀色の瞳を見開いて固まったアデライードを覗き込むように、カーツが碧緑色の瞳を近付けてきた。

「俺は、もっと君のことを知りたい。君と親しくなりたいんだ、アデライード」

「っ……カ、カーツっ!!」

 じっと見つめてくるカーツの瞳の色は柔らかいのに、アデライードを捕らえて放さない強さを持っていた。

 その視線に晒されて、アデライードはどうすることもできない。

 急速に胸の鼓動が早まり、息がしずらくなる。全身の血が激しく巡り、顔に集中してくるのを感じる。今きっと自分は真っ赤になっているに違いない。

「アデライード。君だって、俺と同じ気持ちじゃないのか?」

 更にカーツが近付いてきて、身を屈めたカーツの額がアデライードのそこに軽く触れ合わされた。

 少しでもカーツが腕を動かせば、その中に抱き留められてしまいそうな距離に耐えられなくて、アデライードは両手で口元を被う。

 けれど、その手首をカーツに握られて、そっと手を外される。

「君の本心を聞かせて……アデライード」

「……わ、わたし、は……っ」

 鼓動と熱が喉の奥でつかえて言葉が出てこない。

 困惑で目が潤んでくる。

 ただそのまま、カーツを見返す。

 カーツが息を飲む喉の動きが目に入った。

「アデライード……俺は、君が」

 カーツはその後に何と続けるつもりだったのか。けれど、アデライードがそれを聞くことはできなかった。

「カーツっ! 貴様っ!」

「あーっ! アデルに何してんだよっ!!」

 背後から聞こえた声に、アデライードは弾けたように身を引いた。

「サ、サイファっ。リュークっ」

 焦って振り向くと、サイファやリュークを始めとする船員たちがクオーターデッキに上ってきたところだった。

 すぐ近くでカーツの苦々しげな舌打ちが響いた。

「こんなところに二人きりで、何してたんだよ!」

「な、何もないわよ! ただお礼を伝えただけでっ」

「帝国軍人がいつまでもこんなところに留まっている必要はない」

「そーだ、そーだ。さっさと飛行艇に戻りな」

 気付くとアデライードは船員たちに取り囲まれていて、カーツとの距離がずいぶん開いている。

「すみませんね。アデルは皆の大切な船長なんですよ」

 項垂れていたカーツに止めを刺すように、メレディスが微笑みながら囁く。

「それがわかってるから、二人きりの間に話しておきたかったんですけどね。……出直します」

 カーツは深々と息を吐き出すと、不本意そうに肩を竦めて歩き出した。

 そのカーツの背中を引き留めたいという気持ちがアデライードの中に沸き起こる。言葉は出てこなかったけれど、何かを彼に伝えなければならない、まだ伝えられていない。

 そんな焦燥を抱えたアデライードを、クオーターデッキを下りる手前でカーツは振り返った。

「アデライード! 港の家が必要になったら、いつでも声を掛けて!」

 胸中の気持ちはまとまらないままだった。だが、それに対する答えだけは、迷いようがなかった。

 自分を囲んでくれている仲間たちを見回す。

 カーツの言葉に何事か? と不安そうになった彼らに、アデライードはありったけの笑顔を返した。

「そんな必要はずっとないわ! わたしは飛船乗りよ。いつまでも、この『黒の天鵞絨』号の船長よ!」

 朗らかな笑顔に、船員たちから歓声が上がる。

 カーツもその答えがわかっていたとばかりに苦笑して、軽く片手を振って飛行艇に戻っていった。

 それを見送ってから、改めてアデライードはまわりをぐるりと見渡した。

 抜けるように晴れ渡った空、風をはらんで膨らむ帆、争いで多少の傷は負いつつも優美な姿の飛船。そしてそこに乗る頼もしい仲間たち。

 唇を引き上げて、琥珀色の瞳を前に見据えて、アデライードは黒天鵞絨のマントを翻す。

「さあ、みんな、出発よ!」

「アイ、アデル船長!!」

 応える船員たちの声が、青空に吸い込まれていった。





 【了】





ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


この話には、自分の好きな要素をいろいろ詰め込んでみたので、私自身が書いていてとても楽しかったです。


新遺跡はどうなった、とか、そもそもアデライードとカーツのこの先は? とか、ないこともないのですが、飛船を取り戻したこの段階で、『velvet voyage 〜黒天鵞絨の後継者〜』は完結です。

いつかこの続きを書ける時間が取れることを祈りつつ。。。

よろしければ感想なり拍手コメントなりで、ご意見お聞かせいただけると嬉しいです。


では、改めて。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!



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