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「話は終わったのか?」

「隊長……」

 通信室から艦橋に戻ってくるなり、低い静かな声で迎えられて、カーツは思わず足を止めた。

 シュヴァルツ帝国軍飛行艇部隊の隊長ウォルフガンク・フォン・リヒター少佐は、四十を過ぎているにも関わらず、すらりと鍛えた身体とぴんと伸びた背筋を維持している男だ。鋭い眼光を向けられると、多くの隊員は敬礼して従ってしまう迫力がある。

 だが、カーツは怯まなかった。

「何がですか?」

 飄々としたカーツの返事に、リヒターは軽く鼻を鳴らした。

「とぼけても無駄だ。あの少女と話していたんだろう」

 そうしてリヒターは視線を前方に向けた。艦橋の大窓の向こう、十ほど離れた位置に、二隻の飛船が浮かんでいるのが見える。

 彼らがいるのは飛行艇の艦橋と呼ばれる場所だ。飛行艇には、飛船の甲板のような開口部はない。飛行艇の前方にある広い空間の壁が四分の三ほど分厚く頑丈な透明板になっていて、そこから艇外を確認できるのだ。

 艦橋には飛行艇操縦の操作盤が集まっていて、隊員たちがそれぞれに立ち回っていた。

 先人の技術の塊である艦橋は、木造の飛船とはあまりに異質な空間だ。一月ほど『黒の天鵞絨』号にいたカーツは、空を飛んでいるのに風を感じない環境に久々に戻って、その奇妙さを改めて実感した。

「どれほど猶予を与えるつもりだ?」

 カーツがしらばくれたことなどなかったかのように、リヒターは話を続ける。

 思わず嫌な顔になったカーツに、リヒターはにやりと笑いかけた。

「付き合いは長いのだ。お前の考えそうなことくらいわかる、グリュームバルト」

「……そんなに私がわかりやすい男だと思っているなら、なぜ潜入捜査などさせたのです」

「お前は、特に初対面の相手に対してはけっしてわかりやすい男ではない。愛想はいいが本心はなかなか見せない。だから潜入には向いてるはずだ。だが、今回は違ったようだな」

「何が違うんですか」

「ドルトムント港で、我々に食って掛かっただろう。お前があそこまで激しく感情を露にするなど、よほどあの少女を守りたかったのだな」

「ーーっ!」

 とっさに切り返す言葉が見付からなくて、カーツは口をただぱくぱくとするしかなかった。

「まあ、お前の飛船操縦の腕を見込んだのも、潜入役に選んだ理由ではあるがな」

 飛行艇部隊の隊員は、その乗艦の性質上、全員が技師の資格を持っている精鋭だ。一般的な飛船の操作もひととおりは習得している。そしてカーツは隊員たちの中でも飛船の扱いがうまかった。

 ちなみに彼の飛行艇部隊での役割は通信周り担当だ。アデライードたちに語った経歴も、多少歪曲はしているもののまったくの嘘ではない。

 生家の事情も、技師養成所卒業直後に恩人のおかげで空を飛べるようになったのも。ただ、乗り込んだのがただの飛船ではなく飛行艇で、恩人は船長ではなく部隊長だったというだけだ。

「それで、どれほどの時間で話をつけたんだ?」

「……半日、せめて四刻は」

 カーツは大きく溜め息をつくと、シラを切るのを諦めてぼそりと答えた。

「長い。せいぜい三刻だ。それも傍目に問題が起きていることがわからなければ、の話だ」

「あの距離まで近付いていれば、大砲を打ち合うことはないはずです」

 艦橋の大窓から見える二隻の飛船はもう接舷しそうなほどに近付いている。接舷しているだけでは、遠くからは、荷を交換しているのか争っているのかはわからない。

「まあ、いい。三刻までは、グリュームバルト、お前に免じて待っていてやろう」

「……ありがとうございます」

 リヒターに表情を見られないようにカーツは深く頭を下げた。俯いた唇の端がつい緩む。

(よし、これでアデライードに約束した以上の時間は確保できた)

 心の中で赤金の髪の少女を思い浮かべる。

 おそらく彼女は今頃、あの飛船のクォーターデッキで艶やかな黒天鵞絨のマントを翻して、仲間を鼓舞しているのだろう。船員たちも、自分たちの少女船長を守るために闘志を高めているはずだ。

——自分も、その輪の中に入っていたかった。甲板上で、陽光を弾いて笑うアデライードを守りたかった。

 ふと、そんな想いが胸中を過る。

(感傷だな。そんなことはありえないのに)

 自分が帝国軍人である以上、もうアデライードの飛船に乗ることなどない。そして、そもそも軍の命令でなければ、あの船に乗り込もうとすることも、彼女に出会うこともなかった。港で荷崩れに巻き込まれたのは偶然だが、あの事件がなくても何らかの理由を見付けて船に潜り込んでいただろう。

 カーツとアデライードの人生は、本来交わるものではなかったのだ。

 ただほんの一月ほど、仮初めに近付いただけだ。

 颯爽と空を進む飛船の上。風になびく赤金の髪。思わず目を奪われる琥珀色の強い瞳。船員たちと真っ直ぐ向き合う誠実さ。弱さを隠すための強がり。父の後を継ごうとする意志。少女らしい装いにはにかみつつも嬉しそうだった顔——それらは、もうカーツとは縁がない。

 これ以上、よけいなことを考えてはいけない。

 自分の感情に形を与えてはいけない。

 もう会うこともないだろう少女をどう想ったところで、何ともならないのだ。

 いったん緩んだ唇をきつく噛み締めて、カーツは顔をあげた。

 しばらくは何も動きはなかった。二隻の船は互いに様子を探るように近付いたり離れたりしていて、まだ舷側を接していない。

「こんなことは早々に片付けて本来の任務に戻りたいものだ。まったく、宮廷の論理を軍に持ち込むなど、面倒な」

 ぼそり、とリヒターの口から漏れた呟きがカーツの耳に入った。

「帝国軍少佐ともあろう人が、そんなことを言っていいんですか?」

 つい苦笑したカーツに、リヒターは表情を変えずに応じる。

「お前にしか聞こえない程度には気を遣っている。お前だって同じことを考えているだろうに」

「発言は差し控えさせてもらいます」

 そう答えたものの、カーツの内心はリヒターとまったく同じだった。

 本来、空陸に関わらず、盗賊の取り締まりは治安部隊の仕事である。帝国軍はあくまでも対国外のための武力のはずなのだ。

 しかし今回は、帝国上層部からの政治的なごり押しで、飛行艇部隊に出動命令が下された。

 どうやらイーサンたちの被害を受けたのが、有力貴族に関係する商船だったらしい。激怒したその貴族が公私混同して声高に叫んだ結果だ。

 最初はすぐに片が着くと思われた。ところがいざ調査し始めてみると、どうも『黒の天鵞絨』号の正体がはっきりしない。話を訊く相手によって描写される船の姿や人物に違いがある。追うべき相手の姿がわからない。

 それで仕方なく、詳しい情報を得るためにカーツが潜入捜査をする羽目になったのだ。

「実際のところ、あの少女が元の飛船を奪還する勝算はあるのか?」

「……わかりません。飛船自体の規模や性能は明らかにイーサン側、本来の『黒の天鵞絨』号の方が優れています。彼女の方の船は老朽化しているし動力炉遺産も質がいいものではない。船員の数も少ないから、けっして有利ではない」

 カーツは自分が乗っていた古い飛船を思い浮かべた。父親と飛船と仲間の一部を失った後になんとか見付けたという代わりの船は、いろいろと問題点がある。だが——

「彼女のところには、初代船長を慕っていた古参や能力ある船員が多くいます。それが利点となればあるいは」

「なるほどな。だからあんな華奢な少女でも船長を務められたのか」

 それは違う、という言葉を、カーツはぎりぎり飲み込んだ。

 確かに、アデライードの周囲が彼女をよく補佐しているのは事実だ。だが、それは彼女がお飾りの船長だからではない。アデライードがより良い船長であろうと常に意識しているからこそ、それに惹かれて皆が彼女を尊重して、彼女を助けている。

 もっとも、それは間近でアデライードと船員たちの関係を見てきたカーツだからわかることであって、それをこの上司に言葉だけで納得してもらえるとは思えなかった。

「さて。運命はどちらに味方するものやら……」

 実直でどちらかといえば散文的なリヒターにしては珍しいことを言うな、と思ったときだった。

 偵察担当の隊員の鋭い声が上がる。艦橋内に緊張が走った。

「動きがありました! アデライード船が、イーサン船に突撃しました!」

「何だって!?」

 報告の内容がすぐには理解できずに、カーツは偵察員の元に駆け寄った。望遠鏡を奪うように借りて、大窓の向こうを仰ぎ見る。

 突撃ではなく、二船の衝突の間違いではないのか。約束の時間前でも何か事が起こっているのを察知したら帝国軍が動く。アデライードはそれをわかっている。そんな彼女が自ら船を当てにいくはずがない。

 けれど望遠鏡に映った光景は、偵察員の報告の正しさを証明するものだった。

 イーサンが乗る黒い飛船の左舷中程に、アデライードの飛船の船首がぶつかっている。両船の被害の程度はわからないが、アデライード側の斜檣は破損しているだろう。

 予想外の事態に、呆然と前を見ていたカーツの耳を、厳しい声が打った。

「よし! 全飛行艇、全速前進! 現場に急行するぞ!」

「隊長! 待っ……」

「問題が起きなければ、と言ったはずだぞ、グリュームバルト」

 リヒターに冷静に切り返されて、カーツはそれ以上何も言えない。

(何があった、アデライード!)

 ただ、心の中で少女の無事を祈るしかできなかった。







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