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降り注ぐ陽光を弾いて、黒天鵞絨の上で赤金の髪が艶やかに光る。華奢な身体にもかかわらず、それだけでずいぶんとアデライードの存在感が増す。船員たちは、クォーターデッキに立つ自分たちの船長を、眩しそうに見上げていた。
甲板上にはほとんどの乗組員が集まっていた。皆が剣やナイフを携え、戦闘が近付いている興奮にぎらついた表情になっている。
アデライードはその仲間たちの顔を見渡せるようにクォーターデッキの端に立った。
彼女の背後、船尾方向には、残り一を切った距離に黒い塗装の飛船がいる。もう向こうの飛船上の喧噪も耳に届いていて、甲板にはこちら同様に船員たちが群がっているのもはっきりと見えた。
左手、左舷方向には、まだ遠く離れた位置に帝国軍飛行艇部隊の編隊が浮いていた。こちらはしばらく前から距離が近付いてこない。カーツが言葉通りに行軍を止めてくれているのだろう。
アデライードは傍らに立つ信頼する航海長をちらりと見上げた。サイファは、任せる、とでもいうようにひとつ頷く。それに微笑み返してアデライードは甲板に向き直った。
「みんな! いよいよ決着をつけるときよ!」
高らかな声に、船員たちは拳を突き上げて応える。
「おおっ! イーサンのヤロウなんか蹴散らしちまえっ!」
「俺たちの飛船を取り戻すぞっ!!」
「アデル船長と黒天鵞絨を守るんだっ!!」
高揚して沸き上がる喚声に、アデライードは落ち着いた声で続けた。
「争いが始まる前に、いくつか話しておきたいことがあるの」
その声は静かながらも良く通って船員たちの間に染み渡り、男たちも耳を傾けようと鎮まる。
「まず最初に、この争いは二刻以内に決着させなきゃいけないわ。それが帝国軍飛行艇部隊が待っていてくれるぎりぎり。さっき、そう話をつけてきたの。帝国軍にいるカーツと」
カーツの名前が出ると船員たちはどよめいた。
「カーツが帝国軍の軍人だったことは事実よ。もうみんな知っているとおり、盗賊行為の調査のためにこの船に乗り込んでいたの。正体を偽っているのに気付かず、彼を雇ってしまったのはわたしの失敗。ごめんなさい」
潔く頭を下げたアデライードに、船員たちは顔を見合わせた。皆、どんな反応をするべきか困惑している。
「帝国軍の犬の言うことを、あんたは本気にするのか? アデル船長。あんたがあいつにあっさり騙されるから、俺たちは帝国軍に追われてるんじゃないか。なぁ!」
前の方から挙がった声はウェンリーだった。同意を求められて、彼の近くにいた船員たちは気まずそうに目を逸らす。だが、アデライードを擁護する意見もすぐには出てこない。
「濡れ衣で追いかけまわされて、新遺跡の情報も漏らされて、大事な勝負のときに帝国軍に邪魔されて。ほんと、どうすんですか」
反抗的な態度の問いに、アデライードは頭を下げたままぎゅっと目を瞑って動かなかった。
ここまで好きなように言われて彼女も悔しくないわけではない。だが個別に言い繕ったところで、捻くれてしまっているウェンリーの気持ちは納得しないだろう。
「なぁ、お前らどう思ってんだよ」
顎を上げて後ろに並ぶ船員たちを振り返ったウェンリーに、少し間を置いて答える声があった。
「オレは、アデル船長を信じるよ……」
「……リューク」
後の方から聞こえてきた小さな声に、アデライードは顔を上げた。
「なんだ、見習いリュークじゃねえか。お前こそ、カーツを嫌ってただろうが」
「カーツは嫌いだよ! でも、オレはアデル船長が信じてることなら信じる。だってアデルはオレたちの船長だ。だいたい、あんたが挙げたのは、どれもアデル船長だけのせいじゃないだろ。そもそもはイーサンのヤツが悪いんだ」
拳を握りしめて必死に言い募るリュークに、ウェンリーは怯んだのか口を噤む。
それに重なるように、今度は左舷側にいた船員からも声がする。
「オ、オレも信じる! だって、見ろよ。あんなに速度があった飛行艇部隊が、さっきから近付いて来てない。船長の言う通り、帝国軍を誰かが止めてるんだ」
「そういやぁ、そうだな」
男たちの目が左舷に向かった。遠くで動かない一群を見て幾人もが頷く。
「やっぱりカーツが味方してくれてるのか?」
「カーツのやつ、この船にいたときは、意外と律儀なやつだったんだよな」
「悪いやつじゃなかったよなぁ。ああやって帝国軍を抑えて、俺たちを助けてくれるってことは、全部が全部、船長を裏切ったわけでもなくて、何か理由があったのかなぁ」
アデライードに賛同する空気が広がりつつあったそんな甲板を最後にまとめたのは、古参の船員だった。
「アデル船長! みんな、あんたを信じるぜ! そもそも、ここにいるやつらはあんたに賭けてこの船に乗ってるんだ」
「そうだ、そうだ!」
若い船員たちも同調して声をあげる。あっという間にアデライードを支持する雰囲気が甲板を覆う。
「みんな……ありがとう」
信頼してもらえていることがわかって、アデライードは喉の奥が熱くなった。
視界の隅で、ウェンリーが苛立たしげに床を蹴りつけて甲板を出ていくのが見えた。
呼び止めようとした彼女を、サイファが視線で「放っておけ」と制する。
「この船のやつらはほとんどが、アデルにこの黒天鵞絨を纏っていてほしいんだ。今はこれを守り抜くことだけ考えろ」
サイファの手がマントの端を掴んで軽く引っ張る。肩に感じた天鵞絨の重みに、アデライードは意識を引き締め直した。
父の遺したこのマントを初めて身に着けたときも、これはとても重く感じた。たった十五歳の小さな少女にとって、裾を引き摺るほどのマントは、ただそれだけで重かった。
それから二年。アデライードの背は伸びて、少しは軽くマントを纏えるようになったものの、新たな重みが加わっていた。——船員からの信頼と彼らに対する責任という重みだ。
それは、気持ちを引き締められると同時に、仲間に認められているという喜びももたらしてくれる。その溢れ出そうな気持ちを、潤んだ瞳に留めて、アデライードは微笑んだ。
マントに掛かるサイファの手をそっと外して、アデライードは甲板を見下ろす。ばさり、と大きくマントを払って、クォーターデッキの柵から身を乗り出す。
「みんな、信じてくれてありがとう! みんながいてくれるからこそ、わたしも船長なのよ!!」
おお! と船員たちのどよめきが応えた。
「でも、だからこそ、忘れないでいてほしいの。自分を一番大切にしてね」
甲板上を順に視線を巡らせて、アデライードは全員の顔をしっかりと見ていく。
「わたしたちの目的は、あの『黒の天鵞絨』号それ自体だから、できるだけ船に傷を付けず動力室と操舵輪を確保するのが第一目標よ。一方で、イーサンの欲しがってるのはこの黒天鵞絨。わたしを捕まえればいいだけだから、向こうの方が簡単だし、飛船にも船員にも容赦がないわ」
二十人ほどの顔を見終えて、ちらりと背後に視線を向けると、目的の飛船がもうすぐそこまで迫っているのが見えた。
「だから、最悪、わたしが掴まってしまったら、そのときは迷わずに逃げること。この飛船を全力で走らせてもいい。帝国軍に助けを求めてもいい。とにかく無事でいて」
「そんな……! 船長を置いてきぼりにしろってんですかい。それはあんまりだ」
「俺たちに、そんな情けないマネをさせないでくだせぇ!」
悲鳴のようにあがった男たちの声に、アデライードは眉根を寄せて笑った。
「もちろん、そう簡単に捕まるつもりはないわよ。でも、もしものときは……わたしに、仲間を失わさせないで」
「アデル船長……」
沈黙してしまった男たちに、再びアデライードは高らかに宣言した。
「さあ! それじゃあ、いくわよ! まずは有利な体勢で接舷しなきゃね!」




