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アデライードとサイファが通信室に入ると、当番の若い船員はほっとした顔になった。
「カーツの、いや、帝国軍の着信があったまま待ち状態になってます」
「ありがとう。操作はできるから、終わるまで外で待っててくれる?」
「アイ、アデル船長」
船員は明らかに肩の荷が下りたという様子で通信室を出て、静かに扉を閉めた。
それを見送ってからアデライードは通信遺産に向き直る。遺産の表面は淡い乳白色に光っている状態だ。
装置の横に立ったサイファが操作盤に手を伸ばす。
「繋げるぞ」
「ええ」
アデライードが頷いたすぐ後に、通信装置の板が明滅して人影が映し出された。
その姿を見てアデライードは唇を噛み締める。
口を開いたのは、装置の向こう側が先だった。
「……やあ」
「……グリュームバルト中尉、だったかしら」
透明な板越しに相対した青年は、帝国軍の制服である、黒地に金糸の刺繍入りで襟が高い服を着ていた。左胸にはシュヴァルツ帝国の紋章、柔らかそうな金髪は風に煽られる船の上と違ってきちんと整えられていて、アデライードが見知っているカーツとは違う印象だ。だから“カーツ”と呼びかけるのは躊躇われた。
「帝国軍が、民間の発掘屋の飛船に何の用?」
他人行儀に言葉を紡ぐアデライードの態度を相手がどう受け取ったか、通信遺産越しではわからなかった。
ただ、ほんのわずかな間のあとに、返ってきたのはアデライードと同じようによそよそしい声だった。
『帝国軍飛行艇部隊は『黒の天鵞絨』号を追っている。このあたりの空域は帝国辺境だ。盗賊船に治安を乱されるわけにはいかない』
「だから、悪いことをしているのはわたしたちの飛船じゃないわ……あなたも知っているとおり」
『……ああ。事情は上司には報告した。だが、両方の言い分を聞かなければ判断はできないそうだ』
「お堅いわね。シュヴァルツ帝国の役人だけあるわ……あなたも、そうなのかしら」
会話につい棘を含めてしまったことに、アデライードは内心で後悔したが、態度には出せなかった。通信装置の向こう側もそれに気付いた様子はない。
『今、ちょうど都合良く我々の前に容疑の船が両方いる。できれば一緒に事情を聞きたい』
都合が良いのは偶然ではなく、カーツの報告からアデライードたちの行き先を知っていたからだろう、と思ったが、さすがにそれは口には出さなかった。
『だから、帝国軍の眼前で争いを始められたら困るんだ。そうなったら、二船とも処罰しなければならなくなる』
「それは無理だわ。せっかくの好機を逃すわけにはいかない」
『……君なら、そう言うだろうと思っていたよ。話を聞いたときから』
「え?」
カーツの口調が急に柔らかくなったことよりも、その内容にアデライードは引っ掛かった。
「どういうこと? わたしたちとイーサンがこの場所で対決することを知っていたの?」
『ああ。そっちの船に乗っていたときに、通信遺産に少々細工をさせてもらっていたんだ。君とイーサンの今朝方のやりとりは聞かせてもらった』
「な……っ!」
「やはり貴様だったのかっ!?」
それまで静かに様子を見ていたサイファが激昂して怒鳴った。だが彼に先に口火を切られたおかげで、アデライードは状況を確認することに意識を向けられた。
サイファを制しながら、厳しい視線を淡く光る板越しに送る。
「この飛船の通信を盗み聞きしていたのね」
『すべてではないよ。その船とイーサンの船との通信だけだし、その回路を開けるのは俺だけだ。帝国軍の他の者にも許していないから』
「こそこそ嗅ぎ回っていたことに変わりはないだろう! やはり、イーサンに新遺跡の情報を渡したのも貴様だったんじゃないか!?」
「待って、サイファ。確かに盗み聞きされたことは許せないけれど、それをわざわざ教えてくれるということは、何か理由があるのよね?」
アデライードはじっと板に映る碧緑の瞳を見つめた。服装や表情は以前と違って堅く素っ気ないが、その瞳はアデライードが知っている明るい色のままに思えたのだ。
『……ひとつだけ。ウェンリーに気を付けて』
「……え?」
『それよりも、本題を伝えさせてもらう。時間がないから手短に』
ウェンリーの何に気を付けろというつもりなのか問い返したかったが、更に別に本題があると言われて、意識はそちらに向いた。
『このまま順調に進めば、帝国軍がそこの空域に到達するのには四半刻程度しかない』
「! そんなに速く?」
『飛行艇の速度を甘く見ない方がいい。ただし、ぎりぎりまでは俺が抑えておく』
「カーツが?」
彼の名前が自然とこぼれてしまったことに、アデライードは気付かなかった。
『ああ。これでも多少は部隊に影響力があるんだよ。もっとも、行動を止められるのは長くても二刻まで。それ以上は無理だ。だから、それまでに決着をつけてほしい。できれば軍側には察知されずらい方法で』
「二刻……」
アデライードの頭の中で、色々なことが素早く駆け巡り始める。イーサンの船との距離、互いの速度、飛船としての性能の差、船員の戦闘力の差、そして帝国軍の影響力。
「そんな話を信じろというのか? 俺たちを……アデルを裏切った貴様の言うことだぞ」
相変わらず攻撃的なサイファに、通信遺産の向こう側でカーツは苦笑した。
『それは信じてもらうしかない。正体を偽ってそちらの船に乗っていたことに関しては、俺の任務だったから謝罪はできない。そのときはまだ『黒の天鵞絨』号が二隻あるとは帝国軍は知らなかったしね。ただ、俺はその船にいる間はどこにも情報を漏らさなかったし、その船を降りてからも帝国軍にしか報告していない』
「わかったわ」
「アデル!? こいつを信じるのか?」
「わたしもまだカーツのすべてを信じられるわけじゃないの。でも、少なくとも帝国軍が到達する前にわたしたちに決着をつけさせたいというのは信じられるわ。だってその方が帝国軍にとっても都合がいいんですもの」
アデライードの言葉に、カーツの目が楽しそうに細められた。
「四半刻しか時間がなかったら、いくら絶好の機会だからって、さすがにわたしも対決は諦めて行き先を変えるわ。そうなると容疑の飛船は二隻あるまま、また別々に追わなければならなくなる。けれど二刻あれば争いのカタはつく。それだったら、少しくらい待っていた方がいいでしょう」
淀みなく言い切ったアデライードに、カーツは笑って小さく両手を挙げた。
『いい判断だね。その通り。二刻、いいや一刻でも、アデライードなら行動を起こすと思ってた』
「砲撃戦をしたら、すぐに帝国軍に争いを察知されてしまうけれど、接船して互いの飛船に乗り移って戦う分には、遠目からは詳しいことはわからないものね。それには目をつぶってくれるというのだから、ありがたく受けさせてもらうわ」
『決まりだね。じゃあ、そういうことで。……うまくいくといいね、アデライード』
最後に付け足すように届いた一言だけは、ふんわりと温かかった。まるで一緒に飛船に乗っていたときのように。
「あっ、カーツっ」
思い違いな気がして聞き直そうとしたときには、けれどもう通信は切断されていた。眼前には何も映さない透明な板が静かに立っているだけだ。
確かめられなかったからこそ、よけいにその温もりが余韻としてアデライードの中に残った。
それを大切に保っておくべきか、思い過ごしだと切り捨てるべきか判断できなくて、アデライードはしばしその場に佇む。
「アデル……カーツに従うつもりか?」
そんな彼女に、サイファがそっと声を掛けた。
彼は今まで言葉には出さなかっただけで、カーツのことはウェンリーやリューク同様に気に入らないのだろう。表情にも声にも苦々しさが滲んでいる。だがそれでも、アデライードの意思を優先しようとしてくれている。
サイファのその忠誠が嬉しくて、アデライードは笑顔を返した。
「ええ。せっかくああ言ってくれてるんだし、機会は活用させてもらいましょう。この船のみんなにはわたしから説明するわ」
「そうか……アデルがそう決めたのなら、俺はもう何も言わない」
「うん。ありがとうね、サイファ。いつもわたしを尊重してくれて」
「これで最後みたいな言い回しの礼なんかいらん」
ぶっきらぼうに横を向いたサイファが実は照れていることくらい、長いつきあいのアデライードにはお見通しだ。
「もちろん、最後になんかしないわよ。さっさと決着つけて、みんなと本当の『黒の天鵞絨』号に戻るんだから」
サイファの肩を軽くはたいて、アデライードは通信室を出るように促す。
今の短いカーツとのやりとりで、悩んでいたことが何かわかったわけではなかった。この船にいたときの彼がどれくらい嘘をついていたのかもはっきりしないままだ。
けれど、アデライードは、もうそれを気にしなくてもいい、と思っていた。
カーツはアデライードが何を考えてどう行動するか予測していた。それは彼女のことを理解してくれている証ではないだろうか。
そして、通信遺産越しとはいえ、彼の碧緑色の瞳の明るさは変わらなかった。
それを確認できて、アデライードは、一緒にいた間にカーツから感じていた彼の人としての温もりは演技ではなかったのだろう、と思えた。
それで、十分だった。
もうこれ以上はカーツのことを追求する必要はない。彼のことは、ごく短期間だけ雇っていた船員の一人として、思い出にしていくのだ。
そう結論付けて、アデライードは通信室の扉を開けた。
「帝国軍の犬野郎なんかと、何をこそこそ話してたんです?」
「ウェンリー」
扉を開けたところには、当番の若い船員の他に、ウェンリーが不機嫌な顔で立っていた。通信が入ったことを聞き付けて、彼の担当の動力室からやってきていたようだ。
アデライードの脳裏を、先ほどのカーツの言葉が過る。
気を付けろ、とはどういうことだろう。
ウェンリーは自尊心が高くて文句も多いし、カーツほど有能ではないが、技師として特に問題を感じたことはなかった。ただし帝国軍が保有する豊富な遺産を扱い慣れているカーツから見たら、技能に足りないところがあるのだろうから、それが戦闘時に何か失点になるということだろうか。
「ちょうどよかったわ。今カーツと話した内容も含めて、みんなに伝えたいことがあるの。甲板に集まってちょうだい」
見当がつかなくて、アデライードはひとまずその件は保留にして、船員たちの待つ甲板へと足を早めた。




