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「イーサンがオラニエ共和国に向かっている?」
思わず聞き返してしまったアデライードに、サイファはいつも以上に不機嫌な顔で頷いた。
「ああ。発掘屋仲間たちの話をまとめると、そういう結論になる」
そしてサイファは経由港や通信装置を介して繋がる発掘屋たちの情報網から仕入れた内容を説明し始めた。
曰く、イーサン一行が長距離移動のために食料や水を買い込んでいる、発掘装備を一新している、北方(オラニエ共和国はシュヴァルツ帝国の北東に位置する)の航路に姿を見せている、そして決め手は、寄港地で酔っ払った船員が「新しい遺跡を掘り当てに行く」と吹聴していたらしいこと。
「今、北方に新しい遺跡があるっていう情報が流れていたりするの?」
「いや、そんな話はない」
「ということは、イーサンは私たちと同じところに向かっている可能性が高いってことね。どこで嗅ぎ付けてきたのかしら」
アデライードは細い顎に指を掛けて眉を寄せる。その顔を隠すように、風に煽られた赤金の髪が舞った。
今日のクォーターデッキは風が強い。このところは雲も多く、あまり穏やかな天候ではなかった。
「この船の乗組員の中でも、具体的な行き先を知っているのは上の方の連中だけだ。そこから漏れるとは考えにくいし、ヤツラの中でよほど情報収集に長けた者がいるのか……」
「カーツの野郎がタレ込んだんじゃないですか」
抑えたサイファの声に無遠慮に割り込んできた大声は、伝声管にだらしなく凭れかかったウェンリーだった。
「ウェンリー……」
何かが痛んだように顔を歪めたアデライードのことは気にせず、ウェンリーは調子よく続ける。
「ヤツは帝国軍の犬だったんだ。それくらいのことしてたっておかしくない」
「帝国軍がイーサンたちに新遺跡を教えて何の得になるんだ」
サイファの問いにウェンリーは鼻を鳴らした。
「さぁ。裏切り野郎なんかの考えは、俺にはわからないですよ。だいたい、俺は最初からヤツのことは怪しいと思ってたんだ。それを船長は簡単に信用して雇っちまうし、動力炉を弄らせたり遺跡に連れ込んだり通信装置を触らせたり、それでこの結果だ。どう責任取ってくれるんです」
「それは……わたしの見込み違いを謝るしかないわ」
静かに視線を伏せたアデライードの態度に、ウェンリーは更に勢いを得て糾弾しようとした。
「謝ってもらっても、漏れた情報は……」
「責任は俺にもある。カーツを船員として雇うことには俺も同意した。船員の管理は俺の仕事だ」
そんなウェンリーを遮るように、サイファの冷ややかな声が通った。
「あ、えっと、航海長のことは別に……」
とたんに歯切れが悪くなったウェンリーに、サイファは呆れた視線を返した。
「漏れてしまったことを今さらどうこう言ってもどうしようもない」
「イーサンたちもオラニエに向かってるとしたら、きっとどこかでこちらの邪魔をしてくるでしょうし、それに対抗する準備をしておきましょう」
「武器の再点検をしておこう。あとは、引き続き情報収集も」
「ええ。お願い」
依頼を済ませると、アデライードは甲板の様子を確認するようにクォーターデッキの柵際に歩いていった。
攻撃先を失ってウェンリーは鼻白んだのか、二、三、文句を呟いてデッキから離れる。それを見送って、サイファは溜め息をついた。
それからアデライードの後ろ姿に視線を向ける。
風になびく赤金の髪の下の華奢な肩に手をそっと伸ばそうとして、けれど何かに思い至ったかのように途中で止める。そしてその手を下ろして握り締めた。
次にクォーターデッキに上がってきたのは、見習い船員のリュークだった。
「なんだよ、ウェンリーのヤツ。アデル一人に押し付けて、偉そうに」
「船長だろう。……聞いてたのか、リューク」
「ウェンリーの声だけでかくて聞こえたんです。カーツに技師の能力が負けてたからって、僻んでるんじゃないや、みっともない」
ウェンリーが消えた方に向かって顔をしかめたリュークに、無愛想なサイファにしては珍しく小さく笑った。
「お前こそ、カーツを嫌ってたんじゃないのか」
そう指摘されて、リュークはしまったという表情になったが、すぐに開き直った。
「嫌いです。でも、アデルが元気がないことの方が嫌だ」
その先は、他人に聞かれないためにか、サイファに近寄って声をひそめる。
「カーツなんて嫌いだ。だって、アイツといるときだけアデルは違ったから。アデルはオレたち船員に対しては、いつも親しくて公平で、いい船長でいようって頑張ってた。みんなもそれがわかってるから、アデルが船長でいられるように協力してた。でも、カーツだけは違った」
「カーツは、アデルを普通の少女と同じように考えてたな」
ときどき詰まりながらも必死に話すリュークに、このときはサイファも言葉遣いの指摘はしなかった。ただ静かにリュークを肯定する。
「オレたちの前では女のコ扱いされるの嫌がってたのに。でも、アデルはカーツといるときの方が、いい笑顔をしてたんだ。悔しいけど、オレたちには見せない顔だった」
そこでリュークはちらりとアデライードの背中を見ると、くしゃりと顔を歪めた。
「だから、アデルにあんな顔をさせられるカーツなんて、嫌いだったさ。……だけど、あれから、アデルは笑ってないんだ。カーツの正体がわかって、ドルトムント港を出てからずっと。楽しそうなフリしてても、目が笑ってない。前みたいに帆桁に上ることもなくなった。そんなアデルを見る方が、もっと嫌だ。アデルにはちゃんと笑っててほしい」
そこまで言ってリュークは項垂れた。
「でも、オレにはどうもしてあげられないんだ」
掠れた声には、自分では力になれない悔しさが滲んでいた。
そんなリュークの頭に、サイファは掌を乗せる。
「カーツの件はアデルが彼女の中で解決しなきゃいけないことだ。俺たちがどうこう言うことじゃない」
「それはそうだけど」
「俺たちにできることは他にある」
「え?」
顔を上げたリュークに、サイファは穏やかな、けれど内に堅いものを秘めた瞳を向ける。
「お前が言ったんだろう、『アデルが船長でいられるように』と。俺たちは、ただ自分の仕事をきっちりこなすだけだ」
きっぱりと言われて、リュークはぱちくりと榛色の目を瞬かせる。それから、理解したかのように頷いた。
「そっか。そうだね」
「わかったか? だったら自分の持ち場に戻れ。お前に割り振られた仕事はまだたくさん残っているだろう」
「あっ、そういえば船倉の掃除の途中だったんだ!」
「ほら、さっさと仕事しろ!」
「アイ、航海長!」
勢いよく返事をしてリュークは踵を返す。「ありがとうございました!」と言い置いて、クォーターデッキから駆け下りていった。
それを見送ってサイファは再び息を吐き出す。それからもう一度アデライードの後ろ姿に目を向けた。
甲板上の船員たちと軽口を交わしながら彼らの仕事振りを見ている様子は、一見いつもの彼女と変わりない。だが確かにリュークの言うとおり、どことなく哀しげな雰囲気が拭えない。
そんなことには当然、サイファも気付いていた。そして、自分では直接それを解決してあげることができないことも、その歯痒さも、十分に噛み締めていた。
けれど、アデライードなら、年若い上に女という枷がありながらも飛船の船長を勤めてきた、サイファが見込んだ少女なら、きっと自ら立ち直るに違いない。そう、確信していた。
だからこそサイファは決めていた。アデライードを待つ、と。
それまでは、リュークに言ったように、ただ自分の仕事をきちんとこなすのみだ。
(俺は、お前なら大丈夫だと思っている)
アデライードの華奢な背中にそう心の中で語りかけて、サイファも歩き出した。航海長としての仕事を果たすために。




