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ドルトムント港はその日も、停泊する飛船とそれに関わる人々の活気に溢れている。
港の端の桟橋に停まる『黒の天鵞絨』号の甲板には、船員たちが集まっていた。
「みんな、わかっているとは思うけれど、くれぐれも羽目をはずさないようにね! 出港は夕方よ。それまでに戻って来てなかったら置いていくから!」
「アイ! ちゃんと弁えてますぜ!」
「船長に迷惑かけないように、気を付けますよ!」
そう答える男たちは今にも飛び出しそうにそわそわしている。
そんな浮わついた気分を引き締める無愛想な声で、航海長が宣言した。
「よし。上陸を許可する」
その言葉が終わるかどうかといううちに、船員たちは歓声を挙げながら船縁に飛び付くと、垂らされた縄梯子や渡された板を伝って陸上に向かっていく。
ドルトムント港に到着して数日。飛船の点検・補修を行い、ハンブルク遺跡から収集してきた遺産の申請も終え、船にはまとまった現金が入ってきた。それは必要経費を差し引いた後に、陸上での自由時間とともに、船員たちに分配される。
懐が温かくなった男たちは、それぞれの楽しみに期待を膨らませて、船を降りていった。
「では俺も行ってくる。早めに戻る」
「うん。サイファもたまにはゆっくりしてきていいよ」
そんなアデライードにサイファは鼻を鳴らしただけで、足早に渡し板を降りていった。
完全に飛船を空けるわけにはいかないので、船長のアデライードと航海長のサイファ、そして一部の当番船員たちは交代制で船を降りる。
サイファはいつも最低限の用事だけ済ませて、早々と船に戻って来てしまう。
「仕方ありませんよ。サイファはこの船と貴女のことが一番なのですから」
以前メレディスに言われたことを思い出す。そんなに心配されなければいけないほど自分は頼りないのだろうか、と口を尖らせたら、メレディスに笑われた。
「この二年で、少しは船長らしくなったと思うのに」
頬を膨らませた空気を吐き出して、アデライードは船内に向き直った。そこでは当番の船員たちが、港町に繰り出していく同僚たちを羨ましそうに眺めながら、帆や綱の整備をしている。
その中に柔らかそうな金色の髪を見付けて、彼女は近寄った。
「カーツ。最初の休みに留守番に当たってしまったわね」
「まあ、たいした用事もないので、平気ですよ」
傷んだ帆綱を繕う手を止めて、カーツがアデライードを見上げる。その笑顔に、アデライードは胸のあたりが暖かくなった気がして、笑い返した。
帆桁の上で長く話し込んで以来、彼女の中でカーツという存在が変化していた。
ただの船員ではない。かといって、苦難をともにしてきたサイファやメレディスたちに持っている家族のような親しみでもない。彼の側に行くと、心の裡がいつもよりも弾むような、それでいてけっして不快ではない感情。
初めて感じるその変化を、アデライードはまだうまく受け止めきれていなかった。
こんな曖昧な気持ちは、きっと自分の過去を聞いてもらったことに対する甘えから出ているんだろう。だから、カーツには気取られないように、できるだけ今までと同じように接しよう。そう意識していた。
幸い、カーツの方はあれ以降は一船員としての態度を崩さずにいるので、アデライードの変化が気取られていることはなさそうだ。
「そういう船長こそ、いつも航海長と交代じゃ、ゆっくりできないでしょう?」
「わたしは大丈夫。行かなきゃいけないところがあるわけでもないし、買わなきゃいけないものもそんなにないし」
「あぁ、男たちみたいに発散する必要はないか……っと、失礼。でも、船長だって女の子なんだし、入り用なものも多いでしょう」
そこでカーツは言葉を切って、アデライードの頭から爪先まで視線を動かした。しかも往復で。
「……何?」
「船長。せっかく素材は素晴らしいんだから、少しくらい活かしてみませんか? 俺が付き合いますから」
「何のこと?」
「つまり、買い物しましょう、って話です。良さそうなところいくつか紹介しますよ。俺、このドルトムント港にしばらくいたから、多少はわかります」
カーツが自分に何をさせたいのか、アデライードはいまいちよくわかっていなかった。だが、気付いたらカーツと二人で出掛けることになっていた。




