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 船尾甲板で一層分高くなったクォーターデッキの下には、通信用の遺産が置かれた通信室、メレディスが管理する医務室、そして一番奥に船長室がある。

 船長室の端にはアデライードのベッドを置いた小さな仕切りはあるが、それ以外はもっぱら仕事用の部屋だ。

 ハンブルク遺跡を後にして上空を航行中の『黒の天鵞絨』号の船長室には、アデライードとサイファ、そして二人の技師、ウェンリーとカーツがいた。四人は机上に広げられた地図を見下ろしている。

「……にわかには信じ難い話だな」

 話を聞き終わったサイファは、地図の上に刺されたいくつかのピンを睨んでいた。

「たぶん、わたしも実際にこの目で見なければ、サイファと同意見だったと思うわ。でも、ここには実物を見た人が三人もいるの」

 アデライードの声に、カーツとウェンリーは神妙に頷いた。

 ハンブルク遺跡の奥であの地図を発見したすぐあとでウェンリーが意識を取り戻した。異状がなさそうな彼にも地図と各地の遺跡の場所を確認してもらったところ、やはりアデライードと同じ結論に達した。

「オラニエ共和国の端、このあたりにまだ知られていない遺跡がある可能性が高い。わたしはそこに行ってみようと思うの」

 弾んだ色の琥珀の瞳に見据えられて、サイファは小さく頬を緩めた。

「アデルがそう決めたのなら、俺は従う」

「ありがとう、サイファ!」

「だが、未知の遺跡の探索に行くなら、それなりの準備が必要だ。いったんどこかの港に寄って、装備を整えたり情報を仕入れたりしてからだぞ」

「ええ、それはもちろんだわ。ハンブルク遺跡で入手した遺産も引き取ってもらわなきゃいけないし、補給のためにも、一度ドルトムント港に戻りましょう」

「わかった。船員たちに伝えてくる」

 頷くとサイファはくるりと踵を返して船長室から出ていった。ウェンリーもその後に続く。

 机の上の地図を片付けようとピンを外し始めたアデライードを、残ったカーツが手伝った。

「航海長は船長を信頼してるんですね」

「え?」

「いくら技師である俺たちも確認したとはいえ、たったひとつの、しかも正確かどうかわからない地図の情報を元に行き先を決められるんだ。君を船長として認めてなかったら、とてもそんなことはできないでしょう」

「そうね……発掘屋をやっていると、ときどきは賭けみたいな不確かな情報に頼らなきゃいけないことがある。そんなときは仲間の意思が揃っていないとうまくいかない。サイファはそれをわかっているだけだと思うわ」

「そうは言っても、まったく見込みのない賭けには乗れない。船長の判断力を信じてるからこそです」

 そう言われて、アデライードはくすぐったそうに微笑んだ。

 わかってはいることでも、優秀な航海長から信頼を寄せられていることを、他者から指摘されると嬉しい。

「サイファはカーツのことも認めてると思うわ。動力炉を直してくれた件もあるし、あなたが発見した地図だからこそ、賭けに乗ろうという気になったんじゃないかしら」

「それは光栄というか……かえって働きを期待されそうで怖いな」

「サイファの人遣いは荒いから、覚悟しててね」

 いたずらっぽく笑ったアデライードに、カーツは苦笑して肩を竦めた。

 地図に刺さったピンを外し終わって、地図を壁の空いたところに貼り戻そうと端を持ち上げたときだった。

「……っ」

 アデライードとカーツの手がほんの少し重なって、アデライードは熱い物に触れたかのように慌てて手を引っ込めた。

「っと、すいません」

 過剰なくらいの彼女の反応に、しかしカーツは特に気にした様子もなく、さっと地図を持ち上げると壁際まで持っていった。

 その後ろ姿を見つめながら、アデライードはカーツにわずかに触れてしまった右手を反対の手で包み込む。

 何を意識しているのだろう。誰かと接触することくらい、飛船の作業をしていれば日常茶飯事なのに。

 そう思っても、跳ね上がった心臓はすぐには収まらない。

 思い返すのは、つい先日。地図を発見したハンブルク遺跡の下層から登ってきたときのこと。

 先にウェンリーとカーツを上がらせて、アデライードは殿だった。最後に床の縁に手を掛けて身体を持ち上げようとしたところで、カーツの手が差し延べられた。

 「はい」と、ごく軽く出されて、アデライードも深く考えずにその手を掴む。

 すると、予想外の力でふわっと引き上げられた。

「……え?」

 気付いたときには彼女の身体は床の上にあった。勢い余って二、三歩よろめいてしまったほどだ。

 そのときには既にカーツの手は離れていたけれど、思わず彼の手をじっと見てしまう。

「どうかしました?」

「……ううん。何でもない。ありがとう」

 礼を言って向きを変えると、飛船から来ていたメレディスに診察されているウェンリーの方に向かう。

 ややぎこちない態度になってしまったのは、カーツの手を意識してしまった自分を知られたくなかったから。

 なぜ、たったそれだけのことに動揺しなければいけないのか、すぐにはわからなかった。

 遺跡の発掘現場から飛船に戻る途中で、ひとり胸の裡を整理して、ようやく理由らしいものを見付ける。

(たぶん、慣れてなかったんだわ……)

 誰かの手助けが必要な、か弱い女性として扱われることに。

 飛船に乗って以来、船員としても船長としても、アデライードは自分が女だということに甘えなかったし、仲間たちも彼女を男女関係なく同じように扱ってきた。

 さりげなく示されたカーツの気遣いは、カーツにとってはごく普通の女性に対する配慮だったのだろう。けれどアデライードにとっては意外なことで驚いてしまったのだ。

 自分を掴んだカーツの手は、飛船乗りらしく大きくて骨太で、けれど他の船員の男たちと比べるとしなやかだった。それも余計に意識してしまう原因だったのだろう。

 きっと技師として働いていた分、帆綱を握る機会が少なくて手荒れも少ないのだ。そう結論付けて、アデライードはそれ以上考えることを止めた……つもりだった。

 それなのに、今みたいにほんの少し手が触れただけで、またあのときの物馴れない気持ちが甦ってきてしまった。

 手をぐっと握ってその感情を押さえ込む。そして気まずさをごまかすように口を開いた。

「カーツはどうしてそんなに遺産や遺跡に詳しいの? シュヴァルツ帝国の技師養成所はどこもそんなに知識水準が高いの?」

 壁に地図を貼り終わったカーツは振り返りながら首を傾げる。

「どうでしょうね。他の養成所を知ってるわけじゃないから。ちなみにウェンリーはどこの養成所だったんですか?」

「さぁ。聞いたことないけど、彼は東国系だから、きっと養成所も……」

 そのとき、甲板につながる伝声管から緊迫した声が響いてきた。

『アデル! 敵船影発見! ヤツラ……イーサンの船だ!』

 伝声管越しのくぐもったサイファの声に、アデライードは弾かれたように船長室の窓の外に目を向ける。

 飛船後方に向いて開けられた窓は小さくて、そこで切り取られた空だけでは外の様子は判断できない。

「すぐそっちに行くわ!」

 伝声管に叫び返すと、アデライードは駆け足で船長室から飛び出した。




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