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3

 ぽっかりと広がった闇の中、アデライードの視界には、ひとつの影が重なった。


——果ての見えない深淵の闇。

 ふわりと翻る、背後に溶け込みそうな黒天鵞絨。

 それと鮮やかに対比する、短く刈られた赤金の髪。陽に灼けた逞しい四肢。

 こちらを向いた精悍な顔の中の青い瞳は、裏切りが信じられないとでもいうように見開かれている。

 大きく伸ばした飛船乗りらしい手は、何も掴むことができない。

 その身体は、暗闇の中を浮遊するように落下していく。

 どこまでも、どこまでも——


「……長、船長! ……アデライードっ!」

 誰かに肩を掴まれて、アデライードは我に返る。

 目の前には心配そうに覗きこんでくるカーツの碧緑色の瞳があった。

「アデライード……大丈夫?」

 周囲を気遣ってか小さな声に、アデライードは頷いた。

「……ええ。ごめんなさい」

 頭を軽く振って、脳裏に浮かんだ嫌な幻影を追い出す。

——今のは、実際にあった光景じゃない。

 その場・・・をアデライードは見ていなかったし、幻影の中でが纏っていた黒天鵞絨は彼女の肩に今もある。彼の身と伴に失われたわけではない。

 大きく息を吸って、ざわついた胸の裡を抑え込むと、アデライードは目の前の現実に意識を戻した。

「明かりを集めて!」

 カーツはまだ心配そうだったが、それを振り切るように他の船員たちの方を向く。

 駆け寄ってきた男たちが各々の照明を穴の中に掲げて照らすと、うっすらと中の様子が伺えた。

 思ったよりも近く、人の背丈の倍ほどの位置に、今いる場所と同じような模様の施された床がある。その床は上の層と比べて崩壊が激しく、所々は穴が開いて更に下に通じているようだ。

 ウェンリーはその穴のどれかに落ちたのか、照明の届く範囲には姿が見えない。

「あ! アデル船長、あれ!」

 一人の船員が指差した穴の縁に、鈎縄の先端が引っ掛かっていた。ウェンリーが引っ掛けたものだろうか。だが、何度か呼び掛けてみても、応える声はなかった。

「あの穴の先はどうなってるんですかね」

「ウェンリーのヤロウ、くたばっちまったのか?」

 穴を覗きこんで不安そうに顔を見合わせている男たちに、アデライードは立ち上がって指示を下した。

「あなた達二人は船に戻って担架を持ってきて。メレディス先生に来てもらえそうだったら、一緒に来ること」

 呼ばれた二人の男たちが、すぐに部屋を出ていく。

「その間に、あの穴に潜るわ。そっちの照明を予備に貸して」

 持っていた縄を伸ばして端を腰に巻き付け始めたアデライードに、カーツが焦った声を上げた。

「ちょっと待った! アデ……船長が行くのか!?」

「そうよ。状況がわからないところにみんなで入るわけにはいかないでしょ」

「無茶しないでください! そんな細腕で。ここにはこれだけ男手があるのに」

「船員の身の安全を守るのは、船長であるわたしの仕事よ! それに発掘屋としての経験はわたしも長いわ。潜ることくらいできるから」

「君に何かあったら、それこそ船が守れないだろう!?」

「だからって、誰かひとりを切り捨てることはできない! わたしは、もう誰も失いたくないの!」

 唇を噛み締めてカーツを見つめる琥珀色の瞳には、悲壮なくらいに強い意思が込められていた。

 それを正面から受け止めて、カーツは息をのむ。

 言葉を失ったカーツをそのままに、アデライードは無言で穴に潜る装備を進める。彼女の気迫に圧倒されたのか、他の男たちも何も言わずに黙々と彼女を手伝った。

「……わかった。俺も一緒に潜る」

 やがて、ぼそり、とカーツが告げた。

「え!? 中がどうなってるかわからないのに、危険よ!」

「だったら尚更だ。最初に単独行動をするな、と言ったのは船長でしょう」

 反論している間にも、カーツは手早くアデライードと同じ準備を進めていく。

「だいたい、もしウェンリーの意識がなくなってたら、一人じゃ運び出すのは無理だ。それにここは遺跡の深部。技師がいた方がいい場面も多いはずです」

 支度を整えて穴の縁に立ったカーツも一歩も引かない顔をしていて、結局アデライードが折れた。

「……先に潜るのはわたしよ」

「それは譲歩します」

 アデライードとカーツは腰に巻き付けた命綱の端を船員に託すと、薄暗い穴の中に下り始めた。

 崩壊が激しい中層を過ぎ、鉤縄の掛かっていた穴から更に下に潜る。

 ほどなくして辿りついた下層は、今までよりも天井の高い空間だった。うっすら光の届く床は、砂や石が転がっているだけで上二層のような模様はない。

 そして最初に彼女たちがいた層からは死角になるところに、倒れているウェンリーを発見した。

「ウェンリー! 大丈夫?」

 血を流している様子はないが、気を失っているのか動かない。だが、息はあるし、ひとまず無事なようだ。

「よかった」

「これなら俺が担いで戻ることもできそうですね。もともと壁が開く仕組みだったのが、脆くなって蹴った弾みで倒れた。咄嗟に鈎縄を投げたとこまではよかったけど、縄を掴んでいられなかったかな。まあ、この高さから落ちたくらいなら、たいしたことないでしょう」

 上から垂れ下がった縄を見て、カーツが言う。

「ウェンリーを見つけたわーっ! 気を失ってるだけっぽいから、連れて戻るねー!」

「アイ、船長、気を付けてーっ!」

 頭上の穴の外で待つ男たちに向かってアデライードは声を張り上げた。それからカーツの方に向き直る。

「じゃあ、悪いけれど、ウェンリーはカーツにお願いするわ。照明はわたしが持つから」

「その前に、ちょっと周りを調べてもいいですか? ここが遺跡の中のどんな場所か気になる」

 カーツは好奇心に満ちた目を周囲に向けた。

 釣られて、アデライードも自分たちがいる場所について、ようやく見回してみた。

 いつものアデライードだったら、発掘作業中に遺跡の新たな部分を見付けたら、それこそ我先にと調べ回りたいタチだ。だが今はそんな余裕をなくしていたようだ。

 ウェンリーを発見できて、不自然に突っ張っていた心が適度に緩んだのだろう。彼女らしい好奇心が戻ってきて、カーツと一緒に照明を掲げて観察する。

「ここは……広間だったのかしら?」

 照明に微かに照らしだされた壁や床は、今まで通ってきた場所と異なる落ち着いた色合いの素材が使われている。壁のところどころには大きな枠が嵌まっていた痕があり、床には何らかの台座らしきものがいくつか点在していた。

「……そうですね。きっと工場の展示室か何かだったんじゃないかな」

 台座のひとつに近付きその表面に触れているカーツが何を見ているのか気になって、アデライードもその隣に立ってみる。

 平らな表面には壁と同様に枠の痕があるが、その中には何も入っておらず、台座と同じにつるんとしているだけだ。枠の外側に何か書いてあるものの、アデライードには先人の文字は読めない。

「……ああ、そうか、ここを弄ればひょっとして……」

 熱心に調べ始めたカーツを残して彼女は壁際に移動した。

 壁の枠にも同じようにいくつかの文字が書かれていた。その枠の中にあったものの説明だったのだろうか。それから枠の中に視線を移す。そこにあったものを見て、アデライードは思わず声を上げた。

「カーツ! これを見て!」

「何かありましたか?」

 台座から離れて自分の側に来たカーツに、アデライードは目の前の枠を示す。

「これ、地図、かしら? 先人たちのいた頃の」

 それは今までの枠のなかで一番大きなものだった。そして枠内には、うっすらと図らしきものが見える。

 彼女たちが今いるシュヴァルツ帝国を含む大陸の西側。山脈や砂漠を挟んで、豊富な遺産を持つ大国があるといわれる東大陸。海岸線の形は多少違いそうだが、それでもアデライードたちも見慣れた形だ。

 図の右の方には、遥かに海を隔てた南北大陸、下方には、砂に埋もれたという伝説の黒大陸もわずかに描き込んである。

「確かに地図っぽいですね……えーっと、industrielles Netzwerk、ってことは……」

「何?」

「ちょっと待ってて……これでどうだ」

 探りながら枠の周囲を触っていたカーツが何か見付けたらしい。突然、枠内がぽうっと淡く輝きだした。

「あ……っ」

 アデライードは思わず一歩下がる。

 壁面に描かれていた地図全体が白く光っていた。曖昧だった海と陸の境界がはっきりとし、その上には複数の赤い光点とそれを結ぶ黄色の曲線も浮かんでいた。

「これは、何……? きれい……」

 地図から放たれる柔らかい輝きは、薄暗さに慣れた目にはとても鮮やかに見える。

「これは工業組織図、えーっとつまり、この工場と関係する場所を示した、いわば、宝の地図かな」

「宝?」

「赤い光点はこの工場と関係する工場の場所です。すべて残っているかどうかわからないけれど、残っていれば、ここと同じような工場型の遺産になってるはずだ。そしてその中には、まだ発見されていない遺跡もあるかもしれないですよ」

 そう言われて、アデライードは光る地図をじっくりと見直す。

「この一番目立つ光が、このハンブルク遺跡ね。次に近いのは……ああ、確かにここは工場型のベルリン遺跡があるわ。他に、ボルドー、マンチェスター、マドリード……この光は上に街があるから、もう残っていないかしら。こっちも同じ」

 ひとつずつ光点に指を這わせながら、頭の中の情報と突き合わせていく。ほとんどの光点の場所を確認して、最後にひとつの光の前で手が止まった。

「ここは……知らないわ。街も村もないけれど、遺跡があるって話も聞いたことはない」

 横に立っていたカーツと顔を見合わせる。

 胸の奥が少しずつ沸き立つように熱くなってきた。確信は持てなくて眉と目は固まったままだったが、口元は知らず緩んでくる。

「ここはシュヴァルツ帝国の外ですね。オラニエ共和国の端あたりかな。確かにこの辺は遺跡の空白地帯だから、あっても不思議じゃない」

「手付かずの新遺跡の候補地ね!」

「ええ。少なくとも、まったくの白紙から新しい遺跡を見つけ出すよりは可能性は十分高いと思いますよ」

 光る地図を前にして二人は瞳を見交わす。

 琥珀と碧緑の違いはあっても、どちらも期待に満ちて輝いていた。





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