チェレステ
緊張のせいか、枕が変わったせいか、朝の六時に目が覚め、部屋と鞄の整理をして、洗面台を借りて顔を洗うと、家政婦の好美さんが朝ごはんを用意してくれた。
旅行に来たわけではないので丁寧に断るが、せっかく作ったので勿体無いと言われ、本日は御馳走になる。
朝から焼き魚を食べるのは何年ぶりだろうか。久しぶりに他人の作った朝食に感動しながら砂那を待った。
昨夜の華粧の話に、彼女は納得してなかっただろう。彼女の気持ちを考えると、もう一度、腹を割って話した方がいいと思う。
朝ごはんを食べ終え、好美さんと世間話をしていると、砂那が朝ごはんを取るために台所に現れた。
「おはよう」
蒼の挨拶に、砂那はまだ居たのかとでも言いたげに一目すると、返事は返さず無言で彼の前の席に座った。
好美さんが、食事を用意してくれて砂那の前に出すと、「ありがとう」と礼を述べてから、食事を開始する。そんな砂那に蒼はもう一度話しかけた。
「折坂さん、今日は何からする?」
砂那は蒼に目も合わさず、行儀悪くご飯を食べながら話し出した。
「今日のあなたの仕事は、この家で居ることよ。くつろいでいて!」
やはり納得していないのか、口調まできつい。
「いや、それはさすがに………」
「あの後、おばあちゃんに何を言われたのか知らないけど、わたしは一人で十分よ。………そうね、暇なら町を散策しててもいいわよ。今ならちょうど川縁の桜が見どころだわ」
それだけを伝えてプイッと横を向くと、みそ汁に口を付けた。
やはり彼女は快く思っていなかったのだろう。
「あぁ、それもいいが、出来れば手伝わせてくれないか」
「心配しなくても、おばあちゃんには、よくやってくれたと言っておくわ。それなら、お金は貰えるし心配ないでしょ」
蒼にはそんなつもりはこれっぽっちもないが、不正を勧めるなら、せめて家政婦が聞いていない所でしてほしい。本当に一生懸命働いても怪しまれてしまう。
好美さんは二人の会話を聞かないようにと、台所からで出て行った。
「確かに、ボランティアでは無いので、依頼を受ける上でお金は大切だ。しかしお金云々じゃない。――――まぁ、昨日の囲いを見る限りでは、折坂さんは一人でも大丈夫だろうと思うけどな」
「だったら良いじゃない」
「しかしだ、考えてくれ。折坂さんのところに相談をしに来た人たちはどうだろうか。早く解決しなければ困る人も多くいるはずだ」
蒼は真剣に砂那の目を見つめた。
「……………」
砂那はご飯をとる手を止めて、目線を外し黙り込んだ。蒼が言っている意味を理解したのだろう。
そんな彼女に蒼はやさしく話しかける。
「一人より、二人で協力した方が、情報も調べる力も倍だ。もちろん解決も早い。ならば困っている人を早く助けられるだろ」
目線は外したままだが、砂那は初めて蒼の話に耳を傾けている様子だった。
「確かにそうだけど………」
砂那は渋々といったように答える。
「だから、こうしたらどうだろう。協力者として、俺を作戦チームに入れて欲しいんだ。リーダーはもちろん折坂さんで、俺に指示をしてくれ。俺はチームとして意見も言うが、どう動くかは折坂さんが決めてくれれば良い。もちろん、俺が気に入らなかったり、動きが悪いときは解雇してくれても良い。――――どうだろう?」
「でも………」
まだ戸惑ったように砂那は詰まる。蒼はさらに続けた。
「俺は昔から霊感だけはあった。だからそれを生かして、人の役に立つ仕事がしたくて祓い屋をしている。確かにまだまだアルバイトで、落ちこぼれだが、人を助けるのに肩書きなんて必要ない」
「あっ………」
砂那は今気付いたように言葉をもらした。
「だから、俺にも手伝わせてくれ」
蒼の意見を聞き、思い当たる所があるのか、砂那は恥ずかしそうに頬を染めている。しかし、やっと納得をしたのか頷いた。
確かに困っている人は多い。霊感もなくて理由が解らず、悩んでいる人も多いはずだ。ならば早く解決してあげたい。
「解ったわ。それならあなたをチームに入れる。でも、少しでも気に入らなかったら解雇するから」
「それで良い、よろしく折坂さん」
蒼はやさしく微笑んだ。
彼女は自分のことだけでなく、ちゃんと他人のことも考えているのだ。それが嬉しかった。
「それと、この家で折坂さんはややこしいわ、砂那で良いからそう呼んで。多分、わたしの方が年下だからさんも付け無くていい」
いきなり名前を呼び捨てるのは気が引けるが、本人の希望なら仕方ない。それに、たしかにこの家で折坂さんと言うのは誰を呼んだのかわかりにくい。
「それなら、俺も蒼って呼んでくれ。今は未国と名乗っているが本当の苗字は違う。だから、そっちの方がしっくり来る」
蒼にも色々有りそうだが、それには触れずに砂那は頷く。
「解ったわ、よろしくね、蒼」
「改めて、よろしく、砂那。期待してるぞリーダー」
二人して顔を見合って頷いた。
蒼は家の敷地から外に出た前の道で、砂那の着替えを待ちながら、充電で蘇ったスマートフォンを弄っていた。
妹の静香からSNSが届いていたので読んでみると、『お兄ちゃんの変態!』と怒ったうさぎ入っていて、意味が解らずに頭を悩ませる。
思い当たる節がないし、多感な年ごろの少女なので、色々な誤解からそうなったのだろうと解釈して、適当に返事を返しておく。そこからアプリを開いて、昨日の結果を見ていた。
使っているアプリは自転車用のナビで、現在地と目的地を入力すれば何通りものルートが出る。さらに消費カロリーや、GPS機能を利用して走ったルートや距離も記録できる。
ベネディクトに勝手に入れられたアプリだが、以外に使い勝手が良いので良く利用しているものだ。
蒼は走ったルートを見て、気になった場所を記憶する。
気になったのは、山手にある、この辺りでは一番大きな神社で、阿紀神社と言う場所だ。あとは周りに存在している氏神様の小さな神社が数ヵ所に、町の中の民家が数件。
範囲が広いので、出来れば乗り物が欲しいところだが、後で砂那に相談してみようと、蒼が振り向くと、いつものロングコートを着こんだ砂那がやって来た。
「………暑くないか?」
少し呆れたような蒼の台詞に、砂那はぶっきらぼうに答えた。
「暑いわよ」
それはそうだろうと納得する。
いくらまだ春先と言おうが、気温は徐々に上がってきている。夜ならましだが、昼間にこの格好は暑いし、何よりも目立つ。
蒼がしたらすぐに警察沙汰になるだろう。
「なぁ、砂那の武器は大きいナイフだろ? コートはその収納の為か?」
「そうよ、文句ある?」
当然の様に答える砂那に、もっと違う武器を使えば、そんな苦労が要らないのにと思いながらも、蒼は首を振った。
「いや、文句はないが、夏もその格好なのかと思ってな」
「中を薄着するし、もっと薄いコートにするわ。これも昨日より薄いコートなのよ」
夏場でもコートは着るのかと蒼は思ったが、本人は納得してやっている様子なので、それ以上は追求しなかった。
「それより、今から色々と巡回して、怪しそうな場所を当たって行くけど、先に視ておきたい場所はある?」
砂那の問いかけに蒼は頷いた。
「そうだな、それなら、まずは阿紀神社が見てみたいな」
その答えに砂那は眉毛を一つ動かせた。
祖母の華粧の受け売りだが、阿紀神社はこの辺りでは、龍脈の集まる場所であり、最も霊力の集まる場所だ。
だけどもその神社には結び師の神主が住んでいて、山を結界で結んで霊力は漏れないので、霊感の強いものでも近寄らないと解らないはずだ。
蒼は砂那と出会う前に立ち寄ったので有ろうか。
「構わないけど、多分無駄足よ。阿紀神社には神主様がいて、その人は結び師だから何もないわよ。――――だけど、どうして解ったの?」
警戒して睨んでくる砂那に、蒼は曖昧に頷いた。
「解ったと言うか、調べたんだが――――紹介しておくか」
仕方がないと言ったように、蒼は肩をすぼめた。
本当は情報集めや隠密な行動に利用するので、余り他人には知られたくない内容だ。しかし、しばらく砂那と行動するなら仕方ないだろう。
「こぐろ、おいで」
蒼の呟きに似た呼び声で、横の道端の草むらから飛び出したソフトボール大の黒い影は、蒼の後ろに隠れるように滑り込み、背中の後ろからヒョコッと首だけを覗かせた。
小さかったはずの影は、黒髪でショートカットの、小学校低学年ほどの少女になっていた。
砂那は驚きで、何度もその少女と蒼の顔を見比べて呟く。
「………式神?」
「本当は少し違うけど、そう思ってくれて良い。名前はこぐろだ」
蒼の説明で、こぐろは恥ずかしそうに頬を染めたまま頷いた。
「よろし…」
「喋れるのこの子?!」
こぐろが挨拶している途中で、砂那が驚きの声を上げ近付いてくるので、こぐろは首を引っ込めて隠れた。
砂那が驚いたのは、本来、式守神や式神等は言葉を発することが出来ないからだ。気持ちや感情を読み取ることで言いたいことが解るが、いざ言葉を使う式神となると砂那は見たことが無かった。
「すっ、すごい。この子、話せるの!」
砂那は興奮気味に、蒼の後ろに隠れたこぐろを覗き込む。
「あぁ、まぁな。こぐろには昨夜に色々と回って貰って、霊力の高い場所や、空気が澱んでいる場所を見つけてもらってたんだ。その中でもやはり阿紀神社は一番霊力の高い場所だから、関係なくても一度見ておきたくてな」
蒼の体の周りをグルグルと必死に逃げるこぐろを、追い詰めることを諦めたのか、砂那は蒼の前で立ち止まると頷いた。
「別に構わないけど、少し遠いわよ」
「あぁ、その事だけど、家に余っている単車か自転車は無いかな?」
「貸せるものは無いわ。わたしの自転車が有るけど、二人乗りで行く?」
最近は自転車に乗る人のマナーも問われる時代だ。二人乗りは禁止されている。
「いや、それはマズイいだろう」
これは本格的にレンタルサイクルを探さなくてはいけないと、蒼が考えていたとき、一台のトラックがこちらにやって来るので、蒼達は道の端によって車を避けた。いつの間にか蒼の後ろにいた、こぐろは居なくなっている。
近寄ってきたトラックは宅配会社のもので、砂那の家の前に止まる。そして、運転席から降りてきたドライバーは二人に会釈をしてから話しかけてきた。
「すいません。宅配便ですが、折坂さんの宅の方ですか?」
折坂と名前が出たので、砂那が近付き頷いた。
「こちらに、未国 蒼さんは居らしゃいますか?」
今度は蒼の名前が出たので、砂那に変わって蒼が頷くと、宅配便のトラックの中から荷物を降ろした。大きな鞄の様な荷物だ。それを見た瞬間、それが何なのか蒼には察しがついた。
蒼は伝票にサインをして荷物を受け取る。砂那は興味深そうに荷物を見ていた。
送り主を見ると、やはりベネディクトからで、別料金のかかる朝一番の配達希望となっていた。それを考えると、昨日、蒼が事務所を出た後に送ったものだろう。
蒼はその場で鞄のチャックを開けてみた。横から珍しそうに砂那が覗き込んでくる。
「なに?」
「あぁ、ちょうど良かった。俺の自転車だ」
中から出てきたのは、空色のロードバイクと、長袖で背中にポケットのある自転車用のジャージ。指の抜けたサイクリンググローブに帽子。
乗り物が欲しかったところなのでこれは有難い。欲を言えばバイクが良かったがそれは無理な話だろう。しかし、自転車でも十分に役に立つ。それに長袖のジャージを入れてくれているのは流石だ。登りや平坦な道なら良いが、この時期、自転車で坂道を下るとまだまだ肌寒い。
自転車に乗っている者、独自の目線だろう。
「流石はベネディクトさんだ、よく解っている」
そう言いながら長袖のジャージを取り出す。
ジャージは、ベネディクトに買い与えられた物だ。蒼も口では嫌がりながら良く使っている。意外と暖かく勝手がいいので、自転車に乗るとき以外も、ファッションとして普段から着ている。
洗濯してなおしてあったのに、良く見つけたなと感心していたが、そこで蒼の手が不意に止まった。
「……………」
ロードバイクが入っていた袋の中身の、ジャージにしてもサイクリンググローブにしても、全て蒼の私物である。
蒼は一人暮しをしていて、部屋はワンルームの安アパートなので、部屋が狭くてロードバイクは中に置いていない。二つの鍵をかけ、外の駐輪所にバイクと共に置いてある。しかも、ロードバイクはベネディクトのお下がりで、鍵も貰った時のまま変えていないので、番号さえ覚えていれば運び出すのは簡単だろう。しかし、長袖のジャージやサイクリンググローブは外に置いていない。もちろん部屋の中だ。
確実に不法侵入されている。
「あの人、勝手に俺の部屋に入りやがったな」
蒼はボソッと呟いた。
彼も思春期真っ只中の男の子だ。部屋の中には女性に見られたくないものも山ほどある。
そこで、今気付いたように蒼は目を見開いた。先ほど読んでいた静香のSNSの意味が解ったのだ。その内容から察するに、教育上、あまりよくない物を見られた可能性が高い。
「あっ、あの人、静香まで部屋に入れやがったな! 本気で何考えてやがる!」
一人怒りに震える蒼をほったらかしにして、砂那はまだ鞄を覗き込んでいる。
「自転車って、これ、バラバラだよ?」
今はベネディクトの傍若無人に怒っていても仕方がない。帰った時に文句は言おうと、砂那の問いかけに答える。
「あぁ、これはな、タイヤやハンドルをはずしてあるだけなんだ。直ぐに組み上げるから少し待っててくれ」
そう言うと、蒼はロードバイクを袋から取り出し、タイヤを嵌め込み、ハンドルを固定して組み上げていく。その様子を砂那は珍しそうに見つめていた。
「すぐに直るのね。えっと、びぃ、ビアンチ?」
砂那は横の書いている文字を読もうとする。
「ビアンキだ。メーカー名だよ。これでよし、と」
蒼はロードバイクに跨り、ハンドルの位置を確認する。
「綺麗な色の自転車だね」
組み上がった、空色のロードバイクを見て、砂那はそう感想を述べた。
「ありがとう」
蒼は嬉しそうに微笑む。それからサイクリンググローブを嵌めながら砂那を見る。
「さて、準備も整ったし、そろそろ仕事に向かいますか、リーダー?」
「そうね。まずは阿紀神社だね」
砂那はそう言って頷いた。




