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月明かりの契約

 部屋の電気は点いてるはずなのに、何故かその時、蛍光灯の灯りはおぼろげに見え、月明かりに照らさらた(そう)の瞳が、砂那(さな)をとらえていた。

 砂那はどこか夢の中の風景の様に彼を眺め続けた。

 魔法の契約。

 それは今まで味わったことのない不思議な感覚だった。

 砂那は囲い師だ。

 彼女は折坂家の生業(なりわい)に従ったように、囲い師だけを目指してきて今まで頑張ってきた。

 元々ない体力をつけるために、スポーツ選手のように走りこんだ。

 大きなダガーを何本も収納したコートを引きずるようにして、山道を駆けずり回り、何度もダガーを投げることで、囲いの基本を覚え、囲いの正確さ速さを求めた。

 それだけに打ち込み、同世代の子のように、遊びやおしゃれや、色々なものから目を離し、傷を負いながら汗だくになる毎日を過ごした。

 そんな毎日を送っていたので、当然、友達も少ないし、異性との浮いた話も皆無(かいむ)に等しかった。

 砂那の目の前には、男性と呼ぶには少しだけ早く、少年と呼ぶには少しだけ遅い彼がいる。

 その彼が、自分を魔法と言う未知なる領域(りょういき)(いざな)ろうとしている。

 だからこの時砂那は、とても不思議で少し怖くて、それなのに、心のどこかでは喜んでいた。 

「………魔法の契約」

 少し興奮しているのか頬を赤らめたまま、砂那の小さな唇が、呟くように言葉を漏らし出す。

「契約と言っても、そう危険な物でも堅苦しい物でもないんだ。――――砂那をこぐろのサブマスターにする」

「こぐろの? さぶ、ますたー?」

 聞きなれない言葉に、砂那はたどたどしく聞き返す。

「サブマスターと言うのは、要するにマスターの代理、サブだよ。――――俺たち魔法使いは式神や、式守神(しきしゅがみ)を使わない。その代わりに〈使い魔〉を使う」

「こぐろは使い魔なの?」

「その通りだ、こぐろは俺の使い魔になる。………使い魔は、偵察や攻撃を手伝ってくれたりする、祓い屋で言う、式神の様なものだ。それに、ここも式神と同じで使い魔も数の制限がない」

 式神は術者の能力に合わせて多く(したが)えれる。

 しかし、砂那や他の囲い師たちが使っている式守神(しきしゅがみ)は、確かに強力な霊力と攻撃力を持っているが、数の制限がある。

 一人一体。

 それは、二つ以上だと式守神(しきしゅがみ)同士が喧嘩をしてしまい、どちらも本来の力が出せず、最終的には両方とも術者から離れていくからである。

「内容的に使い魔は式神と良く似ているが、根本的には全く違う。………それは、使い魔には媒体(ばいたい)となる肉体があるからなんだ」

「肉体があるとどうなるの?」

 蒼の言っている意味が解らず、砂那が不思議そうにたずねる。蒼は簡単に答えた。

「声を出せるし、物を持つことができる」

 その言葉で、砂那の目に一瞬、好奇心の光が入った。

「それでこぐろは話せたの?」

「そうだ」

 式神や、式守神(しきしゅがみ)はあくまでも霊体である。一時的に物理的な攻撃や防御は出来るけれど、肉体がないので声帯を持っていない。だから声が出せないのである。

 しかし、蒼が本当に伝えたいのはそこではない。声はどうでもいいのだ。

 本当に伝えたいのは、もう一つの方だ。

「しかし、話せることは重要でない。使い魔は偵察だけでなく、物を運ぶことができる。ここが重要なんだ。………今回、五十囲いをするときの難点は、広い範囲にお札を縫い付けていく行為だ。これは案外、時間がかかる。その時に、俺が悪霊たちを抑えていたり手を貸せなくても、砂那が俺を(かい)せず、直接こぐろに命令できる」

 砂那はなるほどと頷いた。

「お札を縫い付けるのを手伝ってもらうのね」

「あぁ、こぐろは足も速いし役に立つと思う」

「それを、わたしが指示するの?」

「細かい指示できるから、そっちの方が便利だろ?」

 蒼の話の内容に砂那は頷いた。

 今回は山の頂上をぐるーと一周囲うのだ。誰かに手伝ってもらわないと時間がかかる。

「うん、それは嬉しいけど………」

 しかし砂那はそこで口籠る。

 蒼は危険なものでは無いと言ったが、砂那には魔法は未知の領域。昔話や童話、色々な情報から想像するに、魔法使いの契約と言えば、どちらかと言うと暗いイメージが付きまとう。だからついついこんな言葉が口に出た。

「ほんとに大丈夫? 寿命が縮むとかない?」

 その返答に蒼は苦笑いした。

 砂那は(さっ)しが良い。

 無条件で大きな力を手に入れる方法は、この世の中にあまりにも少ない。

「そこまでの危険は無いが………確かに、その契約の方法はあまり心地よくはない」

「心地よくないの?」

 砂那は恐々と聞いてくるので、蒼は言いにくそうに次の台詞を続ける。

「あぁ、心地よくないと言うか、嫌悪感を抱くかもしれない」

「どういうこと?」

 砂那の問いかけに蒼は説明を開始した。

「こぐろのマスターは俺だ。その代理をするサブマスターの砂那が、俺から許可を得て命令している事を、こぐろに解ってもらわないといけない」

 そこまでは納得したのか砂那は頷く。

「だから、におい付けと言うか、俺の魔力をこぐろに感じさせるために、俺の一部を肉体に取り入れなくてはいけないんだ」

 言いにくいことなのか、先ほどから蒼は目線も外し、遠回しでなんとも歯切れは悪い。

 砂那は解りづらい蒼の話を聞いて、少しだけ首を傾げた。

「要はどうすればいいの?」

「あぁ、方法としてはマスターの血を飲むしかない。………要するに、砂那が俺の血を飲まなくてはいけないんだ。――――ほんのわずかだけ」

 蒼は親指と人差し指を小さく開けて、少量を強調する。

 実は蒼はこう説明したが、契約の方法は他にもあるのだ。

 一番の契約の主流は、今しがた蒼が言ったように、マスターの肉体の一部を口にする事である。しかし他にも、輸血したり、肉体関係を持ったりなど契約の方法も多々ある。

 だがそれには、医療器具を用意したり、肉体を重ねたりなど、そう簡単にはいかない。

 肉体の一部を口にするも、重要な部位の方が効果的で、髪や爪や唾液(だえき)などは効力が薄く、使い魔があまり言うことを聞いてくれない。もちろん排泄物においては論外だ。

 一番すぐれているのはマスターの脳や心臓らしいが、それはさすがに提供できない。

 その点において、血を飲むという行為は良く契約時に使われる。

 理由は簡単で、血液やリンパ液などは、体内を回る需要な要素でもあるし、提供もしやすいからだ。

 だだ、他人の血液を口にするという、嫌悪感がぬぐいきれないのがネックではあるが。

 砂那は話の内容を聞いて、安堵(あんど)した様に蒼を見ていた。

 自分の体の一部を取られたり、寿命が縮むとかに比べれば、他人の血を飲むくらいは我慢できる。

「それぐらいなら良いよ。蒼の血を飲むだけでしょ?」

「あぁ、ほんの少しだけな………だけど、本当にいいのか?」

 蒼は砂那の顔色をうかがうが、砂那は躊躇(ちゅうちょ)なく答えた。

「いいわよ。やる」

 普通なら、魔法という理解出来ない力に対してもっと(おく)するものだが、砂那は思い切りが良い。

 こちらから誘ったとはいえ、蒼はそれに感心していた。

「解った、それなら準備をする。途中で気が変わったら言ってくれ。直ぐに止めるから」

 砂那は頷いた。



 ――――――魔法の契約――――――


 部屋の電気は消され、ロウソクを小皿に載せた物が六個、正六角形に畳に上に置かれている。ロウソクは全て淡い炎を灯しており、その中心に蒼と砂那が、膝立ちした姿で向かい合っていた。

 蒼の身長は男性の中でもごく平均的なものだ。しかし、砂那と並ぶと頭一つ分は高い。

 だから、蒼は少しだけ顎を引いて目線を下げ、砂那は少しだけ見上げた格好で、お互いの瞳を見ていた。

 砂那は緊張した面持ちで頬を赤らめている。

 ロウソクの炎は離れているので、二人を照らすだけの明るさは無く、月明かりだけが二人を照らし、畳の上に長い影を作り出していた。

「今から契約を行う」

 蒼の声に、砂那は小さく頷いた。

 真っ直ぐに砂那を見つめていた瞳を閉じると、蒼は契約用の詠唱(えいしょう)を唱える。

知識(ちしき)無き(われ)が本を持ち、(ほう)無き我が外界(げかい)の法を(よう)いて、使い魔の権利を共有する」

 そこまで言ってから、蒼は目を見開いた。

「我が使い魔の権利を、我が血に乗せて、折坂 砂那に分け与える」

「わたしは、マスターの春野 蒼(はるの そう)の血を受け入れることで、使い魔の権利を得る」

 練習通りに砂那が台詞を言う。

 魔法には本名が重要な意味を持っている。ここで使われた春野 蒼という名は、今では語ることの無くなった蒼の本名だ。

 蒼はカッターナイフの刃を出すと、自分の左手の人差し指を浅く切り、血が流れたまま砂那に指を向けた。

 砂那は恥ずかしいのか、頬を真っ赤にして、ゆっくりと蒼の人差し指を(くわ)える。

 人差し指は生暖かい感覚に包まれ、蒼は一瞬だけ目を細めたが、身動きはしないように努力をした。

 砂那はそのまま目を閉じて蒼の指を吸うと、二、三度喉を鳴らす。

 そして砂那は口から指を離すと、目を開き、蒼の血を飲んだと頷いた。

 蒼は言葉を続ける。

「血の契約により、折坂 砂那が我が使い魔のサブマスターとなった事を、新しい法として定める」

 蒼のその発言で、ロウソクの炎が勢いを増し、二人を囲う正六角形の魔方陣(まほうじん)が青色に淡く輝く。

 砂那は少し視点の合わない瞳で、何処(どこ)か夢心地にそれを眺めていた。

 蒼の血を飲んだことにより、胃の辺りから徐々に、身体の内側に火が入ったように熱くなっていき、膝立ちしていることさえ辛いほど、体に力が入らない。

 恐い事のはずなのに、このままこの誘惑に溺れていたいという感覚に(おちい)っていく。

 ゆっくりと、ロウソクの炎は元に戻り、これで契約は終わったのか、蒼は立ち上がると、急いで部屋の片隅に置かれた、水の入ったペットボトルとタオルを取り、砂那に渡した。

「気持ち悪かったろ、早く口をゆすいでくれ」

 砂那は力が抜けたように、畳にペタンと腰をつけると、曖昧な感じで頷き、差し出されたペットボトルを受け取った。

 しかし、それには口を付けようとはせず、受け取った姿のまま、しばらく動きを止めて、焦点の合っていない目で、ぼーっと畳の一点を見つめていた。

 その様子に蒼は慌てて問いかける。

「大丈夫か?」

「えっ? うん」

 心配を顔に表せて問いかける蒼に対して、砂那はやっと正気を取り戻したように、視点を彼に会わせると、赤い頬をさらに赤くして慌てて頷いた。

 実は言うと、蒼はベネディクトにより魔法の契約を受けたことはあるが、使うのはこれが初めてである。しかも彼は、詠唱魔法はターンイービルの一つしか使えない、落ちこぼれの魔法使いだ。だから魔法の契約がちゃんと出来のか不安があった。

 今回はロウソクの動きや、砂那の状態を見るに限り、自分がベネディクトに受けた魔法の契約と、同じ状態や結果が現れたので、成功と見ていいだろう。

 砂那は受け取ったペットボトルの水を口に含み、くちゅくちゅと口をゆすいでいたが、何かを感じ取った様に突如に目を見開くと、目線を外に移動して、そのまま口の中の水をゴクリと飲みほした。

 口の中の水を、庭にでも捨てると思っていた蒼は、その様子に驚く。

「どうした?」

「………蒼、」

 砂那は顔を戻して蒼を見る。

 その表情は驚きと焦りが入り混じっていた。

「これってなに? 翠さんが見える。それに知らない男の人も………」

「ん?」

 砂那の問いかけに少しのタイムラグを取り、意味の解った蒼は目を瞑り、意識を集中してこぐろに問いかける。

 こぐろから送られてきた念波の映像は、囲いを解除し、八坂神社の社務所から出てきた、翠と蒼の友人の篠田という若い囲い師の姿だった。

 翠はふらつきながらも自分の脚で歩いて行く。篠田はそんな翠を支えるわけでもなく、スマートホンを耳に当てて、談笑したまま、すでに下準備を済ましていたのか、左手で十六芒星(じゅうろくぼうせい)(そら)で書き、囲いを発動させる。

 囲いは直ぐに現れ、篠田もその場を離れると翠の後ろについて歩きだす。音声は聞こえないので、この映像を見る限りでは、何とも軽薄に見える態度である。

「ねぇ蒼、これって何なの?」

「あぁ、こぐろが見ている物が見えてるんだ。砂那がサブマスターになった証拠だ」

 そう言いながら、蒼は砂那にたいして感心していた。

 普通なら意識を集中して使い魔と連絡を取らない限り、使い魔の見ている映像は見えることはない。

 しかし砂那は、意識を集中しなくても、こぐろの見ている映像が見えた。これは彼女は蒼よりも、こぐろとの相性がいいのかもしれない。

「これはこぐろの?………翠さんが境内(けいだい)を出て行こうとしてるよ、成功したのかな?」

 砂那は問いかけてくるが、蒼にも意味が解らない。しかし、囲いが途切れた時には、まだ山頂にいる暴れ神の存在をこぐろが確認しているので、成功したわけでは無いだろう。

 それならば諦めたのか知れないが、先ほどの砂那の話を聞くかぎり、翠がそう簡単に諦めて帰るとも思えない。

「暴れ神はまだ山頂に居るから、成功はしていないはずだ。……………だけど、なぜだ?」

 蒼は映像に集中しているところで、翠が小石に足を取られ倒れそうになる。

 篠田はスマートフォンを持っていない左手で、翠の右手を取って倒れないように支えた。相変わらず電話をした状態ではあるが。

 そこで丁度、こぐろと篠田の目が合い、篠田はスマートフォンを耳に当てたまま、受話器を口元から遠ざけ、口元を弛めてから、こぐろに向かって大きく口を動かせた。

 声は聞こえなかったが口の動きから、蒼には『待っているぜ』と言ったように見え、思わずつばを飲み込む。

 砂那は蒼のように、篠田の口の動きから内容は読み取れなかったが、その少年の笑顔を見て、なんて自信にあふれた笑顔だろうと思っていた。

 翠が頬を赤らめながら二、三言、支えられた篠田に何か伝え、彼は手を離した。そして、二人してこぐろの前を通りすぎると、八坂神社の境内を出ていく。

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