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八坂神社

 砂那(さな)は大振りのダガーを握り締めたまま、社務所(しゃむしょ)を見て固唾(かたず)を飲み込んだ。

 誰が囲ったか知らないが、パッと見ると、結びと囲いの結界の間が隙間だらけでいい加減な囲いにも見える。

 しかし内容は、十六もの多角な囲いなのに、角が測られたように正確で、キッチリと整えられた見事な囲いだ。

 自分も含めて、これほど正確で綺麗な囲いは見たことがない。

 砂那がその囲いを見て(ほう)けている中、(そう)は囲いに使われている、お札を地面に()い付けている道具を見ていた。

 道具は細長いステンレス製の(くし)で、百均などで簡単に手に入る品だ。これを使って居る人物は、蒼がさきほど頭を過った二人と一致する。

 その二人とは、蒼の実の姉にいたる人物と、友人の篠田という人物で、共に囲い師だ。

 しかし、二人とも使い勝手が良いので使っているだけで、この二人以外の者が使っていないとも言きれない。

 それに、こんなややこしい囲いを張る意味が解らない。この囲いの中に何が有るのか。

 蒼は囲いの中を覗こうとして目を細めた。だがやはり、囲いの中の霊視は出来ない。

「砂那、十六囲いは出来るか?」

 顔を戻さず、囲いを見たままの蒼の問いかけに、砂那は彼の言わんとしている意味が解った。

「蒼、まさか………囲いを切るの? そんな事をして大丈夫?」

 蒼が言ったことは、囲いを切ってから中に入り、砂那に囲いを張り直してほしいと言うことなのだろう。しかし、隙間が開いているとはいえ、その囲いが有るから大量の悪霊が出ないのだ。それを取っ払えば悪霊は一気に(あふ)れ出すだろう。

 砂那の心配をよそに蒼は頷いた。

「言いたいことは解るが、とにかく、中を視てみないと何も出来ない。このままでは手が出せないし、先にお札を縫い付けておけば、囲いを切っても直ぐに代わりが囲える。………それなら、悪霊もそんなに外に出ないはずだ」

 それは、確かに蒼の言う通りだ。

 この辺りに(けが)れや、霊的障害の事故や憑き物が増えて来た理由は解ったが、まだ解決策はない。このまま何もせずに家には帰れない。

「十六囲いは出来るけど、囲いはどうやって切るの?」

 ロングコートの中には、丁度ダガーが十六本有る。その全て使った、十六囲いは何度か使った事が有るので出来るが、囲いや結びなどの結界は切ったことはない。

「すまないが俺は駄目だ。砂那は、九字は切れないのか?」

 〈九字〉と言うのは九字護身法(くじごしんぼう)で、神仏を表す九種類の印契(いんげい)(りん)(ぴょう)(とう)(しゃ)(かい)(じん)(れつ)(ざい)(ぜん)を用いて、邪気や悪霊など祓う方法で、熟練者は囲いや結びの結界を切ることができる。

「ダメ、わたしの九字切りでは囲いは切れないわ。出来て願掛(がんか)程度(ていど)よ」

 砂那は祖母の華粧に、囲いだけを重点的に習った。だから祓い屋の知識や調査や、その他の技術関係をあまり得意とはしない。

「だったら、砂那の式守神(しきしゅがみ)でこの囲いが切れないか? 霊体を切っていたから可能なはずだ」

 その問いかけに砂那は怪訝(けげん)な顔をする。

 昨夜に出会ったとき、神社で式守神(しきしゅがみ)を出すのは考えた方がいいぞと注意したのは蒼の方だ。あれから彼女もその意味を考え、理解して恥じたというのに、今ここで式守神(しきしゅがみ)を出せば、昨夜と同じことになるだろう。

 砂那の無言の(うった)えに、蒼は神様が(まつ)られている本殿の方を見て頷いた。

「大丈夫、今この神社の神様の気配は希薄(きはく)だ。邪魔される心配はないだろうし、多分、こうなった時に、この囲いを使った囲い師に(おさ)え込まれている」

 蒼の言うことが正しいなら、これを囲った囲い師は、神様を抑えている。かなりの力量を持っているのだろう。総本山で言うならAAA(トリプル)クラスの〈(こつ)〉に匹敵する。

「やった事は無いけど、八禍津刀比売(やがまつとひめ)なら出来ると思う」

 よしと、蒼は頷いた。

「囲いの準備は手伝う。まずは俺達が入ってから囲う分と、出てから囲う分と、二回分お札を縫い付けていく」

「だけど、そんなにダガーの本数は無いよ」

「あぁ、最初の俺達が入っても、内容が分かれば直ぐに出るから、その分は、石か何かでお札が飛ばない程度で良い。最後に囲う分はダガーを使わせてくれ」

「解ったわ。それなら、わたしは右から行くから、蒼は左から回って」

 砂那は簡単にそう伝えると、ロングコートからダガーを八本抜き取り、お札と共に蒼に渡す。

 手に取って解ったが、素材が関係しているのか、そのダガーは見た目よりも案外に軽い。

「………すまない」

 蒼は一言だけ謝った。

 砂那のダガーは、全てこの場に置いて帰る事になるだろう。

 所詮(しょせん)は囲いの道具は消耗品だが、そのダガーは見るからに、細かい細工も(ほどこ)されており、値段も張りそうだ。そして何より、彼女は好んでそれを使っている(ふし)がある。それを蒼は影ながらに捨てて帰ると言っているのを、彼女はあっさり承知(しょうち)してくれたのだ。

 それが解ったのか砂那は首を振る。

「予備が有るから大丈夫よ。でも、もし、ここに何もなかったら弁償(べんしょう)してもらうわ」

 砂那はそう言って、笑顔を蒼に見せた。

 その様子からして、彼女は冗談として言っているのだろう。

「あぁ、解った。何もなかったら、極力、安く見積(みつ)もってくれよ」

 その冗談に対して、こちらも冗談で返した様に聞こえるが、一人暮らしの蒼にしては、けっこう本気な返しだった。

 一人暮らしは何かと()り様がある。

 二人は同時に、囲いの(ふち)を駆け出し、現在の囲いに使われているお札の、外側三十センチに新たなお札を、近場にある石で固定して行く。こちらは自分達が入って直ぐに囲う分だ。そして、そのお札のさらに外側三十センチに、今度は砂那のダガーでお札を縫い付けて行く。こちらは全て終わった後に始動する分だ。

 十六囲いの二セット、三十二枚のお札をセットして行く。

 もちろん隙間から結びの結界の中にも入り、お札を縫い付けていく。結びの結界の中は思いのほか悪霊が多いが、今は無視をして作業を進めた。

 何かとちょっかいを掛けてくる悪霊を尻目(しりめ)に、十六枚目の最後のお札を地面に縫い付け、蒼は山の頂上部分を見上げた。

 頂上付近には真っ赤な危険色、大きな霊力を感じる。

 ここからでもわかるが、確かにあれは暴れ神だろう。あまり係わりたくない存在だ。

 隣には同じように頂上を見上げた砂那がいた。

 二人は三十二枚のお札を縫い付けて、再び社務所の前に戻る。

「よし、砂那、始めてくれ!」

「うん、八禍津刀比売(やがまつとひめ)、出て来て!」

 砂那は目を(つむ)り、自分の背中に意識を集中させる。

 彼女の背後には、怒りの表情と、八本腕を持った女性体の鬼、八禍津刀比売(やがまつとひめ)が静かに現れる。

 砂那は目を見開くと、キツイ釣り目で囲いを睨み付け叫んだ。

「お願い、この囲いを切って!」

 砂那のお願いに八禍津刀比売(やがまつとひめ)は、右手の大剣を振り上げ、真っ直ぐに振り下ろす。

 勢いの付いた大剣は、囲いの結界に触れると、キィーンと乾いた音を(ひび)かせ動きを止めた。

「っ、硬い!」

 結界を切るのは始めてで、他の囲いの固さなど解らないのだが、砂那は直感的に理解した。

 この囲いは他の囲いに比べて、格段に硬い。

 形といい、これほどの精度と硬さをもつ囲いを張った者は、只者(ただもの)ではないだろう。でも、今はそんな事に感心してられない。

「お願い! 八禍津刀比売(やがまつとひめ)――――切って!!!」

 砂那の叫びに、今度は八禍津刀比売(やがまつとひめ)が背中の六本の腕の大剣も同時に振り下ろす。そして、七本の大剣が重なった瞬間、勢いがついた大剣たちが通った。

 囲いはガラスを割った様な、パリッーンと言う音をたてて消え去っていく。

「蒼、早く!」

 砂那の声をきっかけに、蒼は社務所に跳び込む。砂那は走りながら、左手で空中に十六芒星(ぼうせい)を描いた。そして、二人が社務所に入った瞬間に囲いが現れる。時間は五秒と掛からなかっただろう。

 深く息を吐くと、思い通りの結果に、砂那は思わず右手だけで小さくガッツポーズを取る。

 囲いの発動は早く、悪霊たちもそんなに外には出なかったはずだ。

 二人が駆け込んだ社務所の中は、靴を脱ぐだけの踏み板の置かれた玄関があり、登り口に障子戸(しょうじど)の仕切りがあるあっさりとしたものだった。

 蒼はその障子戸をあけた。

 江戸間ではない、今では関西でも珍しい京間の、八畳二間の畳部屋の中には、巫女姿の一人の少女がうつ伏せの状態で倒れていた。

 二人は靴を脱ぎ捨て、慌てて駆け寄る。

「おい、大丈夫か?」

 蒼の問いかけに返答はないが、一応、息は有るようで、肩が呼吸に合わせて上下している。

 砂那はその少女に近付くと、見知った顔に眉毛をしかめた。

(みどり)さん?」

 砂那の声に反応してか、翠と呼ばれた少女はゆっくりと顔を上げる。

「おっ、折坂? ……なんで、あんたが、ここに、居るの?」

 枯れた声で息を切らしながら、視界が合わせにくいのか何度か目を細める。

 顔つきからして、砂那よりの年上なのだろう。肩に掛かるぐらいの髪が、しばらく洗っていないようにバサバサに乱れている。着替えもしばらくしていなのか、上着の白色の白衣(びゃくえ)は卵色がかっていて、(あか)で首元が汚れていた。朱袴(しゅばかま)も着乱れ、しわくちゃである。

 (ほほ)がこけていて、力が入れないのか腕で体を支えるように起き上がる。この状態からして断食していたのだろう。

 そして、この様な場所で断食している理由が二人には解った。特に砂那は一度経験までしている。

 これは、式守神(しきしゅがみ)と契約する儀式である。

 蒼は目線だけで砂那に「知り合いか」と尋ねた。

「あっと、さっき言ってた、私以外の……………」

 砂那は言いにくそうに言葉を濁す。

 言いよどんだのは、先ほど話していた、三代前に衰退した囲い師が、いま目の前にいる彼女なのだからだろう。しかし、現在は霊能力が無く、囲い師ではないはずだ。それなら式守神の契約も出来ないはずである。

 戸惑った表情の蒼をそのままに、砂那は体を起こそうとしている翠を助けようとして、手を差し伸べるが、寸前のところで彼女に振り払われた。

 振り払った拍子で、翠は顔から前に倒れ込む。しかし気丈にも、もう一度起き上がり、真剣な眼差しを砂那に向けた。

「よっ、余計な事をしないで! 契約の最中よ!」

 砂那は慌てて手を引っ込めた。

 蒼は呆れたように話しかける。

「契約って、暴れ神を式守神(しきしゅがみ)にするつもりだったのか?」

 たしかにそれは、可能なのは可能である。しかし、あくまでも可能なだけで、現実的には不可能に近い。

「………あなたは、誰?」

「折坂さんの知り合いだ。しかし、今は俺が誰かは関係ない、何でこんな無茶をしている?」

 翠は目を細め、必死に蒼を見ている。その様子からして、彼女は元々視力が悪いのかもしれない。

「無茶か………」

 彼女は少しだけ寂しそうな顔をした。

「あなたも、彼と同じことを言うのね」

「彼って?」

 翠は現在霊能力が無く、囲い師でないのなら、その『彼』がこの囲いを張った人物なのだろう。しかし、蒼の問いかけに翠は口を閉ざし、「もう、帰って」と呟くと正座をしなおし、山の頂上に向かって小声で話しかけていく。

 その様子からして、やはりと言うか、暴れ神に無視されていて、契約はあまり上手く行っていないのだろう。

 蒼はどうすると問いかけるように、砂那を見た。

 本人が自分の意志でそれをしている限り、蒼達に辞める事の強要が出来ない。

 砂那は翠の背中を寂しそうに見つめてから、小さく呟いた。

「蒼、戻りましょう。わたし達にできるのは、もう一度しっかりした囲いでここを囲い直すことよ」

 それなら悪霊も出てこれ無くなるだろう。

 そして、翠の式守神(しきしゅがみ)の契約が、成功にしろ、失敗にしろ、終われば阿紀神社の神主に頼んで、再びこの地を結んでもらえば今回の件は解決する。

「翠さん………無理はしないでね」

 砂那のその声は聞こえたはずだが、彼女は聞こえなかったように、そのまま山の頂上に向かって話しかけている。

 砂那は顔をそむけると。蒼の意見を聞かずに玄関に向かった。

 蒼は何も言わず、砂那のその行動に従った。

 翠を見ていた砂那の表情から、少しだけ、彼女の影が読み取れてしまったから。



 十代後半の少年が、コンビニのビニール袋をひっさげて、八坂神社に向かう足場の悪い坂道を登る。

 耳に覆いかかる髪は男性にしては少し長めで、男前で整った顔立ちな割には、笑うと愛嬌のある八重歯(やえば)が口元にのぞいた。

 服装は(ひざ)の抜けたブーツカットの細身のジーンズに、真っ白いTシャツ。上着に薄めのスカジャンを羽織り、中指と小指にシルバーのリングをはめている。足元は、ここまで坂道を登ってくるには不慣れな、革のとんがりブーツである。

 歩いている姿は、どこと無く力が抜けており、余裕を感じさせる様でもあり、軽薄に感じさせる様でもあった。

 少年は草むらから現れた、悪霊や憑かれた生物をヒョイヒョイと、ステップを踏むようにかわし、目を向けることも無く、何事もなかったようにコンビニのビニール袋の中から、微糖の缶コーヒーを取出して片手で器用にプルトップをあけた。

 そこから、ビニール袋を持ち替えてから、缶コーヒーに口を付け、赤く塗った手創りの燈籠(とうろう)の間を通り、鼻歌交じりに八坂神社の社務所の前まで来てから、怪訝(けげん)そうに缶コーヒーを飲んでいる手を止めて、片眉毛を上げた。

 自分の張った囲いではないのが解ったためだ。

「誰か来たのか? ――――ふーん、結構いい囲い張ってんじゃん」

 それから、少年は一番近場の、お札を縫い付けている道具を見て一言つぶやいた。

「………折坂(おりさか) 善一郎(ぜんいちろう)?」

 それは、総本山に所属する、折坂(おりさか) 善一郎(ぜんいちろう)の使っているダガーに酷似(こくじ)していた。というか、そのままそれだ。

 こんな珍しい道具を他の囲い師は使わないし、そもそも、折坂のそれは特注品だろう。

「いや、違うか」

 少年は少し目を細めた。

 お札を縫い付けている道具は同じだが、お札を縫い付ける角度や(くせ)が彼とは違う。

 そこで何かに気付いたのか、少年は「あぁ」と納得した様子で頷く。

 どこで聞いたか忘れたが、そう言えば、折坂(おりさか) 善一郎(ぜんいちろう)の出身は奈良だと言っていた。それなら折坂家の別の人間かも知れない。

 まぁ、本当に折坂(おりさか) 善一郎(ぜんいちろう)本人が来ていたら(いささ)難儀(なんぎ)だが、難儀というだけで問題はない。それより今の問題は、囲いの中に入る事だ。

 自分の張った囲いなら、簡単に解除できるが、他人の張った囲いは切らないと中に入れない。しかし、目の前の囲いは角度といい形といい、中々素晴らしい囲いで、これなら強度も十分あるだろう。

「うーん、俺の九字では五分五分かな。ナインワードのおっさんは帰ったし――――仕方ねーな」

 少年はため息交じりに自分の背中に意識を集中すると、声を上げた。

「出てこい、我が式守神(しきしゅがみ)―――三火八雷照(みほやいかずちでり)

 バチィ!っと、ひときわ大きな音を立てて、彼の後ろに人影が現れる。

 炎を(まと)った発光体。

 真っ赤に燃えた人型で、雷を体内から発している。発光がまぶしく詳しくは見えない。

三火八雷照(みほやいかずちでり)、この囲いを切って、俺が囲いを張り直すまで悪霊どもを抑えてろ」

 少年はやる気のない声でそれだけを伝えると、缶コーヒーをその場におき、けだるそうに肩を鳴らした。それから、ベルトループに付けるタイプの腰バッグから、細長いステンレス製の串とお札を取り出す。

「面倒掛けやがるね」

 少年はチラッと草むらに目をやり、それに対して、その台詞を投げかけた。

 近くの草むらでは、黒い仔猫が獲物を狙うように、頭を下げた姿のまま、その様子を眺めていた。

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