『願い事をするときは気をつけなさい。本当にそうなってしまうかもしれないから』
生きたい。
生きていたい。
死を迎える直前になって、そんな渇望を抱く自分。
死をも恐れぬと称されながら、その最期はこのざまとは。人はそれを滑稽だと笑うのだ。
彼は腹部を貫く激痛と、口から溢れ出るものと共に視界が濁って遠ざかっていくのを感じた。
そして再び、すっきりと澄み渡って世界を映し出す己の眼に、彼は違和感を覚えた。
たった今、戦場で敵将の三つ又のトライデントで腹を串刺しにされて、俺は絶命した筈だ。
気が遠いていく感覚に、これが死かと恐怖を覚えた筈なのだが、何故今、俺の目の前にいるのはゴツい敵将じゃなくて、褐色の肌の全裸の少年なのだろう。(あ、俺もう死ぬわ)と思ったが、助かったのか?
「アンジュ、目が覚めたか!
余が分かるか? どこか、辛いところはないか?」
俺は寝台か何かに寝かされているのか、俺の顔を覗き込んできていた少年を、どこかボケーッと見上げていたところ、少年はくしゃりと表情を安堵に歪ませて抱き付いてきた。
つーか、少年。君誰だ? 俺の知り合いの十代前半の少年なんて、貧農出身で傭兵志願のひよっこぐらいなんだが……間違ってもこんな、無駄に色艶の良い富裕階級のご子息との面識なんて無いぞ。
それにしても、アンジュって俺の事か? いくら意識が無くて身元不明の重傷者だからって、不釣り合いにも程がある通称付けられてるな、おい。
辛いところ……うん、やっぱ腹痛いわ。だよなー、トライデントがグッサリだもんな。そりゃ完治も遠いわ。
しかし、この少年は看護してくれていたにしろ、何故全裸なんだ?
とにかく、まずは報告と現状把握を……
「……はら、いた、い……」
あれ? なんか俺、声変じゃね?
いくら病み上がりで弱々しかろうが、こんなに高い声が出るのはおかしいだろ。裏声なんて出した事ねえっつーに。
「あ……そ、それは、その、すまぬ……余の不徳の致すところだ」
何が? 少年、看護経験無くて、俺の傷口抉りでもしたのか?
少年が口元に差し出してくれた水差しから水を口に含み、俺は唇を湿らせて一息ついた。
つーか、そもそもさ。
「君、誰……?」
俺がその問いを口にした瞬間、少年の表情が引きつった。
そして同時に、少年の更に上の高い天井に、突如眩いばかりの黄金の光が爆発した。
あまりの光量に目が痛みを訴えてきて、直視出来ずに俺は咄嗟に目を閉じる。
<試練は終了した。
王女・アンジェフェティナの第一自我は敗北し、消滅。
王太子よ。以後、王女による妾への呪詛は全てそなたへ返ると心得よ>
耳で拾う音ではなく、頭の中に直接声が……いや、言葉じゃなくて『意味』が響いてくる。
ちょっとまて。これって、噂に聞く神様の声ってやつじゃねーの!?
神官だって、滅多に話し掛けて貰えないらしいのに、すっげー体験しちゃってるよ、俺!
「承知致しました、我が女神」
好奇心から目を開けてみたら、もうさっきの痛い光は消えていて、少年が寝台の上で天井に向かって跪いてるところだった。
……なんだ、神様もうどっかいっちまったのか。
俺ががっくりと、貴重な体験を逃した事を悔やんでいると、改めて少年がこちらに向き直ってきた。
「そなたには、状況が把握出来ずに混乱させておると思う。まずは謝罪を……」
ぺこりと頭を下げられるので、俺はいやいやと手を振って身を起こした。
やってから、あれ? 俺、重傷患者の癖に結構、体ラクじゃね? と、違和感を覚える。
「改めて自己紹介させて頂く。
余の名はルク・アルバド・ディオール・ニュクス・デルシャオード。デルシャオードの王太子である」
……デルシャ、オード……? どっかで聞いたような国名だ。ああ、砂漠の国だっけ?
俺が生まれ育った国とは、大陸を横断しねえと辿り着けねえような遠国で、どっかと戦争中って訳でもねえから仕事で雇われた事もねえんだが、なんでそんな国に収容されたんだ俺?
「初めまして、王子様。
俺はしがない流れ者の傭兵ザックスだ。家名なんてお上品なもんはねえ、単なるザックスな。
お作法がなってねえとか、無礼者だとかは勘弁な。俺は王子様とお話出来るようなお堅い教育なんざ、受けてきてねえ男なんで」
俺の自己紹介に、ルクは寝台に突っ伏した。なんだ、そんなに庶民のがさつさはカルチャーショックか?
「男……なるほど、男なのか……」
と、思ったら、王子様は流石に俺の予想の斜め上をいく生き物だった。俺のどこが一番ショックなのかと思いきや、一目見てすぐ分かるだろう点に、何故だか衝撃を受けてやがる。
「ザックス殿、自身の胸を確認して頂けるだろうか?
余のこの胸痛がご理解頂けると思う」
胸見て胸の痛みってか。俺はそんなに大怪我でも負ったのかと、今まで神様とか王子様とか、他事に気を取られて確認を怠っていた、自分の怪我の具合を把握するべく、しっかりと視線を落とした。
日焼けを通り越した褐色の肌に、小さな膨らみとその向こうに傷一つない腹部とまろやかな太も……思わず、自分の手を見てみる。
ゴツゴツしたタコだからけの男の手が、華奢でスベスベな少女の手に……って、なんだこりゃー?
「驚かれるのも無理は無い。
その体はザックス殿の元々の体ではなく、余の異母妹であるアンジェフェティナの……話の途中で揉むな! 丁寧に揉み解すな!」
しげしげと眺めて、成長途上のそれを俺がじっくりと確かめてみたら、ルク王子が強引に俺の手を胸から引き剥がし、寝台の上に押し倒された。いや、ごく自然な行動だろこれ? 自分の体なのに胸があんだぞ?
本来の俺の体なら、びくともしなかったんだろうけどな。この体、腕力ねえわ。
「王子様。妹と2人、真っ裸で寝台の上ってのは、どういう趣味なんだ?」
そういえば、神様がアンジェなんとか王女がどうのって言ってたな。ルク王子が最初に口にした『アンジュ』って呼び名は、アンジェなんとか王女の愛称か何かか。
ルク王子は泣きたいのを堪えるかのように、ぎゅっと眉根を寄せて無理やり微笑みらしきものを浮かべる。
「ザックス殿は、他国の方か……ならば、さぞかし奇異に映るのだろうな。
アンジェフェティナ王女は余の異母妹であり、同時に余の妻と定められた姫だ」
「確かに、一般人には縁のない話だな」
あんまりにも遠い国だからなー。王家が近親間で婚姻してるとか、初めて知ったぞ。
俺が知ってる砂漠の国の噂は、『一夫多妻制の国で、ウハウハハーレムが作れるらしい』だ。
憧れるだけなら良いよな、ハーレム。維持する現実とかは考えたくねえけど。
「そうだろうな。
神々に祝福されし王家の純血を保つ、その為に長年に渡り受け継がれてきた慣習だ。
しかし余とアンジュは真に恋仲であり、正式に余の妃となる姫……だった」
「……過去形?」
「今ではザックス殿が、アンジェフェティナ王女の体で目覚めた故に」
ああ……なるほど、了解了解。
何故かは知らんが、ルク王子のお姫様の体に、俺が入り込んじまったもんで、今のお姫様はルク王子の最愛の妹ちゃんじゃない、って事な。
俺はルク王子から自分の手を取り返し、一応隅に寄せられてたシーツを羽織る。
あんま、女の子の体は冷やしちゃマズいかなとか、真っ裸のままじゃ落ち着かねえというか。
戦場のトライデントでグッサリされた訳じゃねえお姫様の体なのに、なんで下っ腹が痛むのかとか、考えちゃいかん。つまりこのズキズキは王子様のトライデントのせいかこの野郎。
「……で、本題だが。
俺、どうやったら元の体に戻れるんだ?」
シーツに包まったままルク王子に問い掛けると、
「長い事情説明と、最終結論。どちらから先に聞くのがお好みか?」
寝台に寝そべったまま、嘆息混じりにそう問い返された。
……嫌な予感を覚えながら、俺は長いお話から聞く事にした。
簡単に戻れるなら、すぐに動いてるもんじゃね? だって、自分の妹で未来の嫁さんの体に、どこの誰とも分からねえ男が入り込んでんだぞ? なのに、ルク王子は行動しようとしないとかさ。
つー訳で、以下、王家のドロドロな内情に関してだ。
ルク王子とアンジュ王女は数日違いで産まれた兄妹で、それぞれ第一妃と第二妃の産んだ子である。この母親達はお約束的に関係最悪だったそうだ。
王子を産んだ第一妃に深い憎悪を抱きながら、数日遅れで出産した第二妃だったがしかし、産まれてきた子は王女。
お互いに、王子を産んで王位を継がせたいと熱望していただけに、第二妃の失望感は筆舌しがたいものだったらしい。
肝心の父親である王様の方は、姫が産まれて逆に大喜びだったそうだが、そのせいで益々第二妃は心中複雑で、アンジュ王女は母から冷遇されていたそうだ。アンジュ王女が産まれて王様が喜んだのは、第一妃が産んだルク王子の嫁さんにする事を期待したからだしな。
アンジュ王女は早々に母親を見限って異母兄を頼り、無事に王太子になったルク王子の王太子宮に入り浸ってラブラブ生活を謳歌……いや、その辺はどうでも良いんだが。
話を遮ろうとしたんだが、ルク王子はここからが重要だと首を左右に振って話を続ける。
そもそも、デルシャオード王家が代々近親婚を繰り返すのは、神々の守護や寵愛を戴く血筋を守る為だ。
しかし、アンジュ王女は最愛の兄に、自分以上に大切にする女が存在する事を良しとせず、ルク王子を特別に寵愛している女神に呪詛をかけようとした。
嗚呼、血は争えないというべきか。恐るべきは女の妬心。
王女の反逆に神々は怒り、彼女とルク王子に試練を与えた。
罪状は、神への背信と、監督不行き届き。
そしてアンジュ王女は試練に敗北し、その自我は永久に消滅した。事実上、死に等しい罰だ。
「……で、なんでそれで、王女様の体の中に、俺が入り込む話と関わる訳?」
「……アンジュの受けた試練とは、眠っていた転生前の意識を呼び覚まし、その体の所有権を競い合うというものであった。
より強く、生にしがみつく自我が他の意識を追い払い、強き意識のみが生き残る」
ちょっとまて?
「すまぬ。そなたに罪は無いと、余とて理解しているのだ。
女神の試練には、まだしも希望があった。ただ、アンジュの自我がザックス殿よりも弱かったというだけの事」
ルク王子は悲しそうに呟き、
「既にアンジュの罪は裁かれている。だからせめて、誰にも知らされずに消滅したあの子の為に、ただ涙を流させて欲しい」
寝台に突っ伏したまま、顔を上げなくなった。
俺は滑らかな肌触りのシーツを撫でて、幼い少女の指先をやるせなく見つめた。
命知らずな無茶ばかりやらかして、挙げ句の果てに死の間際には生きたいと、生きていたいと、そう願った俺の、叶ってしまった願いの代償。