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TS令嬢、悪役ムーブで人生を謳歌したい  作者: 真嶋 青
第一章

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05. 誰が為の命

 その後。

 俺はダールトンに手厚い忠告をした。

 骨の髄まで俺の言葉が染み渡るように。


 報復行為があれば、探し出して捕虜にする。

 奴がこれまで奴隷たちにしてきたことを、今度は奴自身に施す。

 如何に赦しを乞おうとも、

 丁寧に丁寧に()()()を続ける。


 それが嫌ならば、

 今後は公爵家の指示のもと、

 清く正しい奴隷商売をするように。


 あと、俺が気に入った奴隷は格安で取引すること(これ重要)。


 そんな感じの話をすると、

 ダールトンは泡を吹いて気絶した。

 話の途中で寝られては困るため、

 往復ビンタを食らわせてすぐに起こす。

 しかし、どうしてかあの豚は俺の顔を見るたびに白目を剥いて意識を失ってしまうものだから困らされた。


「まったく、偉そうにしていた割に気の弱い豚だったな」

「あれはお前がやりすぎただけだろう……」


 帰りの馬車で呟くと、同乗していた父からツッコミが入る。


 やりすぎとは心外だ。

 元はと言えば、不甲斐ない父があの豚を付け上がらせたことが原因の事件だというのに。


「お父様がしっかり首輪をかけていれば、あんなことにはなっていないでしょう」

「ぐっ……だ、だがな、ダールトンの裏には本当に大きな組織がついているのだ。ベルベット、お前の軽はずみな行動で民衆やお前自身にも危険が迫るかもしれないんだぞ? わかっているのか?」

「わかっていますよ。だから敵に回すのではなく、懐柔する策を講じたんです」


 ダールトンには甘い蜜を用意してやった。

 鞭だけでは、人は従順にならない。


 人差し指を立てて父に見せる。


「まずひとつ、奴のこれまでの悪徳商売を見逃す。その代わりに、奴と繋がっている組織の情報を公爵家に流すこと」


 二本目の指を立てる。


「ふたつ、カースナー公爵領における奴隷売買の税率を下げる。ただし、カースナー公爵家の息が掛かった人間を、奴の奴隷商会の監視係として雇い入れること」


 監視係からの定例報告が途絶えた場合、

 報復行為と捉え、ダールトンの身柄を公爵家預かりとするとも伝えてある。

 待遇はもちろん先述した捕虜と同じだ。

 

「奴隷売買の税率を下げるというのは、考えたこともなかったな。ベルベットは、いつからあんなことを思いついていたのだ?」

「奴隷制度について勉強していた時からですよ。カースナー領に限らず、この国の奴隷売買に掛かる税金は(いささ)か高すぎると思っていたんです。あれでは奴隷業者が少しでも利益を上げるために、奴隷に対する待遇を下げている現状が容易に想像できました」

「元々ヴァルトハイム王国の奴隷制度は建国直後の黎明期に懸案されたものだからな……。国の運営が盤石でなく、可能な限り税を徴収して行政に役立てる必要があった。そんな当時の基準から見直されていない奴隷売買の税率は、たしかに他と比べて高いものだろう」

 

 ダールトンが途中「誰のおかげでこの領地が潤っていると思っているんだ」とか喚いていたが、あれは高い税金を納め続けてきた不満から出た言葉だったのだろう。

 俺はその不満を取り除いてやることにした。


 俺の提案を聞いた時のダールトンの目は、ただ怯えていただけの臆病者から、大商会長のそれに早変わりしていた。奴はクソ野郎だが、高い地位に成り上がるだけの狡猾さと計算高さが見て取れた。

 ああいう奴はただ敵に回すより子飼いにしてしまった方が旨味がある。

 何より、王国屈指の奴隷商会を俺の手元に置けるというのは、なんとも魅力的ではないか。

 今後、奴には俺の悪党ライフに存分に貢献して貰うとしよう。


「くくく……まさかちょっとした社会見学でこんな拾い物があるとはな」


 思わず令嬢らしからぬニチャニチャした笑いが出たが、馬車の中にそんな俺を咎める者はいない。


 ふと、馬車の隅に視線を向ける。

 壁に寄りかかり膝を抱えた銀髪の少女が、こちらをじっと見ていた。

 目が合うと、すぐに顔を伏せる。

 ……そういや、こいつをどうするかまだ何も考えていなかった。


 さて、ダールトンの話はひとまず良しとして——拾い物というか、拾い(もの)の扱いをそろそろ考えなければならないな。


「さすがは我が愛娘……私が長らく手をこまねくしかなかった問題を、これほど鮮やかに進展させてしまうとは……」


 窓から外の景色を眺め物思いに耽る俺は、そんな俺を見つめて感涙する父に気づいていなかった。


 ◆


 揺れる車室の床は、これまで寝起きしてきた冷たい石や湿った藁とはまるで違う。

 とても柔らかな絨毯が敷き詰められていた。

 

 豪奢な装飾が施された馬車の中は微かな香料の匂いがして、鼻腔の奥にこびりついた血と汚物の悪臭を少しずつ上書きしていく。それでも、銀髪の少女——ククルゥは馬車の中で膝を抱えたまま、微動だにできなかった。

 

 少しでも姿勢を変えれば、全身に刻まれた無数の鞭の痕が焼けるように痛む。

 だが、彼女が動けない理由はそんな単純な痛みだけではない。

 

 むしろ肉体の苦痛など、

 とうの昔に感覚が麻痺していた。

 それよりも彼女の精神を支配しているのは、

 得体の知れない現状への戸惑い。

 そして彼女の正面の席に座るベルベットへのひりつくような警戒心である。

 

 なぜ自分がこのような境遇に置かれているのか。

 記憶の糸を辿ると、余計なことまで思い出して吐き気がこみ上げてくる——。

 

 

 ククルゥは、ごくありふれた平民の娘だった。

 小さな商店を営む両親と王都の片隅で暮らす平穏な日々。

 

 決して裕福とは言えなかったが、

 夕食の卓にはいつも温かいスープが並び、

 眠りにつく前には母親が優しい声で子守唄を歌ってくれる。

 そんなささやかな幸福が確かに存在していた。

 

 

 ククルゥの人生における崩壊は、

 あまりにも唐突に、そして理不尽に訪れた。

 

 人の良い父親が長年の付き合いがある知人の保証人になった挙句、その男に夜逃げをされたのだという。


 残されたのは、莫大な借金。

 返しきれない金を取り立てに来た男たちは、泣き叫ぶ家族の情など一顧だにせず、家も、店も、そして彼ら自身の身柄すらも借金のカタとして奪い去った。

 

 あの日の空は、不気味なほど青く澄み渡っていたことを鮮明に覚えている。

 腕を荒縄で縛られ、奴隷商の荷馬車へと押し込まれた。

 その瞬間、ククルゥの平穏で温かい世界は音を立てて完全に崩壊したのである。

 

 買い取られた先は、ダールトンという脂ぎった男が支配する巨大な商館の地下牢であった。

 そこに待っていたのは、人間としての尊厳を粉々に踏み砕くための徹底した調教と、人間以下の烙印を押される日々。与えられるのは腐りかけの残飯と、泥の浮いた水。少しでも反抗的な目つきを見せれば、太い皮の鞭が容赦なく肌を裂いた。

 

 最初の数ヶ月、両親は必死にククルゥを庇い続けていた。父親は自分に割り当てられた僅かな固いパンをククルゥに差し出し、母親は夜になるたびに震える小さな身体を抱きしめて、きっといつか出られる日が来るからと優しい声で囁き続けたものだ。

 しかし、そんな淡い希望は、日の当たらない暗闇の中でひっそりと腐臭を放ちながら溶けていく。

 

 極度の栄養失調と不衛生な環境により、まずは父親が重い流行り病に倒れた。奴隷に満足な薬など与えられるはずもなく、彼は数日の高熱にうなされた後、汚物まみれの冷たい床で静かに息を引き取った。そのやせ細った死体はまるでゴミのように引きずり出され、どこへ運ばれたかも知らされていない。

 後を追うように、母親もまた狂気へと足を踏み入れた。何もない虚空を見つめ、存在しない夫と楽しげに会話し、自らの美しい銀髪をむしり取る日々。そしてある朝、彼女は自らの衣服を裂いて作った紐を首に巻きつけ、鉄格子にぶら下がっていたのだ。

 

 冷たくなった母親の足元で、ククルゥは一滴の涙も流さなかった。

 悲しみや喪失感よりも先に込み上げてきたのは、腹の底からドロドロと湧き上がるような、黒く濁った憎悪だった。

 

 なぜ、自分をこんな地獄へ道連れにしたのか。

 なぜ、一人置き去りにして、自分たちだけが勝手に死んで楽になったのか。

 

 優しかった父の笑顔も、温かかった母の手も、今となっては全てが呪いのように感じられた。

 本当の愛など、優しさなど、この世のどこにも存在しない。

 弱者はただ強い者に搾取され、無残に踏み躙られるだけの肉の塊にすぎない。


 両親の無惨な死を前にして、

 ククルゥの心は完全に凍りついた。

 あらゆる感情を殺し、

 ただ意味もなく呼吸を繰り返すだけの空っぽな器になること。

 それが、この狂った地獄の中で自我を保ち、生き残るための唯一の防衛本能だった。

 

 だからこそ、


『お前の親はどこにいる?』

 

 今日あの薄暗い牢獄の前に突如現れた幼女の言葉は、彼女の心を揺らさなかった。

 

 ククルゥは怒りに顔を歪ませるその幼女の姿を眺めながら、心の中は不気味なほど静まり返っていた。

「死んだ」と短く答えた時の己の声音は、自分でも驚くほど平坦で、乾ききっていた。

 

 この年端もゆかない貴族の子供も、どうせ自分たち底辺の虫ケラを見下しにきただけの残酷な見物客なのだと、そう思っていた。他人の不幸を眺めて優越感に浸る醜い金持ちの一人にすぎないと。

 

 しかし、その後の展開はククルゥの理解力を遥かに超えるものだった。

 

 赤毛の少女は商館の主に牙を剥き、

 あまつさえ屈強な用心棒たちを瞬く間に血の海へ沈めてみせたのだ。

 骨が砕け肉が潰れる鈍い音が響く中、

 血飛沫を浴びながら冷酷に笑うその姿は、

 まるで地獄の底から這い出てきた美しき悪魔のようであった。

 

『ああそうだった。おい豚、あそこにいる銀髪は俺が貰っていく。問題ないな?』

『は、はいぃぃぃ! もちろんでございます! お好きにどうぞ!!』

 

 そして、ククルゥは檻から引っ張り出された。

 あまりにも呆気なく、彼女は解放されてしまった。

 

 だが結局のところ、

 自分の主人があの醜悪な男から、

 狂った赤毛の悪魔に変わっただけのこと。

 奴隷としての凄惨な運命に変わりはない。

 

 這いつくばってこき使われ、

 玩具として飽きられればあっさりと捨てられる。

 ただそれだけの話だ。

 

 あの幼女が何故自分を引き取ったのか、その理由もわからない。

 ただの気まぐれか、新しい使い捨ての労働力が欲しかっただけか。


 ククルゥには、何も分からない。

 

 ククルゥは馬車に揺れながら小さく身を縮めた。

 誰にも警戒を解くつもりは毛頭ない。

 

 それでも——。

 

 ククルゥの脳裏に、鉄格子越しに自分を見下ろしていた幼女のあの眼差しが何度もフラッシュバックする。


『こんなとこで死ぬくらいなら、お前を虐げた奴らに少しでも復讐してやろうとは思わないのかよ』

 

 その言葉を何度も反芻していた。

 

 ——私……なんのために生きてるんだろう。

 

 痛む身体を両腕で抱きしめながら、汚れた銀色の髪の奥でククルゥはそっと息を吐く。

 

 もう、何も信じない。

 他人の優しさも、

 無責任な救いの言葉も。

 絶対に期待などしない。

 この少女も、自分を都合よく振り回すだけの人間に違いない。

 

 ——どうして私の人生は自分の思い通りにできないのか。

 ——どうして誰にも愛されない私は生き続けているのか。

 ——どうして……。

 

 馬車の車輪が軽やかな音を立てて街道を進む中、少女の瞳の奥で仄暗い虚無の色が静かに揺らめいていた。

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