22. 怪物 vs 怪獣
シルヴィアって、
ククルゥって、
俺にとってなんだ?
ただ気まぐれで拾った少女。
見下したやろうと思っていた奴隷。
都合が良いから使ってやってた。
——本当にそうだったか?
頭が良くて、
よく口が回って、
気が利いて、
たまに変態っぽくて、
神経質で、
何考えてるのか実はよく分からなくて——。
それで、
いつかの自分に重なる、
心に闇を抱えている少女。
勝手に感情移入して、
不条理に曲げられた彼女の人生を、
正しい道に戻してやりたい。
そんなことを偉そうに考えていたんじゃないか?
ああ、思い上がりも甚だしいな。
でも、彼女はまだまだ若い。
やり直せる。
誰にも振り回されず、
自分の生きたいように、
ただ楽しく生きて良いんだよって。
そう伝えたかった。
そう思って欲しかった。
わかってる。
自己満足だ。
エゴの押し付けだ。
それでも、彼女が自由に生きてくれることが、かつての俺自身への救済に繋がると心のどこかで思っていた。
そうだ。
要するに、シルヴィアは——俺の希望だったんだ。
この山中の生活で過去のトラウマと向き合っていたのは、シルヴィアだけではなかった。
彼女を通して、俺自身が前世の後悔と決着を付けようとしていたんだ。
前世の亡霊ではなく、俺が本当の意味でベルベット・カースナーになるために。
「遅いんだよ……今さら、そんな…………」
失いかけて初めて、掌から零れ落ちそうなモノの大きさと、自分自身の本意を理解した。
一遍死んでも、
俺のこういうバカさ加減は治らないらしい。
いつだって大切なことに気づくのが遅すぎる。
いや、諦めるな。
まだ間に合うかもしれない。
間に合わせるんだ。
「シルヴィア。お前にはまだ聞きたいことも、言ってやりたいことも、山ほどある。勝手に死ぬんじゃねぇ」
彼女の頬をそっと撫でる。
まだ、息はある。
傷の具合を確かめる余裕はない。
ただ信じるしかない。
「こんな終わり方は、認めない」
シルヴィアを地面に寝かせ、俺は目の前の怪獣を見据える。
その体躯は直立した熊を思わせた。
がっしりとした二足歩行のシルエット。
肩までの高さはおよそ二メートル。
全身を覆うのは、漆黒に近い濃灰色の剛毛。
その毛の一本一本が、奴の獰猛さを象徴するように逆立っていた。
まだ俺という存在に対して明確な敵意はない。
だが、これから目の前の小さな命をどうしてやろうかと、鼻をヒクつかせながら首を傾げて品定めしている。
自分を圧倒的強者だと信じてやまない獣の仕草だ。
舐めやがって。
普段ならその鼻っ面に拳のひとつも叩き込んでやるところだが、今は時間がない。
それに、この怪獣はヤバい。
コイツは今しがた仕留めた獲物に見向きもしていない。
それは、捕食目的で狩りをしていないことを意味する。
ただ優越感に浸るためだけの虐殺。
知能の高い動物に見られる習性だ。
力を持ち、
知恵を持ち、
そして残虐性を持つ。
やはり正しく、怪獣。
「グゥゥゥ……」
喉を鳴らし、ゆっくりと俺の周りを歩く。
標的はこの場で唯一立っている俺に固定されていた。
それに気づいた俺は、少しずつシルヴィアから距離を取るように移動する。
奴から目を離すことなく、後ろ歩きに森の奥へと。
そして、奴は前触れもなく駆け出した。
巨体に似合わぬ滑らかな足運び。
俺を完全な弱者と見定めた上で、
どう嬲り殺すかを決めたらしい。
巨大な爪の生えた手を振り上げた。
その一撃は驚異的な威力を持つ。
だが、技術がない。
「所詮は獣か。安直だな」
ここで初めて俺の方から距離を詰める。
風を唸らせる剛腕を掻い潜り、
懐にあったナイフを突き立てる。
硬い剛毛によって、横薙ぎの斬撃が阻まれた。
「硬すぎんだろ!? カーボン繊維かよ!」
「グゥァアアアア!」
俺の一撃など意にも介さず暴風のようなラリアットが飛んでくる。
身を屈めて避けると、後頭部を掠める破壊の嵐に身の毛がよだつ。
それでも俺は足を止めない。
今度は背後に回り込んで、シンプルな刺突を叩き込む。
ずぶりと肉を穿つ感触があった。
致命傷には程遠い手傷だ。
それでも、ダメージを与えることはできた。
「なるほど。一点突破の突きなら有効打になるわけだ」
怪獣は苛立たし気に唸り声をあげ、遠心力を乗せた振り向きざまの拳を俺の顔面めがけて振り抜いた。
俺は仰け反りながら攻撃を躱す。
躱したはずだった——。
「ぐっ!?」
顔面に引き裂かれる鋭い痛み。
猛烈な勢いで振り抜かれた鋭爪が、わずかに届いていた。
俺の顔面から鮮血が舞う。
マズいッ!
俺は怪獣の一撃が生み出した風圧で後方へ吹き飛ぶ。
ゴロゴロと転がって、木に激突した。
のたうち回りたくなる痛みが全身を支配するが、敵はそんな俺を待っちゃくれない。
既に濃密な殺気を纏う獣が迫っていた。
考えてる暇はねぇ。
一か八かだ!
咄嗟に眼帯を剝ぎ取った。
そのまま俺は動かない。
鎖の魔眼の発動条件は、俺に向けられる強い感情だ。
見下す程度の意識では、あの巨体を完全に縛り付けることはできないかもしれない。
だから、隙を晒す。
恐怖で足がすくんだ子供を演じる。
「……ッ」
浅く息を吸い、わざと肩を震わせた。
視線を伏せ、後ずさる。
その瞬間、怪獣の喉の奥から下劣な歓喜の音が漏れた。
俺の怯えを察知し、明確な加虐心と愉悦がその黄色い瞳に灯る。
ドンッ、と。
地面が爆ぜた。
怪獣の巨躯が、砲弾のような速度で跳躍する。
振り上げられた丸太のような腕。
その先端に光る、五本の鋭い爪。
それは、正に暴力の具現化だ。
それが届く直前——俺は右目を見開いた。
視線が交差する。
——ピタ。
空気を劈く風切り音が消えた。
敵の巨体が、目前で硬直する。
重力の法則を無視するように不自然な姿勢で停止し、
「グゥゥッ!?」
戸惑いの声を漏らしてこちらを見つめた。
怪獣はピクリとも動かない。
ただ、眼球だけが異常な事態を理解できず、狂乱したようにギョロギョロと動いている。
俺という弱者への加虐心。
それが、奴の命取りになった。
俺に対する強烈な感情がトリガーになって、魔眼の餌食になったのだ。
語る言葉はない。
俺はナイフを逆手に握り、倒れ伏した巨体へ歩み寄った。
剛毛に覆われた外皮は刃を通さない可能性がある。
狙うのは、装甲のない柔らかな部分。
怪獣の頭部、その黄色い眼球を見据える。
恐怖で小刻みに震える瞳孔のど真ん中へ、刃を突き立てた。
「……ッ!?」
奴は拘束により悲鳴すら上げられない。
眼球を突き破り、刃を脳髄まで深々とねじ込む。
柄の根元まで押し込み、手首を返して脳を直接掻き回した。
ビクン、と巨体が一度だけ痙攣し、完全に力が抜けた。
ナイフを引き抜く。
粘り気のある体液と血が刃から滴り落ちる。
残った片方の目から生気が抜けていく。
やがて、怪獣は物言わぬ肉塊へと成り果てた。
勝ったのか?
あの怪獣に。
荒く息を吐いて、俺はシルヴィアのもとに戻ろうとする。
だが、気づけばガクンと膝からその場に崩れ落ちていた。
「チクショウ……せっかく、倒した……っての、に…………」
ダメだ。
意識を手放すな。
俺が倒れたら、誰がシルヴィアを——。
そこで、俺の意識は完全に途絶えてしまった。




