島唄を聞いて
うーじの森には、言葉を持たぬ者たちの声が満ちている。それは風のそよぎに混じって耳元をかすめ、葉擦れの音に紛れて胸の奥を震わせる。
目に見えぬ存在それでも確かに「そこにいる」と、感じさせるものたちだ。
山の奥、霧が常に漂う谷間の先に、その森はある。地図に載ることもなく、案内板もない。ただそこに、昔から「ある」のだと、村の者たちは言う。その日、一人の男が、森の前に立っていた。疲れた足取り。心に陰を宿し、言葉を失ったまま、静かに佇んでいる。名も知らぬ彼の姿を、森はじっと見つめていた。草は彼の重さを感じ、土はその温もりに耳を澄ませた。小川はその瞳の奥に、深い哀しみの波を映した。「来たのか」と、誰かが呟いた。いや、それは風の声だったかもしれない。
木々は彼を囲むように、そっと揺れた。まるで出迎えるように。そのとき、うーじの森は彼に「出会った」のだ。彼の名は『精霊』。彼は人々に会い彼らの残酷さを知ったのだ。この歌を見てみてほしい。
『島唄あがああ風に乗りい〜』ここからわかる通りこの島唄というのは彼らの悲痛の声だと考えるだろう。しかしそれは違うのだ最初の歌詞にある『でいごの花がさきいかぜを呼び嵐がきたあ』これはそのままの意味ででいごーじの花が咲いたがそれに嵐がきてなくなり次こそ咲き乱れたがやはり嵐が来て亡くなったということだ。ここはうーじ、さとうきびの森である。嘲笑われるようにこの森の精霊は彼らが森林を破壊するのをみた。それはまるで嵐のようでした。私はこの体験を元にこの曲をかき、私の地位が下がったことに悲痛を感じたのだ。この涙が我ら同志に届いてほしい。そうも感じた。うーじの森で別れた八千代たちに届けばいいただそれだけだった。今の時代が何年かも何もわからない。『私の名前は太郎まん』この曲は何も綺麗事ではない. ただ私が精霊に戻りたかっただけなんだ。
しかしそこには何も無かった。そしてそれをまた。
でいごのはなぁぁぁがぁぁぁさきーー
ふうぅぅぅをよびーー あらしがきたぁぁぁ〜〜
でいごがさきみだぁぁれぇぇ ふうううをよびーー
あらしがきたぁぁぁーー くりかえすかなしいみは
しまわたるなみのぉぉーーよぉぉぉ〜〜
ウージのもりであなたとであい
ウージのしたでちよにさよなぁぁらぁぁぁ〜〜
しまうたぁぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とりとともにーーうみをわたれぇぇぇぇーー
しまうたぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とどけておくれーーわたしのなみだぁぁぁ〜〜
でいごのはなぁぁぁもちりーー さざなみがゆれーーるだけ
ささやかぁぁなしあわせはうたかたのなみのはなぁぁぁ〜〜
ウージのもりでうたったともよーー
ウージのしたでやちよのわかれぇぇぇぇ〜〜
しまうたぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とりとともにーーうみをわたれぇぇぇぇーー
しまうたぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とどけておくれーーわたしのあぁぁいをぉぉぉ〜〜
うみよーーうちゅうよーーかみよーーいのちよーー
このままえいえんにゆうなぎをぉぉぉ〜〜
しまうたぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とりとともにーーうみをわたれぇぇぇぇーー
しまうたぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とどけておくれーーわたしのなみだぁぁぁ〜〜
しまうたぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とりとともにーーうみをわたれぇぇぇぇーー
しまうたぁぁぁがぁぁみたぁぁぁに ふうううにのりーー
とどけておくれーーわたしのあぁぁいをぉぉぉ〜〜
そこには数匹の猿と数匹の猿が睨み叫びあっていた
こうしてこの曲は引き継がれるのであった。
その曲の真意も知らずにいいいいいい。




