夏の終わりの宮の坂
夏の終わりの宮之坂はやたらと蒸す。おぼつかない足取りで商店街を歩くと、右手の買い物袋から飛び出したネギがガードレールをこすった。左手の袋が通りすがりの自転車にぶつかりかけて、バランスを崩しかけた。持ち手が食いこむ。
もう心配ない。何度も自分に言い聞かせるようにくりかえすと、アスファルトの熱で視界が揺らいで腹の奥がじくりと痛んだ。
結婚して五年。私たち夫婦がはじめて子供を授かり、失ったのは今年の夏のことだった。
待望の孫に目を輝かせていた母は流産したことを告げるとがっかりして、すぐにその場を取り繕った。眉を寄せて私を慰めていた優しい姑は私が帰るなり、声をひそめて電話をした。
――だからあんなに言ったのに。
私は音がしないようにそっと扉を閉め、聞こえないふりをした。
ふさがった両手のせいで、額の汗が拭えない。荷物を足元に置いた。卵のパックがガサリと飛び出した。額を押さえるたび、ハンカチがしっとりと汗を吸い込んでいく。
夫は、無関心だった。
一つ息をつくと、額からさらに汗があふれ出た。きりがない。両手に荷物を持って再び歩き出した。
商店街を抜けてマンションのゲートをくぐったところで、夫に会った。背広を着た夫は、正方形に折り目のついたハンカチで汗を拭いた。黙って荷物を持ってくれる優しい夫は、子供について何も言わなかった。家での出来事と同じように無関心なのだ。普段と同じように私の話を聞き流して、背広の上着を脱いでネクタイをゆるめ、袖のボタンを外した。日報処理でもするように風呂に入り、正しい姿勢と正しい箸の持ち方で食事をした。
エレベーターホールの扉が開いた。私は足を止めたまま、夫の後ろ姿を見送る。彼が向き直って中からボタンを押しても、私は動かなかった。
「もう持ってもらわなくてもいい」
私が買い物袋に手を伸ばすと、閉まりかけたドアに買い物袋がはさまった。夫は買い物袋から手を放さなかった。
「もう子供はいないんだから」
どうして夫はいつもと同じ暮らしを続けられるのだろう。私はいらだちを買い物袋にぶつけるように、ぐいっと引っぱった。
「いつもと同じ顔して、同じことくりかえして……あなたにとって、あの子は一体なんだったの」
ビニール袋が私たちの間で何度も扉にはさまれた。
「君は、僕が悲しくないとでも思ってるの?」
顔を上げても夫の表情は変わらない。彼がいつもと同じ生活を送ることで日常へ戻ろうとしているのを、私はようやく知った。