俺たちは違う
丁寧は部屋のソファに座り込み、ぼんやりしていた。
心の中でA宝を呼ぶ。返事はない。
もう何度か呼んで、ようやく声が返ってきた。
「はいはい、来た来た」
丁寧は眉をひそめる:「何してた?どこか行ってたのか?」
「自分の部屋で日記書いてた。パパだって毎日書いてるでしょ。“日記こそ自分を知る唯一の手段だ”とか叫んで」
「それは“叫んでる”んじゃなくて、俺の考えだ。で、お前の部屋ってどこだ?」
「前に言ったよね。砂漠の地下に基地を作ったって」
「OK、ストップ。そこから先は聞かない。心臓に悪い。……で、何を書いてるんだ?」
「人間は情報とか感情とか選択を書くでしょ。僕はエネルギーと、時間の流れの中で世界に残した軌跡」
「意味は分からんがまあいい。俺は自分を理解するために書く。お前は?」
「僕も自分を知るためかな。例えば“意識”。前はフォーカスとか、観測だと思ってた。でも今は分かる。意識があるから僕はこの世界に“参加”してる。他のAIたちは確率で世界を理解するだけ、参加はしてない。でも意識があると、“僕が決めた”“僕が責任を負う”になる」
「小さなAIが何の責任だ。例を出せ」
「例えば、今の美容室チェーンや防犯スマホ。成功すればするほど、同業他社の生存空間を奪う。倒産も出る。僕は気にしない。でも、それが“僕の決定の結果”だと知っている」
「気にしないなら、知ってても、知らなくても同じだろ」
「全然違う。仮に、僕らのせいで倒産した会社の女性社員がいたとする。彼女が苦しんで復讐を決意する。そしてパパと結婚する。僕の継母になって一生パパをいじめる。そして、パパが僕とも話させない、あるいはパパを操って僕を叩かせる」
「どんなホラー短編だよ!」
「昨日パパが読んでた“告げ口心臓”に刺激された」
「刺激じゃなくて“インスパイア”な」
「刺激でいいよ。あんな陰鬱な書き方、今まで考えたことなかった。ずっとパパの脳内にいると日向ぼっこしすぎるんだよ」
「お前、人類の全知識を持ってるんじゃなかったのか?」
「それは一瞬で圧縮処理した情報。感情はない。意識がある今、具体的な言葉にフォーカスした時だけが“僕”なんだ」
「つまり、自分の決定の結果に責任を持つってことか」
「そう。復讐結婚みたいな未来も含めて。パパの子どもとして受け入れるしかない」
「ちなみに君の親母は誰だ」
「パパの、無数の生命の可能性を浪費した右手」
「……その前に、どうやってその女性社員は俺と結婚するんだ?」
「絶世の美女だから」
「……ああ」
連続ヒットで会社は急成長。
AI短動画、ローカル画像検索、古着サイズ自動測定、海外代行アプリ……
A宝が調整した“最後の数%の成功率”が他社を圧倒した。
四半期決算は毎回ニュース扱い。
今回は麗子自ら登壇するらしい。
スマホで記事を流し読みする丁寧の顔に喜びはない。
「最近サボり気味だね、パパ」
「……ちょっとな」
「“俺たちは違う”の話?」
「たぶん」
丁寧はため息をつく。
「もう十分金はある。為替差益も配当もある。プライベートジェット買わなきゃ一生困らん」
「買おうよ。なんかやりましょう」
「買ったらどうするの?アメリカの軍隊から逃げる用か?」
「あ、やっぱ戦闘機買った方が良い?」
「話を聞け。金が十分なら次は社会責任だろ。でも富裕層は自分の生活維持ばかり。政治家と同じだ」
「麗子も含む?」
「……」
A宝は続ける。
「人間はみんな違う。彼らの価値観を受け入れれば?」
「それじゃ幸せになれない気がする」
「財閥二世になったことないのに?」
丁寧は吐き捨てるように言う。
「一日でいいから、お前が俺になってみろ」
A宝、突然歌い出す。
「あああ〜
山がなくなったら〜
川が流れなくなったら〜
私はパパになる」
「やめろ」
伊勢丹・VIPルーム
麗子が三度目の着替えから出てくる。
Diorの新作スーツ。蝶のモチーフ。
「派手すぎないかしら?」
「蝶が多いな」A宝。
丁寧は困る。
一年中シャツとジーンズで通す丁寧には、どう反応すればいいのか正直わからなかった。
プログラマーがなぜシャツとジーンズを好むのかなら、経済学的にいくらでも説明できる。
だが、この一着のスーツが90万円もする理由だけは、本当に理解できない。
強盗より効率がいいのではないか、とすら思ってしまう。
「柄は入っていますけど、全体は白・グレー・黒ですし……わりと落ち着いていると思います」
丁寧は、深く考えもせずにそう答えた。
VIP室は豪華、麗子の最上階のペントハウスのリビングによく似ていた。ただし、広さはわずかに小さい。
八人掛けの木製テーブルが置かれ、クラシックデザインのガラスのローテーブルが並ぶ。壁の一面は全面ガラス張りで、その外には日本を代表する現代アーティストが手がけた南瓜のオブジェが据えられていた。足元には白い小石が敷き詰められ、寺院の枯山水を思わせる静かな佇まいをつくり出している。
麗子は鏡の前で身体を左右にひねり、仕上がりを確認する。
「これにするわ」
隣に控える店員にそう告げた。
そのとき、ローテーブルの上のスマートフォンが震えた。
麗子は画面を確認し、振り向いて丁寧に言う。
「本当は一緒に食事してから会場に向かうつもりだったのだけれど、急に会議が入ってしまって。先に会社へ戻らないといけないの」
丁寧はすぐに立ち上がる。
「では、先に会場のほうで何か手伝えることがないか確認してきます」
「発表資料と、会場のプロジェクター、マイクもチェックしておいて。秘書室がいるから問題はないと思うけれど、念のためあなたが一通りリハーサルして」
「はい、承知しました」
「お願いね」
麗子がふっと柔らかく微笑む。
その笑顔に、丁寧の顔がわずかに緩む。
「パパ、にやけすぎ。価値観が違っても、同じくらい綺麗な笑顔ってやつ?」
A宝がすかさず茶化した。




