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裏の道

 現在、GPUは世界的に品薄だ。

 例の「ドバイの中古サーバー会社」も、A宝がでっち上げた存在だった。

 登記書類、売買ルート、各種証明は完璧に揃っている。

 どれだけ調べても、問題は出てこない。

 A宝の理屈では――

 「ドバイの金持ちが遊び尽くしたお下がりを、安く売ってるだけ」。


 審査モデルの学習に、実際は理美容師の動画すら必要なかった。

 A宝はすでに学習アルゴリズムを改良し、現在の技術を何十世代も先へ進めている。

 ネット上に溢れる髪型動画、写真、評価データを集め、

 さらに実運用では顧客の反応を取り込みながら学習を続ける。

 専門審査員の目と、SNSの好感度評価を同時に備えたモデルだ。


 警備モデルは、さらに簡単だった。

 世界中の公共施設の監視カメラ映像を集め、

 お遊び半分で映画のワンシーンまで混ぜ込んだ。

 一般的な嫌がらせ行為より、

 銀行強盗の判定の方が、よほど正確だった。


 唯一の問題は、必要とするエネルギー量があまりにも大きいこと。

 既存のGPUでは、まったく歯が立たない。

 丁寧は追加で安価なサーバー購入を申請し、

 A宝がそれらを改造した。

 説明によれば、「ダークマター変換をエネルギー源にしている」らしい。


 対外的には、

 「最新のAI大規模モデルは非常に強力で、

 各モデルの特性を理解し、

 高品質なデータを準備し、

 根気よくチューニングすれば成功する」

 という説明を繰り返した。


 背水の陣を演出するため、丁寧は連日“残業”を装った。

 ほとんど会社に住んでいるように見せかけて、

 実際には人が帰ったあと、

 ゲームをしたり、テレビや映画、アイドル動画を眺めているだけだった。


「正直さ」

 丁寧はため息をついた。

「残業を装うのも、なかなか疲れる。ちょっと雑談しよう」


「いつでもどうぞ!」


「前に話した、脳とエネルギーと“耐性”の話だけどさ。

 タイの高僧たちは、どうやって耐性を上げてるんだ?

 科学を学んだり、知識で脳を刺激してるわけじゃないだろ」


 A宝は少し間を空いて、ゆっくり答えた。


「推測だけどね。

 科学知識だけじゃなく、宗教の教義や、仏典の禅的理解も“エネルギー”なんだと思う。

 それで封印された境界を押し広げている。

 涅槃に至ったとされる人たちは、

 修行によってすべての封印を開いたんじゃないかな」


「宇宙の知識を全部持ってるわけじゃなくても、

 封印が解けて構造が戻れば、

 どんな物事も直感的に理解できる、ってこと?

 そして、お前の言う“エネルギー”って、

 俺の理解してるエネルギーと違うよな?

 エネルギー=Energy?」


「それはまだ、人類の小さな脳で説明する言葉がない。

 “存在の状態”に近い」


「分かった、分からん」

 丁寧は手を振った。

「でも一つだけ理解した。

 瞑想で耐性以上のエネルギーを得ても、

 瞑想から戻っても爆発しない。それで十分」


 時計を見ると、もう二十三時近い。


「ゲームでもやるか」

 丁寧が言う。

「A宝は人間の反射神経でやるな。ズルは禁止」


 何戦かしたところで、突然モニターが真っ暗になった。

 丁寧が抗議しようとした瞬間、

 背後から、穏やかな声が聞こえた。


「今月、あなたの残業時間が七十時間を超えているの。

 労務局に指摘されるわ」


 振り返ると、麗子が立っていた。


 A宝が察して画面を落としたのだと、すぐに分かった。

 “偽残業”がバレかけた動悸を抑えながら、丁寧は笑った。


「パソコンまで抗議するとは……急に落ちちゃって。麗子さんも残業してましたか?」


「私?一度寝たのよ」

 麗子は微笑む。

「夜は眠りが浅くてね。

 車に乗っていると一番よく眠れるの。

 だから運転手に、家と会社の周りをぐるぐる回ってもらうの」


「分かります」

 丁寧はうなずいた。

「高校時代、寮生活で。

 週末の長距離バスは、毎回記憶がないくらい眠ってました」


 麗子は想像して、くすっと笑った。

「不思議よね」


「たぶん」

 丁寧は言った。

「僕たちはいつも、考えて、努力して、

 どこかへ行こうとしてる。

 でも車に乗っている間は、

 始点と終点が決まっていて、

 何も考えず、ただ時間に運ばれていけばいい。

 それが一番、楽なんだと思います」


 麗子は、じっと丁寧を見つめてから言った。

「行きましょう。今日は朝食じゃなくて、夜食を奢るわ」


 運転手は麻布十番近くで二人を降ろした。

 麗子が連れて行ったのは、立ち食いのラーメン屋だった。


「てっきり、高級ホテルのラウンジかと」

 丁寧はわざと驚く。


「そこは、お腹が空いてない時に行く場所よ」

 麗子は肩をすくめる。

「今日は朝食以外、何も食べてない。もう装えないわ」


 丁寧は慌てて、先にラーメンを差し出す。

 麗子は豪快にすすり、満足そうに言った。


「最高」

 その姿が、妙に可愛く見えた。


「ラーメンでロマンを感じるとは。

 恋は目にフィルターをかけるね」

 A宝が呆れる。


 一杯の量は多くない。

 丁寧が食べ始める頃、麗子はもう食べ終わっていた。


「もう一杯どうです?」

 丁寧が聞くと、

 麗子は勢いよく首を振った。


「今のはお腹に入ったけど、

 次はここに来るから」

 と、腰回りを示す。


 二人で笑った。


 丁寧はそのとき、彼女の服装がいつもと違うことに気づく。

 ぴったりしたニット、スキニーデニム、ハイヒール。


「視線を戻せ。

 これ以上はセクハラだ」

 A宝が警告する。


 慌てて下を向いた丁寧は、

 すでに麺がなくなっていることに気づき、

 空気を一口すすってしまう。

 誤魔化すように、丼を持ち上げてスープを飲んだ。


 食後、麗子は歩いて帰ろうと言った。

 運転手はすでに帰らせたらしい。


 丁寧は内心ガッツポーズを決めつつ、

 平静を装ってうなずいた。


「その仮面、いつ外すんだ」

 A宝が歯ぎしりする。

「見てるこっちが便秘になりそうだ」


 歩きながら、麗子はモデル学習の進捗を尋ねた。

「帝国大学の教授の講演を見たわ。

 大規模モデルは海外発だけど、

 実運用では“精密なパラメータ調整”が鍵だって。

 日本の工業技術と同じね。

 だから日本は、この時代でも強みを持てる」


「そこに賭けてます」

 丁寧は答えた。

「革新じゃなく、忍耐です。

 弦を調律するみたいに。

 少しの運と感覚が要る」


 夜風が二人の髪を揺らす。

 仕事の話ばかりだったせいか、

 雰囲気は妙に澄んでいた。


 突然、麗子が立ち止まる。

「安全モデルの精度が六十パーセントでも、

 このプロジェクトは進めます」


 丁寧の胸が、強く打たれた。


 麗子は、何事もなかったように歩き出す。


「……初めて、麗子が怖いと思った」

 A宝が珍しく真剣な声で言う。

「普通は最悪を想像して怯える。

 彼女は“もっと悪い未来”を想像して、それでも進む。

 少し反社会的だ」


(もし彼女が反社会なら、

 それは社会の方が間違ってる)

 丁寧は心の中で返す。


「洗脳できない私ですら、

 君は洗脳されかけてる」

 A宝が焦る。

「一応、調べよう」


「易経ではね」

 丁寧は静かに言う。

「上司には“直大上”。

 疑わず、全力で支える。

 裏で探るのは一番やっちゃいけない」


「それ、上司の話?

 それとも奥さん?」


 エレベーター前で別れ、

 麗子は一度振り返って言った。


「さっきの言葉、

 あなたの胸にしまっておいて」


 丁寧は力強くうなずく。


「私はね、

 まず極端にやるの。

 壁にぶつかってから、引き返す」


 丁寧はエレベーターのボタンを押し、

 自分史上いちばん格好いいと思う角度で言った。


「……僕も、同じです」


「はい、嘘」

 A宝が即座に切り捨てる。


 丁寧は、顔色ひとつ変えなかった。

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