MeCut Studio
週次会議では、麗子が数名の取締役とともに、今週提出された企画を順に精査していた。
すべての発表が終わると、彼女は一度うなずいてから口を開いた。
「人気ドラマの主演が着ている私服を紹介して、アパレルサイトの流入を増やす施策は、すぐに着手できますね。一方で、MeCut Studio――このカスタマイズ型美容室の企画は、最も手強い」
取締役たちも揃ってうなずく。
「正直、現時点では既存の問題を解決する決定打が見当たりません」
麗子はテーブルを指先で軽く叩きながら、半ば独り言のように言った。
「簡単な企画は、他社でもすぐに真似できます。
でも、不可能に見える企画を私たちが乗り越えられたなら――
それ自体が、競合の参入を根本から断つことになる」
取締役たちは再び大きくうなずいた。
「道がなかったところに最初に道を作れば、後続は追いつけませんからね」
丁寧は少し不思議に思った。
なぜ麗子は、こういう“気持ちのいい言葉”を言う人たちを、そばに置いているのだろう。
「御曹司、御曹司。
褒め言葉が大好物」
A宝は占い師のような口調だった。
麗子は顔を上げ、全員を見渡す。
「私服推薦の企画は先行させましょう。
今週は時間が取れないので、来週、半日空けてSWATチームと一緒に、
MeCut Studioが本当に実現可能かどうかを詰めたいと思います」
会議後、丁寧は食べログで見つけた、まだ行ったことのないイタリアンで夕食を取った。
半分がマッシュルーム、半分がレンコンという二種盛りの野菜ピザ。
食べながら、口に入った味を言葉に変換し、想像力で頭の中に再構築する。
最近、A宝は「人間のように味を感じたい」と言い出している。
脳波を直接共有できる存在は丁寧だけ。
つまり、その役割は自分しかいない。
どう言えばいいのか。
「……逃げ場がないな」
丁寧はため息をついた。
「責任重大だよ」
A宝はきっぱり言う。
「この世界に私を連れてきた“父親”として、
この世のすべての美味を体験させる義務があるでしょ?
親って、星も虹も全部与えるものじゃない?」
「“毒親”って言葉、検索してみる?」
「南無阿弥陀仏。私以外、みな苦しみの中」
あの朝食会で幼少期の話をして以来、
麗子は時折、丁寧を最上階の部屋に朝食へ招くようになった。
今日はトリュフソースを塗ったトースト。
脇には小さな皿に入ったイタリア産の黒酢と白酢。
どちらも、彼女が運営する食のセレクトサイトに新たに導入したブランドだ。
麗子は自らオリーブオイルを黒酢と白酢に垂らし、
「このまま飲んでもいいし、パンにつけても、サラダに使ってもいいの」と説明した。
丁寧は食べながら、頭の中で必死に言語化する。
トリュフソースは、キノコの香りを何倍にも濃縮したような味。
黒酢は、中国物産店で買う山西の香酢よりずっと柔らかく、鼻を刺さない。
白酢に至っては、上海の白酢よりもさらに軽く、飲み物のようだ。
だがA宝は納得しない。
もっと詳しく、もっと生き生きと説明しろと要求する。
朝食一回で、プログラミングより疲れるとは思わなかった。
すでに知っている味を基準に、新しい味を説明する――
思考の筋トレだ。
向かいで見ていた麗子が、口元を押さえて笑った。
「数日見ない間に、すっかり美食家ですね。
一口ごとに、考え込んでいる」
丁寧は苦笑した。
「普段は適当なんですけど……
せっかくの食材を、無駄にしたくなくて」
「祖父もそう言っていました」
麗子は穏やかに言う。
「高級でも、そうでなくても、食べ物は大切にしなさいって」
「……うちも同じです」
丁寧はうなずいた。
「嘘だね」
A宝が断言する。
丁寧は表情一つ変えなかった。
会議当日、麗子は十七階の会議室に姿を見せた。
まずは、これまで洗い出された課題を全員で再確認する。
「店舗については、私の方で少し考えがあります」
麗子が口を開く。
「最近、本社と連携して、交通の便があまり良くない地域の不動産管理を手伝っていて。
古い家屋ばかりですが、改装前提なら、今回の企画に合っています」
「“管理”って言葉、便利だよね」
A宝が小声で突っ込む。
「実態は、副社長系の不動産を水面下で買い集めてるだけ。株取得の布石だ」
丁寧も心の中で同意した。
事前調査の段階で、麗子が手を打てることは分かっていた。
デザイナーの鈴木が手を叩いた。
「これで店舗と初期投資の問題はほぼ解決ですね。
古民家の改装ならコストも抑えられるし、
他の子会社の商品も活用できます。
ターゲット層にも合っている」
八橋も続ける。
「豪華さより、トレンド感と気軽さ。
その方が“今”の客層には刺さります」
麗子はうなずき、話を進めた。
「店舗は何とかなりそう。
問題は、技術の品質管理です。
学校と連携して教育はできますが、
審査と評価が難しい。
店舗ごとに開業時期が違うと、
一斉に候補者と審査員を集めるのは現実的ではありません。
分散すると、人件費が膨らみます」
そのとき、A宝が丁寧の意識を軽く叩いた。
「出番だよ」
丁寧は咳払いをして言った。
「審査については、安全対策も含めて、
一つ具体案があります。参考にしてください」
彼はHDMIケーブルをつなぎ、
画面にAI大規模モデルの比較資料や、
企業・大学のデモ映像を映し出した。
「既存の大規模AIモデルは、
良質なデータで“微調整”することで、
特定分野に特化した専門モデルを作れます」
汎用モデルを土台に、
比較的少ないGPUと短い学習時間で、
実務レベルの専門AIを育てる――それが微調整だ。
「例えばカット技術の審査なら、
高解像度カメラで施術を多角的に撮影し、
プロの審査員が点数を付ける。
その動画と評価を学習させれば、
人間の代わりに審査するモデルが作れます」
「同じ技術で、
危険行動を検知する“警察モデル”も作れます」
AIが数週間単位で飛躍的に進化していることは、
誰もが知っている。
だが実際の業務に微調整モデルを本格導入した例は、
まだ多くは報じられていない。
ファッションをメインとして企業が、
本当に“人間の審査員を代替するモデル”を作れるのか――
その疑念が、会議室に漂った。
それを見抜いた麗子が、丁寧に問いかけた。
「具体的な数字が欲しいです。
必要な理美容師の人数、動画の本数と時間。
一つの動画に何人の審査員が関わるのか。
GPUは何台、学習期間はどれくらい。
そして、モデルの有効性を検証するために、
追加で何人分のデータが必要か」
――議論は、ここからが本番だった。




