再びウィルソン
麗子は予想どおり、一切質問せずに予算を全部承認した。
こうして丁寧とA宝は動き始めた。ショート動画サイトやファッション系サイトのバックエンドに、ロシア企業から購入した“追跡システム”をインストールして回った。
もっとも、ソフトを買うのはただの形式で、実際は届いた瞬間にA宝がすべて書き換えた。
「始める?」
「うん、やろう」
──同じ頃、ベトナム・ハノイ。
仕事を終えたクアン・コンは、副業用のハッカー専用PCを起動しようとしたところで、チャイムが鳴った。扉を開けるとピザの配達員。注文した覚えはないが、名前・電話番号・住所は自分のものだ。料金もすでに支払われている。
首を傾げつつ、とりあえず受け取って食べ始めたコンさんは、ダークウェブ上の作戦チャットへログインした。
メンバーたちは暗号化されたチャット内で、今回攻撃する各社のファイアウォールの調査結果を共有し、担当を割り振っている。
今日もいつもどおりのやり取りが続いた。
「ファイアウォールが強化されてる気がする」といったコメントもあった。
誰かがふと聞いた。
「今日の晩飯、何食った?」
コンさんは群れに加わるタイプではないので特に返さなかったが、数人が「ピザ」と答えていて、特に気にも留めなかった。
だが、最初に違和感を覚えたのは別のメンバーだった。
「今日すごい偶然じゃね? オレもピザなんだけどww」
他のメンバーも冗談めかして返す。
「ピザ同盟爆誕?」
コンさんは苦笑しながら流していた。
──そのとき、チャット名”キング”のメッセージが投稿された。「マジで不思議。家族の誰が注文したのか分からないけど、俺の家にもピザ届いたんだよ!」
チャットが一瞬沈黙した。
そして、ぽつぽつと打ち込まれる文字。
「俺も誰が頼んだか分からない」
「私も」
「俺もだ」
コンさんも、誰が頼んだか分からなかった。
──そして悟った。
終わった、と。
丁寧が全ハッカーの情報リストを麗子に渡したちょうどその頃、副社長の手元には“返金通知”が届き、その後ハッカー全員と連絡が取れなくなった。
ビルのエントランスから出てエレベーターに乗った丁寧は、麗子との打ち合わせを思い返しながら、彼女が喜んでいたこと、そして「数日中にまた最上階へ来て細かい確認をしたい」と言われたことを思い出していた。
そのとき、A宝が突然叫んだ。
「まずい!!」
「な、なんだよ急に!」
「まさかダークウェブに、DNAを検知する専用プログラムが仕込まれてるなんて! 今さっき追跡された!」
丁寧は「ダークウェブなら自由に動ける」と信じていたので驚いた。
誰が、どの組織が、そんな検知プログラムを仕込んだのかと考え込んだその瞬間――。
ビル内の社員たちが一斉に窓際へ移動し始めた。
丁寧も釣られるように覗き込む。
その光景に、頭皮がゾワッとした。
米軍基地の車列が会社前に停まっていた。
そして遠くからヘリの轟音が迫ってくる。
誰か1階で撮影しているスマホの映像をA宝が丁寧のスマホ画面に同期させた。
そこには車から降りてくる人物が映っていた。
ウィルソン!
「アイツっ……!」
「ダメ! パパ、汚い言葉禁止!」A宝がすかさず注意。
「アイツの母親は元気なんだろうな!? よくも“アメリカへ戻る”なんて嘘つきやがって!!」
ウィルソンは手を振り、重武装の兵士たちを率いてビルへ入ろうとしていた。
その前に、麗子が護衛を伴って姿を現し、真正面から立ちはだかった。
ウィルソンは紙を一枚差し出す。
麗子はそれを一目だけ見て──破り捨てた。
その瞬間、丁寧とA宝は同時に息を呑んだ。
普段優雅な麗子からは想像できない強気の態度だった。
ウィルソンも完全に固まっていた。
麗子は電話を一つかけ、そのままウィルソンに渡した。
ウィルソンは短く話し、しばらく麗子を睨むように見つめ――
踵を返し、去っていった。
ヘリの音も次第に薄れていった。
10分後、社内ネットに通知が流れた。
「先日、弊社のデータセンターがハッカーの攻撃を受けました。
弊社は第三者仲介を通じ、ロシア系ハッカーを雇って反撃しました。
しかし、雇われたそのハッカーが“米国指名手配犯”であることが発覚。
すでに米軍へ取引内容と連絡先を提出し、誤解は完全に解消されました。
社員の皆さまはご安心ください。
近日中に弊社広報・外交部・駐日米国大使館より正式声明が出ます。」
丁寧は一日中落ち着かなかった。
仕事も手につかず、やっとの思いで13階の部屋へ戻った。
バッグを床に投げ、ベッドへ倒れ込む。
どう麗子へ説明すべきか……そればかり考えていた。
一番肝心なのは──
ウィルソンが見せた紙に何が書かれていたのか。
「最悪、拘束のことを正直に言うしかないのかな?」
A宝が沈黙を破った。
「はぁ……それは無理だ。まず俺たちは守秘義務のサインしてるし。それに話したところで百害あって一利なし。弱点を渡すだけだし、今後監視されるだろ」
「麗子さんが盲目的にパパを信じてくれる可能性は? パパみたいに」
「お前は米軍、国連、日本政府――信じるのか?
それとも“数ヶ月前まで赤の他人だった社員”を信じるのか?」
「私は恋を信じる!」
「出てけ!」
「意外と冷静じゃん。パパなら『助けに来たんだから、麗子さんは特別扱いしてくれる』とか思ってるかと」
「妄想は自分を慰める時だけにするもんだ。本当に危機が来てる時は、全部の“あり得ない甘い期待”を捨てる。俺の“助けたい気持ち”は、相手から見ればどう感じるかなんて分からない」
「じゃあどうするのさ? このまま待つの?」
「待つ。……待つんだよ。ハハハ!」
「パパ、壊れた?とうとう気が触れた?」
「違うっての。冥想のマスターのYoutube動画で言ってたんだ。
“現代人は待てない。自分が偉いと思ってるから、時間が惜しいから待ちたくない。
謙虚な人間だけが待てる”って話」
「で、それが今の状況にどう関係あるわけ?」
「俺たちが焦るのは“自分が特別だと思ってる”からだ。
美軍が来た=自分のことだ、と勝手に決めつけてる」
「いや、ウィルソンはパパを探してるでしょ」
「でも、それを知ってるのは俺たちだけだ。
あの紙に、俺の拘束のことやA宝のDNAのことなんて書いてあるわけがない」
「つまり?」
「つまり、俺たちも他の社員と同じ立場。
“社内通告”以外、何も知らない。
だから、何も説明する必要はないってことさ」
「でも、紙に『丁寧を逮捕せよ!』って書いてあったら?」
「まあ書いてあったとしても、とぼけて、”全部その架空ハッカーの仕業”って押し付ける」
「パパ、汚いね」
丁寧は一日ろくに食べていなかったので、急にお腹が空いた。
外へ出て24時間営業のチェーン店を探したが、周囲は高級住宅街でそんな店はない。
ようやく地図で深夜営業のラーメン屋を見つけ、汗をかきつつすすった。
「ところで、今後もダークウェブに入れば追跡されるの?」
丁寧はそこが気にかかった。
「それはないよ。追跡された瞬間、私もプログラムを逆に調べたよ。ダークウェブって情報量が膨大だから、すべてのデータにDNA検査なんてできない。美軍は“元々監視してる場所”にだけプログラムを仕込んだんだと思う。誤検知を避けるため、“同じ場所で3回以上検出されたら”警告する仕組みね」
「じゃあ今回のハッカーの中に、美軍監視対象がいたのか」
「そう。で、私はそいつのPCに三回以上入っちゃった」
「なるほど……以後は必要な時以外、同じ場所に三度出ないようにってことか」
「その通り。“桑下に三宿せず”ってね」
「神聖な言葉を勝手に引用するな!」
「私の神じゃないから大丈夫」
「俺に不幸が来たらどうしてくれるんだ!」
「やれやれ。パパ、小さい!」




