最初のタスク
本社は六本木にある。青山のマンションからは歩いて行ける距離だ。気づけばもう四月、道ばたの桜が満開だった。
「花が永遠に咲き,私たちも永遠に地上に存在しているなら,両者の巡り合いに何の感動も起こらないであろう」
「おお、美しい、他に覚えられる名言がある?検索しないで」
丁寧は笑って悪態をつき、心の中でつぶやいた。
「この世の情とは一体何なのか。
人が生も死も賭けてしまうほど強いものだというのか。」
「ほかにあるの?」
「あいうえお!」
バーが並ぶ一角を通ると、飲み明かした男女が互いに支え合いながら道路に出て、タクシーを“止めて”いた。運転手も見慣れているのだろう。
「ほら、愛とかなくても、生きていけてる感じだけど?」A宝が言う。
「当たり前だよ。世の中に“絶対必要なもの”なんてない。人それぞれに独自のDNAがあるように、暮らし方も全部“個別のDNA”みたいなもんだ」
「じゃあパパも恋とか追い求めなくていいじゃん。今すぐ辞職して、田舎で秘密の大富豪生活しようよ」
「こ、これは恋愛とか関係ないだろ! 侠だよ、侍だよ! 見て見ぬふりをしない正義の気持ち!」
ほどなく本社ビルの前に着いた。丁寧はビルをスマホで撮って、久しぶりにSNSへ投稿した。
大自然の前で人間は無力感を覚える。
鉄筋コンクリートの巨塔の前でも、丁寧は同じ無力感を覚えた。
自分が“ビルの一部”にも、“社会の歯車”にもなれないのではないかと恐れていた。
だが今は違う。
ここに来る必要はない──来たいから来ている。
今日は“自分の意思で”ここへ来た。
「恋を追い求めてね〜」A宝が茶々を入れる。
「正義だって言ってるだろ!」
「権力争いしてる二代目たちのどこに正義があるのさ?」
「副社長の手段を見ただろ。あんな人間が会長になったら、会社にも社会にも害でしかない。麗子さんの方がずっと適任だ!」
「経営は性格じゃないよ? いい人がトップだと会社潰れる可能性の方が高くない?」
丁寧は黙り、社員証を首に下げた。
まずビルの入り口でカードをタッチし、エレベーター前でもう一度タッチ。
横に顔認証の機械が新設されていたので、試しに顔を寄せてみたが反応しない。
見かねた警備員が声をかけた。
「その機械、よく故障するんですよ。カードでお入りください」
A宝は爆笑。
本社社員にはスマホとPCが支給される。
丁寧はまず23階のIT部門へ向かい、支給品を受け取った。
役員フロアは24階で、23階と同じエレベーターだ。
そして──厄介なことは起こる時に限って起こる。
PCを受け取り、エレベーターで18階に降りようとした瞬間、
ドアが開いたそこに副社長が立っていた。側近が何人も取り囲んでいる。
丁寧は慌てて周囲の社員と一緒に深く頭を下げ、エレベーターのドアが閉じるのを待つしかなかった。
副社長の視線が一瞬だけ自分に触れ、すぐに離れた気がした。
――よくもまあ、こんな演技ができるものだ。
丁寧は心の中で毒づいたが、同時に落ち込んだ。
初日から見つかるなんてついていない。
18階の席に戻り、PCの初期設定を済ませた後、仕事をするふりをしながらA宝と作戦会議を始めた。
「副社長に怪しまれる前に、麗子さんの任務を片付けないと。まず彼女の話だと、ダークウェブに入るには本社ネットワークから行く必要がある。もし何かあっても会社名義で処理できるから」
「ふむふむ。理解」
「前にも遠隔操作した時に使ったダークウェブの手法があるし、それを使えば痕跡も残らない。問題は、どう“実力を隠すか”」
「“我々”? あれ、パパに隠す実力なんてあったっけ?」
「お前の実力を隠すんだよ!」丁寧は即ツッコミ。
「正直に言うとね、今の私はダークウェブに入れば十万通りの方法ですぐにハッカーを炙り出せる。でもそのどれも、パパが“口で説明できる方法”じゃない」
「だから“カバー”が必要なんだ」
「カメの甲羅?」
「なんでもいいよ。お前はやっぱり分かってないな。重要なのは“こちらの理屈”じゃない。“相手が自然にそうだと思う流れ”だ」
「??? 彼女にやる気や方法があるなら、自分でやればよくない?」
「違う。“やり方”じゃなく、“思考の癖”だ。
もし俺たちが勝手に方法を作ると、彼女の癖に合わない。
そうすると『あれ?』と立ち止まって質問し始める。
その瞬間にボロが出る。
だってお前が裏で操作してる事実は言えないから、必ず最後に矛盾が残る」
「……なるほど。完璧に準備することより、“麗子が質問しない状況”を作る方が重要と」
「そういうこと!」
「じゃあ……金を渡して口を塞ぐとか?」
丁寧は両手で顔を覆った。
「まず、それが方法かどうかは置いといて……俺たち、彼女より金持ってるの?」
「持てるようにすることは可能!」
「そうじゃなくて!!」
「ふむ……じゃあ暴力?」
「お前は映画で何を学んだ!! 金と暴力以外の方法を使え!」
「じゃあ麻酔?」
「“質問しない”ってのは物理的に黙らせる意味じゃない! 心理的な意味だよ!」
「洗脳は無理って言ったじゃん」
「洗脳じゃない。“潜在意識の自然な流れ”に合わせるんだ。
そうすれば彼女は違和感を覚えず、質問しない」
「おお、心理戦だね。……それで?」
「さっき会社のネットを調べたろ? ファイアウォールはどこのソフトだ?」
「表向きはアメリカと日本。でも肝心な中身はロシア製」
「ロシア会社に“逆追跡ソフト”ある?」
「あるよ。でも今回の黒客には通用しない」
「それが我々のカバーだよ。
麗子はロシア製のセキュリティを信頼してる。
だから“ロシア製追跡ソフトを買う”と言えば自然に納得する。質問しない」
「なるほど! 買った後、中身を私が改造すれば……」
「その通り。そして、攻撃を待つんじゃなく、お前がハッカーの一人のPCをハックして“自作自演”で攻撃させる。ログに“ロシアソフトが異常を検知→逆追跡した”と記録させるんだ」
「OK! 偽装攻撃成功! でも何で“ハッカーが一人だけ”攻撃することになるの?」
「そんなの説明不要。“下見やプレ下見”って人間は自然に考える。
銀行強盗も、セールも、ハッキングも、まず下見するだろ」
「な〜るほど。で、他のハッカーの情報は?」
「金持ちが一番信じるものは?」
「真理と正義!」A宝が胸を張る。
「今日のお前のツッコミはそれだな。違うよ、金だよ金。
“超一流のハッカーを金で雇った”という架空人物を作れ。
その人物の出生から経歴まで全部捏造して。
“すご腕ハッカーが集団の情報を一網打尽にした”ことにすればいい」
「了解! 人物生成してくる!」
「ついでに、必要経費を全部まとめて報告書にしといて。麗子さんに提出する」




