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負け犬の出会い~勇者パーティーを追放された俺がやきとりを食う~

作者: 朱花 梧依

追放ものの作品を読んでノリと勢いで書きました。


「悪いけど、出て行ってくれないか?」


 人で溢れかえり、むっとするような暖気に包まれた酒場の中を通り過ぎ、武装した守衛の立つ扉の先にある貴賓用の特別な一室。

 パーティーリーダーである“勇者”に珍しく呼び出され、邂逅一番に放たれた言葉がそれだった。

 黒髪の勇者は柔らかなソファにその体を預けるように座り、周囲を女達が侍るように囲っている。

 勇者の顔に張り付けられているのは、片頬をつり上げた底意地の悪そうな笑み。悪いなどと言いながらこのような態度では全く悪びれているようには見えない。

 アレンは彼との決して短いとはいえない付き合いの中で、このような態度を取るのはわざとだろうということは理解できていた。思わずこぼれそうになったため息を抑えるために口を引き結ぶ。

 さすがに、この酒場から出て行けという要求だとは思わない。このようなことをこの男から言われるのは今回が初めてではなかった。


「こんな場所に呼び出してソレですか? 俺はあなたの指示でパーティーを抜ける気はないって、何度も言ってるじゃないすか」


 アレンはいつものように勇者用の態度を繕って答えた。

 高圧的に出るのは立場が悪い、逆にへりくだって下手したてからご機嫌を伺うようにこの男に接するのも酌に障る。そんな雰囲気を出したような何とも中途半端な言葉遣いでの対応。

 王様気質の勇者様と学無しの冒険者、これがパーティー内でただ二人しかいない男同士のいつものやりとりだった。


「それに俺は――」

「俺は聖女であるデシレアの要請でこのパーティーに参加しているのであって、あんたの頼みで入ったわけじゃない、ってか?」


 アレンの反論に、勇者――ハザキ マコトのバカにしたような物言いが被さる。

 アレンは微かな苛立ちを抱きながらも無言でうなずいた。これも何度もやり取りしている応酬であり、このようなことで憤っていたらこのパーティーでやっていくことは出来ない。

 勇者パーティーの構成メンバーは勇者であるマコトと、聖女推薦の冒険者であるアレンを除けば、全員が女性で構成されている。それも十人以上に及ぶ大所帯な上、そのほとんどが勇者の唾付きというハーレムパーティーだ。

 相応の身の程を持って接し、決して不和を抱かせない。薄氷の上を歩くかのような立ち回りを強いられる環境である。自然と内面を押し隠す能力は身に付いていった。

 なぜ彼がそのような最悪な環境に身を置いているのかと言えば、ひとえに幼なじみのデシレアがこのパーティーに籍を置いているためだった。

 アレンとデシレアは、彼女が聖女として教会に預けられる十一歳の頃まで同じ教会で寝食を共に過ごしてきた仲だ。アレンが冒険者になっても、手紙でのやりとりだけは忘れずに交わしてきた。その手紙が届いたのは、そのような関係が続いてきた中で、アレンが十七歳の時――A級冒険者へ昇格するための試験が間近に迫っていた時期のことだった。

 異界の勇者が行う世界各地での魔物討伐の旅である“護法巡礼の旅”に彼女が同行する事になったこと。その旅への不安。是非アレンに同行してほしいこと。それらの内容が書かれた手紙にざっと目を通したアレンは、二の句も告げずにギルドへA級の昇格試験の辞退を申し出、護法巡礼の旅に向かう勇者パーティーに参加した

 アレンにとって冒険者として大成する事は重要なことではなかった。それよりもテレジアと幼少の頃に交わした、“一緒に冒険をしよう”という他愛のない約束の方がよっぽど大事なことだったのだ。だからこそ、この二年間がどんなに最悪だったとしても耐えることが出来た。むしろ、美しく成長したデシレアと共にいられるというだけで、アレンにとってそこは天国といえる――はずだった。


 実のところ、アレンはこの部屋に入ってからずっと動揺していた。勇者に対する憤りも、呆れも、なにもかもがどうでも良いと思えるぐらいに。

 否が応でもできあがってしまった仮面で必死に覆い隠し、「いつもの自分」を演じようと心がけているが、演じようとしている時点でいつもとはかけ離れてしまう。

 アレンにとって、デシレアの存在こそがこのパーティーにいる理由だった。そして、それはデシレアにも言えることだと彼は思っていた。いつも勇者がアレンを追い出そうと話しを持ち上げる度に、アレンの隣に立って彼を擁護したのはデシレアだったのだから--。

 意地の悪い勇者は、アレンの動揺を見透かしたように口を歪めた。


「では、アレン君のパーティー存続の可否について、ち(・)ら(・)にいらっしゃる聖女様にご意見をいただきましょうかね?」


 マコトはそう言って、自らの隣に侍るように座る女に視線を流す。

 女はウェーブがかった栗毛を揺らし、ゆっくりとこちらに視線を向けた。


「デシ、レア……?」


 あの長いまつげも、こちらを射止めてくる意志の強いはしばみ色の瞳も……彼女を構成するすべてのパーツが、目の前の女がデシレア自身だと物語っている。だが、なぜ彼女が、デシレアが勇者の隣にいるのかが、わからない。


「私ね、アレンをこの旅に呼んだのは間違いだったって、ようやく気づいたの」


 彼女の顔で、彼女の声で、意味のわからないことを告げられる。彼の知るデシレアは絶対にそんなことを言わなかった。アレンに対して、そのような哀れみを込めた目を向けることはなかった。


「ごめんね。私のわがままでマコトたちに迷惑をかけちゃって」


 彼女は、勇者のことをマコトなんて言わなかった。いつも『勇者殿』と呼び、決して気を許そうとはしなかった。

 なぜ、勇者が彼女の美しい髪を愛おしげに梳いているのかが、わからない。


「いいさ、デシレア。これからは本来のあるべき形でやっていこう。なに、こいつアレンもその方が幸せだろう」

「マコトは優しいね……」


 --なぜ、彼女が|この男(勇者)に媚びたような視線を送っているのかが、わからない。

 わからない。

 デシレアは億劫そうにアレンに顔を向け、凛と室内に響くように言った。


「アレン、今までありがとう」


 感情はうねる濁流のようにアレンの内をかき乱し、今すぐにでもこの場を作り上げた首謀者であるマコトを殴りつけろと訴えかける。

 嘘だ! と叫びたかった。これは勇者の奸計で、目の前の女はデシレアなんかじゃない。魔法で作り上げた真っ赤な偽物だ! そう、叫ぶことができれば、どんなによかったろうか。

 だが――、


「アレンは冒険者として頑張ってね。そばにはいられないけど、私は応援してるから」


 彼女の言葉を聞く度に、なにかが心の奥底に重くのしかかり、全ての熱を奪っていく。いつも心を満たしてくれた彼女の言葉は、今ではすっかり己の芯まで凍てつかせるものへと成り下がっていた。


「どう……して……?」


 かろうじて出たのは、掠れきった情けない疑問の投げかけ。答えなどわかっていた。このパーティーにいて嫌が応にも理解できて、同性という同じ立場にあるからこそ実感できてしまう。

 このパーティーが誰の為のものであり、誰が中心にいるのかなど、決まりきっている。

 彼女は、ゆっくりと口を開いた。


「だって、アレンはマコトよりも弱いじゃない――」




 あの後、どういうやりとりがあって酒場から出たのかはよく覚えていない。気づけば店の前で呆然と突っ立っていた。

 日が落ち掛けた薄暗い繁華街には魔石燈の明かりが灯り、そこかしこで露出の多い衣服を身に纏った女を引き連れた男たちであふれている。すっかり夜の街へと変化している通りを眺めながら、「宿から自分の荷物を取りにいかないと」という考えが頭に浮かんだ。パーティーを抜けた以上、彼らは俺の荷物を保管しておく必要などない。むしろ勇者のことだ、嫌がらせに捨ててしまうかもしれない。

 ただ、俺の足はどういうわけか宿のある中心街とは反対の方向へと向かってしまう。理由は何となくわかっている。戦士として、なにより男として勇者に負けた今、あの男が囲う女たちとは出くわしたくないのだ。


 いつも勇者に媚びを売る女たちに出会えば、きっとデシレアが勇者に向けたあの顔を、あの蕩けきった彼女の顔を思い出してしまう。


「うっ……!」


 不意に咽奥にこみ上げてきた異物感に、身を折った。道の片端に吐瀉物をぶちまけ、それでも不快感が抜けきらずに激しくえずく。

 せき込みながらも、鼻奥に広がるツンとした不快な臭いが、今の俺にはありがたいと思えた。


 ――こうしている間は、なにも考えなくていい。


 だが、延々と不快に浸っているわけにもいかない。胃の中のものをすべて吐き出し終えてふと顔を上げると、周囲を歩く人々から遠巻きに胡乱な視線を向けられていることに気づいた。

 俺は視線から逃げるように、その場を離れた。


「情けない……」


 公共用に設置された水場で口をゆすぎながら、先程の醜態を思い出していた。

 一人の女……しかも、付き合ってもいない相手が他の男を選んだということぐらいで、こんなにも不安定になるとは思わなかった。

 お互いに相手のことが好きだったのは確かだ。俺もデシレアも幼い頃から一緒にいた存在なのだから、友達以上の愛情を持っていた。離ればなれになった後の文のやりとりも、大切な思い出だったと彼女は言っていた。再会した時の喜びも彼女と共有できていたと思っている。では、彼女の気持ちが離れていったのはいつだろう。 そこで、俺はあることに気づいた。

 ――俺はだいぶ前から異性として彼女のことが"好き”だったが、彼女にとっては今も昔も家族としての愛情しか持っていなかったのかもしれない。

 ああ……、それは重いはずだ。頭を抱えたくなってくる。

 彼女も俺を必要としてくれているなんて、一方的な思い上がりだったって訳だ。軽い気持ちで誘ってみた程度で、大事な昇格試験を棒に振るなんて思ってなかったのかもしれない。重い愛情を向けてくる俺に今までは我慢していたけど、ほとほと愛想が尽きた、ということだろう。

 俺は気を落ち着けるように深く息を吸い込み、一息に肺の中の空気を吐き出す。

 今日のところは宿に戻らず、どこか別の場所で気持ちに整理をつけたい気分だった。


「大丈夫。俺は冷静だ」


 小さく、自分に言い含めるように言葉を転がす。


『冒険者は常に冷静な判断が求められる。そのため、どんなときでも心に余裕を持っていなければならない』

 駆け出し冒険者の時、耳にたこができるぐらい教わってきた心構えだ。一分一秒の判断が求められる環境に身を置くことが多い冒険者にとって、咄嗟の事態に動揺して少しでも思考が鈍ってしまうと、それだけで命取りになる。かといって気を張りすぎても、気を緩めすぎても動揺は生まれてしまう。ちょうど良い按配の心理状態を維持できるようにすることが、一流の冒険者になるための理想なのだとか。

 今の自分は三流もいいところだ。

「別に死んだわけじゃないんだ。やり直しはいくらでも利くさ」



◆◇◆◇



「帰ってくれ!」


 怒声とともに、俺の身体は店の外に突き飛ばされる。

 扉が勢いよく閉まる音を後目に、俺はゆっくりと立ち上がった。軽く息を吐き、そのまま定まらない足取りで通りの雑踏に紛れ込んだ。一連の出来事を見ていた人は奇異の視線を向けてくるが、それもあまり気にならない。心の内に浮かぶのは、「またこれか」という諦念だった。

 勇者パーティーを抜けて数日が経った現在。俺は新たな職を探して街を歩き回っていた。

 追放された次の日に自分の荷物を取りに行くと、勇者たちは既に街を出てしまったらしく、部屋が引き払われていた。当然ながら俺の取っていた部屋も引き払われていて、置いておいた荷物はきれいさっぱり無くなっていた。信用のおける宿だったことと、まさかパーティーを抜けることになるなんて思っていなかったために、主だった金品はほとんど置いてきてしまったのが災いした。

 着の身着とわずかな金、それと護身用の小さなナイフしか持たないまま放り出されることになった俺は、生きていく資金を得るためにこの街で仕事を探す必要があった。

 だが、職探しはどういうわけかうまくいかない。

 最初は自分の戦闘の腕と、魔王軍との戦争に少しでも貢献しようという思いから、一兵士として駐屯軍に入ろうとしたが門前払いをくらった。まあ、これは勇者との関係から考えてダメで元々という思いもあったので別段驚くことはなかった。しかしその後も、街の衛兵隊、用心棒、道具屋や露天商に至るまで、どれもが不採用の札を叩きつけられてしまう。一度採用されても、翌日には追い出されることもあった。


「荷運びでもなんでもやります! 計算も少しはできます! どうか、どうか働かせてください!」


 鎧や剣などの金属器が並べられた店内。俺はカウンターをはさみ相対している店主の男に頭を下げる。

 正直後がなかった。

 辺境の街にはまっとうな店というものが少ない。俺の知りうる限りの場所にほとんど断らた今、この店に断られてしまえば道を外れた職業に就くしかなくなる。

 幸いこの店の店主とは、勇者パーティーにいたときに何度か取引をしたことがある。情の厚い人で、装備のことについていろいろと教えてもらった。

 ――もしかしたら今回も助けてもらえるかもしれない。

 そう、思っていた。


「……頼むから、出て行ってくれないか」


 深いしわの刻まれた顔を申し訳なさそうに歪ませ、絞り出すように店主が言う。

 デシレアの時と違い、裏切られた気分にはならなかった。むしろ聞く耳を持たずに追い出されることにならなかっただけでもありがたいと思える。

 ただ、彼との間に確かにあったものが崩れていく虚しい喪失感があった。

 

「俺が、勇者の仲間ではなくなったからですか……?」


 薄々分かっていることでも、ハッキリと言葉にしてもらいたいこともある。自分の現状を正確に知るには、彼の浮かべるやりきれない表情と、人の良さにつけ込むしかなかった。


「そうだ……。あんたが勇者様の一行から追い出されたことは街中で噂になってる。もし今あんたを雇っちまえば、教会を敵に回すことになるかもしれねえ。教会の保護がなくなればおちおち商売もできねえ……。それに、うちにはややがいるんだ。家族を路頭に迷わせるわけにもいかねえんだよ」


 ――だから、諦めてくれ。

 店主はそう言って、カウンターの引き出しから古くさいパイプを取り出した。パイプに葉を詰めながら、彼は俺の背後にある扉にちらりと視線を送る。

 ゆっくりと振り向くと、扉につけられた覗きガラスから、こちらの様子を伺う人々の姿が見えた。

 目が合うと、途端に蜘蛛の子を散らすようにどこかへ行ってしまった。

 おそらく、近辺で店を構えている者たちなのだろう。ここの店主のことが心配なのか、それとも密告者にでもなろうとしているのかは分からない。だが、彼らが全員俺という存在を疎んでいることだけは分かった。

 神の使いである勇者や強力な聖騎士団を擁する教会は、日々モンスターに脅かされる辺境の街にとって絶大な権力を有している。

 教会が巡礼と称して勇者や聖騎士を各地に送り、駐屯する兵士や冒険者だけでは対処できない強力な魔物を狩ってくれているから、自分たちは安心して生活ができる。辺境の街の住民にとって、それは常識であり、。

 教会のさじ加減一つで街一つが滅ぶ可能性だってある。


「兄ちゃん、俺が言うのも何だが、自棄になっちゃあいけねえよ。俺もこの歳になるまでいろんなことがあった。それでもこうして生きてんだ。今はだめでも、いつかどうにかなるときがきっと来る」


 それは、彼なりに精いっぱい手を差し伸べた慰めなのだろう。この男は優しい、でもその優しさは俺一人に対してではなく、家族に向けられている。それが当たり前の選択だ。

 店を出た俺は、街路を一人歩いていた。日が傾き、店舗が軒を連ねる街中は次第に翳りを増していく。

 絶望的な状況だった。街を出るにしても、ナイフ一本で魔物の跋扈する辺境の街道を抜けることはできない。かといって、この街に残っていたとしても、見えるのは破滅の未来だけだ。

 もはや魔王軍がどうとか、そういったレベルの問題では――、


 ぐうっ。


 音を鳴らした自分の腹を抑え、思わず苦笑が漏れた。こんな時でも、腹はすいてしまうものらしい。――いや、こんな時だからこそか。

 そういえば、手持ちの金が心もとなかったために、ここ数日は食事らしい食事をまともにしていなかった。


「飯、どうしようか」


 小さく呟き、周囲を見回しながら歩を進める。

 ほとんどの店や露店は日が落ちかけているため店じまいを始めている。この街の中で今店をやっている場所と言ったら、貴重な魔石灯が設置された酒場や色街の集まった地区ぐらいだろう。しかし、今の手持ちでは値段が高いあの地区でまともに支払いができる気がしない。

 どうしたものか……、と考えていると、うす暗い道端でふと、赤く、温かな明かりを灯す一軒の露店が目についた。

 移動用の車が取り付けられた、小さな木造の露店だった。

 店の軒先に提げられた明かりは、どうやら火をともしたろうそくのようなものを赤色の紙で包みこんだものらしい。店内の半分は、軒から垂れ下がった赤い布に遮られていてよく見えない。布には、大きく黒字で『やきとり』と書かれていた。

 俺は炎の光に誘われる羽虫のように、ふらふらと歩を進めた。

 布をどけ、おそるおそる店内に入る。

 肌を刺す熱気と、炭を焼く香ばしいかおりが鼻をつく。


「らっしゃい」


 大量の焼いた炭の上に網を張った台の向こうから、一人の男が出迎えた。

 この店の店主マスターなのだろう。薄くひげを生やした顎に、鋭い目つき。頭部を布で覆い、ガタイのいい上半身に『やきとり』と刺繍された半袖の服を着ている。


「好きなものをどうぞ」


 男は無表情にそういって、いくつかの札が提げられた壁を目線で示す。

 ――愛想のない、寡黙そうな男だ。

 俺は置かれた丸椅子に座り、札に書かれた文字を眺めながら、ぼんやりとそう思った。


「では、『ももタレ』というやつを一つお願いします」


 注文をすると男は「へい」と短い返事をかえして、調理に取りかかった。

 あらかじめ切り分けてあった肉を手に取り、もう片方の手に持った串に肉を、スッ、スッと刺していく。その手際に思わず、ほうっと息が漏れた。

 冒険者として旅をしていると、道中で捕まえた獣の肉を焼いて食べることがある。そういう時は、串や棒を用いて焼くのだが、肉に串を通す行為というのがなかなかに難しい。肉の抵抗感であったり、力加減によって不格好なカタチになったり、誤って自身の手を刺してしまうことがあった。

 しかし、店主マスターの串打ちは、まるで綿の隙間に串を通しているかのように抵抗を感じさせず、一定のテンポで綺麗に肉を刺していく。明らかに熟練の手並みだった。

 リズミカルに一本、また一本と串を完成させ、あっという間に三本の串を作り終えたかと思うと、串を熱気を放つ網の上に置いた。店主は軽くあぶるように肉を焼いた後、網から串を離して小さな壺にソレを入れ、再び網の上に茶色く照ったタレを纏う肉串を置いた。

 ジュッ、と音を響かせ、あたりに芳醇なタレの香りが充満する。


 空腹の体にこの匂いは、よく効く。


 鼻腔をくすぐられ、逸るようにぐるぐると音を鳴らす腹を必死に抑える俺とは対照的に、店主の男は真剣な表情で網の上に置かれた肉串を見つめていた。

 調理台にわずかに手を置き、耳を澄ませるように、鋭い目を細めて網を注視する。

 パチンッと炭のはぜる音が響く。

 男の手が、素早く動いた。

 肉串が裏返り、肉からにじみ出たアブラを帯びて照りを増した面が姿を現す。

 店主は何度かそれ繰り返し、俺は生唾を飲みながら見守った。

 空腹によって食い気が増しているからなのか、それとも男の魅せる所作のすべてが美しいと感じたからなのか――、


「おまち」


 低く、唸るような声が響いた。

 目の前には、皿の上に置かれた三本の肉串。

 黄金色に輝くソレを一本手に取り、肉片の一つを口に含む。

 ちょうどよい甘辛さに仕上がったタレの香ばしい味わいが、口いっぱいに広がる。噛み応えのある肉の弾力と、しつこさを感じさせないアブラも合わさり――、


「うまい……」


 ポツリと口をついた言葉に、店主マスターはふっと頬を緩めた。

 

「ありがとうございます」


 気が付くと、頬を熱いものが伝っていた。

 思いがけない男泣きに動転し、途端に気恥ずかしくなる。俺は慌てて串を食べ、その日は逃げるように店を出た。 



 さらに数日が経った。

 状況は良くなる気配を見せず、むしろ悪くなるばかり。商人は教会を敵に回すリスクを恐れて最初から門前払いをするようになり、街の人々はみな遠巻きに俺を見るようになった。ギルドの信頼を蹴って勇者パーティーに加わったために、個人的な伝手がない辺境の冒険者ギルドでは、冒険者たちに敵視されて入り口をくぐることもできない。

 俺はどうしようもない袋小路のなかにいた。

 毎日を人の目の届かない路地裏で過ごし、体や衣服はだんだんと汚れていく。惨めな生活を続けるうちに、いつしか俺は、不愛想な店主マスターが焼いてくれる『やきとり』だけが、心のよりどころになっていた。


「大丈夫、俺はまだ冷静だ」


 ここのところ毎日のように言い聞かせている言葉を口にして、今日も俺は露店に入った。


店主マスター、いつものをお願いします」


 すっかり常連となった俺に、無愛想な男は「へい」と短く返事をした。

 通うたびに、わずかな持ち金を切り崩して三本の肉串を食べる。

 店主マスターはみすぼらしい俺を追い出すこともなく、いつも美味い肉を焼いてくれた。いまだに俺が道を踏み外していないのは、彼のおかげだった。

 ――だが、それも今日で最後だ。

 俺は懐にしまった、くたびれた小さな袋を握りしめながら、男の惚れ惚れする職人技を眺めた。


「おまち」


 いつものように店主マスターは低く、唸るような声を響かせ、俺の前に三本の肉串を置いた。俺は最後の晩餐となるそれを味わおうと、手を伸ばす。

 ことっ。

 皿の隣に置かれた小さな杯を見て、伸ばしかけた手が止まった。


「あの?」


 俺はやきとり以外何も頼んでいない。なぜ杯が置かれたのかが理解できず、うかがうように対面に立つ男に視線をやった。


「サービスでさ」

「え?」

「お客さん、どうにも深刻な顔をしてらっしゃる。綺麗な池でも泥がたまればたちまち淀んじまうように、心ん中に澱をため込むのは良くねえ。たまには掻きだしてやりゃにゃあなんねえんでさあ」

「はあ……。えっと、ありがとうございます」


 どうやら間違いなどではないらしい。釈然としない思いを抱えながらも、俺は礼を言って杯を手に取り、中身をのぞき見た。


「水、ですか?」

「いんや、この辺じゃあ珍しい、コメってえ穀物から作った酒でさあ」

「そんな貴重なお酒をサービスでもらってしまっていいんですか?」


 俺の問いに、いつもは無表情の店主オーナーが「かまいませんや」と笑う。


「ググっといってくだせえ」


 そう言われれば、否やとは言えない。彼の厚意に心の中で感謝の言葉を抱きながら、酒の入った杯を仰いだ。

 エールよりも強いアルコールに喉が刺激される。思わぬ度数の高さ。しかし、口内に広がった甘く芳醇な味わいがその驚きを上書きした――。

 しばらく、酒の余韻に浸りながら杯を置いた。

 店主はその杯に酒をつぎ足しながら、低く唸るように言う。


「この酒の名は『魔王』ってえ言うんでさあ」

「魔王……」 


 それは、よく訊きなれた名だった。

 頬が熱を帯びていくのを感じながら、杯を手に取り、透明な液体を見つめた。

 俺たち人間が倒すべき相手。俺が、倒したいと思っていた相手。その名を与えられた極上の酒。

 くつくつと、笑みが零れる。俺は杯を一気に煽った。

 皿に盛られたやきとりを手に取り、食す。酒の味が残る口の中に、タレの香ばしさが親和するように混ざり合う。


「最高だ」

「でしょう?」


 厳つい顔を傾げながら笑みを浮かべる店主。そのミスマッチながらも愛嬌のある彼の姿に、俺も思わず笑みが浮かぶ。

 垢だらけのみすぼらしい男と、厳つい男は、お互い声を上げて笑いあった。

 最後にこんな晩餐にありつけるなんて、俺はもう、満足だ――。









「――っとに、女ってやつぁ身勝手なんですよ!」


 夜の帳に一筋の明光が差してきたころ。白んできた街の一角には、いまだ小さな屋台が停められていた。


「呼び出すだけ呼び出して用済みになったらすぐにポイって、都合のいい男ぐらいにしか思ってないんですよ! こっちぁどんな思いで来たと思って……!」


 男は煽った杯をドンっと、叩くように置いた。 

 ろれつの回らない舌で、まくしたてるように言葉を紡ぐ。


「ええ、ええ、期待しましたよ。『アレン。私、あなたしかいないの』ですよ? 期待しないほうがおかしくないですかあ? ああ、ついに俺たちは……。なーんて思ってほいほい行ってみれば、なぁにが『マコトよりも弱いじゃない』だ! この〇゛ッチ! 色目使いやがってぇ!」


 酔っ払いの男はヒートアップしていき、対面で見守る店主に半目を向けた。 


「マスタアさんよお。俺あ、ここで最後の金を使ったら盗みで生きていこうと思ってたんだぜぇ」

「はあっ……。そんなこったろうと思ってましたさあ。ここ数日でお客さんの目がだんだん淀んでいってんですもん」

「デシレアァ! お前のせいで今ここに悪が生まれるんだ! 何が聖女だ! この悪魔がぁ!」


 涙交じりに情けない叫び声をあげて、彼は卓に突っ伏した。


「俺は女で破滅するんだ。もうおしまいだあ……」

「お客さん、そう悲観するこたあないでしょう。女なんてごまんといますぜ」

「ギルド抜ける時に陰でなんて言われたか……“聖女の犬”ですよ。結局デシレアだって犬ぐらいにしか思ってなかったんだ。男としての魅力がなかったんだ。どうせ俺なんて、ただの負け犬なんだぁ」


 店主の慰めが耳に入らないのか、男はぶつぶつと独り言のようにつぶやく。

 すすり泣きを漏らしながら、男は時折り体を震わせる。店主は男にそれ以上何も言わなかった。

 ただ黙って、醜態をさらす目の前の男が落ち着くのを見守っていた。


「――はあっ」


 朝日が昇り、街の人々が起き出す時間になったころ、男はゆっくりと息を吐いた。


「すみません、みっともないところをお見せしてしまって……」


 額を抑え、顔を伏せたまま男は言った。


「いろいろとありがとうございました。おかげでスッキリできました」

「お客さん、これからどうするんだい」

「どう、しましょうね。もう盗みを働く気分でもありませんし。そうだな、もう一度受け入れてくれる職を探してみようかと思います」


 男は顔を上げ、困ったような笑みを浮かべた。

 店主はそんな男の姿を見て、腕を組みながら口を開いた。


「――やきとりには、『串打ち三年、焼き一生』ってえ言葉があるんでさあ」

「?」

「どんなに吹っ切ったと思っても、嫌な出来事ってのは不意に思い出すことがある。そんなときに、無心になってやれるもんがあるってのはいいことでさあ」


 疑問の表情を浮かべる男。店主は二ッと厳つい笑みを浮かべ、大きな手を彼の前に差し出す。


「うちは弟子なんて取る気なかったんだがな。どうでえお客さん、うちの暖簾を継いでみねえか?」

「え、でも俺は……」

「なに、旅の屋台にとって街を出ちまえば教会なんて関係ねえ。どこか別の場所でまた商売をやりゃあいいだけですよ」


 それは、男にとって新たな人生の始まりだった。

 魔王も勇者関係ない。世界の命運を決める戦争が行われる世界の片隅で、男は己の人生を費やして肉を焼く。今まで想像もしなかった運命に、男の体はぶるりと震える。

 男は迷うことなく、店主の手を握った。


「『やきとりのかっちゃん』それが、うちの暖簾でさあ」


店主の手は、肉を焼く、熱い、男の手だった――。

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