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9父を生かした者

ラブリーな話です。

「周長官、もうじき、総裁一行がご出発なされますよ。」

 周文華はベッドに臥せっていたが、くるりと頭の向きを変え、海麟を見上げた。そして手を差し出した。

「きみの分と、私の分、あの投影装置を持ってきてくれないか。きみの手を借りて、空港のデッキに立ちたい。」

海麟は文華の手を握った。

「わかりました、長官。」

文華はうなずいた。

「それから、イクはどこにいるのかね?」

「隣の部屋におります。あなたが眠っていらした間に、無事にこちらに到着しておりました。」

文華はぎゅっと目をつむった。

「そうか、無事だったか。」

「先程調べていましたところ、やはりあなたの予想した通り、総裁の手のものが、イク氏のホテルの一室に、大勢でなだれを打って入ろうとしたようです。無理矢理捕えるつもりだったのでしょうね。ですが間一髪、彼女がこちらに向かった後だったのです。」

文華はしきりにうなずいていた。だが、うつらうつらしているかのようにも見えた。海麟は敬礼して、部屋からそっと出て行った。

 文華は薄目を開け、天井を見つめた。それから眼をつむり、自身の思索の世界へと入っていった。

(これで、やっと、彼女を守れる。)

(二十年前、私が軍にいたころ、地球軍の船の中で、工作員活動をしていたイクを、火星へ強制送還したことを後悔してきた。火星に帰したところで、彼女の幸せには、つながらなかった。彼女は、足の自由を失くしたではないか。)

そして、また別のことを思う。

(サラーフは、直接の見送りには反対していた。だが、あの装置を使うことには反対していない。そもそも、地球で育ったから、装置のこともよく分からないだろう。)

 海麟が廊下を通り、文華のいる主寝室へ向かう前に、客間へ立ち寄った。

家には扉のついている部屋はあまりない。ほとんどは、戸口に美しい垂れ布をかかっているだけだ。家の主人である文華が、出身地である北京の実家の様子を再現したらしい。

 客間には、(その家には珍しく)扉があった。海麟はノックし、

「ハン・イクさん、今、いいですか。」

と言う。

「ええ。」

と中の人は答えた。

 彼女は文華と共に写った古い写真を眺めていた。地火友好学院・東京校で彼と出会って、在学中に、一枚だけ二人だけで撮ったものだった。恐らく、彼が地球にいた頃の写真はこの一枚だけしか残ってはいないだろうと思った。彼の持っていた写真はすべて焼かれたためだ。

 この写真は、車椅子生活を余儀なくされた彼女が、火星の上層部が周文華を探し出そうとして躍起になっていた時に、コピーをして、資料として提供したものでもあった。その時は、当時の総裁もオアシス市長も、軍の総司令だった海麟も、その写真を目にした。幸いなことに、彼女と文華の間についてあれこれ詮索されたことはなかった。けれども、その写真一枚で、二人の仲を物語るのには十分だった。

 彼女は学生時代にも、とても美しかった。数少ない女性の中で最も目立っており、常にマドンナ的な位置にもあった。多くの男性が彼女の周りに集まって、容姿をほめそやしていた。そう言われるのは、嫌いではなかった。やや肌を顕わにした服も好んで身に付け、一層男性諸君の気を引こうともした。非常に優秀でもあり、在籍していた情報通信科のトップ3の中に必ず入っていた。

 そんな時、一年間休学していた周文華が上の学年から降りてきた。休学の理由は経済的なものであったと言うが、学年を降りても、群を抜いて一位の成績を取り続けた。女性には決して話しかけず、ほとんど無口で、孤高を保っていた。一つ年上で、かつ、そんな態度をとるものだから、誰も彼に近づくことができなかった。しかし、翌年、郁と文華は同じゼミに入室した。そのゼミで、二人はようやく知り合ったと言うべきだ。話しかけたら、物知りで、面白い人だ、と郁は思った。それに、意外と、親切だった。ゼミの担当教員は、まだ若い男の人だった。二人しかいない新入生を温かく迎え、そのうち、文華の才能を見抜いた。「文華、君の行くべきところは、火星本校だったのかもしれない。」と先生は言いにくそうに、告げた。文華は、「そうだったのかもしれません。火星では研究も進んでいますし、優秀な人材を欲しています。ですが、渡航費がどうしても工面できなくて……」と返した。当時も、地球と火星の間は緊張していた。純粋な渡航費以外にも、火星で市民権を買うために、膨大な金額を用意しなければならなかった。

 結局、火星本校に渡ったのは半田郁だった。先に火星に移住していた彼女の両親が、呼び出したのだった。彼女の美貌も、火星市民権を取得する時の大きな助けとなった。

郁の火星出発の前に、郁と文華は食事をしにいった。お酒を飲みつつ、二人はようやく相手への自分の思いを口にした。「でも、これきりだ。」と文華は嘆いた。「いえ、私があなたを呼び出すわ。いつか、きっと。」と郁は告げたのだった。

 ハン・イクは、そんな過去のことを思い出しながら、写真を見ていた。彼女の最愛の人は、同じ屋根の下、隣の部屋にいた。しかし、総裁ローラン・ユイに比べると権勢は劣り、尊敬はかちえていたものの、人々の信頼は、この前の記事で大きく落ちたはずだった。イク自身も、ローランの側につくか、中立を保つことで有利なことは多かった。しかし、文華は弱ってきていた。今、心身の重圧に置かれている文華を、傍にいて、支えてやりたかった。

彼女は、ふと、今朝の文華からの連絡を思い出す。

「私のもとに、来てくれないか。ローランの手から、きみを守る。」

総裁がイクの意に反して、彼女を我が物にしようとしている、という話はいくつかの筋から聞いていた。それもここ数カ月のことだ。気味が悪い、と感じていた。

「本当なの?」

と返した。

「午後十一時に彼はきみの部屋に押しかけるつもりだ。」

などと文華は伝えてきた。

「彼のメールでも、のぞき見たの?」

と聞きたかった。聞かずとも、わかっていた、文華は、総裁のメールアドレスにハッキング行為をしかけた。そうやって、情報を入手したのだ。

総裁からは、結局、何の申し出もなかった。

イクは文華の指示に従った。玄関正面の、隠しカメラの電源を入れた。襲撃の映像を取って、手元のミニ・パソコンに送ってくれるはずだ。約束の場所で、海麟の車に乗り込んだ。きっかり十一時だった。後ろのシートで、イクは、おそるおそるミニ・パソコンの映像を見た。マンションの玄関先に、黒い集団が満ち満ちていた。総裁の部下たちだった。イクは身を伏せ、顔を覆った。

総裁は、彼女のプライドを踏みにじったのだ。

イクは、運転手を務めている海麟に、懇願した。その声は震えていた。

「どうぞ私を、文華さんのもとへお連れください……。」

自らの運命をゆだねた。総裁の手下に気づかれては、まずかった。

 文華の家の前に到着したとき、彼女は、ひとつ聞いた。シャワーを浴びてもよいか、と。

 海麟はしばしキョトンとした。

「ええ。周長官は、今の時間はたいてい眠っておられますからね。しかし、どうして、シャワーを?」

海麟の当惑した横顔に、そっとささやいた。

「――総裁に、あのように思われていたことが非常に、不快で。私は、その手に乗るつもりなど、毛頭なかったのです……。」

妻子のある海麟ならば、そういう機微をわきまえていると、知っていた。

当分、自分の市政府に帰ることは考えなかった。イクの副官も、事情を飲み込んで、イクがいなくとも市をよく治めてくれるという確信があった。

 海麟が扉を開けたので、写真をポケットにしまった。

「文華さんは、どう?」

と訊いた。

「今、また眠ってしまわれましたが、投影装置を使って、空港でロータスたちを見送りたいそうです。よろしければ、手伝って頂けませんか。」

と海麟は丁寧に言った。

「衣装ダンスは、どこにありますの?」

「では、ご案内しましょう。」

このように話してから、二人は客間から出ていった。ハン・イクは車輪に手をかけたが、海麟が押してくれた。

(私も文華も、夢見た火星の地を踏んだ。それまでの道は、まっすぐ、という訳にはいかなかった。でもそれなりに成功してきた。私達は、籍を入れなかった。愛も交わせない。それは、ただ私の体が、こんな体になってしまったから。けれども、私達の心はとても近いところにある。それだけで、私は十分幸せだ。できれば、平穏に暮らしたかった。火星内部の権力争いなんて、ごめんだった。まして、私達の故郷と戦争を起こすなんて。)

文華と共に歩いた星。彼との思い出がある星。地球の光景を思い出せば、必ず、文華のことも思い出された。どちらもイクにとっては、とても大切なものだった。


 ハン・イクは、文華のベッドの上に、いくつかの服を並べた。

 文華はもうひとつのベッド(サラーフが使っていた)に腰かけ、イクの様子を不思議そうに、じっと見ていた。

「いつも公で着ている黒の上着だけは、絶対に避けたほうがいいわよ。目立ちすぎるし、あなただとすぐ分かってしまうから。かといって、火星色に身を包むわけにもいかない。青の地球色は、論外。」

と言いながら、イクは服を広げている。

「やはり、灰色だな。」

「そうね。灰色ね。あなたの出身星を、小惑星帯だということにしてくれた、どこかの誰かさんの機知に、今更ながら、感謝したいところだわ。」

文華は笑った。

「くくくっ、そいつは海麟じゃなかったっけ? すぐ目の前にいるぞ。」

 海麟にまで笑いの波はうつっていた。腕時計のような投影装置を手に持ち、時たまイクの手伝いをしながら、文華とイクのやりとりを聞いている。

「下には、白を着るべきよ。あなたの潔白を表し、あなたの中立を表し、そしてロータスに、その時が来たら、降伏をしてもいいという私達の思いを伝えてくれる色だから。」

彼女は、突然驚いたような表情になった。

「まあ! あなたったら、シナ服ばかりじゃなくて、こんな素敵な……真っ白な着物を持っていたの。」

「まるで、切腹前のサムライみたいなキモノだ。それは、やめておこうじゃないか。あっちの、ブルース・リーが着ていたような服の上下はどうかい?」

「ブルース・リー? 誰? あなた、一体どのくらい昔の映画を見ているの? ああ、これね。下がズボンみたいになっているやつ。」

ハン・イクはそれを箱の中から拾い上げ、ベッドの上に並べて広げた。

 ハン・イクは文華が着替えている間、はじめは恥ずかしくなって、顔を隠していた。だが、じきに顔を上げた。日の光の下で、彼の背中や胸を見るのは初めてだった。頬のふちから、首を伝って、胸の一部や背中に広がる白い火傷跡をまじまじと見た。普段日にあたる部分は赤みがかっていた。そして彼は退院後、体重は取り戻したようだ。

「病院で、あなたの体を見た先生たちも驚いたのかしら……」

とイクは言った。

「さあ」

と文華ははぐらかした。海麟が、つぶさに言った。

「私が軍にいた時の経験で、このくらいの火傷は、結構危ないと聞いていたのです。だから、周長官を船に収容した際、任務が失敗に終わるのではないかと、内心ひどく心配したのです。軍医たちに、彼を生かし、回復させることができたら、相当な褒美をやると言い含めたものでした。」

「私は何も覚えていなかった。死んだと思っていた。」

と文華はぶっきらぼうに言った。

「その時、一度あなたの見舞いに行ったのよ。」

とイクは言う。「あなたはまだ目覚めていなかった。無菌室に横になっていて、近寄れなかった。」

とぼんやり話して、突然それ以上言うのをやめた。イクは、あることを思い出したからである。

(かつて文華は私に告げたっけ。「私を生かす者がいたとすれば、きみしか考えられない。わたしが目覚め、さまざまな辞令を受けた時、きみの存在を感じた。」と。あの時は、いつも、遠くから見つめていた。実はとても、近づきたいと思っていた。文華、あなたは私に、ずっと気付いていたの……?)

 まもなく、文華は仕度を全て終え、海麟から腕につける投影装置を受け取った。そして反対の手で画面を触りはじめた。海麟も同じ操作をはじめた。最後に二人は近くの椅子に座りなおした。文華は、イクに「あとは頼んだ。」というふうに、目を見つめて、無言でうなずいた。イクは二人にうなずき返し、言った。

「行ってらっしゃい。」


次回は「章」が作れたら、章を変えたいくらい!!

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