7記者に託す
「レイ・ブラックストーン・ジュニアくん。」
文華は、隅に立っていた、薄っぺたい黒髪を肩まで垂らした細身の男を呼び止めた。彼は文華をちらりと見て、その端正な顔をにこりとさせた。
「お待ちしておりましたよ。――〈黒衣の賢者〉さん。」
レイは、かつて大手出版社に勤務し、週刊誌で有名人たちの自叙伝連載の担当をしていたことがある。その後、新聞社に籍を移し、科学面のコラムを書いていた。その頃に文華と会っている。ここ最近は、フリーランスの記者となり、各誌に政治批評や書評などを載せている。一度、ローラン・ユイ総裁に目を留められて政治界に入る意欲も見せたが、結局その話は断った。
「近頃なにをしているんだい?」
と、文華はかなり親しげにレイに話しかけた。
「少々の文筆業と、専らあなたのことを調べていました。」
とレイはすぐに答えた。真摯な目で、まっすぐ見つめ返していた。
周りの記者たちは、異様なものを見るかの目つきで二人のやりとりを眺めていた。メモや録音を取る者もいた。
文華は彼らに振り向き、
「ちょうどいい。このマイクを、貸してもらうよ」
と一本ひったくった。取られたレポーターは、あいた口がふさがらない。
文華はレイを指差し、きっぱり、
「この人にわたしの記事を書いてもらうことにする。だが、なるべく近いうちにあなた方の会社に一括掲載させて頂く。」
と告げる。
「〈黒衣の賢者〉さん」
とハン・イク似の女性記者が詰めよる。文華は彼女の顔をまじまじと見てしまって、不意を突かれた恰好だった。「それはどういう内容の記事になるのでしょうか? 貴方の政治見解でしょうか?それとも、ブラックストーン氏は人物評や要人の自叙伝の担当をしてきた人ですから、そういう内容も書かれるのでしょうか?」
「ああ、大抵そんなものだ。そういう人選をした。」
と文華はあわてて大雑把に答え、「さて。行こう。タクシーをつかまえよう。」
とレイの肩を叩いた。
「そう来なくては」
レイのひたむきな瞳は、喜びの色を隠しきれない。
報道陣は輪をゆるめる。これ以上取材する必然性も、取材できる可能性もなくなったからだ。ローラン・ユイ総裁の車に、まるでトンビ凧のように、どっと矛先を変え、飛んで行った。
タクシーの後部座席に文華とサラーフが、助手席にはレイが乗り込んだ。
「お客さんら、どちらまで?」
少し太った老齢の運転手だった。見た目より、声は若やいでいる。すかさず、レイが
「南区第一病院まで。」
と答える。文華に横目をやり、得意げな表情を浮かべた。
「きみはよく知っているようだ」
と文華は悪びれもなく言う。「きみは度々、人の過去の秘密まで暴くとも言われている。前もってある程度その人の情報をつかんでおいて、そこからさらに掘り進めるそうだね。」
運転手に聞こえてしまっていても、気にも留めていない風だ。
「ええ。そうですね。」
それだけレイは答えたきり、無言になってしまう。実感が込み上げてきて、緊張が戻ってきてしまった。もはやうっかり口を滑らすことはおろか、他愛ない話を切り出すこともできない。こういうとき、常套手段であるお天気の話なぞは、できなかった。火星では天気自体が管理されたものだし、とりわけ相手が、当の管理責任者だときては、お手上げであった。
ラジオの声がにわかに高くなった。車内の空気も変わった。日曜の、聞き覚えのある女性の声が、最新ニュースを告げた。
「――第二五二回総会が先程終了しました。〈黒衣の賢者〉こと周長官が、会場に姿を現し、開戦に関する市民投票を提案し、議決されました。開戦に関する市民投票は、今月三十日に実施されます。……また、周長官は記者団の前にも姿を現し、自らの政治見解・前歴などを近日中に発表する用意があるとコメントしました。」
レイは警戒心をむき出しにして、運転手をじっと観察していた。だがやがて、何か思いついたらしく、うんうんうなずきながら放送を聴くようになった。
「彼も思い切ったことをなさる。そうは思いません? 運転手さん?」
といきなり話しかける。
「え? ああ。」
運転手はあいまいな返事をする。
「僕は、彼が拒否権を使うものだと思っていました。」
とレイは声を落とすことなく、単刀直入に話してのけた。
「わしもです。」
運転手は、意外にも弾んだ口調で返してきた。
その後、レイと運転手の二人は意気投合したようだった。運転手は言った。
「あまりわしはこういう政治とかの話はしないんだがね。誰がどこでどのように漏れ聞いているかわからんし。わしやおめえさんのように、〈黒衣の賢者〉に肩入れする人もそんなに多くないものだから。いや、多くないわけじゃない。皆本心を言えなかっただけさ。その機会を、〈黒衣の賢者〉は、今度の市民投票を設けて下さって、可能にして下さった。喜ばしいことだ。彼が今度発表するなんとかっていうのは、恐らく、皆に本心を言う覚悟を持たせる何かだ。わしたちは、彼がもっとおおっぴらに、政府を動かしてもいいと思ってきた。だが、彼がそうしなかったのは、何か引っかかるものがあるからだ。彼はそれを、今度ので取り除くんだ。わしたちに言えなかったこと、総裁に言えなかったことを話すんだと思う。わしは、その話を受け入れられるかわからない。」
やがて、病院に到着した。
「記者さん、わしは、彼が生きていると確信していたよ。それにね、いくぶん元気だっちゅうことも。」
運転手はさも意味ありげに目配せをした。文華とサラーフは車を降りるところだった。十分声は届いたはずだ。二人はあえて何ともないふりをして、先に玄関の中に入ってしまった。運転手はレイにウインクをしつつ、言った。「――だって、さっきまでわしの後ろに座っていたんだから。」
取材の始めとして、
「いちおうここから録音しますね。」
とレイは念を押す口ぶりだ。文華は力なくつぶやく。
「わたしがこのように病人らしくベッドの横になっている姿を、あまり見ていたくはないだろう。」
レイは
「別に構いませんよ。」
と口先ではわざとそっけなく言い、ちらりと手元のメモを眺めた。
・前の職業
・家族
などと書かれた文字が目に入る。
「――もしかしたら、話しの最中に眠ってしまうかもしれない。前にもそういうことがあったから。」
と文華は告げる。レイは、冷静を装って、聞いた。
「構いませんよ。前って……相手は誰です?」
「あの女の先生だよ。」
と文華は目をそらして言う。レイはそれ以上の探索はやめようと思った。録音すべき事柄ではない。
「周さん。お身体の具合はどんなもんです?」
「ああ。まずまずかな。頭の怪我は大したことじゃない。だが、胸が悪いんだ。先日、たぶん、発作を起こしたんだ。それで、ここに運ばれたんだ。あの女の先生が助けてくれた。けれども、もしかしたら、もう永くはないかもしれない。だから、今のうちにきみに話しておきたいと思って。」
と文華は一気に言い、それから、しばし息を整えていた。
「無理しないで下さい。そして、聞いているのは僕だけじゃないです。オアシスの市民、もしくは他の都市や他の星の人々も、あなたの言葉を待っているのです。」
レイは慎重に釘をさした。
「承知している。」
文華は重々しくうなずいた。
「僕は、あなたが地球で教育を受けたのではないかと疑っています。」
レイは声を低めて言う。
「……当たりですか?」
「当たりだ。」
「僕は、その教育内容について、詳しく聞きたいのです。それに、あなたは恐らく、地球に五年以上住んでいたのでしょう。」
「ああ。住んでいた。」
文華は遠い目をした。
レイは努めて感情の抑揚を押さえる。
「ご家族はありましたか?」
とレイは質問を続けた。
「家族か? わたしの両親は離婚した後、行方知らずだ。兄弟もいたが、生きているかわからん。」
「奥さまやお子さんは?」
「昔、わたしには家内がいたが、子供はいない。」
レイは首を振った。
「いいえ。あなたは地球に妻子を残してきたはずです。」
「死んだと聞いている。」
文華は目もそらさず、堂々としている。「あの戦争のせいで、離れ離れになってしまったのだ。もう連絡の取りようもないし、私のことを知ることもないだろう。」半分嘘で、半分本当の話。文華はこの手の話を何遍も語ってきたから、質問を巧みにかわすことなど、朝飯前だ。レイは面食らい、良心は揺れる。
「あなたは、あの戦争のとき、三十代になったばかりでしたね。その頃はまだ無名でした。その、ご家族との別離が、今のあなたの行動に大きく影響していると、推察できます。」
文華はひょいと眉を上げた。水を飲んでから、たずねる。
「どういうことかね? 私の実感とずれていて、よくわからない。」
「離ればなれになった、御家族を思えばこそ、長官でありながらも、民衆の心から離れることがなかった、そうではありませんか?」
「そう言うこともできるが、」
と文華は勿体ぶる。「妻子を失ったことは、私の心を開かなくしただけだ。だが、人々の声に耳を傾けることができた。なぜなら、私は小惑星帯出身で火星のことには不案内で、なりふり構わず知識を積む必要があったから。それだけさ。」
文華は気安く笑った。レイはますます熱が入って、質問の手をゆるめない。
「あなたには、ほかの人が思いもつかない知恵があります。それは、たとえば、あなたの見聞や、読書によるのですか。」
「それもあるだろうが、一番は、私が火星生まれでなく、よそ者としてこの星の内情を見てしまう、この感覚によるのだろう。」
素直に、言っていた。
ここでレイも口に水を含んだ。文華の本音を引き出せたことに、感慨深げだった。
「地球で教育を受けたあなたは、戦後、地球で就職しなかった。どうしてです?」
「私は、情報処理に長けていたから、当時の総裁に呼ばれたんだ。」
「スカウトですか?」
「いや、スカウトなんてもんじゃなかったよ。総裁はそれなりに強引な手段で私を連れてきた。その時に、私の公式な経歴や、市民票が書きかえられている。無理にそうしたものだから、一部のマスコミに勘づかれて、きみのように、独自に調べる者が出てきている。」
「そうですね。僕はかつての直属の上司から興味深い話を聞きました。彼が亡くなる前に聞いた話です。戦争の直後に、火星の上層部が、地球軍の司令部にいたある有能な人物を、捕虜として手に入れました。その捕虜は自由を奪われるのと引き換えに、火星上層部の一員となったというものです。――それは、あなたですか?」
「今時点で、公にはそのように公表してない。だが、事実だ。頬の火傷跡はそのときの戦闘でなったものだ。」文華は言った。「隣にいた人の頭が吹き飛ばされるのも見た。累々たる死体を見た。命令次第で、部下の兵士たちの命が左右される、そういうのは、もう、ご免だ。戦争を起こさないで済むことは可能なのだ。誰だって、どんな段階でさえ、それを止めさせることができる。人が、意味もなく死んでいく、それが戦争だ。戦争は私たちの人生を無意味にする。人が人の運命を決めてしまう。戦争は人が造り出すもの。わたしには、それが、許せない。」
「生き延びるためや、自衛行為としての戦争はどうお考えになりますか?」
「それを選ぶくらいなら、私は死んだ方がましだ。自分ひとりが生き残ればいい、とは、うぬぼれた考えだ。そのような独りよがりなことを言っていた者が、運に見放されたのを知っている。私がこれまで死なずに来られたのは、盾になってくれたとある人のお陰でもあるし、私を見逃してくれた異星人の、たぶん、心に兆した予感のお陰でもある。」
「周さん。この先は記事には載せませんが、一つうかがいたい。」
「はい。何なりと。」
「あの女の先生は、あなたの娘さんですか。」
「――はい。」
文華は素直に答える。
「そうですか。……恐らく、わかる人には、わかってしまうでしょう。」
と言って、レイは文華を見やる。
文華はうなずく。
「それでもいい。覚悟はできている。」
文華はおもむろに懐から小さなカードを取り出した。何も言わず、ぼんやりとそれを眺めていた。
「それは、何ですか?」
とレイはたずねる。
「きみがさっき言っていた、きみの先輩で上司、という人は、もしかして、きみの父親であられた、故・レイ・ブラックストーン・シニアさんではないのか?」
「――そうですが。」
レイはいぶかしむ。自分が質問される側に回ろうとは、予想外という風に。
「もう十年以上前の話だが、私はあの人から取材を受けていた。その記録を、きみは読んだことがあるか?」
「いえ。ないです。あのう、その記録とは、一体……」
とレイは恐縮した。
「きみは父上の話を少し聞かれている。私の持ち物が燃やされたことや、私の家族、地球での仕事について、きみは知っていた。」
「ええ、確かに、父が話したことです。亡くなる前に、僕に、周長官の人生録を完成させてくれ、彼のこれからの生き様をその目で見てくれ、と。」
文華は瞑目し、長く息を吐いた。
「やはり……そうおっしゃられたのか。――ブラックストーンくん。」
とかれはレイに向き直った。枕が少し音を立てた。「お父様のその記録は、ここオアシスの地火友好学院にも収められているはずだ。学校長に、このわたしからのカードを見せ、収蔵庫の最奥の、その機密文書を読めるよう、取り計らってもらえ。」
文華は指先でカードにいくつか情報事項を付け加えた。「きみの記事の、大きな助けになるだろう。念のため、その記録の名称を言っておく。――『C・W・Hの資料』だ。」
「『C・W・Hの資料』……。」
と、レイはつぶやいた。