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再び父と娘の場面から。

「地球に帰ってきてください、お父さん。」

「それはできない。」

 父は、嘘をついた。うつむいて顔を隠そうとしたものだから、なおさら嘘っぽく見える。

「話をする相手を間違えている。私は、周文華じゃない。」

「じゃあ、父に伝えて下さい。……今のことを」

サラーフはつばを飲み込む。父の心が揺れ動いているのが分かった。

「お願いいたします。そして、ありがとうございました。」

彼女は頭を下げた。ここできっぱりと立ち去ろう。涙を見せずに、すがすがしく別れよう。

「さようなら。」

そう言おうとした。が、言えなかった。

「ひとつだけ、聞いていいか?」

「――はい。」

彼女は振り返った。

父の背中に木漏れ日が差している。

「誰の意思でここにやってきた?」

サラーフは慎重に答えねばならなかった。

「あたし自身の意思で。でも、祖父に費用を負担してもらいました。それだけじゃありません。手続きは、ハン・イクさんに――」

「わかった。」

父は呆れたように言った。「ハン・イク……彼女の名がここで出てくるとはな。」


その夜、文華は遅くになっても帰ってこなかった。

サラーフは気をもんだ。父と夕食をとる約束をしていた。再会を記念し、今までの親子の溝を埋め合わすため。そして父を地球に帰るよう説得するため。

それに、家には見知らぬ客人がひとり、夕方から文華を待ち続けている。若い男だった。一目見ただけでは、どの民族の血が混ざっているのか分からない青年だった。髪は赤茶色く、肌はやや小麦色。彫りはあまり深くないが、さわやかな顔立ちをしていた。男は名を、ロータス・ユイといった。

「ユイ総裁の、息子さん?」

と彼女はいぶかしそうである。地球でも、火星のローラン・ユイ総裁は有名であった。

「そうでもある。れっきとしたローラン・ユイの後継者だ。」やけにもったいぶった口調で彼は話した。「だが同時に、ここの周長官にもたいへん世話になった。ところで、あなたこそ誰だ? 廊下に、医者の荷物が置かれていたが……」

「そう、医者よ。サラーフ・S=周といいますの。」

「サラーフさん。いつからここに出入りなさっている?」

「本日からです。」

「そうか。で、彼の問診はしたのか?」

ロータスは語気を強めた。

「いえ、まだなんです。あの、何かご存知なのですか。」

ロータスは自らの胸の辺りをつかんだ。

「彼はここが悪いんだ。おい、気づいていたか?」

とがめるような眼差しに、ひるんでしまいそうでもあった。

「いえ。でも、道理で……」

父は、地球に帰れないと言った。心臓が悪ければ当然、重力や移動の問題が生じてくる。悔しさと涙がこみ上げてきた。

「長官は、どこかの病院でみてもらったことはないのですか?」

「恐らく行っていない。ハン・イクさんが一度、南区第一病院の院長をすすめたそうだが、行っていないようだ。」

彼女は思わず、息をのんだ。

「南区第一? あたしの勤めている病院だわ。」

ハン・イクに紹介されて勤めている病院だった。

「なるほど。それで、ハン・イクさんがきみを寄こしたのか。だが会議が終わってだいぶ経つ。もう帰ってきてもよい頃では……」

 日付の変更とともに、雨になる、と市政府から達しが出ている。雨の管理も文華の仕事の一部であった。

「ところで、あなたと周長官はどういう関係なんです?」

サラーフは尋ねた。ロータスは、珍しいものを見るように彼女を凝視した。

「知らないのか? 長官は俺の父親みたいな存在だ。俺は孤児だった。本当の母親はもう死んじまっていない。実の父親にも長いこと認知されていなかった。だから、周長官が俺を引き取って育てた。総裁が、本当の父親だ。だが、好きじゃない。」

「どうして?」

「考え方が違うんだ。今日の会議でさえ、意見が分かれた。俺は予算を、内政の方に……教育とか福祉とか研究費に充てるべきだと言った。だが総裁は、軍事費に、と言った。周長官は、俺の側についてくれたけれど、駄目だ。我々は、人数が少なかった。ハン・イクさんは、中立だったし……」

とロータスはうなだれた。「総裁に言わせれば、俺は彼の息子で、つまり彼の後継だから、もっとそれらしく、無難にしてもらいたいんだ……。総裁の言うことは絶対だ。俺はもう逆らえない……」一瞬、言葉を途切らせた。「ところで、サラーフさん、あなたのご両親は?」

「母は、亡くなったわ。父は、先の戦争で、戦死したと聞かされている。」

ロータスは赤面した。

「すまない。いけないことを聞いてしまった……。でも、確か、あなたと、ここの家の人は、同じ姓だ。血がつながっているかもしれない。」

「ええ。そうだといいわ。……ただ」

父はきっとサラーフを娘だと認めても、他言はするなと厳しく戒めるだろう。

「うん。帰ってこないな。そう言えば今日、長官がハン・イクさんといるところを見たんだ。もしかしたら、どこかに泊まる気かもしれない。」

「え、泊まる? あ、そうか。」

ロータスは慌ててかぶりを振った。

「いや、よそう。俺でもあの二人のことは何ともいえない。」

 その時、玄関の戸が激しく叩かれた。


 サラーフとロータスは玄関へと急いだ。

「誰かいるのだろう? 誰か!」

と言う声がした。父の声ではなかった。サラーフにはなじみのない男の声だった。ロータスはぴんときた。

「海麟さん!」

とロータスは叫んだ。戸を開けるなり、きいた。「海麟さん! 何か? 俺ですけど」

「ロータスか。」

と海麟は、ロータスの顔を見るなり、少し表情を和らげた。しかしすぐに元のきりりと引き締まった表情に戻して、「ロータス、救急車を呼んでくれ。そこの角で、周長官が気を失われた。」

「発作か?」

とロータスが答える暇なく、サラーフが追いついて、すぐさま指示を出した。

「海麟さん、でしたっけ? 周長官はどこ? ――あたしはサラーフ・周といいます。医者です。彼のところに連れて行ってください。」

それから彼女はロータスに向かって、「ロータス、電話をして。」

と指示を出す。

 サラーフと海麟は、すぐさま外の暗闇に飛び出した。

「あちらです。」

と海麟が雨の中を導く。ぬかるみに足がすくわれそうになる。


 「ここです。」

暗くてよく見えない。文華は、気を失って、倒れているようだった。サラーフはすぐわきにしゃがみこんで、――手探りをして文華の口元に、耳を近づけた。

「息はあります。ですが、倒れたときに、頭を打ちましたね。出血しています。」

彼女は文華の頭を手で支え、ついで、海麟に交代した。彼女は肩と首だけで傘を差しながら、布を裂き始めた。

 サラーフはてきぱきと止血を行い、つぎにそっと頭部側面に触れ、骨の様子を確かめていた。文華の脈をとって、発作はすでに治まっているのも確認した。

 海麟にとって、文華の娘、サラーフに実際に会うのは初めてだった。海麟は次第に冷静さを取り戻していって、状況を的確につかみとっていた。彼女が文華を助けてくれる、と直感した。彼女の腕に任せよう。この若い医師に。

 そのうち救急車が狭い小中華街の路に、半ば突き刺さるかの感じで、停車した。

「到着したぞ!」

とロータスが声を張り上げた。

 文華のからだはストレッチャーに横たえられた。サラーフは、

「あたしが付き添いますからね。長官、しっかり!」

と文華の耳にささやきかけ、「お二人がたは、ひとまず残っていてください。あとで来てください。」

と、海麟とロータスに告げ、文華の同乗者として、医師として、救急車に乗り込んだ。


 目が覚めると、いつの間にか明るくなっていた。サラーフは、まぶたをこすり、まわりを見まわした。病院の一部屋だった。慌ててがばり、と起きあがった。

 隣には、ハン・イクが、まだ意識が戻らない父のベッドに上体を投げ出して眠っている。

 サラーフは、ハン・イクのことをあまり知らない。父とどういう関係にあるのか、なぜ、火星に来たのか。

 ハン・イクと話がしたかった。いや、それより、父にも聞きたい話が山ほどあるのに……。

 夜が明ける前、処置を終えた院長とサラーフのもとに、ハン・イクが姿を現した。ロータスが彼女をわざわざ呼びだしたのだと思った。ハン・イクは、院長に

「お久しぶりです。地火友好学院のよしみで、色々お世話をかけました。サラーフ・周医師の件と、もう手遅れかもしれませんが、周文華長官の病の件で。……」

などと挨拶をした。

「いえいえ、周長官は、頭部の外傷のほうが、大変でしたが。……」

と、院長は返答した。

 ハン・イクはさらにサラーフに向かっても、

「サラーフ。はじめまして。……ありがとう。文華さんの命を、お父様のことを助けていただいて。……私たち、こんな時に会ってしまって。あとで、ゆっくりお話できるといいわ。」

などと言った。

 院長に対しては、文華の容態説明のあと、ハン・イクはこう告げた。

「長官としての敬称を伏せ、彼を一般の患者として待遇してください。」

 その一言が、一体どのように影響するのか、まだサラーフには分からなかった。ハン・イクの頭の中では、いつも、政治情勢のあやがつむぎとられ、新たに編まれている。

ハン・イクは、ストレッチャーで運ばれてきた文華の手を握ることさえした。

(あたしが来るまでは、二人は寄り添って生きてきたのか。たとい共に住んでいなくても、あまり会うことがなくても、地球を想う者同士、そして、火星の首脳部に在りながら。)

 サラーフは眠っている二人を見守り続けた。イクと父とは、固い絆で結ばれている。肩の荷は、あまりにも重く、二人にのしかかっていた……。イクは二十年間、父をどのように支え続けてきたのだろうか。

 父は昏々と眠り続け、ハン・イクは昼時までに起きあがった。イクには疲労が色濃くみうけられた。半ば放心し、憂いに満ちた目で、父を見つめていた。サラーフなどいないも同然だった。サラーフはもどかしくなった。

「手を、握ってやってください。」

イクは、はっとサラーフの顔を見た。頬を赤くして、

「でも、私は……」

と言いかけた。だが思い直して、文華の手を握った。

「父は、頑固ですね。」

サラーフは文華をひたと見つめながら、言った。「イクさんや、ロータスさんが、父の体を気遣って、何度も忠告していたのに、病院に行かなかった。」

イクは目に手をやった。

「ええ……この人は、強情っ張りよ。こんなに、心配をかけて、……仕事だけは熱心で……私が代わってあげられたのに、私に迷惑はかけられないからって……」

イクは鼻をすすった。

サラーフは、唐突に、

「安心しました。」

とつぶやいた。

「え」

とイク。

「父が、火星で一人ぽっちじゃなくて。あなたのような、父を大切に思ってくれている人がいてくれて、良かったです。」

イクは特に何も言わなかった。だがサラーフの言葉を、全身で受け止めていた。

「ありがとう……。」

イクは辛うじて、言った。

「こちらこそ。あたしを、火星に呼び寄せて下さって、ありがとうございます。知っていました……イクさんがあたしを、父のもとに導いてくれたことを……。でも、今はむしろ、あなたに会えて良かった、そう、思っています。」

――あなたは、火星にいるもう一人の母なのです。

という言葉が込み上げてきた。だがサラーフは言わなかった。のどが詰まって言うことができなかった。


 ローラン・ユイ総裁に文華の容態が伝えられた。

「ほう? 倒れたとは聞いていたが……ふむ。心臓をわずらっていたとはな。それに頭蓋骨折の手術をしたか。」

ローラン・ユイ総裁は、ふかふかのソファでふんぞり返っていた。息子ロータスと似た容貌だが、いくぶん目つきは鋭く、髪は真っ白に近かった。

「復帰はどうなるかな?」

とぼんやりつぶやく。あまり心配していない様子だ。

「さあ……分かりません。なにしろ眠ってばかりいるもので。あれ以来、まだ本人とは話していません。」

と告げると、総裁はそっぽを向いて、何か考えているようだった。

「同情したいところだが……わしはこの前、周と意見が分かれた。それに、今は彼を殺めたという嫌な噂まで立てられている。それに……ハン・イクがな……

『あの人は、誰よりも能力があるのに、その能力を発揮していない。自分の器量が、他人に分からないようにするためなのよ。』といったのだ。あのハン・イクさえもねたましく思うほどに、

『あの人は、先が読める。』

といった。そして彼女は周がわしの地位を脅かす存在だと警告しに来たんだ。わしはそれ以来、周のポストを下げることばかり考えてきた。――今は、その絶好の機会だ。」

「けれど……なぜ? 周長官は市民から慕われていますよ。――総裁が、彼を利用していればいいのでは?」

「ロータス、もう一遍言ってみろ。お前は知らないんだ。内閣一致の原則、つまり首脳陣の拒否権があるのだ。これから軍拡、さらに開戦を控えているというのに、わしとは反対意見を唱え、拒否権を発動するはずだ。」

「はたしてそうでしょうか。周長官は戦争への拒否権を使うでしょうか。軍拡には相当の予算が必要ですから彼はそれには反対でしょうが、戦争そのものに拒否権を出すでしょうか。これ以上軍拡はしないで、今のままで戦争をはじめても、こちらに勝ち目はあります。勝てば、周長官の望む研究費うんぬんも手に入りますよ。そう言えば、きっと彼も納得するはず。」

「少しは柔軟になったな、ロータス。」

と総裁は不気味な微笑を浮かべた。「だが、お前はまだ甘い。わしは周を心底嫌っている。奴がお前を立派に育てたことをおいても、わしは好かん。奴が人気なのも、聞きずてならない。」

ロータスは背筋がぞくりと冷えた。

「殺してはなりません。」

ロータスはきっぱりと告げた。手が震えていた。彼を総裁はギロリとにらみつけた。

「知らないのか。わしには確信がある。奴は地球人だ。」

ロータスは、聞こえていないと思った。

「殺してはなりません。降格もよしてください。周長官は私利私欲を考えず、身を粉にして市民に尽くしています。そのために市民から慕われています。殺すことも降格も、無理でしょう。」

「黙れ! オアシス市長官の役目は、ハン・イクと劉海麟がやってくれる。問題ない。お前、聞こえていないのか?〈黒衣の賢者〉は、地球人なのだぞ?」

「信じません。彼は小惑星帯出身者ではありませんか。」

とロータスは突っぱねた。

「たわけ! とにかくわしの命令を守れ!」

「市民を顧みないあなた様の信頼は落ちるばかり……」

とうなる。総裁はいっそう冷ややかな視線を投げかけて、

「たとえ実の息子であっても、逆らう者には、これぞ。」

銃をロータスの左耳に当てる。ロータスは出かかった言葉をのみこんだ。

(何のための政治か、市民なしでの政治は……)

歯がゆかった。

 部屋から息子を追い出した後、総裁は、一人、窓に向かって立ち、夜景を見つめた。おもむろにグラスと瓶を取り出し、

「この美しき眺めに乾杯!」

そう一言叫び、喉を鳴らして赤ワインを飲み干し、しばらく外を見つめ続けていた。ほどよい酔い加減であった。

「ハッ!誰もが、わしをあざけるだろう!〈黒衣の賢者〉、周文華をこの世から消しても、あのひとの心は、決して、彼からわしのもとへと向かわない。それを、知っていながら……」

 彼はもう一杯つぎ足した。グビリとやる。

「ウイ、誰にも言えやしない。酒が無けりゃ、わし自身にも言えないわい! イクが好きだ……だなんて!」

足元に酒瓶が転がっている。それに左足を引っかけ、彼は体勢を崩した。たちまち床に倒れこんだ。

「周文華! 我が恋の宿敵!」

寝そべったまま叫び続ける。

「思い知るがいい、我が力を! ウハハハハハ……」

怪しげな笑い声は、しばらく響き渡った。


この展開は、レッドクリフの見過ぎかな、と思います。

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