4父の仕事
仕事の話です。ちょっとマニアック。
周文華は、黒髪を頭の後ろでまげに結い、ハンモックの上で午睡をしていた。ぐっすりと気持ちよさそうだ。近くのテーブルに淡い光が窓から差し入っていた。
部屋の扉がカチャリと開かれる。
「周長官、おられますか。」
入ってきた男が明かりをつける。
「海麟、何か?」
ハンモックから降りて、海麟を見上げた。海麟は、周文華の補佐官である。文華はこの堅い表情のしみついた、しかも人見知りする男に、絶大な信頼を置いていた。
海麟は白い封筒を文華に示した。
「総会の出席票ですよ。やっと今回は、このオアシス市での開催になりましたね」
「来たか。今度こそ総裁は核心をついてくるだろう。彼の言いなりにはさせんぞ」
文華は顔の表情こそ笑っていた。だが、本心からの笑いではないことを、海麟はよくわかっている。
文華は言う。
「さきに基幹部に立ち寄ろう。まだ時間はあるだろう? 海麟、今すぐ準備にかかってくれ」
「了解です」
海麟は部屋の外へ行った。文華はテーブルの脇に残って、立ちどまったままだ。
窓の外にはどんより曇った空、鉛色に沈んだ湖が広がっていた。彼はふと顔を上げる。視線の先には、一羽の茶色い鳥が飛んでいく。窓のすぐ近くをかすめ、その瞬間に互いの瞳は相手を強く見返した。
鷹は、鈍く銀に光る中央塔の壁面すれすれに、上昇、下降を繰り返し、やがて、はるか高みへと舞い上がる。
鷹は雲を抜け、青空へ。気流に乗り、やや向きを変えると、目の前に太陽があって、まぶしい。
周文華は目に見えるこの空間全てをつかさどっていた。足の下に広がる大地と、はるか弧を描いて、反対側も含めて。
この、人工的に造り上げられた、地球の模倣品、火星。その大気、水、風の運行を一手に引き受けていた。いや、それぞれの都市のマザー・コンピューターと共に管理していた。
「長官、準備が整いました」
「うむ」
両名は下の階へ続く階段室へ向かった。階段は途中で折れ、セキュリティ・チェックの赤いレーザー網を通り抜けると、小さなカプセル形の乗り物があった。二人の男はその中へ乗り込んだ。
まるで宙に浮かんだかのように、しごく滑らかに――さらに目をつむったほんの一瞬という驚くべき時間で、中央塔内にまでしのびこみ、あらゆる設備にたどり着くことが、可能だ。
ともあれ、移動先をまず指定しなければならない。
画像が変わり、質問を受けつけ、図版のスライドを入れ替えては、拾い集め、大きく映し出す。
こういった作業は海麟の分担だ。後部座席では、文華が、周辺の脅威回避のための操作をしているはずだが――。
「このあいだ、サラーフが私に会いに来た……」
文華はボソリと呟く。
海麟が振り向いて見る。文華の顔はぼんやり光を跳ね返している。それだけしか読み取れない。発言の真意は分からない。仕方なく、聞き返す。
「サラーフ? ……地球にいる、あなたの、お嬢さん?」
それに対する返事はない。作業の手を休めずに口にしたらしい。海麟の言葉を聞いていなかったようだ。やはり意図は分からない。軽く無視されたのか、それとも、そうではないのか。
仕方なく海麟はまた自分の画像上に目を戻す。
画像には空間表示の三方向のベクトルで、座標が示され、地図上に二人の塔内の位置も赤の明滅点に見出すことができる。周囲の解析もみるまに進んでいく。温度表示・気圧も出る。
「妻によく似ていた……だが、私は、彼女の前で父親だと名乗ることができなかった……」
また独り言のように話している。しかし海麟はそんなことをいちいち聞いていられるほど暇ではない。文華も、本当は忙しいはずだ。
海麟は、文華の仕事の具合が気にかかりはじめた。彼は今、そんなことを話している場合では……。
海麟は内心、いらいらした。
「あの、ちゃんと進んでいますか?」
「大丈夫」
文華は立ち上がり、右手を振り上げる。
「無事に到着だ、ほら!」
いつの間にか、あたりは白いもやに覆われていたが、文華の右手はもやを引き裂いた。
巨大な吹き抜けの空間に、一本、橋が架かっていた。その向こうに、白いコンピューターの本体が、どっしりそびえている。その下には冷却用の水が引かれていた。
文華は感慨深げにその光景を眺めた。
「都市これ一個の生命体なり。都市の基幹は心臓かつ脳である、という言葉があったな」
そう言いながら、金網の橋の上に移り、一二歩進み出る。何度見ても、感嘆せざるをえなかった。誰もがうらやむ科学の結晶を前にして、立つことができる。
けれども、いささか文華の心情は、地球人としては複雑である。一度、ぼやいたことがあった。海麟も、無論そのことを覚えている。だから、今回はつい、言ってしまった。
「でも地球にはかなわない、のですよね」
文華はただうなずいた。海麟はなおも続けた。
「人間も、動植物も、皆火星では弱くなっている。精神的にも、身体的にも。本来の複合的なつながりが、ここでは再現しきれないから」
「――そうなのだ。ふっ皮肉なものさ。……ここが、清潔すぎることも。それは、この星の自慢だったのに」
「あなた以前の管理人たちは、全くそのことに気がつかなかったのです……」
「私は、地球出身者だからな」
その言葉を言われると、海麟には何も答えることができない。その言葉は二人を決定的に隔ててしまう。埋め合わせることはできない。
文華がこの星に来て二十年、二人の間には友情も芽生えた。だが、海麟には、
「この人の人生を私が変えてしまった」
という負い目がある。文華をあのまま、殺すことだってできたのだ。闇に葬ることだってできたのだ。ただの一地球軍兵士として。
皆、文華が天才だなどと言うが、それは彼らが文華の出身を知らないだけなのだ。いや、彼の出身は極秘事項だった。知られてはいけないのだ。
◆
「〈黒衣の賢者〉も、今回ばかりは本人が出向くそうだ」
早くに到着した参加者らはささやきあっている。
たいていの会議ではテレビ会議が行われていたが、やはり総会ともなると、参加者の誰もが直接足を運ぶ。だがいつもは必ず一人、例外がいた。
「おや、投影画像ではなくて? 珍しいものですねえ」
〈黒衣の賢者〉こと、周文華・長官は、なかなか公衆の面前に生身の姿を現さないことでも有名であった。(それでもオアシス市内での実物の目撃情報は多い。)そのため、人々はさまざまな憶測をしたものだ。
「彼はコンピュータールームに入り浸りで、離れることができないんだ。一種の『引きこもり』だ」
とか、
「いや彼はある意味天才だから、場所にこだわったり、時間にこだわったりして、一人で会場へは来られないんだ」
などと言いふらしている。
けれども、周文華に、〈黒衣の賢者〉とあだ名をつけた市民たちのことだから、その卓越した知識と技術、智恵には敬意を抱いていた。
さて、総会会場のオアシス市・大会議場の廊下には、
「黄」
「赤」
「灰色」
などの出身星の紋章を胸につけた上級官吏たちがひしめきあっている。
月の黄色、火星の赤又はオレンジ色――最大派閥である。――そして、ごく少数の小惑星帯の灰色、出席者たちは皆、その色とりどりの紋章を身につけている。
地球は青色の紋章だが――ここではまず見あたらないものであった。地球出身者たちは火星では搾取され、虐げられ、けっして公の場に現れることはなかった。
午前十一時半過ぎ、大会議場の正面玄関に一台のリムジンが乗りつけられ、中から一人の車椅子の女性が現れた。彼女のことは誰もが知っていた。
かなりの美貌の持ち主だが、もうすでに五十歳に手が届こうとしている。中国・日系の血を引いているらしい。かつては長かった美しい黒髪も、今ではショートにしてある。彼女の名はハン・イクといった。別の都市の長官をしている。
昼前、開会時間が繰り下げられた。参加者らは、あまり心配していなさそうだった。むしろ、喜んだ。時差ボケが残る者が、大勢腹をすかしていたからだ。
「〈黒衣の賢者〉が、遅刻でもしそうなのか?」
「いや、そうではないらしい。既に着いているそうだ」
「――そうか。じゃあ総裁のほうが遅れているのだな。飯でも食いに行こうか?」
そう言いながら、人々はまた外に出て行った。
ハン・イクは、人々のその流れに合わせず、「ラウンジで、用意していた弁当を食べよう」と思った。
ラウンジはひどくすいていた。
「皆、高級料亭に行ってしまったのかしら……? そのお金は、労働者たちの血と汗からできていると知っていて……?」
と独りごちた。
そこで彼女は思いがけない人に出会った。
「文華!」
周文華がちょうど近くの男子用トイレから出てきたところだった。彼はイクに気づいて表情をゆるめた。彼女はそばまで車椅子をころがした。
「あなた、一人? 海麟さんは?」
「海麟は今、総裁のところで最終打ち合わせをしている。だが私が行く必要はないようだ。――そうそう、今度彼は正式に補佐官になるんだよ」
「まあ。本当に? もっと早くにそうして欲しかったわ」
「でも、永らく欠番だった席なんだよ。それを埋めるには、彼の力量が達するまで、待つしかなかった」
イクは思いきって聞いた。
「ねえ、よかったら、一緒に食べない?」
「ありがとう」
彼は頬を赤らめながら、答える。
文華はイクと並んで窓際まで歩いていく。
何年ぶりかしら、と彼女は思った。かつて見慣れた彼の姿が、今目の前にある。
「何年ぶりかしらね、こうやって二人で食事するのは」
文華は黙々とイク手製のおにぎりをほおばっている。イクは昔のことを思い出して、温かい気持ちになった。が、不意に文華の手が止まる。
「地球出身者でない者には、今度の総裁のもくろみが、どんなに危険なことか、わからないだろう」
「文華?」
文華はイクの目を真正面から見た。
「きみだって、地球にいたじゃないか」
「え?」
「分かるだろう、総裁は、あの予算を地球征服に使おうとしている。だが戦争は――」
彼は苦しそうな顔をして、言葉をとぎらせた。
イクも青ざめた顔になって、小さくうなずく。
父とイクは恋仲でした。