14新しい夢
最終回です
二二三一年五月十二日、火星総裁代行兼書記・周文華の名によって、火星諸都市は降伏した。
正式な降伏文書調印・受け渡しの際には会場のマーズポート空港に周文華本人が出席し、地球側の使者たちを歓待した。だが、地球軍側の参加者の中に、ハサン=アブダラの席はなかった。アブマリク上級士官との意見の相違により、席をわざと外されてしまっていた。
その一週間後、地球・火星双方による捕虜引渡しが行われた。ハサン=アブダラは一級捕虜のロータス・ユイに伴って、ようやく出席することがかなった。しかし、火星側に周文華の姿はなかった。周文華の代理人として、海麟という者の姿があっただけだ。閉式後、ハサンとロータスはそれぞれ、周文華の行方を聞いてまわったが、誰も答えられなかった。
そして、海麟にも会ったが、彼は堅く口を閉ざした。
「まさか、死んではいまいな?」
それにすら、答えなかった。「わしは、彼の義父にあたる者だ。わしの娘のアーイシャが、彼と結婚し、一児をもうけたのだ。だが、彼は、火星に連れて行かれてしまった。それ以来、会えていないんだ。会いたいんだ。どうしても、会いたい。お願いだ、補佐官よ、一目でも会わせてくれ。この老いぼれの言うことを、聞いてやってくれ……。」
ハサンは海麟の眼前で、感情をむき出しにしてまでも、海麟から一たびとも目を離さず、訴え続けた。海麟は、
「すみません。サイイド様、今は、まだ……。何とも言えないのです。ごめんなさい……。」
と、告げるしかなかった。
二週間後、周文華の行方に関する情報が、海麟から、ハサンの元に届いた。
彼はすぐにオアシス市へ向かった。
オアシス市南区第一病院・循環器科病棟・五階五〇一特別治療室は、前日の夜に、
「面会謝絶」
の札が外されたばかりであった。
ハサンは前もって予約を入れてから、周文華の病室へ駆けつけた。
病室の扉をそっと院長が押して、開けてくれた。院長はハサンに目配せをして、内へ入るようにうながした。
「数日前に、無菌室からお移りになられたばかりです。」
とは、既に海麟から告げてあった。
ハサンは恐る恐るベッドに近づき、手すりにそっと手を掛けた。その手がなぜかひどく震えて、どうしようもなかった。
「文華……」
と彼はささやいた。
文華はベッドに横になっていたが、その目はハサンの、眼鏡をかけ、ひげを伸ばした顔をよく捉えていた。文華は掛け布団の上に出していた左手を少し動かした。
それは、隣に座っているサラーフ・S=周医師に対しての
「起こしてくれ」
という合図だった。
文華はサラーフに支えられて起き上がった。彼の衣服は白い着物だった。首のあたりが少しはだけていて、胸にあてがってあるガーゼが少し覗いて見えた。
「総裁代行」
とハサンは呼びかけた。目の前の病人には何とも不釣りあいな言葉だ、と内心思った。
文華は言葉を探しているらしい。
「点滴も酸素吸入器も取れて、随分、元気そうじゃないか」
と声をかけてみた。
文華はにやりと笑った。
「おかげさまで。」
それから付け加える。「まるで、生き返ったようです。」
「そうか。よかった。」
とハサンは言い、「非礼なこととは知っているが、君が、切り花は好きではなかったから、花束の差し入れだけは、やめておいたのだよ。君は、切り花は、もとの土から切り離されて、ただそのまま枯れるのを待っているだけなのだと、漏らしていたっけな。――わしにはまるで、火星に連れて行かれた君のことが、花瓶の上に置かれて室内に閉じ込められている切り花のように思えて、仕方がなかった。」
と告げた。それから、室内を見回した。「もしかして、わしが最初の見舞い客なのかな?」
「そうですよ」
と文華は答えた。
「まだ何も、届いていないんだね。この部屋はまだ、ひどくさっぱりしているなあ。」
「ええ」
文華の目はどこか遠くを見ている。
ハサンは文華の胸元のガーゼを、恐る恐る指差してきいた。
「君が、病気を持っていたことも、それが、決して軽いものではなかったことも、聞いていた。……それは、手術の傷の上にかぶせてあるのか? ……もしかして、心臓の手術を受けたのか?」
文華は、ハサンの目を見つめながら、うなずいた。
「黙っていて、ごめんなさい。秘密に、しておきたかったのです。こんな時に、皆を心配させたくは、なかった。失敗する可能性も高かったからです。」
「――そうだろう。」
と、ハサンはしんみり言った。「待った甲斐があったものだ。君が生きて、こうして居てくれて。」
隣のサラーフが、こっそり涙を拭いた。ハサンは聞いた。
「文華。これから、どのくらいもちそうなのか?」
「義父上。――実は、ここに入っている心臓は、移植されたものです。」
ハサンはつばを飲み込んだ。
「そこまでだったのか。」
と言った。それから、深くうなずいて、
「そうだったのか。」
と言う。彼は、文華を直視し、「詳しく、聞かせてくれないか。」
と尋ねた。
文華は、答えた。
「これで二十年は、寿命が延びました。いや、もっと、かも知れない。……こうしない限り、わたしは、今のこの貴重な時間さえ、持つことができなかったかもしれなかった。」
ハサンは、またうつむいてから、顔を上げた。
「手術の話は、前々からあったのだろう? なぜぎりぎりまで踏みとどまっていたのか?」
文華は言った。
「親からもらった体を傷つけたくなかったとか、色々他の言い訳も言うことができますけれど、本当は、サラーフが私のところへ来なかったら、早くこの世を去ったって、別に構わないと思ってきたからでした。私は本当に、花瓶の上の切り花だった。いくら美しい、大輪の花を咲かせていても、所詮、寿命の短い、根のない花だったのです。再生医療にかける可能性もあったけれど、戦争で、見込みは立たれてしまったのです。……それに、人工心臓の話は、元から断っていた。だからここまで時間がかかっていたのです。正気じゃない、あんなものをここに入れてしまったら、那由多コンピューターに乗り込むことが不可能になる。」
「そうだな。」
とハサンは一つうなずいた。
「実を言うと、私は、この心臓提供者からの、メッセージをもらっています。」
「何と? その者は、遺書でも残していたのか?」
文華はうなずいた。
「はい。彼は、元囚人でした。彼は交通事故で亡くなりました。」
文華は続けた。
「彼の遺したメッセージには、こうありました。
『私は小都市で、静かに暮らし、やがて来る死について考えている者です。私は献体を望みます。私は実は、牢に入っていたことがあります。この世に託す最後の望みは、私の身体が、私の死後、人々のお役に立てるようになることです。それは私が罪を犯し、償い、新たな生を受けて生き直した時、心から思ったことです。今では人々のお役になろうと願っています。福祉施設で働いて、入所者の笑顔を見ることを生きがいとしています。ですが運命は突然私の命を奪うこともあります。その時には、是非私の体をお役に立てたいと思います。』
――というわけで、今、私のここで鼓動を打っているものは、彼の心臓です。私は、彼のおかげで、再び生きることができるようになった。彼の夢を秘め、これからを生きていくことができる。」
なおも続けた。
「皆がいなかったら、――命を救ってくれたサラーフや、執刀をしてくれた院長、ここまで運んできてくれた軽便飛行機のスタッフたち、心臓移植に携わって、輸送も引き受けてくれた人たち、心の支えとなってくれたハン・イク、心配してくれたロータス、仕事を代わりにやってくれている海麟、そして、私のことをあきらめずに見守ってくれたあなたを含めた、皆がいてこそ、今のこの私はある。心から、感謝している……」
ハサンは文華のベッドの脇にひざまずき、一旦、頭を垂れた。それから、顔を上げ、話した。
「君が火星でして来たことが、そして地球でしてきたことを皆にきちんと伝えたその姿勢が、君を救ったのだ。君は、火星に受け入れられ、素晴らしい根を張ったのだ。――良かったな。ああ、おめでとう、な。」
文華に向かい合って、ハサンは言った。「文華。――わしたち、やり直そう。わしたちの新たな道を築き上げよう。いつの日か、地球に来てくれないか?」
と言いながら、涙を流していた。
「行きますとも。――義父上。」
と、文華は朗らかに言った。「その時には、私の心臓を――病院に保管してある、摘出された心臓を、許可を得て、故郷の――地球の土に埋めに行きますよ。そしてこう言いたい。
『私は火星に骨を埋めるつもりだけれども、心は、地球と共にある』
と。――これが、今の、新しい夢です。」
―完―
ハッピーエンドです!
ここまで読んで下さり、ありがとうございました!!




