第3話「最初の街、そして“現実”を突きつけられる」
エルの表示してくれた地図通りに進むと、視界が開けた。
草原の延長に、木造の家々が広がり、その中心には太い鐘塔がそびえ立っている。
露店には肉や青果が並び、鍛冶場からは金属を打つ音が響き、石畳を馬車が軋ませながら走っていく。
——懐かしい。だが違う。
VRの〈MY FANTASY WORLD ON-LINE〉の頃にも似た街はあった。
だが、そこには「人間らしさ」がなかった。
NPCたちは決められた台詞しか話さず、慣れれば全部“ゲームの背景”として処理できた。
だが今は——
幼児が転んで泣き、母親が慌てて抱き起こす。
露店の客と商人が値切り交渉で言い争っている。
兵士同士が「今日は暑い」「飯の量を増やしてほしい」なんて愚痴をこぼし合っている。
どれも“生きている人間”が行動しなければ起きないことだ。
(ここは本当にゲームじゃない。完全な現実世界だ)
胸を張り裂けそうな実感が走る。
【マスター、表情が緩んでいます】
「そりゃ緩むだろ……六十年間恋い焦がれた世界が、こうして“現実になってる”んだからな」
思わず声に出る。
街の中央広場のベンチに腰を下ろし、深呼吸して空気を味わった。
草、石、汗、獣、料理の匂い——無数の情報が鼻腔を刺す。
フルダイブでも五感再現技術は進化していたが、それでもこれは次元が違う。
(……こんな場所に来られるとは思わなかった。九十年生きて、最後にこれかよ)
喜びに浸っていた時、ふと横から話しかけられた。
「兄ちゃん、旅人かい?」
振り向くと、露店の中年商人がにこやかに立っていた。
顧客を引き寄せる愛想笑いではなく、本当に好奇心で声をかけてきた顔だ。
「あぁ、そんなところだ」
「だったらまずはギルドに行きな。泊まる場所、仕事、保険、色々と支援してくれるぜ。旅人で登録してないと、この国じゃ泊まるだけでも金がかかる」
「いいことを聞いた、助かる」
「はっはっ、気にすんな。困ってる奴を助けるのが街の流儀ってもんよ」
明るく笑って去っていく商人。
——優しい世界だ。
VRゲームの頃は「通行人」「NPC」という認識でしかなかった存在が、今は「生きている人間」だと理解できる。
優しい言葉は温かく染みる。
【マスター、感情指数の上昇を検知——】
「待て待て、分析すんな。恥ずかしいだろうが」
【ごめんなさい。ですが、心拍数・表情筋・呼吸の変化から——】
「あぁもうわかったから黙れエル」
ひとりと一つのスキルが言い合っていると——
「おい、そこの兄さんよ。ちょっといいか?」
低い声が背後から響いた。
振り向くと、革鎧を着た男が5人。武器を腰に下げ、馴れ馴れしい笑みを浮かべている。
周囲の人間が気配を察して距離をとる。
怯えた顔、見て見ぬふり、口を噤む子ども。
(あぁ、いるよな。こういう連中)
街の活気の裏に潜む、厄介な影。
ゲームで言うなら「新規プレイヤー狩り」だが、この世界では文字通り命が危ない。
「旅人だろ? ここじゃ色々“挨拶”ってもんが必要なんだよ」
「わかりやすいな。“みかじめ料”ってやつか」
5人の男たちの表情から笑みが消えた。
「兄さん、言葉選べよ? ここじゃあ言い方ひとつで指が飛ぶぞ」
「そりゃ怖いな。だが俺は忙しいんでな。道を空けてくれると助かる」
玄道は立ち上がる。
足の動き、視線、呼吸の深さ——敵の反撃ラインをすべて見切ったうえで。
「ちっ、舐めやがって!」
先頭の男が剣を抜いた。
鋭い踏み込みからの高速斬撃——技量は悪くない。
だが——
(見える、見えすぎる)
玄道は一歩横に滑る。
そのまま剣を握る手首に軽く手刀。
“カンッ”
金属音と共に剣が宙に跳ね上がる。
男の体勢が乱れ、尻から地面に倒れ込んだ。
残り4人が一斉に襲いかかる。槍、短剣、拳、魔法。
街のチンピラの中では上位だろうが——
「……遅い」
玄道の動きは最小限。
肘、肩、膝、鳩尾、それぞれ一撃ずつ。
派手さはなく、ただ正確。
数秒後、全員が地面に転がっていた。
周囲の視線が集まる。
「つ、強すぎだ……」
「何者よ、あの人……冒険者じゃないだろ?」
玄道は溜息をつきながら言う。
「俺は喧嘩を売った覚えはない。二度とやらないならこれ以上何もしない。どうする?」
「ひっ、す、すまねぇ! もう二度と近づかねぇ!」
「なら帰れ」
5人は逃げるように去っていった。
その後、街のざわめきは静かになり、人々の視線も遠巻きになる。
拍手も称賛もない——ただ警戒と距離。
玄道はゆっくり息を吐いた。
(そうだよな……ここは異世界で、冒険も戦闘も全部“現実”なんだ)
VRの時は
PKされれば復活すればよかった。
街で暴れてもシステム警告で済んだ。
だが、今は違う。
実力を見せれば、脅威として警戒される。
油断すれば、殺される。
この世界にはルールも“運営”もない。
【……マスター、大丈夫ですか?】
エルの声はさっきより少し優しい。
「あぁ。ちょっと懐かしさに酔いすぎてたな。ここはゲームじゃない、現実だ。忘れないようにしないとな」
【はい。ですが私はずっとそばにいますから、無茶はしないでください】
「……あぁ、頼りにしてる」
玄道は立ち上がり、ギルドへ歩き始める。
(仲間はいない。頼れる者もいない。俺だけだ)
マールが言っていた“世界の危機”と“救世の役目”。
どこから手をつけるべきか、まだ何もわからない。
だが、まずは自分の立場を作らなければ。
ギルドの扉に手をかける。
「ここからが本番だな」
押し開けた瞬間、騒がしい声と大量の視線が玄道に降り注いだ。




