第26話「神を取り戻すという思想」
丘陵地を離れてから、二日。
俺たちは小さな村に立ち寄った。
名も地図にも載らない、十数軒ほどの集落。
だが、空気が違う。
人々の視線が、
祈るようで、疑うようで、縋るようだった。
「……見られてますね」
サリオが小声で言う。
「しかも……
敵意じゃない……」
「期待だ」
俺は低く答えた。
「一番厄介なやつだ」
◇ ◇ ◇
村の中央に、小さな祠があった。
古い。
だが、最近手入れされた痕跡がある。
花。
布。
誰かが刻んだ新しい祈りの言葉。
「……神様……
帰ってきてください……」
マールの足が止まった。
「……これは……」
「始まってるな」
俺はため息をついた。
「“神を取り戻す”って思想が、
ゆっくり根を張り始めてる」
アンシュラが周囲を見渡す。
「誰かが、煽ってるな」
「間違いない」
神を恐れる者もいる。
だが同時に、神を必要とする者も必ず出る。
特に――
不安な時代には。
◇ ◇ ◇
村長の家で、話を聞いた。
「神が……
いなくなったと……
旅の人から聞きました……」
老いた村長の手は震えている。
「でも……
最近……
“神を戻す方法を知っている”
そう言う人たちが……」
サリオが身を乗り出す。
「どんな人たちですか?」
「黒い印をつけた……
穏やかな口調の……
よく分からない方々です……」
アンシュラの目が鋭くなる。
「……ネヴァンと同じ匂いだ」
マールが唇を噛んだ。
「……破壊神の……
残滓を……
信仰として……」
「完全に消えたわけじゃない」
俺は言う。
「神ってのはな、
信じる奴がいる限り、形を変えて蘇る」
村長は縋るように言った。
「……もし……
神が戻れば……
この不安も……
消えるのでしょうか……」
俺は、すぐには答えなかった。
少し間を置いてから、言う。
「不安は消えない」
村長が息を呑む。
「神がいても、
人は不安になる。
いなくなっても、不安になる」
俺は、祠を見る。
「違うのは――
誰のせいにできるかだ」
沈黙。
重い沈黙。
「神がいれば、
失敗も、災いも、
“神のせい”にできる」
「だが今は違う。
全部、自分たちの選択になる」
村長は、俯いた。
「……それが……
怖いのです……」
「分かる」
俺は、はっきり言った。
「俺も怖い」
その言葉に、全員が顔を上げる。
「俺は九十だ。
人生の大半を終えてる」
「だが――
この世界は、これから先を生きる」
俺は、村長の目を見る。
「神を取り戻せば、
楽になるかもしれない」
「でもその代わり、
また“考えなくていい世界”に戻る」
マールが、一歩前に出た。
「……神だった私が……
言うのも……
おかしいですが……」
彼女は、祠を見つめる。
「……神は……
“便利すぎる存在”です……」
「だから……
人の成長を……
止めてしまう……」
村長の目に、涙が滲んだ。
「……では……
どうすれば……」
俺は、即答しない。
代わりに、言う。
「一緒に考えろ」
「失敗して、
揉めて、
直して、
また失敗しろ」
「それでも――
世界は続く」
◇ ◇ ◇
夜。
村を出た後、
焚き火のそばで、サリオが言った。
「……玄道さん……
今日の話……
少し……重すぎませんか……?」
「重いさ」
俺は火を見る。
「だが、
誰かが言わなきゃいけない」
アンシュラが静かに言う。
「……あんた……
自分が……
長くないって……
分かってるな……」
「分かってる」
隠さない。
「だから、今のうちに――
考え方を残す」
マールが、俺を見る。
「……玄道さん……
あなたは……
“神の代わり”を……
しようとしてませんか……?」
俺は、笑った。
「まさか」
焚き火を見つめながら言う。
「俺はただの爺さんだ。
神の代わりなんて無理だ」
少し間を置いて、続ける。
「だがな」
「神に頼らなくても生きられるって、
背中で見せることはできる」
風が吹き、火が揺れる。
マールは、小さく頷いた。
「……私も……
それを……
学びたいです……」
「学べ」
俺は言った。
「そして、
俺がいなくなっても――
続けろ」
夜空に、星が瞬く。
神を求める声は、
これからもっと大きくなる。
だが同時に――
神がいなくても歩こうとする人間も、
確実に増えていく。
世界は、今、分岐点に立っている。
九十歳の老人は、
その真ん中で、
最後の役目を果たそうとしていた。




