第24話「続く世界は、手間がかかる」
空隙種の処理から三日。
俺たちは街道沿いの小さな町――ルーヴェンに滞在していた。
人口は千にも満たない。
鍛冶屋が一軒、宿が二軒、あとは畑と家。
どこにでもある、平凡な町だ。
だが、今は違う。
「井戸の水が……昨日と味が違うんです」
「夜になると、家の影が増えるんですよ……」
「誰も触ってないのに、鐘が鳴る……」
住民の訴えは、どれも“小さい”。
だが共通している。
――原因が分からない。
「……派手な異変じゃない」
サリオがメモを取りながら言う。
「でも、放置したら……
確実に生活が壊れていくタイプですね……」
「そうだ」
俺は頷く。
「神がいた頃は、こういうのは“なかったこと”にされてた。
今は全部、表に出てくる」
マールは、井戸の水をすくい、静かに目を閉じた。
「……魔力が……少しだけ……滞っています……
水が……“進むこと”を忘れている……」
「流れが止まってる、か」
アンシュラが腕を組む。
「なら、水路を引き直せばいい。
人の手で」
「正解」
俺は笑った。
「神のいない世界は、だいたい全部そうだ」
◇ ◇ ◇
午前は水路の修復。
午後は鐘楼の点検。
夜は“影が増える”という家の調査。
剣も魔法も、ほとんど使わない。
使うのは――
ロープと、木材と、根気。
「……これ……
冒険というより……
町内会の仕事ですね……」
サリオが汗を拭きながら言った。
「冒険ってのはな」
俺は釘を打ちながら答える。
「命がけの戦い“だけ”じゃない。
続けるための雑用が一番大事だ」
アンシュラが鼻で笑う。
「……元・神の兵器が、水路工事とはな」
「嫌か?」
「いや……」
アンシュラは、少し間を置いて言った。
「……悪くない」
マールは、家の影を一つ一つ確認していた。
影が“多い”のではない。
影が、元の主から少し遅れて動く。
「……世界が……
“同期ズレ”を起こしています……」
「直せるか?」
「……完璧には……
でも……“人が怖がらない程度”には……」
「十分だ」
俺は言う。
「完璧な世界なんて、
神がいても無理だった」
マールは、少し驚いたように俺を見た。
「……神だった私が……
否定されたみたいですね……」
「否定してない」
俺は真顔で言う。
「期待しすぎるな、って話だ」
マールは、しばらく黙ってから――
小さく笑った。
◇ ◇ ◇
夜。
宿の部屋で、俺は一人、椅子に座っていた。
身体が、重い。
いや――
鈍い痛みが、胸の奥に残っている。
(……来たか)
神核を分離した時、
魂に負荷がかかるのは分かっていた。
創造は万能じゃない。
代償は、必ず後から来る。
胸に手を当てる。
鼓動は正常。
だが、奥で何かが“欠けた感覚”がある。
そこへ、ノック。
「……玄道さん?」
マールの声。
「起きてるか?」
扉が開き、彼女が顔を出す。
「……顔色が……
悪いです……」
「年寄りはだいたいこんなもんだ」
誤魔化すが、
マールの目は誤魔化せない。
「……神核を……
あなたの魂で……
無理やり支えました……
その……代償が……」
「死ぬほどじゃない」
「……でも……
“長くは持たない”……」
マールの声が震える。
「……私……
あなたに……
借りを……」
「勘違いするな」
俺は静かに言う。
「これは貸し借りじゃない。
選んだ結果だ」
マールは、俯いた。
「……それでも……
私……
あなたが……
消えるのは……嫌です……」
しばらく、沈黙。
俺は、ふっと息を吐いた。
「……俺は九十だぞ?」
「……関係ありません……」
「普通なら、
とっくに死んでてもおかしくない年だ」
「……それでも……」
「それでも、か」
俺は笑った。
「じゃあ、こうしよう」
マールが顔を上げる。
「俺が倒れるまで、
世界を直しながら旅を続ける」
「……倒れたら……?」
「その時は」
俺は、彼女の目を見て言った。
「お前が、続きをやれ」
マールの瞳に、涙が溜まる。
「……そんな……
重すぎます……」
「神をやめたんだ。
今度は“人として重さを持て”」
マールは、何度も瞬きをしてから、
強く頷いた。
「……はい……
逃げません……」
◇ ◇ ◇
翌朝。
町の異変は、ほぼ収まっていた。
人々は、まだ理由を知らない。
だが、それでいい。
世界は、
誰かが直したと知られずに続く方が、健全だ。
出発前、サリオが言った。
「……玄道さん……
最近……
少しだけ……
足取りが……」
「気のせいだ」
アンシュラが、じっと俺を見る。
「……無理はするな」
「無理はする」
俺は笑う。
「ただし――
一人ではしない」
三人と一人で、歩き出す。
神のいない世界は、
面倒で、手間がかかる。
だが――
だからこそ、生きる価値がある。
九十歳の老人は、
今日もまた、
世界の小さな綻びを直しに行く。




