第23話「神がいない世界で、最初に起きたこと」
神殿が消えてから、十日。
世界は、驚くほど静かだった。
空は落ちてこない。
大地は割れない。
魔物が急に暴走することもない。
人々は噂する。
「神が消えたって? そんなはずないだろ」
「どうせ王族の陰謀だ」
「神様なんて、元から見たことないしな」
――それが現実だ。
神がいなくなっても、
世界は“だいたい今まで通り”続いていく。
「……拍子抜けですね」
サリオが、街道を歩きながら言った。
俺たちは今、国境を越えた先の交易路にいた。
護衛のいない商隊が普通に通り、
子供が石を蹴りながら走っている。
「世界が救われた実感、あんまりありません」
「実感なんて、そんなもんだ」
俺は杖代わりの木の枝を突きながら言う。
「本当に世界が壊れそうな時ほど、
終わった後は“何も変わらない”」
アンシュラが周囲を警戒しつつ、低く言った。
「……だが、違和感はある」
「ほう」
「空気が……薄い。
魔力の流れが、少しだけ不安定だ」
マールが足を止めた。
「……それは……
“世界の自動修復機構”が、止まったからです……」
サリオが振り向く。
「自動修復……?」
「はい。
神がいた頃は……
大きな歪みは、無意識に修正されていました……
干ばつ、魔力暴走、概念の偏り……」
マールは、申し訳なさそうに続ける。
「でも今は……
世界は“人の手”でしか、直せません……」
「つまり?」
アンシュラが問いかける。
「小さな異常は……
そのまま積み重なる……ということです……」
その瞬間だった。
街道の先から、悲鳴が聞こえた。
「――た、助けてくれ!!」
商人の一団が、立ち往生している。
荷馬車の周囲で、空気が歪んでいた。
いや、正確には――
“空間が擦り切れている”。
「……あれは……」
俺は目を細める。
「“綻び”だな」
サリオが慌てて詠唱する。
「魔法反応、異常です!
魔物じゃない……現象そのものが敵……!」
空間が裂け、
そこから“形の定まらない何か”が滲み出す。
影のようで、光のようで、
近づくと頭が痛くなる。
【解析結果:
世界歪曲現象《空隙種》
発生原因:局地的因果不整合】
エルの声が、久しぶりに明確な警告を出した。
「神のいない世界で……
最初に生まれた“病気”か」
アンシュラが剣を構える。
「斬れるのか?」
「いや」
俺は前に出る。
「これは“敵”じゃない。
世界の傷口だ」
マールが小さく息を呑んだ。
「……私……
昔なら……
触れるだけで……治せました……」
「今は?」
「……今は……
“考えて、直す”しかありません……」
俺は頷いた。
「十分だ」
拳を握る。
「創造《因果縫合・局地安定》」
直接壊さない。
引き裂かれた空間同士を、
“本来あるべき形”に縫い合わせる。
光が走り、
空隙がゆっくりと閉じていく。
だが――
完全ではない。
サリオが気づく。
「……閉じる速度が……遅い……!」
「人の力だけじゃ、こうなる」
俺は歯を食いしばる。
「だから――」
マールが、一歩前に出た。
「……私も……やります……!」
彼女は目を閉じ、
深く息を吸う。
「……神じゃなくても……
“世界を知っている者”として……!」
彼女の手が、空間に触れた。
眩しい光はない。
奇跡もない。
ただ、
丁寧で、不器用で、真剣な修復。
数分後。
空隙は、完全に消えた。
商人たちは呆然としている。
「……な、何が……?」
「気にするな」
俺は笑って言った。
「世界が、ちょっと咳をしただけだ」
その場を離れた後、
サリオが言った。
「……これが……
神のいない世界……」
「ああ」
俺は頷く。
「これから、こういう“面倒事”が増える」
アンシュラが静かに言う。
「……俺たちの出番、だな」
マールは、小さく拳を握った。
「……私……
逃げなくてよかった……」
俺は、歩き出しながら言った。
「逃げ場なんて、最初からなかったんだ。
世界は続く。
だから――」
振り返り、三人を見る。
「直しながら、生きる。
それでいい」
夕日が、街道を赤く染める。
神のいない世界は、
不完全で、危うくて、
だが――
確かに、生きていた。




