第22話「神のいない朝」
神殿の崩落は、静かだった。
爆発も轟音もない。
ただ、長い役目を終えた建物が、安らかに眠るように砂へと還っていく。
地下神殿が消えた後、そこに残ったのは――
朝の光と、風と、四人の影だけだった。
俺、
サリオ、
アンシュラ、
そして――マール。
いや、もう「女神マール」じゃない。
白い髪の、少し儚げな少女。
神性は消え、魔力も人並み。
それでも、その目には世界を見つめ続けた者の深さがある。
「……本当に……終わったんですね」
マールが、空を見上げて言った。
雲がゆっくり流れ、鳥が鳴いている。
それだけで、胸が少し苦しくなるほど“普通”な光景。
「神様がいなくなっても……
世界は……ちゃんと動いてる……」
サリオが、ほっとしたように笑う。
「よかった……
消えたりしなかった……」
アンシュラは、拳を見つめていた。
「……命令が……聞こえない……
頭の中が……静かだ……」
「それが“自由”だ」
俺はそう言った。
「うるさくて、不安で、
でも、自分で決められる」
アンシュラは、ゆっくり頷いた。
「……怖いな」
「当たり前だ。
怖くない自由なんて、だいたい罠だ」
マールが小さく笑った。
「……玄道さんは……
本当に、変な人ですね……」
「九十歳だぞ。
まともなわけないだろ」
そのやり取りに、空気が少し和らぐ。
◇ ◇ ◇
帝国の対応は、早かった。
神殿の消失。
破壊神の欠片の消滅。
ジーク皇子の計画は、完全に瓦解した。
だが――
帝国が崩れたわけではない。
それが、現実だ。
数日後、王都近郊の中立地帯で、
王国・帝国・裁定院の三者会談が行われた。
俺は呼ばれなかった。
正確に言うと――
呼べなかった。
「……英雄を公式に扱うには、
玄道勝利は“自由すぎる”」
という理由らしい。
まぁ、分かる。
国の言うことを聞かない戦力ほど、
政治家にとって厄介なものはない。
代わりに、会談の席に立ったのはエルドだった。
彼はいつもの穏やかな顔で、
しかし一切譲らず、こう言ったそうだ。
「破壊神の件は、帝国の責任です。
創造神の消失は、誰の責任でもない。
なぜなら――神は“選んで降りた”のですから」
帝国側は、反論できなかった。
王国側は、黙認を選んだ。
結果――
・帝国は神核研究の永久凍結
・寵愛持ちの兵器運用は禁止
・異世界人の強制管理は撤廃
そして、最後に付け加えられた一文。
「玄道勝利および同行者は、
いかなる国家にも属さない“独立存在”とする」
国は、俺たちを縛ることを諦めた。
◇ ◇ ◇
俺たちは、国境近くの小さな町にいた。
戦争の爪痕は残っているが、
人々はもう畑を耕し、店を開き、
子供たちは走り回っている。
世界は、止まらない。
「……玄道さん」
サリオが、パンを齧りながら言った。
「これから……どうするんですか?」
「どうする、か」
俺は考える。
世界は救った。
神も救った。
だが――
人生は終わっていない。
「旅だな」
「旅……?」
「神のいない世界が、
これからどんな歪みを生むか、
どんな希望を生むか……
それを見に行く」
アンシュラが眉を上げる。
「……監視役か?」
「違う」
俺は首を振る。
「ただの“通りすがりの厄介者”だ」
マールが、おずおずと手を上げた。
「……あの……
私も……一緒に行っても……いいですか……?」
三人が一斉に彼女を見る。
「私……
神じゃなくなって……
居場所が……なくて……」
サリオが即答した。
「いいに決まってます!」
アンシュラも、少し照れながら言う。
「……俺も……
“神に使われない生き方”を、
一緒に探したい……」
視線が、俺に集まる。
「……ジジイが引率かよ」
そう呟いてから、俺は笑った。
「いいだろ。
九十年分の失敗談なら、いくらでも語れる」
マールが、初めて声を出して笑った。
神じゃない、
ただの少女の笑い声。
それが、なぜか胸に沁みた。
◇ ◇ ◇
その夜。
焚き火のそばで、俺は一人、空を見上げていた。
星は、以前と変わらず輝いている。
(マール様……いや、マール)
心の中で呼ぶ。
(神じゃなくなった世界は、
きっと不完全で、面倒で、
争いも絶えないだろう)
でも――
(それでも続く。
それが“人の世界”だ)
背後で、マールが隣に座った。
「……玄道さん」
「どうした」
「……私……
神だった頃より……
今の方が……
少し……怖くて……
でも……楽しいです……」
「それが“生きる”ってことだ」
焚き火が、ぱちりと鳴った。
神の時代は終わった。
だが――
物語は、まだ続く。
九十歳の老人と、
二人の寵愛持ちと、
元・女神の少女。
これは、
世界を救った後の物語。




