第15話「暴走の中心──神の命令か、人の陰謀か」
医療区画へ続く廊下は、すでに戦場の匂いがしていた。
焼けた魔力の臭い、石壁の焦げ跡、ガラスの破片。
負傷者を運ぶ研究員たちの悲鳴と怒号。
俺たちは駆ける。
ラディンの鎧が金属音を響かせ、リエラは魔法で速度を補助し、
エルドはまるで散歩でもしているように軽い足取りで追い付いてくる。
重い扉の前で足が止まった。
扉は破壊され、内側には暴走した魔力の黒い嵐。
白衣の研究員が数人吹き飛ばされて倒れている。
そして──
中心に立っていたのは、拘束用ベッドに寝かされていたはずの“青年”だった。
黒髪は乱れ、紅の瞳は狂気の光。
両腕の魔力制御具は砕け散り、全身から過剰な魔力が噴き出している。
「……目覚めたのか……だがこれは反応が異常すぎる」
ラディンが低く唸る。
「いいえ……“正確には暴走させられている”」
エルドの言葉に、俺たちが振り向く。
「どういうことだ?」
「魔力波形を解析しています……これは本人の意思ではない。
“外部から強制的に出力させられている”。
さらに悪いことに──寵愛の命令も重複している」
リエラが青ざめる。
「玄道を殺せ、という命令……!」
「だけではない。“みんな殺せ”。
“破壊しろ”。“壊せ”。“傷つけろ”。
神の命令としては不自然すぎる」
俺は一歩前に出た。
「サリオ、聞こえるか!」
青年──サリオがこちらを見た。
だがその目に“サリオ”はいない。
「……玄道……玄道……玄道……」
低く反響した声。
「殺す。殺さないと。世界が崩れる。世界が壊れる。
玄道を殺せば世界は救われる。
救われる。救われる。救われる。」
言葉は同じだが、質が違う。
これはマールの声ではない。
“命令を模倣し、捻じ曲げた命令”だ。
(つまり……誰かがマールの命令に“上書き”している)
神の命令より優先されるのは、同格の権能のみ。
サリオに上書きできる存在──
もう一人の寵愛持ち。第三の存在。
「玄道、後ろ!!」
リエラの叫びと同時、背後から殺気。
反射的に振り返り、腕を上げた。
次の瞬間。
鋭い刃が俺の手首すれすれで止まった。
刃を握っている人物は、誰もそこに近づいた覚えのない“黒フードの刺客”。
「……やはり、お前か」
エルドが短く呟いた。
「第三の寵愛持ち──“アンシュラ”。」
黒フードがゆっくり顔を上げた。
そこにあったのは、憎悪でも喜びでもない虚無。
「神は壊れた。命令は壊れた。
だから世界は壊れる。
壊れる前に壊す。それが正しい。」
声は静か。感情がどこか死んでいる。
そして、アンシュラはサリオへ魔力のコードを繋げていた。
糸のような黒い魔力線が腕から伸び、青年の背に突き刺さっている。
青年の暴走は偶然ではない。
アンシュラが“神の命令を模倣し、破壊的命令を注ぎ込んでいる”。
「アンシュラ! やめろ!!」
俺の叫びに、アンシュラは小さく首を傾げた。
「やめない。止まらない。壊れるまで続ける。
世界は壊れる。救う価値はない。」
「なんでそんな考えに至った?」
「俺も聞いた。マールの声を。“玄道勝利を殺せ”と。」
「その声は神の命令だった。絶対の正義だった。
神が言うのだから、絶対に正しい。
……そう信じた。信じ続けた。」
アンシュラの声が震えた。
「なのに、玄道が生きている。
なのに、世界は壊れていない。
なのに、死ねと言われた仲間を救っている。」
アンシュラの瞳が揺らぐ。
「神の命令が間違うはずがない。
なのに……何一つ矛盾が解決しない。」
心が折れた音が聞こえるような声だった。
「世界を救うという言葉も間違いじゃない。
玄道を殺すという命令も間違いじゃない。
正しさが二つあるなら、正しくないのは──世界の方だ。
だから、壊す。」
その論理は狂っている。
だが、狂うほど追い詰められた思考でもある。
「アンシュラ。俺を殺せば解決すると思ってるのか?」
「そうだ。玄道さえ死ねば、世界は救われる。」
「逆だ。俺が死んだら、この世界は“本当に壊れる”。」
「証拠は?」
俺は微笑む。
「お前がそこまで必死に“俺を殺そうとしている”ことが証拠だろ。」
アンシュラの呼吸が止まった。
論理じゃなく、感情じゃなく、反射神経が動揺していた。
ラディンが低く呟く。
「……揺れたぞ玄道、今の言葉」
「まだ終わらねぇ。揺すり倒す」
俺はゆっくり、暴走するサリオとアンシュラの間へ踏み入った。
黒い魔力が肌を裂くほど荒れている。
普通なら触れるだけで致命傷。
だけど俺は、拳を開いて、ただ手を伸ばした。
「アンシュラ。
神の命令が二つあるなら──
そのどちらでもなく、“お前自身の命令”を選べ。」
「俺自身の……命令……?」
「そうだ。神の命令じゃない。世界の命令じゃない。
お前の心がお前に命令しろ。」
「心……は……何も言わない。」
「じゃあ俺が言ってやる。
“アンシュラ、お前はサリオを救え”。」
黒い魔力が波打つ。
アンシュラの顔が苦しげに歪む。
「……壊す方が……楽だ……」
「違う。壊すのが楽じゃない。
守るのが怖いから“壊す”って言ってるだけだ。」
アンシュラの手が震え──黒い魔力線がわずかに薄れた。
サリオの暴走が、一瞬弱まる。
リエラが叫ぶ。
「今よ玄道!!」
俺は手を突き出した。
「創造――《精神拘束》」
暴走の中心に、青年の“本音”を掴みに行く。
視界に“サリオの心”が広がった。
そこは荒れ果てた廃墟のような精神世界。
恐怖、絶望、命令、矛盾、破壊──
その全ての奥で、小さな声。
『助けて……玄道……』
「任せろ。」
俺はその声を掴んで引き戻した。
現実世界で、サリオの暴走魔力が弾けて止まる。
青年は崩れ落ち、俺が受け止めた。
「……玄道……ありがとう……」
「また助けただけだ。」
次の瞬間。
アンシュラが、黒い魔力を断ち切られた反動で膝をつく。
フードの下で震える唇。
「……俺は……間違っていたのか……?」
「間違っていたんじゃない。追い詰められてたんだよ。」
俺が手を伸ばすと──
アンシュラも、その手に縋るように手を伸ばしかけた。
だが。
パァンッ!!!
突然、アンシュラの身体が強烈な光に包まれ──押し飛ばされた。
「ッ!? アンシュラ!!」
吹き飛ばされたアンシュラの体は壁に叩きつけられ、
黒い刺繍のローブに“見覚えの無い紋章”が浮かび上がる。
エルドの表情が一変する。
「……あれは……この国の紋章じゃない。
“隣国ヴァルトルナ帝国の王家の紋章”だ。」
リエラが震える声で言う。
「じゃあ……じゃあアンシュラは……!」
「“外から送り込まれた寵愛持ち”。
マールの命令暴走を利用し、神の声を模倣し、
異世界人を殺すよう仕向ける──」
エルドの声が鋭く締めくくられる。
「──この国と異世界人を同時に潰すための“兵器”だ。」
アンシュラは崩れたまま、力なく呟いた。
「……ごめん……俺は……ただ……間違ってた……」
俺は静かに言った。
「間違ってたなら直せばいい。
お前は壊すための兵器じゃない。
“救うための戦力”になれる。」
アンシュラの瞳に涙が浮かぶ。
そして、ついに言葉がこぼれた。
「……助けて……玄道……俺も……救われたい……」
俺は頷き、手を伸ばす。
「当たり前だ。
救うんだよ──全部、まとめて。」
その瞬間、研究所全体に別の警報が鳴り響いた。
――《ヴァルトルナ帝国軍、国境線突破。侵攻開始》
戦いは、とうとう世界レベルへと広がった。
神の命令の謎。
寵愛持ち三人。
外勢力の侵攻。
そして玄道勝利の宣言。
「世界を救うって言っただろ。
そろそろ本格的にやってやるよ。」




