5.灰かぶり、危機感を覚える
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侍女さんたち自慢の美容術は、自慢するだけのことはあると身をもって知った。六日も経てば、素っ裸にされ、身体中の隅から隅までを丁寧に念入りに洗われ、手入れされることに慣れてしまった。当初は感じていた羞恥心もすっかり鳴りを潜めている。慣れって怖い。
滞在中ずっと食べているかエステを受けているかで、そこに加えてアクロイド様のご質問に答えたり、現在の物価や地理など教養を教えて頂いたりしていて、わたし目覚めてから十六日間一度も働いてない!
このままじゃ駄目だ。堕落していってしまう……!
「ということで、そろそろ家に戻ろうかと思います」
わたしの出し抜けな発言に、アクロイド様は優雅に紅茶を頂きながらぱちくりと瞬いた。
「何故だ? 食事は毎食幸せそうに完食していると聞いているが。足りなかったか?」
「十分足りていますし、大変美味しいです! でもそういうことじゃありません」
「ではなんだ? 何が不満だ」
「いや不満もありませんよ。滅相もない。美味しいご飯にエステ三昧と教育ですよ? いち庶民でしかないわたしには破格のおもてなしです。一生分の幸運を使い果たしたんじゃないかってくらい、とても充実した日々でした」
「ならば問題ないだろう。なぜ急に帰るだなどと」
「いや、ですからね? これ以上はご迷惑になってしまいますし、何より贅沢過ぎてこのままじゃわたしが駄目な子になっちゃうからですよ!」
一宿一飯どころの恩じゃない。半月もわたし何やってるの。甘やかされてそれに慣れちゃ駄目でしょう!?
この辺りで軌道修正しないと、今後本当にヤバイ気がする……!
「それのどこがいけないんだ?」
本気でそう思っている様子で、アクロイド様が不思議そうに首を傾げた。
このお坊っちゃまめっっ! 勤勉な庶民にとって過度な贅沢は敵なんですよ! 生活水準は上げたら切りがないんだから! 一度上げたものを下げることがどんなに困難であるか、生粋のお貴族様には分かりませんか! そうですか!
ムッと頬を膨らませたわたしを宥めるように、バリーさんがアクロイド様を諌めた。
「アレクシス様。すでに半月お屋敷にお引き留めしているのです。ご無理を仰るものではありません。お気持ちや事情を斟酌して差し上げるのも、紳士の立派な務めですよ」
さすがバリーさんです! 気遣いがなんてスマートなの!
バリーさんのお言葉を受けて、アクロイド様の整った眉がきゅっと寄った。
「衣食住に困らない我が家にいた方が為になるのは明らかなのに、コーベット君の気持ちや事情とやらを酌むのか? さっぱり分からん」
「人によって価値観や大事なもの、重要な事柄は違うのです。そこを察して、尊重して差し上げるのが紳士の鑑でしょう。この機会にしっかりと学ばれませ」
「毎度お前の言う紳士の定義は意味が分からんな。それが何の為になる?」
「貴族紳士としましては、女性をスマートにエスコートして差し上げるのは必須スキルの一つです」
「エスコートならばコーベット君にしっかりやって来たつもりだが。見ろ。我が家に滞在するようになって、こんなに肌艶が良くなったじゃないか」
そう言って、アクロイド様はわたしの髪を一房すくい上げた。
さっきから気にはなっていましたが、会話中ずっと指でわたしの髪を梳いてるんですよね。シェレイスの特徴である灰色髪が殊更気に入っている様子で、最近こんな感じの過度なスキンシップが増えた。髪が灰色なだけで、シェレイスじゃないと何度も言っているのに。
わたし、一応成人を控える乙女なんですけどね。犬猫を愛でながら毛繕いするように構うの止めてほしいのですが。
じとりと半眼で見れば、アクロイド様の片眉がぴくりと跳ねた。
「帰宅してやることが色々あるんです。薬草採取に行きたいし、鶏小屋も建て直さなきゃいけませんし。鶏の餌も用意しなきゃ」
「なに? 薬草採取? 私も同行していいか?」
「何でそんなワクワクした顔なんですか。アクロイド様、お仕事は?」
「今日は行かない。行かないと今決めた」
「無関係なわたしが王宮書庫室の未来を案じるのもお門違いですが、アクロイド様の職場はそんな緩い感じで本当に大丈夫なんですか」
すでに連日十日も休み、五日間は真面目に出仕して、また今日唐突に休むとか、もう意味がわからない。
「まったく問題ない。これは王命の歴史編纂に必要な過程だ。誰も文句などないだろう」
「ええぇぇぇ~………」
とんでもない屁理屈言い出したよ、この人。何でもかんでも『王命だから』で通るわけないでしょうに。
「それで? どこへ薬草採取に向かうのだ?」
「来る気満々ですか」
「五百年前の叡智の一端だぞ? 見学しない理由などあるか」
「調合と魔法陣は見せませんからね!」
「何故だ! 特に魔法陣は見ても私に模倣は出来ないのだから、ちらっと見るくらいいいだろう!」
「何で逆ギレです!?」
どこのお子様ですか! バリーさんが仰っていたお子様思考ってこういうことなんですね!?
無言で頷くバリーさんの真剣な面持ちに、彼のこれまでの苦労が垣間見えた気がした。泣けてきちゃう。
「あ~………すまないが、そろそろ私に紅茶のおかわりを貰えないかな?」
そこへ、苦笑いを浮かべたご嫡男様、エグバート様が声を掛けた。アクロイド様と同じダークブラウンの髪と青い瞳をした、王子様のような外見をお持ちのお方です。
これで男色疑惑とか勿体無い。それはそれで需要のある腐の方々もおられるでしょうが、伯爵家嗣子としてはまずい。
まぁ誤解だってバリーさん仰ってましたし、わたしには関わりのないことなので余計な詮索は致しません。
でも王太子殿下と、その側近である麗しの伯爵子息との秘めた恋物語なんて、書籍化したら爆売れしそう。
「これは失礼致しましたっ」
さっと素早く、しかし優雅さを損なわない動きで、侍女さんが紅茶を注いだ白いカップをエグバート様の前に置き、使用済みのカップを回収した。
素晴らしい技術だわ。伯爵家に仕えるともなると、一芸に秀でていないといけないのね! 真似できないわ!
「アレクシス。バリーの言う通りあまり無理を言うな。セレスト嬢だって薬師という立派な職業に誇りを持っているんだ。お前が無遠慮に首を突っ込んでいいわけじゃないぞ」
「失礼なことを言わないで頂けますか、兄上。いつ私が無理を言いましたか」
「まさに今言っていただろう? セレスト嬢は調合と魔法陣は見せたくないとはっきり主張しているのに、お前がそれを無視するのがいけない。しかも逆ギレで声を荒げるなど以ての外だ」
「心外ですね。いつ声を荒げましたか」
「だからたった今だろう。お前の頭は相変わらず自分の都合のいいことしか記憶しない残念な作りをしているな」
「お褒めに与り光栄ですね」
「一度たりとも褒めていない」
エグバート様がこの上なく残念な生き物を見る目を向けた。
滞在して半月、これが毎朝食堂で繰り広げられる日課です。初めはおろおろしていたわたしですが、このやり取りこそがアクロイド家ご兄弟の日常なのだと呑み込んで今に至ります。
人って、どんな環境にも適応して生き延びようとする生き物なのだと我が身をもって知りました。
対応? いえいえ、放置が一番です。
「セレスト嬢。薬草採取は森に?」
「えっ、はい、森です。家が森の中程に建っているので、その周辺になりますけど。たまにもっと奥まで採りに行きますが、それがどうかしましたか?」
「君の生きた時代の魔物がどの程度だったのかは知らないけれど、現代の森は決して安全とは言えないんだ。以前は魔物と遭遇した時どう対処していた?」
「え? 普通に討伐してましたけど?」
「「「「「「「え?」」」」」」」
「え?」
アクロイド家ご兄弟、バリーさん、侍女さん四人が見事にシンクロした疑問符の声を上げた。
「え? ちょっと待って。と、討伐? 君が? 魔物を???」
「はい。ですから、普通に討伐してましたよ?」
「いやいやいやいや、普通に討伐って表現がそもそもおかしいってことに気づこうか」
「ええ? 討伐しないでどうやって森歩きするんです? 薬師は魔物討伐出来なきゃ仕事できませんよ」
「うーん………何だろう、私の中のセレスト嬢の認識が音を立てて崩壊し始めているんだけど、疑問に思う私が間違っているのかな?」
「エグバート様お疲れです?」
「そういう話じゃなかったよね?」
何故かしら。エグバート様から実弟に向けるような、残念な視線を感じるわ。おかしいな。
「コーベット君。なぜ兄上は名で呼ぶのに、私のことはアクロイド様なのだ」
「はい?」
「アクロイドは兄上もだろう」
「そうですけど、エグバート様までアクロイド様とお呼びしたらややこしいじゃないですか」
「ならば私のことも名で呼ぶべきだろう?」
「え~………もう半月アクロイド様とお呼びしているのに、今さら変更なんて面倒くさ……いえ、慣れないかと」
「いま面倒くさいと言いかけたな?」
「はい。面倒くさいです」
「誰も言い直せとは言ってない」
「も~何ですか~。アクロイド様はアクロイド様でいいと思います!」
「本当に面倒くさいんだな!」
呼び方なんてどっちでもいいじゃないですか。貴方の立ち位置どこなんですか。
「ちょっとごめん。話を戻させてくれ、セレスト嬢。魔物討伐って、君はどうやって魔物と対峙してきたんだい?」
「魔物討伐ですか? 普通に弓矢とか剣で倒してましたけど?」
「それで討伐できるって、はっきり言って相当な腕前になるからね?」
「いやいやいやいや。獣狩りと同じですって。風下から攻撃すれば高確率で一撃必殺できますし、そう難しいことじゃないですよ」
「うん? 一撃必殺?」
「はい。一撃必殺です」
「………どこを狙って?」
「眉間です」
「………うん、ごめんね? もう一度確認させてもらえる? 風下から動いている魔物の眉間を一撃で射貫くってことで合ってるかな?」
「合ってますね」
エグバート様が渋い面持ちで眉間を揉んでいる。毎日ご多忙だもの。やっぱりお疲れなのね。
「セレスト嬢。その腕前はすでに騎士団幹部クラスなんだけど、君の時代の薬師ってみんなそうなの」
「そうですね。魔法陣を正確に素早く画ける方であれば、わたしなどよりよほど短時間で多くの魔物を殲滅できますよ? わたしの祖母はサイクロプスの群れを一撃で屠ってましたね」
「あり得ない………」
「あの~……エグバート様、やっぱりお疲れなのですよ。ごゆっくり出来る時間は作れないんです?」
「ああ、これは仕事疲れじゃないから気にしないで……」
責任感のお強い方なのですねぇ。アクロイド様はエグバート様の爪の垢でも煎じて飲ませてもらえばいいと思う。十日休んで五日働いてまた急遽休むって、やっぱり常識はずれだと思うのよね。
「エスティちゃん、私ともお話しよう? 朝の食事のほんの一時しか会えないのに、息子たちばかり狡いじゃないか」
わたしをエスティと愛称で呼ぶのは、このお屋敷の主様で、ご兄弟のお父上様、アクロイド伯爵ご当主様その人です。
「パパはもう直お仕事に行かないといけないからね、お話ならパパ優先じゃないかな?」
そう、ご当主様はわたしにご自分のことを『パパ』と呼ばせたいのですって。家族はおばあちゃんだけだったから、パパとの呼称にメンタルをガリガリ削られていくようなプレッシャーを感じる。
でも皆さん本当にお優しい方ばかりで、見ず知らずのわたしを温かく迎えて下さるので正直居心地良すぎて離れ難い。ええ、困ったことに。独りに慣れていたはずなのに。
「……………」
「ね、エスティちゃん?」
「は、はい、パパ!」
「うんうん、やっぱり女の子は華があっていいねぇ。図体ばかり大きく育ってしまった息子などとは比べるまでもないね」
「比べられても困ります」
「父上。コーベット君にパパと呼ばせるのは止めてください。不謹慎です」
「何が不謹慎なものか。娘を愛でて何が悪い」
「貴方の娘ではありません」
「ふん。アレクシス、お前だけ名を呼ばれないからと八つ当たりするとは、情けない」
「はあ!? そのうち呼ばせてみせますよ!」
「はっはっはー。無理無理。まあ夢を見るだけなら誰にも迷惑は掛けないがな?」
「ぐぬぬぬ………っっ」
突然父子対決が勃発するのもいつものこと。
わたしは放置スキルを発動して、食後の紅茶を頂きながらこのあと採取する予定の薬草に思いを馳せた。
前回に続き、少しギャグに走ってしまいました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
『俺は天女じゃねえ!!それは母さんだ!』も連載中です。良かったら覗いて下さると嬉しいです(*´艸`*)