4.灰かぶり、懐柔される
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すでに逃げ場はない。背中には硬質な壁の存在を感じている。じりじりと距離の縮まる息の詰まる空間で、わたしは必死に退路を探した。
時は少しだけ遡る。
◇◇◇
アクロイド様に請われ、わたしは知り得る限りの話をした。引きこもりだったから、当時の流行や話題などにはとんと疎いですよ、と前置きしてから、答えられる範囲でたくさん喋った。
当時の食に関すること、物価、地図と照らし合わせての違い、数ある職人たちの仕事内容など、多岐に渡ってあらゆる質問をされた。
アクロイド様の滞在すればいい発言から、早いもので十日が過ぎようとしている。つまりは、十日経ってもアクロイド様が満足してくださらない! 提言通りきっちり与えられる三度の食事は悉く美味しくて幸せですけど! いつになったら満足するのあの人!
「おや、どうされました? お可愛らしいお顔に似合わない苦い顔をされておりますが、お食事に何か不備でもございましたか?」
執事さん、お名前をバリー・ベイカーさんと仰るそうですが、その紳士然とした所作が美しいバリーさんが、締めのスープを飲み干したわたしを見つめて眉尻を下げた。
せっかく給仕までしてくれた素敵なバリーさんを悲しませるなんて、わたしは何てことを!
「滅相もないです! 今日も大変美味しかったです!」
「それはようございました。デザートもご用意しておりますよ。召し上がりますか?」
「頂きます!」
目を輝かせたわたしにくすりと微笑み、少々お待ちを、と一礼してから退出して行った。
……………今さらっと可愛らしいって言ったわよね?
ボッと火がついたように頬が熱を持ったのを感じた。両頬に手を添えてひとり悶絶していると、くすくすと控え目な笑声が聴こえた。
「あ、失礼致しました。コーベット様のご様子があまりにも初々しくお可愛らしいもので、勝手ながら愛でさせて頂きました」
笑っていたのは壁の花と化していた妙齢の侍女さん四名だ。
「あうう………そのコーベット様というのは止めてほしいです。わたしはただのいち庶民ですし、敬語も要りません」
「ですが、コーベット様はアレクシス様の大切なお客様ですので」
「う~……じゃあアクロイド様がいらっしゃらない時は敬語は止めて、セレストって呼び捨てで呼んでください」
「どうしてもお嫌ですか?」
「慣れません。むず痒いです。気安くして下さると助かります」
「ふふふ。はい、ではそのように」
ありがとうございます、と安堵の息を吐いた。よかった、受け入れてもらえた。
アクロイド様は夕方からお仕事でお出掛けになったので、今夜の晩餐は畏れ多くもわたし一人で広い食堂を一人占めだ。
初日にお仕事から戻られたご当主様とご嫡男様と挨拶をさせて頂いてから、朝食の席以外でお会いしたことはない。お二方共に王宮勤めだそうで、いつもお帰りは遅いのだとか。お疲れ様でございます。
驚いたことに、アクロイド様も王宮勤めらしい。失礼ながら根なし草のような方だと思っていた。だって、十日間一度も出仕してなかったのだもの。きちんとした役職に就いた方だとは思わないじゃない。
何でも王立学園で古文書学を修められ、今は王宮書庫室勤務だと聞いた。王命で歴史編纂の任を賜ったとかで、だからこそ色々と融通の利く職場なんですって。よく分からないんだけど、十日も休暇を許可できる職場というものが全く想像できない。
歴史編纂ということは、わたしがお話しした内容は多少なりともお役に立てたってことかしらね。そうだといいな。
「あの、バリーさんっていつもあんな感じなんです?」
「あんな感じとは?」
「可愛らしい顔とか平然と仰いますよね。ご厄介になって十日経ちますけど、バリーさんに褒め殺されそうです」
「あ~、確かに最近よく仰ってますね~。でもコーベット様……じゃなかった、セレストちゃんにしか言ってませんよ? 私たちなんて言われたことありませんから。女性のお客様にも仰らないですね」
「まあ貴族の方にそう申し上げるのは逆に失礼になるから」
「そうね。セレストちゃんにだけ仰っておられるわね」
「えっ。わ、わたし、だけ……!?」
どうしよう。嬉しい。わたし別に枯れ専てわけじゃないのに。
不意に熱い視線を感じて、はっと侍女さんたちを見れば、にまにまと小動物を愛でる視線を返された。
「どうしましょう、セレストちゃんが可愛いすぎるっ」
「属性は絶対妹よね!? 愛でられる妹!」
「いやん、お世話したくなっちゃう!」
「それね! 私も思ってた! このお屋敷に女主人はおられないから、せっせと肌や髪を磨いて差し上げる方がいらっしゃらなくて物足りなかったのよね~」
獲物に狙いを定めるようにぎらついた四対の眸がわたしを捉える。嫌だ、なに、怖いんだけど!
「ねえセレストちゃん? エステに興味はおありかしら?」
「エ、エステ?」
「そう、エステ。肌や髪をピッカピカのツヤッツヤに仕上げる全身の美容術。爪だって陶器のように滑らかに輝くの」
「セレストちゃんは絶対原石だと思うのよね」
「そうよね。磨けばかなりのものだと思うわ」
「ということで、エステさせてくれるかしら!」
四人にずいっと迫られ、わたしは引き気味に慌てて席を立った。圧が強い!
「夕飯後のデザートを食べ終わったら、お風呂に入れてあげる」
「え!?」
「頭の天辺から爪先まで丁寧に磨いてあげるわ」
「はい!?」
「セレストちゃんはお肌が赤ちゃんのようにプリプリでシミ一つないから、軽く白粉を叩くだけでいいわね。赤に近い桃色の口紅も唇の輪郭をぼかすように入れましょうね」
「何で!?」
「あとは香油で全身をマッサージして、首筋と胸に少しだけ多めにつければ殿方を魅了できるわ」
「いやだから何で!?」
「悩殺しちゃいなさい」
「誰を!?」
「ベイカー様、と言いたいところだけど、ここはアレクシス様一択よね~!」
「なんで一択なの!? どういうこと!?」
じりじりと距離を縮められ、壁際に追い詰められていく。興奮するお姉さま達が非常に恐ろしい!
そして、冒頭に戻る。
「……………お前たち。コーベット様を追い詰めて、何をやっている?」
そこへ救世主の如く銀のプレートを片手に現れたのは、デザートを取りに席をはずしていたバリーさんだった。
眉をひそめ、侍女さん方を訝しむ。ささっと再び壁の花と化した侍女さんたちは、皆さん澄ました顔で目礼した。
「追い詰めるなどとんでもない。コーベット様にエステをなさいませんかとお誘いしていたのです」
「エステ?」
「はい。せっかく滞在されているのです。磨けば光る原石たるコーベット様のお世話をさせて頂ければ、現在のお屋敷では無用の長物と化している美容術とて無駄にはなりません」
「磨き上げればかなりのものをお持ちです。初めて女性に興味を持たれたアレクシス様の鋼の心もいちころですわ」
「ふむ。なるほど」
聞き捨てならない不穏な発言に、あろうことかバリーさんが納得してしまった。
「よろしい。デザートをお召し上がり頂いてから、しっかりとお世話なさい」
「「「「お任せください!」」」」
獲物を前に舌舐めずりする猛獣の如く、爛々と光る四対の眸がこちらを凝視した。
怖い怖い怖い怖い!!
「ア、アクロイド様はわたしの記憶にご興味がおありなだけで、わ、わたしの容姿とか中身とか、好いて下さっているわけでは決してないと、お、思います!」
嫌だ、この流れは恐ろしい!
「そんなことはございませんよ? お生まれになった頃からずっとアレクシス様のご成長を見守ってきた身としましては、コーベット様にとても好意を寄せられていると感じました」
「バリーさんの気のせいです! それはあれです! シェレイスの特徴を持っているから物珍しいだけです! 生きた化石に対する興味本位と似ているはずです!」
「それは……ないとは正直申し上げられませんね……」
「でしょ!? それにアクロイド様にだって選ぶ権利がありますよ! 骨に皮が張ってるようなガリガリの小娘なんて寧ろ失礼にあたります!」
「最近は少しふっくらされてきましたので、随分と健康的に見えますよ。初めてお会いした時には、吹けば簡単に折れてしまいそうなほど華奢であられましたからね」
おっふ………バリーさんの言葉が突き刺さる………。
そうなんだよね。ここ十日ほどで明らかに体型が変わってきた。栄養が身体中に行き届いている感じで、水分を抜いた干し芋から水分を含んだ焼き芋に昇格できたような感覚だ。例えがおかしいか。
うーん。どうしても食べ物へ話が流れてしまうな。
「アレクシス様のは、たぶんあれですわ。拾ってきた仔猫が自分ではなくベイカー様に懐いてしまって妬いている、という表現がしっくりきますね」
「あ~わかる~! 玩具を取られた子供みたいに拗ねてましたよね」
「初めて仔猫に触れるから、どう接していいか量りかねて、結果距離感がおかしいから仔猫に警戒される、という図がぴったりです」
「やだ、想像させないで。面白すぎる……っ」
侍女さん方、お仕えするお家のご子息を言いたい放題ですね。
「貴女方、口が過ぎますよ。いくらアレクシス様がお子様思考でも、分別くらいは持っておられます」
何気にバリーさんが一番辛辣だわ……。
ま、まあ、それくらい親しみやすいと思われていると解釈してもいいんじゃないかしら。かなり前向きな捉え方だとは思うけど。
「さて、コーベット様。お待ちかねのデザートをお持ちしましたよ」
気を取り直してバリーさんが着席したわたしの前に置いたデザートは、焼きたてのフォンダンショコラだった。チョコレートは高級品だというのに、本当に食べてしまってもいいの!?
期待と疑問がありありと分かる表情をしていたのか、バリーさんがにこやかに首肯した。
「ええ。どうぞお召し上がりを。シェフがコーベット様だけに、腕に縒りを掛けたデザートに仕上げました。旦那様や若様方はあまりデザートを好みませんので、シェフ一同も腕の見せ所と張り切って作っております。どうか遠慮などなさらずたくさんお召し上がりください」
「では遠慮なく頂きますっ」
ナイフとフォークを手に取り、真ん中から真っ二つに切ると、とろりと熱々のチョコレートが溶け出してきた。甘い香りが一気に濃くなり、堪らずごくりと喉を鳴らす。
ナイフを使って更に生地を一口大に切る。とろとろのチョコレートに絡めて、ぱくりと一口に頬張った。
「ん~!」
甘い! 美味しい! なんて幸せなの!
切っては絡め、口に含む。生地で全てのチョコレートを拭ったお皿は綺麗だった。食い意地が張っているとバリーさんに思われていたら恥ずかしいなと思いつつ、食欲には勝てなかった。満足です!
「ご馳走さまでした。どの料理もデザートもとても美味しいので、離れがたくて困っちゃいます」
照れ隠しの冗談まじりでにぱっと笑えば、バリーさんと侍女さんたちの双眸がかっと見開かれた。
えっ。なに、何か変なこと言った? 眼力が怖いんですけど!
「それほどまでに気に入って頂けましたのならば、いっそこのまま家移りされてはいかがですか?」
「はい?」
「それナイスアイデアです、ベイカー様!」
「毎日エステし放題!」
「飢えてるんです、私たち! 美容のお世話をさせてくださる方がほしい!」
「アレクシス様は朴念仁だし、ご嫡男のエグバート様は王太子殿下一筋だからご令嬢方にまったく見向きもなさらないし!」
本当に物言いが明け透け過ぎるでしょう!? これ不敬罪とかにならないの!? というか、ご嫡男様は男色なんですか!? アクロイド家の跡継ぎどうするんです!?
「コーベット様。誤解されませぬよう。エグバート様は王太子殿下にお仕えすることを第一としていらっしゃるだけで、決して同性しか愛せないという話ではございませんよ」
「あ、そうなんですね。びっくりしました」
いや、大事なのはご嫡男様の性癖ではなく!
「あの、家移りはさすがに無理です。そこまでご迷惑はかけられません。それにわたしにも持ち家がありますし、調合するにも材料採取にも我が家が適しているので、ご厚意だけ有り難くお受けします」
「「「「えー!!!」」」」
過剰反応したのは侍女さん方だった。そんなにエステやりたかったのね………。
「そうですか……それは残念ですが、ご無理を言ってはいけませんね。では週に一度こちらに泊まられてはどうでしょう? アレクシス様のお話し相手においでになり、お食事とエステを堪能されるというのはいかがでしょうか」
「えっと、週一だったら。ご迷惑でなければよろしくお願いします」
「それはようございました。こちらこそ、よろしくお願い致します」
互いに深々と頭を下げて、ふふふと笑った。やっぱりわたしはバリーさんに弱いなぁ。
「じゃあそうと決まれば!」
「デザートも完食されましたし!」
「次はいよいよ湯浴みですね!」
「エステタイム入りま~す!」
あれよあれよという間に連れ去れたわたしは、そのまま浴室まで直行したのでした。
見送ったバリーさんが、企みを秘めた笑みを浮かべていたなどと、露程も知らずに。
薬草調合は今しばらくお待ち下さいΣ(;゜∀゜)ノ
『俺は天女じゃねえ!!それは母さんだ!』も宜しくお願い致します!