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3.灰かぶり、倒れる

ブクマ登録と評価を入れて下さり、本当にありがとうございます!

 



 アクロイド邸の書庫室に招かれたわたしは、その蔵書の数に圧倒された。高い天井の、壁一面にぎっしりと詰まった本の数。中央に机と椅子が設置された先にはアーチがあり、続く隣の部屋にはまた幾多もの本棚と、壁一面にこれでもかという冊数の蔵書が並んでいた。

 放心しているわたしを放置して、アクロイド様が可動式の梯子に登り、二冊の大判書物を手に戻ってきた。


「少し歴史語りをしてやろう。君の記憶と擦り合わせるといい」


 そう言って椅子に腰かけたアクロイド様は、隣に座るようにと促す。


 え、隣に座るの? 何気にハードル高いのですが。


 有無を言わさぬ雰囲気に観念して、わたしは指定されたアクロイド様の左隣の椅子を引いた。


「まずは国の名だ。ここが我が国、チェリッシュ・ベイだ。君の記憶と合っているか?」


 アクロイド様が棚から引き抜いた大判の書物には地図が描かれていた。指し示された地形を目で追って、こくりと頷く。わたしが生まれ育った国も確かにチェリッシュ・ベイだ。間違いない。


「よし。では次は地名だ。ここは我がアクロイド家の領地で、名をベルジェラという。これはどうだ?」


 ………ベルジェラ?

 わたしの困惑を見て取ったアクロイド様の片眉が上がった。


「君の記憶とは違ったか?」

「は、はい」

「ならばこちらを見るといい」


 アクロイド様が開いたもう一冊はかなり古く、装丁だけ新調されたのだと中身の紙質からも窺える。色褪せた色彩で描かれた地図の一角を指差し、アクロイド様が読み上げた。


「グリフェレ」

「あっ、はい! ここです! わたしが住んでいる地名です!」

「間違いないか?」

「自分の育った場所を間違えたりしませんよ!」

「そうか」


 訝るわたしに、アクロイド様はパタンと閉じた書物の表紙を見せた。茶色い装丁のそこには、金字で『古代史』と記されている。


「嘘……………」

「これは五百年前の地形だ。君の言ったグリフェレは、ベルジェラの古い地名に当たる」

「そんな………」

「どういうからくりか、どうやら君は五百年の時を超えたらしいな」


 有り得ない。そう思うのに、思い当たる節がポロポロと零れ落ちてくる。

 目覚めた時の状況が、経年劣化であった可能性。家中を覆っていた白い粉は埃で、棚が壊れ乾燥させた薬草を保管していた沢山の瓶が床で割れていたのも、僅かに残っていたはずの食材がすべて失われていたのも、鶏小屋が崩れ、鶏の姿がなかったのも、わたし自身の体が強張り薄汚れていたのも、すべてが経年劣化によるものだと結論付ければ納得できてしまう。


 わたしは愕然と顔を覆った。

 すでに育ててくれた最愛の祖母は亡くなっており、他に親しい者はいなかった。役立たずの灰色髪と好んで仲良くなろうとする珍妙な友もいなかった。

 だから、五百年の時を超えたのだとしても、そんな遠い過去に残してきた知人は一人もいない。いるとすれば、毎朝たんぱく源である卵を提供してくれていた鶏くらいだ。

 逃げていたなら良し。あのまま小屋に閉じ込められたまま餓死していたとしたら………。


 きゅっと胃の腑に重い痛みを感じた。


「大丈夫か?」

「大丈夫です。食べたものを戻すなんて勿体無いこと死んでもやりません」

「いや、そういうことではないのだが………。青い顔をしている。本当に大丈夫なのか?」

「混乱しまくってますけど、意地でも正気を保ちますから大丈夫です」

「ああ、大丈夫でないのは伝わった。侍女に部屋を用意させるから、少し横になるといい」


 アクロイド様はそう言って、控えていた侍女の一人に目配せする。

 必要ありません、と言いたいところだが、さっきからぐらりと世界が揺れて見える。気持ち悪い。


「―――――コーベット君!!」


 隣にいたはずのアクロイド様の声が遠くで響いている。暗転した視界と共に意識が遠退きながら、アクロイド様はどうして右目にモノクルをかけているのかしらと、そんなことをふと思った。




 ゆらゆら、ゆらゆらと。

 心地よい揺れにうっすらと瞼を押し上げる。

 ダークブラウンの尻尾が視界の端で揺れていて、おばあちゃんの髪ってこんな色をしていたかしら、などと思う。

 再び暗転していく視界と意識に一瞬抗おうとしたが、すぐに放棄した。

 ゆらゆら、ゆらゆらと。

 揺れる揺り籠は極上の心地だった。






 ◇◇◇


『困った子だねぇ』


 おばあちゃんの口癖だ。いつもそう言っては、困った様子は微塵も見せず、ただ柔らかく笑っていた。


『魔法陣を描くコツかい? 蝋燭の炎の揺らめきと、それがもたらす効果のイメージと、あとは画力だね。上達に近道はないよ。体が覚え込むまで、描いて描いて描きまくるしかない。しっかりノルマを熟しなさい』


 おばあちゃんは中々にスパルタだったけど、一向に上達しないわたしの画力も、才能がないのだと匙を投げたりしなかった。根気よく教え、実演してみせ、修正と加筆すべき箇所を的確に指摘してくれた。

 それでも腕前がまったく上達しないのは、偏にわたしの能力不足に過ぎない。


『薬草は乾燥が一番重要な過程になる。だからまず真っ先に薬師を目指す者が覚えなきゃならないのは、この乾燥の魔法陣なんだよ。丁寧に、細やかに描けた魔法陣は、薬草効能の底力を引き上げてくれる。腕のいい薬師ってのは、最初に覚えるこの魔法陣を適当に済まさないものさ』


 おばあちゃん。おばあちゃん。わたしにも出来るかな。まだ一度だって上手く乾燥できたことがないの。おばあちゃんが亡くなってからも、毎日何時間も描いて練習したのよ。でもね、ちっとも上達しないの。自分なりに上手く描けたと思っても、魔法陣はきちんと作用しなかった。

 やっぱり才能ないのかな。灰色髪だから、役立たずの灰かぶりだから。

 魔力量は多くても、魔法陣に練り込めないなら意味ないよね。せっかくおばあちゃんに薬師の知識を山ほど叩き込んでもらったのに、肝心の魔法陣が作用しないなんてね。本当に困った子だよね、わたし。


『お前には豊富な薬草の知識がある。一度教えたことは絶対に忘れない才能がある。今は出来なくとも、いつか必ず扱えるようになるさ。慌てずゆっくりやりなさい。焦っても時間を早めることはできないんだからね』


 うん。焦らないよ。ゆっくりやるよ。

 だからおばあちゃん。側にいてよ。わたしを独りにしないで。


「おばあちゃん………」


 ぽろりと眦を滑り落ちていく涙をそっと拭われた感触がして、不意に深い眠りの淵から浮上した。うっすらと開いた瞼を何度か瞬き、まどろみを払う。

 見覚えのない天井をぼんやり眺めて、ここはどこだろうかと思う。


「起きたか」


 耳に心地よい低い声が耳朶に触れ、反射的にそちらに視線を向ける。ダークブラウンの髪を後頭部半ばで一つに括った、右目にモノクルを掛けた青年が椅子に腰掛けたままこちらを見ていた。


 誰だったかしら。

 一瞬過った疑問にはたと瞬き、半端ない空腹感を癒し、たらふく食べさせてくれたアレクシス・アクロイド様だと遅れて気づく。


「あー………おはようございます………?」

「今は午後だ」

「あの、もしかして運んでくれました?」

「ああ」


 お姫様抱っこは夢じゃなかったみたいだ。心地よいなどと思っていたことを思い出して、無性に恥ずかしくなった。

 誤魔化すように俯くと、ご迷惑をお掛けしました、と頭を下げる。


「構わない。それより気分はどうだ。顔色は戻っているが」

「はい。リバースしなかった自分を誉めてあげたいです」

「いい加減そこから離れなさい。まったく。年若い女性の自覚はないのか。恥じらいをどこへ置いてきた」

「乙女の寝顔を盗み見ていたアクロイド様に言われたくありません。それに恥じらいで腹は膨れませんからね」

「食い意地が張り過ぎているな、君は」

「食事は生きていく上で最も重要です。襤褸を着て穴蔵に住むことはあっても、食べ物を得ない選択肢はありません」

「君は穴蔵に住んでいるのか」


 心底驚いた面持ちを向けられた。

 失礼な。本当に穴蔵に住んでる訳ないじゃないですか。


「ものの例えですよ。ちゃんと住居があります。アクロイド様のお家の玄関にすっぽり収まってしまう程度の広さしかありませんけど。庶民のわたしには充分過ぎる家です。調合室もありますし、森の中に建っているので薬草も豊富ですしね」

「森? 君は森に住んでいたのか?」

「はい。住んでいる、ですよ。現在進行形です。過去形にしないでください」

「そういえば薬師だと言っていたな。調合とは、森で採取した薬草から製薬するのか?」

「そうですよ。薬草を乾燥させて、症状に合わせて数百種類の中から組み合わせを考え調合する。それが薬師の仕事です。扱う魔法陣も調合の過程で使い分けするので、その種類もまた百を超えます」


 わたしはそこで躓いているから、薬草と調合の知識を持っていても悉く苦く出来上がってしまうのだけど。


「魔法陣? 製薬に魔法陣を使うのか?」

「ええ、はい。薬師であればみんな出来ますよ? 残念ながらわたしは不完全ですけど」

「詳しく話してくれ」

「ええ?」

「薬草の種類、調合、使い分ける魔法陣のすべてを」

「すべて!?」


 何百種類もあるってわたし言ったよね!? 今から講義していたら、今日中におうちに帰れなくなっちゃう!

 わたしの至極真っ当な反論に、アクロイド様はとてもいい笑顔で告げた。


「終わるまで我が家に滞在すればいい」

「………………………」


 そうか、この人の頭は残念な作りになっているのね。

 満面の笑みで何泊かしていけと言われて、じゃあお言葉に甘えて、なんて恥じらいながら快諾すると本気で思っているのかしら。泊まるわけないでしょう。

 滞在って何。何泊させるつもりよ。一飯の恩はきっちり返しますけど、薬師の命とも言える知識を伝授したりはしませんからね! あれは一子相伝の、大切な宝なんだから!


「教えられません」

「何故だ」

「薬師にとって薬草調合の知識は宝です。師事する師匠によりその知識は変わります。祖母から受け継いだ大切なものを渡すつもりはありません」

「ふむ……なるほどな」


 恩を返さないとは言わない。なので、歴史的価値があると言っていた小銀貨、百エノスを差し出した。


「これは価値があるのでしょう? 知識は渡せませんが、代わりにこちらで一飯の恩を返させてもらえませんか」

「これは貰いすぎだな。どのみち君が所有するエノス通貨を買い取らせて貰いたかったのだから、これはこれでしっかりと代金を支払わせてもらう。一飯の恩と言うならば、五百年前の話をしてくれないか。もちろん私が満足するまでという条件付きだが。部屋はこのままここを使ってくれて構わない」

「いやあの、わたし滞在するなんて一言も」

「代わりに私からは現在の情報を教えてやろう。ルア通貨も知らないようでは、まともに買い出しも出来ないだろう」


 その通りだけど、この人全然人の話を聞かない!


「更に三食付きだ。デザートもつけてやろう」

「うう………」


 食事は重要だと言質を取られているので、この申し出はかなり揺れた。

 うんうんと唸っていると、見かねた様子の執事さんが好好爺然と微笑み、わたしを諭してきた。


「コーベット様。倒れられたばかりですし、お急ぎでなければ今少しこちらでお休みになられてください。ここならば私共もおりますから、お食事の準備も出来ます。ゆっくり養生されてからお戻りになってもよろしいのではありませんか?」


 心配していますよ、とばかりに執事さんが追い討ちをかける。おばあちゃん子だったわたしには抗えない慈愛に満ちた微笑みだった。目尻の深い皺がわたしの心をがっちり掴んで離さない。


「はい。お言葉に甘えます。よろしくお願いします」


 ぺこりと頭を下げたわたしに、アクロイド様が不機嫌な声を上げた。


「私が言った内容と大差ないだろう。何故バリーの言葉には素直に従うのだ」

「アレクシス様。同じ内容であっても、言い方ひとつで印象はがらりと変わるものですよ。人の心に響くのは、その人に寄り添った言葉ですから。精進なさいませ」

「ぬう」


 ギリギリと歯軋りをするアクロイド様にドン引きした。

 せっかくの美形が台無しになっている。


 ともあれ、しばらく滞在すると決めたからにはきっちりと役目を果たしましょう。引きこもりがちだったわたしに、どこまで話せるかはまた別問題になるけれど。


「少しの間ご厄介になります」


 アクロイド様に頭を下げると、不機嫌なままではあるけど「ああ」と首肯してくれた。


 さて。情報交換と恩返しを終えたら、早速森に入って薬草採取しなくちゃね。

 五百年の時を超えたからと言って、やるべきことは変わらない。いつまでもくよくよいじけてたって仕方ないわ。

 おばあちゃん、わたし頑張るから、見ててね!






タイトル詐欺にならないよう、近々薬草調合の話を入れたいと思いますo(`^´*)


『俺は天女じゃねえ!!それは母さんだ!』も宜しくお願いします(。-人-。)

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