2.灰かぶり、堪能
数多ある作品の中から見つけてくださり、ありがとうございます(*゜∀゜人゜∀゜*)♪
一話しか投稿していないにも関わらず早速ブクマ登録して下さった方々、一読して下さった方々へ、この場を借りて心からの感謝を!
見上げる邸の大きさに、わたしはあんぐりと大口を開けた。
四階建ての豪邸に頓着なく入っていくアクロイド様の後を恐々ついて行くと、まずエントランスの広さと煌びやかさに度肝を抜かされた。高い天井にはシャンデリアが吊るされ、灯りにきらきらと輝き揺らめいている。
中央に二階へと続く幅の広い階段があり、繊細な模様の施された絨毯が敷かれた四方には、各部屋へと繋がるアーチが幾つも広がっていた。
エントランスにソファとテーブルが配置してある意味がわからない。玄関で座ってくつろぐ意味があるの!?
「お帰りなさいませ、アレクシス様」
エントランスだけで我が家の全てが収まってしまうと、唖然と立ち尽くしていたわたしの耳に、品の良さそうな穏やかな男性の声が届いた。
アクロイド様を出迎えたのは、黒い燕尾服に身を包む高齢の男性だった。すっと伸ばされた背筋は、重ねた年齢をものともしない自信と優雅さに満ちている。
「ああ。こちらはセレスト・コーベット君。私の大事な客人だ。食事の用意をしてくれ」
「畏まりました」
「ご案内致します。こちらへどうぞ」
メイド服を着た侍女と思しき妙齢の女性二人に連れられて、エントランスを真っ直ぐ突っ切ってアーチを潜り、長い廊下を歩いてようやく辿り着いた食堂に、再びあんぐりと呆けた。
無駄に広い部屋に設置された長テーブルと、優に五十人は座れるのではないかと思う数の椅子。
「あ、あの……アクロイド様は、ご家族が多いのですか……?」
問われた侍女二人は、え、と瞬いた後くすくすと笑った。
「いいえ。お父上様と兄上様のお三名様でございます」
「え? じゃあこんなに椅子必要ありませんよね?」
「お客様をお招きすることも少なくはありませんので、必要な数を揃えております」
「貴族邸ではこれが普通なのですよ」
「き、貴族……!?」
貴族か豪商かと警戒していたが、やっぱり貴族だったのか。
わたしはさっと血の気が引いていくのを感じた。
「はい。アクロイド家は伯爵位を頂く名門にございます」
「は、伯爵」
何てことだ。アレクシス・アクロイド様は、伯爵家のご子息様だったなんて。
帰りたい。如実に物語る顔色を見て、侍女たちは苦笑した。
「どうぞお座りを。お食事が出来上がるまでお茶をお楽しみください」
「ど、どこに座れば」
「奥は上座に当たり、当主様のお席となります。その左右はご子息様方のお席となりますので、それ以外のお席であればどこにお座り頂いても構いません」
ならば庶民の自分は下座に当たる入り口付近だろうと納得し、当主様のお席から一番遠い末席の一脚に手を伸ばす。
「そこでは遠い。私の対面に座るように」
遅れて入室したアクロイド様が颯爽と奥へ歩いていく。
アクロイド様は当主様のお席から見て右手にある席の二つ目に腰掛けた。その対面ということで、わたしも左手にある二つ目の席につく。右手は入り口を向き、左手は入り口に背を向ける。つまりアクロイド様が上座で、わたしが下座だ。
末席で良かったのに、と苦虫を噛み潰したような顔を我慢できず、渋々ながらも従うしかない。
侍女がいれてくれた紅茶に御礼を言ってから口にしたわたしは、ついぽつりと美味しいと呟いてしまった。
はしたないと思われたかもしれない。真っ赤になって俯いていると、いれてくれた侍女がにこりと微笑み、光栄にございます、と返してくれた。庶民のわたしにも丁寧に接してくれるなんて、何ていい人なんだろうか。
「コーベット君。君の所持している小銀貨エノスについてだが」
「え、あっ、はいっ」
「君はそれをどこで手に入れた?」
手に入れた? わたしは小首を傾げながら、妙なことを聞くお方だなぁと訝った。
「現存しているエノスの中でも抜きん出て状態が良い。それも三枚ともだ。どれほどの歴史的価値があるか、所有者の君がなぜ知らずに串焼き一本に使用しようとしたのか、私には理解できない」
「ええと、エノスの価値ってひと月程度でそんなに高騰したんですか?」
「何? ひと月? 君は何を言っている?」
互いに不得要領の視線を交わす。
言語は同じはずなのに、意思疏通がここまで困難なのは何で?
意味が分からないと苦り切った顔をしたとき、扉が開き次々と料理が運ばれてきた。肉に魚にパンにスープに野菜に果物まで!
目を輝かせて眼前に並べられていく料理をうっとり見つめるわたしに、アクロイド様が諦めたようなため息を吐いた。
「そういえば空腹を訴えていたのだったな。話は食事の後にして、まずは食べなさい」
「はい! 頂きます!」
飢えの前に遠慮などという奥ゆかしさは存在しない。
見ず知らずの男性の家に、警戒心より食い意地が勝ってのこのこついて来たなどと、おばあちゃんが知ったら丸一日庭木の幹に縛りつけられる事態だ。それでも! それでも猛烈な空腹には勝てなかったよ、許しておばあちゃん!
形ばかりの謝罪を胸に、早速まずは分厚いステーキに手を出し、ナイフを突き立てた。
驚くほどナイフがすっと通り、力も必要なく簡単に切れた。たまの贅沢品だった我が家のステーキとは一線を画する柔らかさだ。うちのは筋張っていてすんなり切れず、口に含めばかなりの歯応えを主張する、なかなか飲み込めない強敵だった。
我が家の料理と比べるのも大変失礼な話だけど、お貴族様の食事は天上の如しなのだわ。
噛めばじゅわりと溢れる肉汁に頬を緩めながら、次に焼き魚をほぐした。今が旬の川魚は脂が乗っていて、焼いたパリパリの皮にふられた塩が身の旨味をぐっと引き出している。
川魚は卵に次いで閑古鳥が鳴く我が家の貴重なたんぱく源の一つだ。近場の川に罠を仕掛け、塩漬け燻製にして保存したものを食べている。毎日釣れるわけではないので、焼き魚など新鮮な魚を食べられる機会はそうそうないけれど、燻製は旨味が凝縮されるのであれはあれで大変美味しい。
新鮮な身を綺麗に平らげたわたしは、満足感に包まれたまま次の料理、サラダへと手をつける。
我が家は森の中にあるので、豊富な野草を摘んで野生サラダを食べている。味が濃くて美味しいのだが、冬の間は生えないので乾燥豆で凌ぐ。
シャキシャキの野菜を頬張りながら、その瑞々しさが口内に残る肉や魚の脂を消し去る爽快感を堪能した。玉葱のドレッシングの相乗効果ですっきりさせてくれる。添え物のプチトマトもよく冷えていて、全ての食材が取れ立てを用意されているのだと知った。
飴色に透き通ったスープは見た目に反して濃厚で、鼻腔を抜ける香りも芳醇だった。焼きたての柔らかなパンと一緒に食せば、これ以上の美味しいものは存在しないとさえ思える。
こんな極上の味を知ってしまって、今まで通りの質素な食生活に戻れるのかしらと一抹の不安を覚えながら、最後のデザート、桃のコンポートを頂いた。
贅沢に砂糖水を使ったコンポートは甘く上品で、甘いものなどの嗜好品にはとんと縁のない生活を送ってきたわたしにとって、まさに青天の霹靂たる経験だった。
毎日こんな美味しいものを食べているのか、お貴族様めっ!
何かを察したらしいアクロイド様がそっと桃のコンポートを譲ってくださった。
当然断る理由はないので、返却を求められる前に即座に胃の腑に収めましたが、なにか?
ずっと何年も食べ物にありつけなかったような飢餓感もようやく落ち着いた頃、アクロイド様が途中だった話を再開させた。
「どうも君との会話に齟齬がある気がしてならない。互いの認識を確認したいのだが、君はエノス通貨を現行通貨だと思っていないか?」
「そのとおりですが、違うのだということは串焼きの屋台で思い知りました」
「ふむ。やはりな。ではひと月前までエノス通貨が使われていたと認識している理由はなんだ?」
「正確には二十九日前ですけど」
「いや、重要なのはそこではないから、訂正の必要はない。君の了知はその程度の誤差では済まされない」
「え? だって、普通に使えてましたよ? 先月までは市場でちゃんと買えてましたし」
「そこだ。まずそこが間違っている。エノス通貨は使えるはずがないんだ。そもそもエノス通貨の存在自体知っている者が限られているからだ」
「ええ?」
意味がわからない。確かに先月まではエノスで食材の調達が出来ていたのに、アクロイド様はそれを否定する。
混乱と困惑がありありと顔に出ていたのだろう。アクロイド様は幼子に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「コーベット君。君の所有するエノス通貨は、五百年前に使われていた通貨なのだよ」
「―――――――――はい?」
「だから、エノス通貨は五百年前の遺物だと言っている。現在の通貨であるルアより銀の含有量が多いことから、歴史的観点からもその価値は計り知れない」
「―――――――――五百年、前……?」
「そうだ。理解してもらえたか? では最初の質問に戻そう。コーベット君、君はエノス通貨をどこで手に入れた?」
なに言ってるの、この人。五百年前? は? そんなわけないじゃない。じゃあ何? わたしは五百年間気絶してたってわけ? 老いることもなく、死んで土に還ることもなく、ただ眠ってただけだって? そんな馬鹿な話があるもんですか。
「からかってますね?」
「なに? なぜ私が君をからかう必要がある? 私はそのような生産性のない真似は好まん」
「だって辻褄が合いません。わたしは新薬を試して卒倒しました。目覚めたのは数時間前です。何日気絶していたかは定かではありませんが、五百年も経過しているわけがありませんよ」
「……………気絶していた?」
「はい。わたし薬師なんですけど、わたしの調合する薬って、壊滅的に苦いんです。ようやく出来た新薬を試飲したら、案の定苦くて。半端なく苦くて。気づいたら気絶してました」
アクロイド様がしばし黙考した。
呆れられてるのかしら。苦くしか調合できずに薬師を名乗ることが滑稽に映ってる?
「……………君はシェレイスを知っているか?」
「串焼きの屋台でも仰ってましたね。何ですか?」
シェレイスとは珍しいと、わたしを見て言っていた。その意味は気になっていたところだ。
「シェレイスとは、千年以上前に繁栄した文明を築いた一族のことだ。魔力に長け、知識に長けた一族であったらしい」
「古代文明を築いたその一族が、シェレイス?」
「そうだ。とても珍しい特徴を持った、美しい一族だったと文献に残されている」
「珍しい特徴?」
「シェレイスは、灰色の髪をしていたそうだ」
「灰色の、髪………」
だから、わたしを見てシェレイスだと言ったのね。
「アクロイド様。わたしはシェレイスではありませんよ。稀に隔世遺伝で生まれるのだと祖母が言っていました。時折思い出したようにこの色を持って生まれてくるのだと」
「君は自分の他に灰色の髪をした者を見たか?」
「それは……」
「祖母君は何色の髪をしていた? ご両親は?」
「両親は知りません。灰色の髪は魔力を扱えない役立たずとされているので、産まれてすぐに捨てられました。拾って育ててくれた祖母とは血の繋がりはありません」
捨てられたとの発言に、壁際に控えている侍女たちが痛ましげな表情をした。
「魔力を扱えない役立たずだと? なんと浅はかな」
「いえ、間違ってはいないんです。祖母は優秀な薬師でしたが、わたしは上手く魔力を扱えなくて、調合に失敗してばかりですから」
「いや、君は扱えないのではなく、膨大な魔力に馴染めていないだけだろう」
確かに魔力量は多いらしいけど、膨大だと豪語するほどの物ではない。
「隔世遺伝と言ったな? 確かに遥か昔には君の言う先祖返りが数十年単位で誕生していたらしいが、すでに二百年以上シェレイスの特徴を持った者は生まれていない。つまり、君はその唯一ということになる」
「ですから、わたしはシェレイスでは」
「エノス通貨を現行通貨だと思い込んでいる点も勘案すれば、自ずと答えは導かれる」
どうあってもわたしをシェレイスにしたいようだ。
「君は五百年前を生きていたシェレイスだ」
大真面目に断言されたわたしは、しばし沈黙した。
この人、頭大丈夫かしら。