18.灰かぶり、改めて決意する
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短い眠りを繰り返しているのか、目覚めた時刻はさほど経過してはいなかった。
壁掛け照明がいくつか点いているだけの光源は柔らかで、肌と心に残るご当主様の温もりに幼子のような寂しさを感じていた。
わたしもアクロイド伯爵家御一家の皆様に対して、不相応にも親愛の情を寄せていたことを知る。父も母も兄弟も知らないわたしにとって、ご当主様のようなご立派な父を持っていいのだろうかと戸惑う気持ちはある。王子様然としたエグバート様を兄と慕っては失礼ではないかしら……。アクロイド様は―――あの方はいいか。
ああ、でももうアクロイド様とはお呼びできないですね。だってわたしもそのアクロイド姓を名乗らせて頂けるのだもの。義理の兄になられるアクロイド様……いえ、アレクシス様を姓でお呼びするのはさすがにねぇ……。
喜色満面に勝ち誇った顔をされる様子が目に浮かぶようです。何故かしら、イラッとします。
目が冴えて眠れそうにないから、夜風にあたりにバルコニーへ出てみることにした。
白いシフォンのレースを引けば、ファンライトと大きな両開きの窓越しに満月が見えた。
そう言えば今日は満月でしたね。満月の日にだけ咲く薬草花があるのだけれど、来月までお預けかしら……。
両開き窓をそっと開けると、白いシフォンのレースが夜風にふわりと舞った。少し肌寒いけど、泣いた目元と頬に心地いい。
バルコニーにはお茶を楽しめるラウンドテーブルと、椅子が二脚置いてあった。椅子の座面は寝室のソファと同じ、ワインレッドのベルベットだ。そっとひと撫でして、その手触りに頬が緩む。
いつか奮発して、クッションの一つくらいは手に入れたいなぁ。
バルコニーのアイアンパーティションに触れると、熱を一気に持ってかれるほどひんやりと冷たい。でもそれが大泣きした後の火照った体にはちょうどいい。
庭園の一部が一望できる貴賓棟は、外廷と内廷の半ばあたりに建てられている。警備兵の許可を必要とするけど、外廷とは行き来できるよう通路で繋がっているらしい。さすがに王家の方々のお住まいである内廷には繋がっていないみたいだけど、わたしはまず用もないので王様方の居住に行けなくてもまったく問題ない。
さわさわと頬を撫でていく風がひんやりしていて心地いい。庭園から聴こえてくる噴水の水音も心のささくれ立った部分を宥めてくれているようで、覚えずほっと息を吐いていた。
頭が冷えてくると、ご当主様やエグバート様が仰ってくださった申し出を冷静に受け止めることができた。
そして、おばあちゃんのついた嘘についても。
答えてくれる人はもういないのだから、いじけて泣き喚いていても意味はない。結局は、いつの時代に生きようともわたしのやるべきことは変わらないのだもの。
シェレイスのことをよく知っていそうだったあの精霊たちに尋ねることは出来るかしら。シェレイスのことが少しでも分かれば、おばあちゃんが話してくれなかった真相に近づけるかもしれない。
話さなかったということは、ご当主様の仰るとおり優しい嘘なのかもしれない。本当は知らない方がわたしのためなのかも………。
でも、嘘を知ってしまったから。暴くべきではないのかもしれないけど、深淵を覗こうとしているのかもしれないけど、それでも、知らなかった頃には戻れないから。知りたいと、そう思ってしまったから。
不安はもう一つある。
おばあちゃんの生きた時代まで眠っていたのなら、それが一度目の時渡りだ。二度目は今。三度目がないって、言い切れるのかな………。
ぶるりと震えて、自身をぎゅっと抱き締めた。
この時代に目覚めてまだ日は浅いけど、大好きな人達はたくさん増えた。アクロイド家の皆さんを筆頭に、使用人の方々、護衛騎士の方々、ベイジル様、ロメリアさん。こんなわたしにも優しくしてくださった方達と、また突然引き離されることになったら……。
わたしは、それが一番怖い。
コンコン、と唐突に扉をノックする音が聴こえた。
うっすら浮かんだ涙をパチパチと瞬きで散らすと、間を空けずベイジル様の声がした。
「セレス。俺だ。起きてるか?」
思わずほっと安堵の息が漏れた。初めてお会いしてまだ一日を終えてもいないのに、ずいぶんと心を寄せてしまっていることに戸惑いを覚える。
こんなにも甘えただったのだと痛感して、自分の幼さに苦り切った顔をした。
「……………セレス?」
寝室に姿がないことを訝った様子で、ベイジル様の問う声がする。
「こちらです」
そう返事しつつ、こちらから出迎えないのは失礼なのではと、はたと思い立ちました。
振り返った先に、夜風に揺れたシフォンのレース越しに瞠目したベイジル様と、侍従のカムルさん、侍女のロメリアさんがいらっしゃいました。
寝ていると思っていた相手がバルコニーに出ていたことに驚かれた様子です。何だか申し訳ないです。
慌てて部屋に戻り、ぺこりと一礼してからベイジル様にご挨拶と御礼を述べました。
「ベイジル様、突然倒れてしまい、ご迷惑をおかけしました。こちらを使わせて頂きありがとうございます」
「い、いや、それは構わないが………具合はどうだ? もう平気か?」
頬を撫でられたくすぐったさに微笑んで、はい、と首肯する。ベイジル様は何か言いたそうにしておられましたが、思い出したように背後のカムルさんを視線で示します。
「……………夜食を用意した。食べられるか?」
「サンドイッチにございます」
「夕刻に食べ損ねたケーキも全て持って来たぞ」
「ケーキ! 食べます!」
忘れてた! 促されるまま浮き浮きと隣室の応接間へ向かうと、ロメリアさんがさっと肩にガウンを掛けてくれます。
「お体を冷やしてはいけません。何より、寝衣のみで殿方にお会いするのははしたないことですよ」
「ご、ごめんなさい」
そんなこと初めて言われた。今まで夜に訪ねて来られた経験がないからだけど、そうか、もうすぐ成人するし、わたしの行動如何ではアクロイド伯爵家にご迷惑をおかけしてしまうことになるのか。
気をつけなければと頷いて、ロメリアさんに掛けてもらったクリーム色のもこもこのガウンでしっかり上半身を包み込む。その様子に満足そうに微笑んでくれているので、わたしの行動はこれでいいらしい。淑女とは大変なのですね。
ベイジル様に手を引かれて応接間へ入りました。こちらのソファは寝室とは違って、ブルーのベルベットカウチソファが一脚と、同じくブルーベルベットの一人掛けソファが二脚、三人掛けソファが一脚、飴色のローテーブルを囲んで配置されています。
ブルーも素敵!と目を輝かせていると、手を引くベイジル様がカウチソファにお座りになり、わたしをご自身の膝の間に座らせました。
何で?と疑問符の飛び交うわたしでしたが、同じ感想を抱いた様子のロメリアさんが柳眉をひそめて、苦言を呈します。
「殿下」
「セレスは体を冷やしている。風邪でも引いたら大変だ」
「紅茶をお出ししますので、殿下が膝にお抱きになる必要はございません」
「背もたれもないだろ」
「カウチソファをお選びにならなければよろしいのでは?」
「男の方が体温は高い。寝るまでにはセレスの冷えた体も暖まるだろう」
「セレスト様は立派な淑女です。そのような過度の接触は不謹慎ですわ」
「すでに何度もこうしている。一度も二度も同じだ。そうだよな、セレス?」
えええぇぇぇぇ………そこでこっちに振るんですか。
まぁ確かにそうですし、恐ろしいことに慣れてしまっている自分がいますけど、これ普通に考えてやっぱりおかしいですよね?
ロメリアさんが渋面を作ったままこくりと首肯します。やっぱり!
「あのぉ~……一人で座れますよ?」
「でもこの方が暖かいだろ?」
「はい。暖かいですけどね」
「ならいいじゃないか」
いいのか……? 首を傾げるわたしを包み込むように抱いて、ベイジル様がカムルさんにサンドイッチを渡すよう命じます。
ああ、ベイジル様の仰るとおり、抱き締められている上半身がぽかぽかして心地いいです。天日干しした寝具に包まれているような心地で、ほう、と安堵の息を吐きました。
「セレス。食べながらでいいから聞いてほしい」
「はい。何でしょう?」
カムルさんに差し出されたサンドイッチの中から、ふわふわの卵が挟まっている卵サンドを手に取った。
「明日の討伐予定だが、延期することにした」
「延期、ですか?」
「ああ。セレスも心穏やかではないだろう? 万全で挑んだ方がいい」
そう言われて、わたしは俯いてしまいました。
確かに心穏やかとは言えません。でも、家族になってくださるとご当主様とエグバート様が仰ってくださったから、わたしはそれにしっかりと応えて、前を向いて生きていかなくちゃいけません。それが愛情をたくさん注いで育ててくれたおばあちゃんへの恩返しにもなるし、新たに家族として迎え入れてくださるアクロイド家への感謝の印でもあります。
だから、わたしは身を案じてくださるベイジル様にふるふると首を横に振って、拒否の姿勢を見せました。
「大丈夫です。予定通り討伐できます」
「セレス」
「痩せ我慢じゃないですよ? わたしのことを愛娘だと、妹だと言ってくださったアクロイド伯爵様とエグバート様が、どうしていいか分からなかったわたしの心に寄り添ってくださいました。お二人のためにも、わたしはわたしらしく生きていたいのです。だから、予定通り討伐戦を行ってください」
肩越しにじっと見つめるベイジル様を見つめ返し、嘘じゃありませんよ、と微笑んだ。
わたしは運が良いのです。
最高の指導者で保護者だったおばあちゃんに拾われ、愛情いっぱいに育てられた。
唯一の跡取りに選んでくれた。
五百年の時を超えて、アクロイド家御一家と巡り会えた。それだけに止まらず、わたしを養女として迎え入れてくださると、深い情を惜し気もなく差し出してくださった。
そして、ベイジル様。
シェレイスであること、二度の時渡りをしたこと、唯一薬師魔法陣の知識を保有することを除けば、わたしはただのいち平民。そんなわたしを王太子のお立場でありながら気遣ってくださり、こうして今も心底案じてくださる。
良縁に恵まれているのだと今ならわかる。
暫くただじっと見つめていたベイジル様でしたが、諦めたようにそっと息を吐いて、眸を眇めます。
「怪我しないと約束できるか?」
「はい。お約束します」
「……………わかった。明日準備させよう」
「ありがとうございます!」
喜ぶなとねめつけてから、ベイジル様は脱力したようにわたしの肩に顎を乗せた。腰に緩く絡んでいた腕の、きゅっと抱き込む力が増した気がします。
ちょっと苦しいです、ベイジル様。食べている卵サンドが出ちゃいます!
「―――殿下。いい加減になさってください」
底冷えするおどろおどろしい声がロメリアさんから発せられ、わたしはびくっと背筋を伸ばしました。
ベイジル様も締め上げる勢いで絡めていた腕をぱっと離し、両手を上げています。
ロメリアさんは、怒らせると凄まじいのだと知った瞬間だった。
台風21号の影響を受けている地域にお住まいの皆様、ご無事でしょうか(>_<")
捌ききれないほどの雨量に見舞われ、水害が毎年のように引き起こされるようになってしまいました。
世界規模で災害が多発し、地球はこれからどうなってしまうのだろうかと、不安になりますね(´д`|||)
皆様の安全と、1日でも早く元の生活に戻れますよう、心から願っています。