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17.灰かぶり、泣く

 



 薄ぼんやりとした視界に微睡みながら、見知らぬ天井にここはどこだろうかと、そんなことを思う。


「お目覚めですか」


 耳に心地よい柔らかな声音が耳朶に触れ、ぼうっとしていた頭が急速に覚醒していく。

 聞き慣れない声と部屋の様子に飛び起きたわたしをやんわり押し留め、声の主である綺麗なお姉さんが優しく語りかけてくれる。


「お倒れになりました。覚えておられますか?」


 そういえば―――気を失う直前に聞いた精霊の話を思い出して、苦しさから顔をしかめた。そんなわたしの様子をつぶさに観察して、お姉さんがそっと掛布をかけ直してくれる。


「あの……ここはどこですか」

「ここは王宮貴賓棟の一室になります」

「貴賓棟………」

「はい。現在貴賓棟にはセレスト様の他に五名のご令嬢方が滞在なさっておいでですが、セレスト様のお部屋がある三階には立ち入れないよう、王太子殿下が厳命なさっています。限られた者のみ控えておりますので、御用の際はこちらのベルでお知らせください」


 そう言って指し示したのは、サイドテーブルに置かれた真鍮の呼び鈴(ハンドベル)だった。精巧な細工が施された呼び鈴は、それだけでとんでもない値が張るはず。

 怖くてとてもじゃないけど鳴らせない、と思いつつ、この綺麗なお姉さんがずっと看病してくれたのかしらと見つめた。


「申し遅れました。王太子殿下よりセレスト様のお世話を命じられました、ロメリアと申します」

「ロメリアさん……」


 ぽそりと鸚鵡返ししたわたしにふふふと微笑んで、はい、と返事してくれる。おおぅ……美女の微笑み……眼福です。ありがとうございます。


「お夕食は如何なさいますか? 食欲がおありのようでしたらご用意致しますが」


 わたしはふるふると左右に首を振った。お腹がすいていない訳じゃないけど、食欲がない。


「承知致しました。セレスト様がお目覚めになりましたら面会したいと、宰相様と御子息のエグバート様が仰っておいでですが、どうなさいますか?」

「宰相様………?」


 待って、今エグバート様って言った? じゃあ宰相様って、アクロイド伯爵家のご当主様!?

 驚愕に目を見開いたわたしにこくりと頷き、ロメリアさんは何を思ったのか心得ているとばかりに慈愛に満ちた眼差しで口を開いた。


「では、半刻ほど置いてから宰相様方にはお伝え致しましょう。それまでは、どうか今しばらくはごゆっくりお休みください」


 気を使ってくれたのだろう。一人になる時間を与えてくれるみたい。

 一礼して退出していく姿を眺めて、いい人だなぁと、そんなことを思う。


 体を起こし、しんと静まり返った部屋を見渡した。

 中央に今まで寝ていた大きなベッドがあり、右手に呼び鈴と水差しが置かれたサイドテーブル。左手の壁側には机と椅子が一脚、ワインレッドのベルベットソファが一脚ある。他にドレッサーやチェストもあるけど、狭く感じないのは部屋自体が広いからなのね。

 右側にバルコニーに繋がる大きな窓があって、すでに夜の帳は下りていた。いつもなら好奇心に忠実に窓の外を眺めに行くのだろうけど、そんな気にはなれなかった。


 ふかふかのベッドの上で膝を抱えると、じわりと涙が盛り上がる。


 おばあちゃん……おばあちゃん……会いたい、会いたいよ……。どうして何も教えてくれなかったの? わたしは本当にシェレイスなの? 千年前に滅んだシェレイス? わたしはどうしておばあちゃんの生きた時代に居たの? どこでわたしを見つけた? おばあちゃんはわたしがシェレイスだって知っていたの?


 聞きたいことは山ほどあるのに、もう答えをくれる人はいない。側にいてほしい人はこの世でただ一人なのに、その人はもういない………。


「うっ………ふぇっ……」


 シェレイスって何なんだろう。わたしは何者なんだろう。時代を二度も超えたなら、それは何のためなの? どうして他のシェレイスは時を超えていないの。どうしてわたしだけなの!


 膝頭に押しつけて、漏れる嗚咽を必死に噛み殺す。

 ロメリアさんが着替えさせてくれたのかな。さらさらの白い寝衣が肌に心地いい。それだけのことだけれど、誰かに温かく包み込まれているような気がして、いつの間にかそのままうとうとと寝入ってしまっていた。


 ふと、扉をノックする音で目が覚めた。膝を抱えた姿勢のままだったから、それほど時間は経っていないのかもしれない。


「セレスト様、ロメリアです。宰相様とエグバート様がお見えになっておられますが、お通ししても宜しいですか」


 ああ、後で訪ねてくると言っていたわね……。


「………はい」


 失礼致します、とロメリアさんが扉を開け、ご当主様、次いでエグバート様が入室されました。


「ああ、エスティちゃん……こんなに目を真っ赤にさせて」


 眉尻を下げ、おいでと抱き締めてくれる。人肌の温もりに知らずほっと息を吐いて、ご当主様の腕の中でまたぽろりと涙が零れた。


「エスティちゃん。本当にパパの子にならないか」

「……………え?」

「パパの家族になってほしい。悲しい時や寂しい時、不安な時に、こうして側にいて抱き締めさせてほしい。一人で泣く夜を無くしてあげたい。パパにとってエスティちゃんは、何よりも大事で大切な娘なんだよ。だからパパの子供になって、エスティちゃん」

「かぞ、く……」

「セレスト嬢。君を守るためには我がアクロイド家の庇護下に置くべきなんだ。五百年前とは君の置かれている状況が違う。このままでは君の能力を貴族や他国の王侯貴族に利用されかねない。養子縁組を承諾してもらえないだろうか」


 それはとても恐ろしいことだった。そして、確かに時を超えたのだと改めて突きつけられた現実に僅かに怯えを見せると、腕の中で微かな震えを感じ取ったご当主様がエグバート様を諌めました。


「エグバート。その話は今でなくていい。状況の優先度より、まずはエスティちゃんの心に寄り添いなさい。お前は確かに優秀だが、そういう点ではまだまだ未熟だ。アレクシスの方がまだ気遣いを見せるぞ。まぁあれの場合は本能的に動いて正解を引き当てる野生児だから、参考にされても困るが」


 弟の方がまだマシだと言われて、エグバート様の頬が思い切り引き攣っています。それが可笑しくて、ふふっと小さく笑ってしまいました。

 ……………笑えるんですね、わたし、まだ。


「お申し出は、ありがたいです。でも、わたし、コーベットでいたい……」


 おばあちゃんとの繋がりは、薬師の知識と、この名前だけだから。


「心配はいらない、セレスト嬢。コーベットの名はミドルネームとして残せる。君がアクロイド姓を名乗り、我がアクロイド伯爵家の縁者であると対外的にもはっきり証明できればいいんだよ」

「コーベットは、残せる……?」

「ああ、残せる。アクロイドの名が増えるだけで、君はずっとコーベットのままだ」

「繋がりを、残せる………」

「セレスト嬢……いや、セレスト。うちにおいで。私の妹になりなさい」


 ご当主様に抱き締められたまま、再び涙が盛り上がる。

 ぽろぽろと止めどなく溢れては零れ落ちて、ふえっと泣き声を漏らした。


「エスティちゃん。家族は一つじゃなくていいんだ。君にはお婆様がいて、そこにパパやエグバート、アレクシスが加わるだけなんだよ。増えはしても減ることはない。お婆様は亡くなっているが、ずっとエスティちゃんの中で生きているだろう? エスティちゃんに教えたたくさんのものが、その証拠だとは思わないか?」


 たくさんの思い出が過り、確かに愛されていたのだと思い出す。そう、わたしは愛されていたのに。


「お婆様はエスティちゃんに伝えていないことがあるかもしれない。でも、それは優しい嘘だったのだとパパは思う。子を思いやってつく嘘もあるからね。それでもエスティちゃんが知りたいと心から思うのなら、それを見つける手助けをさせてほしい。君は一人じゃない。新しいパパたち家族がいる。喜怒哀楽を分かち合うのが家族じゃないか。そうだろう? 私の愛しい娘」


 ご当主様の穏やかな声が、ゆっくりと頭と背中を撫でてくれる温かな手がとても心地よくて、縋ってもいいのだと、甘えてもいいのだと心にストンと落ちてきて、堰を切ったように、幼子のようにしがみついて泣いた。

 みっともなくわんわんと泣くわたしを、ずっと優しく抱き締めてあやしてくださった。






 気を失うように眠ってしまったセレストをそっと横たえて、眦を滑り落ちる涙をそっと指で拭う。


「父上……」

「ずっとギリギリだったのだよ。気づかなかったか?」

「………申し訳ありません」

「ふふ。だからお前はまだまだ未熟だと言うのだ。この子はね、ずっと明るく振る舞っていたが、常に何かに追われるような、強迫観念にも似た焦りがあった。それを自覚するまでは見守るつもりでいたが、上手く吐き出せたようで一安心だな」


 エグバートは何とも言い難い複雑な面持ちで父親を見る。


「父上がセレストをずっと家族のように扱っておられたのは、このためですか」

「可愛い娘が欲しかったのは本当だ。だが、そうだね。上手く隠していたようだが、危うさはそう簡単に消せるものじゃない。この子は無自覚だっただろうがね」


 目尻に皺を寄せ微笑んでいる父親の横顔は、なるほど確かに愛娘を見つめる父性愛の眼差しだ。

 エグバートはそっと嘆息すると、父親に頭を下げた。


「セレストを守れるよう、精進致します」

「まあ頑張りなさい」


 愉快げに微笑む父親に苦笑を返し、はい、と首肯する。

 穏やかな寝顔を見つめて、エグバートは二度と悲しみの涙を流させないと固く心に誓った。






 ◇◇◇


「殿下。成人されておられないとは言え、先触れもなく夜更けに女性の寝室を訪ねるとは非常識でしょう」

「まあそう言うな。セレスに夜食を持ってきただけだ」


 目くじらを立てるロメリアに苦笑しながら、背後のカムルを目線で示す。カムルが抱えているのは、サンドイッチと夕刻セレスに出したケーキの残りだ。後で食べるのだと豪語していたので持ってきたのだ。


 ロメリアは俺が指名したセレス専属の侍女だ。他にあと二人ほどいるが、今日はロメリア一人に一任している。

 このロメリアだが、一見見た目は若いがすでに四十歳を超えている。王宮侍女長を務める彼女にセレスの世話を一任したのは、年頃の娘の扱いに一番長けているからだ。ロメリアであれば、仮に不測の事態が起きたとしても対処にもたつかない信頼性がある。


「お夜食が必要であれば私がご用意致します。殿下が夜更けに未婚の女性の寝室を訪ねたと知れれば、良からぬ噂が立つのは分かりきっていることではありませんか。それは殿下のためにもセレスト様のためにもなりません」

「噂が立ったならそれはそれで構わないが」

「セレスト様は困ります。貴賓棟には他に五名のご令嬢方がご滞在しているのですよ?」

「まったく面倒なことだよな。さっさと難癖つけて追い出せればいいんだが」

「殿下」


 ロメリアの声と向けられる視線が冷え冷えとしてきたので、俺は無遠慮に扉をノックした。


「セレス。俺だ。起きてるか?」

「殿下!」

「扉は開けておく。それで問題ないだろう?」

「そういう問題ではっ」


 ロメリアが言いかけた時、どうぞ、と中から入室を許可する可愛らしい声が聞こえた。

 ふふん、と勝ち誇った視線をロメリアに向けると、歯軋りが聴こえそうな形相でじろりと睨み、失礼致しますと断って扉を開けた。

 ロメリアは相変わらず怖い女だ……。


 開けられた扉を潜ると、ベッドにいるはずのセレスの姿はない。セレス?と声をかければ、こちらです、と開け放たれたままのバルコニーから声がする。


 風に緩くはためくレース越しにセレスの華奢な肢体が見え、俺ははっと息を飲んだ。背後に付き従うカムルとロメリアも同様だった。


 月光に照らされたセレスの姿は、精霊が言っていたように色素の薄い者特有の神秘的な神々しさを晒していた。

 月の雫を溶かし込んだかのように白銀に煌めく髪と肌。そしてしっとりと星屑が輝く銀の瞳。

 月明かりを受け、全身が仄かにきらきらと発光しているようにも見える。


 何色にも染まるセレスの妖艶さに、俺はこのとき初めて気づいた。





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