15.灰かぶり、王宮へ行く
馬車ならぬモカド車は、本当に一時間と掛からず王都へ到着した。
わたしのお尻も無事です。モカド車がまったく揺れず、ふかふかのクッションが完備されていた事は大前提ですが、王都までの行程をずっと王太子殿下―――ベイジル様のお膝の上に、さもそこが定位置であるかの如く座らされていた事も理由のひとつかもしれません。
ベイジル様の筋肉質な御御足の上よりも、寧ろふかふかのクッションに包まれたかった………。
だって生地がベルベットですよ。シルクもありました。初めて触らせて頂きましたが、極上の手触りでした。物欲しそうな顔をしていたのか、ベイジル様がクッションを手渡して下さいましたけど、二つは持てません。ベルベットとシルクとどっちがいいか、十分間悩んだわたしは悪くないと思います。
赤いベルベットのクッションを抱えて、足をぷらぷらご機嫌に鼻歌まで出てしまったのは致し方無しと思い込むことにします。
ベイジル様にはずっと頭を撫でられ、向かいにお座りになっているエグバート様からも、微笑ましいものを見る暖かい青眼を向けられています。
お二方。何度も何度も言いますが、わたしは幼子ではないです。そりゃ同世代の平均よりちっちゃいかもしれませんけどね、これでも今年十六の成人を迎える、年頃の乙女ですよ!
そんなこんなで五百年ぶりにやって参りました、王城です。
外観はほぽ変わっていないように見えます。経年劣化の修繕はされてきたでしょうけど、大規模な建て直しなどはされていない様子。
懐かしい、とはさすがに思いませんが。
だってわたし、ただのいち庶民で、いち見習い薬師ですよ? 納品の対応は門衛の方々がされていましたし、連絡を受けた騎士団の方が門まで出迎えに来られて、そのまま騎士団の補給品管理者へ品と目録をお渡しするだけでしたから。受領書を受け取ったら、わたしの役目は終わりです。
王城の内壁はほぼ知りませんし、通されても精々騎士団団長室くらいでしょうか。納品と同時に追加発注されることも結構ありましたからね。詳細をお伺いするために、補給品管理者と共に団長室へ通されることもそれなりにありました。
ベイジル様に抱かれたまま下車したわたしは、天を衝く勢いで悠然と聳え立つ白亜のお城を見上げて、ほわ~っと間抜けな声を漏らした。
王城をこれほど間近に見上げたのは初めてです。首がつりそうです。
「城は初めてか?」
「何度か納品に来たことはありますけど、外郭の騎士舎までだったので」
「壮観だろう。セレスの見ていた頃と造りは変わらないからな」
「圧巻です」
よしよしと機嫌良く頭を撫でた後、わたしを下ろして手を繋ぎました。
ここでようやくはっと我に返ります。
強引粘着性のベイジル様のペースに、何をうっかり馴染んでいるの、わたし!? お膝抱っこや横抱きに慣れちゃ駄目でしょう! 嫌だベイジル様って恐ろしい!
ぺいっと振り払おうとした手は、虚しく揺れただけでくっついて離れない。おかしいな。これでは力自慢の名折れだわ。
振り解こうと何度も揺らすが、しっかりと繋がれた手はびくともしない。はははと愉快げに笑われただけだった。
ベイジル様の配下方や、出迎えた侍女さん方が微笑ましく見守っています。いや、これ遊んでいる訳じゃありませんからね!? まったくはずれないベイジル様がおかしいんです!
「カムル。魔物の様子は見れるのか?」
「小一時間ほど頂ければ可能かと」
「では可能なかぎり急がせろ。あくまで事故など起こらない範囲でだがな」
「御意」
下がっていく侍従のカムルさんを見送ったベイジル様は、にこりと微笑んでわたしを見下ろしました。
「セレス。明日討伐する魔物見学の場が整うまで時間がかかる。待っている間に菓子を食べないか?」
「お菓子!」
アクロイド邸ですっかり餌付けされてしまったわたしは、甘美な響きに目を輝かせました。好き嫌いはないので何でも食べますよ! どんと来いです!
「君は小柄なわりに大食漢だと聞いている。夕食前にたらふく食べるのは感心しないが、ある程度ならば問題あるまい。食事の後デザートをあるだけ食べていい。だから今は少量で我慢できるな?」
「出来ます!」
「よし、いい子だ。では遅めのアフタヌーンティーを楽しむとしよう」
ベイジル様の目配せに一礼して下がっていく侍女さん達に気づくことなく、お城のお菓子とはどんなものだろうかと小躍りする勢いで、ベイジル様に手を引かれながら足取りも軽くついて行きます。
「セレスト嬢、チョロすぎる」
後ろで苦笑いを浮かべているエグバート様が、心配だなぁとぽつりと呟きました。脳内アフタヌーンティー中のわたしの耳には、その呟きは当然ながら聴こえていませんでした。
◆◆◆
「―――――ご覧になって」
「まあ!」
「人目も憚らず、畏れ多くも殿下とお手を繋いで歩いておいでだわ。どこのどなたかは存じませんけれど、なんて破廉恥で非常識なのかしら」
「信じられませんわっ。殿下にあのような真似を強いるだなんてっっ」
「どんな教育を受けて来られたのかしらね」
回廊に佇み密やかな批難を口にする五名のご令嬢方が、庭園を横切る王太子殿下御一行を冷ややかに見つめていた。
「わたくし達の他に、新たに候補として迎えられた方なのかしら」
「まさか! あのような粗野な者が候補に上がるはずありませんわ!」
「珍しい毛色をしておられますし、一時の慰みに召されたのかもしれません」
「嫌だわ。あれでは殿下の品位も疑われましてよ」
「探る必要がございますわね」
当然とばかりに頷き合う。
「わたくし達と同列に扱われては我慢なりません。側室になどと望まれるのも、わたくし達への冒涜に他なりませんもの」
「その通りですわ」
「けれど、殿下がそのような分別のないことをなさるかしら?」
「一時の気まぐれでも、ああしてお手を引いておられますのよ。看過出来まして?」
「エグバート様も何も仰らないなんて。麗しいお二人の間に、あんなみすぼらしい子供がいて良いわけがありませんわ」
控えている侍女たちが然りと頷いている。それに侍従たちはひっそりと眉をひそめた。
彼女らは、ご令嬢方のご実家から連れてこられた専属だ。仕える家とご令嬢に傾倒するのは悪いことではないが、貴族家に仕える侍女風情が王太子殿下を誹謗するという不敬に気づいてもいない。
ご令嬢方の言い分も半々だ。諫言申し上げるのは臣下の務め。それは許される。しかし嫉妬や妬み、身分差による蔑みから殿下を批難なさるのは違うだろう。それはただの醜い醜態で、忠誠心の欠片もない。
身分よりもご器量が重視されるのだとお気づきではないようだ。
楽しげに笑い声を立てる殿下をしげしげと見つめ、侍従たちは心がほっこりとした。
悪戯盛りの少年のように、あれほどに無邪気に笑われる殿下を拝見したのは数年ぶりだと、少し年嵩の侍従は微笑んだ。
エグバート様の前ではよくお笑いになるそうだが、あのような童心に帰った笑顔ではない。
たったそれだけのことだが、侍従達にとってはとても大きなことだった。
あの笑顔を引き出している少女に、心からの親愛の情を抱くのも無理からぬ話であった。
◇◇◇
「こっちです! 間違いないです!」
ふんすと鼻息荒く、わたしは自信満々に宣言します。
アフタヌーンティーを頂いてから小一時間が経ちました。只今魔物を確認するために移動中です。
アフタヌーンティーに用意されたケーキやスコーンはとても美味しくて、一口サイズにカットされた色とりどりのケーキには、目移りしちゃってなかなか決められませんでした。あうあうと喘いでいると、笑うベイジル様が「夕食後に残りを平らげてしまえばいいじゃないか」とご指摘下さり、天啓を受けたように衝撃を受けたわたしは適当に五個ほど選ぶと、遠慮なく頬張りました。
後で全部食べていいなら迷う必要ありません。
そう。後々すべて胃袋に収められるのです。どれが前後しようが些末なことです。問題になりません。
言質取りましたからね! これはもうわたしの物です!
侍従のカムルさんが準備できたと報告に戻られ、当然のように再び手を繋ごうとしたベイジル様にわたしは待ったをかけました。幼子ではないので一人で歩けます、と。
ベイジル様は迷子防止だと仰いますが、失礼ですね。森歩きのエキスパートが王城の庭園程度の規模で迷子になるわけないじゃないですか。
「……………うん?」
迷路のように入り組んだ高垣を抜け、ここだ!とばかりに自信満々に飛び出して、外壁にぶち当たりました。
「……………また壁です」
「また壁だな」
「これで四度目ですね」
ベイジル様とエグバート様から冷静な突っ込みを頂きました。うるさいですよ。
「はっ! そうか、ここは迷宮なんですね!?」
「ぶはっ!!」
それなら脱出できない理由に説明がつく!と自分の閃きに満足していると、ベイジル様が吹き出しました。
顧みれば、エグバート様もカムルさんも、近衛騎士の方々も侍女さんも、一様に皆さん視線をそらして肩を震わせておられます。
何ですか皆して。人の失敗を笑うと自分が失敗した時に返ってくるんですからね! ちょっとは自重してください。特にベイジル様!
大笑いするベイジル様を、わたしはじっとりと睨み付けてやりました。
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読了お疲れさまでした。色々と穴だらけですが、楽しんで頂けたら嬉しいです。
『公爵令嬢に転生したけど、中身はオッサンです。』も更新しております。こちらも読んで頂けたら幸せです!