14.灰かぶり、謎の溺愛を受ける
「………………………あの、王太子殿下。いい加減下ろしてください」
エグバート様の執務室に横抱きされたまま戻ったわたしは、何故かそのままソファに腰掛けた王太子殿下の膝に座らされている。横抱きの姿勢のままなのが更に意味不明です。
「なぜ下りたい? それから私のことはベイジルと呼ぶように」
「この体勢は普通におかしいです。あと無茶言わないでください」
「どこもおかしな点はないだろ?」
「寧ろ何処も彼処もおかしいですよね?」
「なかなかに頑固だな。いいぞ」
わたしは無遠慮にドン引きした。この方もどうやら残念な思考をしておいでのようです。あと動く食指の傾向が倒錯的で薄ら寒さを感じます。今の流れで何故わたしが頑固者認定されたのでしょうか。
「ではこうしよう。私をベイジルと呼ぶならば膝から下ろしてやろう」
「どんな理不尽な要求ですか」
「簡単だろう? 呼べば済むのだ。呼ばないかぎり君はずっとここが定位置だ。どちらでもいいぞ。私は困らない」
「そうでしょうね」
ぐぬぬと恨めしく呻く。どっちを選んでもわたしには得などないじゃない。
畏れ多くも名呼びを拒否すれば膝から下ろしてもらえず、下りるためには胃痛を覚悟で名をお呼びしなきゃならない。益々もって意味不明です……!
にこにこと胡散臭い笑みを振り撒く王太子殿下を不敬にもじっとりと睨み、噛み締めた奥歯からおどろおどろしく声を発した。
「下ろしてください。……………ベイジル様」
「はは! 嬉しいけど残念だな。下ろさなくちゃいけないのか」
「当たり前じゃないですか!」
何しれっと約束を反故にしようとしてるんです!?
ぷりぷりと頬を膨らませ抗議すれば、もう一度面白そうに笑いながら隣に下ろしてくださいました。が、近いです。まだ全然近いです。
なぜ腰に腕を絡めているんです? わたしは犬猫ではありません。愛玩動物のように触れ合うのはおかしいでしょう。
何ですかその微妙な顔は。何でわたしの方がおかしいってことになってるんです!? 現代の男女間の距離感がおかしいのに! わたしは幼子扱いですか。そうですか。納得できません!
「そうか、セレスト嬢は押しに弱いんだな。アレクシスも強硬な態度を貫けば名を呼んでもらえたということか」
聞き捨てなりません。止めてください、エグバート様。ただでさえ粘着質で面倒臭いアクロイド様に強硬策を取られたら、わたしは全力で逃走しますからね!
王太子殿下―――おっふ。無言の威圧ですか。微笑みが本当胡散くさ……いえ何でもありません。心の中の呟きに正確に反応しないでください。
心の中でさえ王太子殿下とお呼びするのも禁止のようです。いよいよ以て意味がわかりません。
「さてセレスト嬢。いや、セレスと呼ばせてもらおうかな?」
もう何でもいいです。ベイジル様のお好きにお呼びください。アクロイド様と同質の粘着っぷりを感じます。面倒臭いです。ひたすらに面倒臭いです。
「うん。ではセレス。私がアクロイド邸を訪れた理由はもう一つあるんだが、それを叶えてくれるだろうか」
「わたしが叶えるんですか?」
「君でなけれぱ意味はないからな」
「何でしょう?」
「騎士団幹部に相当する戦闘力を有していると聞いた。その実力を見せてほしい」
「別に普通の討伐能力しかありませんよ?」
「セレスト嬢。君の自己評価と我々の認識は違うんだ。君の時代では普通だったかもしれないが、現代ではセレスト嬢ほどの殺傷能力を持つ者は、王宮騎士団にも冒険者の中にも限られてしまう」
「え~………」
エグバート様のお言葉に何とも言い難い気持ちになる。
当時わたしの戦闘力は並だった。少なくともおばあちゃんよりは断然弱い。採取兼狩りには単独か、たまにおばあちゃんと二人きりで森へ分け入ってたけど、遭遇した魔物はおばあちゃんの半分ほどしか討伐出来なかった。
他の薬師と合同で、年に数回貴重な薬草が群生しているダンジョンへ潜ることはあったけど、その人たちと比べてもわたしの実力なんて鼻で笑われる程度のものだった。
見習い期間の跡継ぎ達だって魔法陣の調整が上手だったから、火力加減の不得手なわたしよりよほど優秀だった。同じ立場であるはずの彼らを見ていると、猪突猛進な自分がとてもちっぽけな存在に思えたものだもの。
だから、エグバート様やベイジル様、アクロイド伯爵家護衛騎士の方々に称賛されても、ちっとも嬉しくないのです。だって、実力差が有りすぎる現役薬師は別物としても、同じ見習いであるはずの跡継ぎたちとでさえ後方に引き離されるほどの力量差があったのだから。
彼らの力は拮抗していておっつかっつだったのに、わたしはそれを必死に追いかけながらどんなに頑張っても敵わないのだと痛感するばかりだった。
調合も出来ず、狩りでさえ足手まとい。知識だけは網羅した頭でっかちの落ちこぼれ。それがわたしだったから。役立たずでおばあちゃんに恥をかかせてしまうばかりのわたしが、五百年の時を超えて絶賛されるのは苦痛で仕方ない。
わたしは違うのに! 本当に凄いのは五百年前の薬師なのに!
そう吐露したところで理解されるとは思えないし、寧ろ是正されるべきはわたし自身だと思う。
五百年前の薬師の英知を唯一知るわたしだけが時を超えたのなら、未熟者の役立たずだけど、失われた薬師の知識と技術を今一度広く伝えていく義務があるのかもしれない。このまま廃れさせたままなんていけないわ。
でもわたしがしようとしていることは、一子相伝である薬師のしきたりを真っ向から破る行為。薬師系譜から粛清される重罪だ。
それでも、以前わたしが作っていた粗悪品が当たり前になっているなんて見過ごせない。コーベット家の調合魔法陣しか広められないけど、習得出来ればきっとわたしより高品質の薬を調合できるはず。
時を超えた意味があるならば、きっとこれだと思うの。
本当は嫌だけど………コーベット家の宝をおばあちゃんから受け継いだのはわたしなんだもの。それを流出させてしまうのは本当に嫌。でも残さなきゃ。おばあちゃんやご先祖様が築き上げてきた大切な大切な調合知識を、きちんと後世に残さなきゃ。
まずはわたし自身がすべての調合を完璧に実演しなくちゃ。お手本が不発では人に教えるなんて烏滸がましい。
数年間は復習と実践を繰り返して成功率を底上げして、ベイジル様にお話しするのはそれからになるわね。
密かにやる気に漲っていると、ベイジル様がわたしの頬をつつきながらこてんと首を傾げた。
「聞いているか、セレス?」
「あ、はい。聞いてますよ。魔物討伐をお見せするというお話ですよね?」
「ああ。頼めるか?」
「大した腕前ではありませんが、構いませんよ。でも今日はもう無理ですからね? 日が落ちてからの森歩きは方向を見失い遭難する危険がありますから。暗闇で視界が遮られると、魔物の奇襲に対応が遅れてしまい、最悪全滅することもあります」
「夕刻と言ってもまだ日は高いだろう?」
「夕暮れは日の傾きが早く、早々に暗くなり始めますから。特に森は空を樹冠に覆われて地表まで光が届きにくいので、ベイジル様が思っておられる以上に闇に沈むのも早いです」
「そういうものか」
「そういうものです」
だから今日は駄目だと伝えると、ベイジル様が暫し黙考し、控える侍従に視線を向けた。
「素材研究目的で捕獲された魔物がいたな?」
「はい。ダンジョンから七体ほど」
「処理はいつになっている?」
「三日以内に場を整えると報告が入っております」
「ならば明日に調整させろ。余計なギャラリーはいらん。立ち入りに制限をかけろ」
「御意。個数は?」
「そうだな………セレス。魔物討伐は一度の戦闘で何頭までなら可能だ?」
唐突な質問にぱちくりと瞬いた。
「ものによりますね。コボルト相手ならば五十程度は問題になりませんけど、大型の魔物の群れとなると少々厳しいかもしれません」
わたしの返答に、ベイジル様もエグバート様も、侍従の方を始めとしたベイジル様配下方や、エグバート様の使用人方があんぐりと呆けた。
うん? なんです?
「コボルトで五十、大型の群れで少々厳しい………?」
「殿下。セレスト嬢を見たまま可憐な少女だと認識していると、頭が混乱してしまいますよ」
「そのようだな………」
呆れた視線を受けて、わたしは唇を尖らせました。
褒められていないことはわかりました。失礼です。
「こういうところは可愛いのになぁ。こんな華奢な体でコボルトを五十だと? 信じられんな」
突き出したわたしの唇に人差し指を押し当てたベイジル様が、まるで可愛がっていた猫が仕留めた鼠を咥えて戻ってきた姿を目撃したような、切ない表情をされています。
本当に失礼ですね! 薬師なんだから、魔物討伐くらいやりますよ! 純真無垢でご飯は食べれません!
「騎士団がダンジョンで得た魔物七体だが、素材重視で討伐してほしい。カムル、種類は?」
カムルと呼ばれた侍従の方が、手にされている大判の書類を繰り、確認しておられます。
「狼型が二、飛行型が三、昆虫型が一、大型が一となっております。狼型がブラックドッグ、アセナ。飛行型がスパルタ、ストラス、ユルング。昆虫型がハイドラ。大型がムスカリエトとの報告にございます」
「ゆっ、ユルングと、ストラス、ですか!?」
わたしは興奮に震えた。
ユルングは虹の蛇とも呼ばれ、虹色の蛇体に虹色の翼を生やした魔物だ。羽毛と鱗、血液は上級薬の素材となる貴重なダンジョン魔物なのです。
同じくストラスは金色に輝く羽毛を持つ魔鳥で、この羽毛の他に鉤爪、翼の骨が上級薬の素材になる。また肉質は柔らかく淡白で、滋養強壮の効果もあり高値で取り引きされていた。
どちらも毒袋を持っているので、扱い方を間違えるとせっかくの上級素材が汚染されてしまい、使い物にならなくなる。ところがこの厄介な毒袋。破損させることなく取り除けば最高級の解毒薬にもなるのです。
ハイドラとムスカリエトも上級素材の宝庫。なんてことでしょう!
欲しい。是非ともほしい!
「七体ともすべてお引き受け致します! その代わり! わたしにも素材を分けてください!」
目を爛々と輝かせて高らかに宣言したわたしは、ふんすと鼻息荒く溢れる高揚を隠せなかった。
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さて今回列挙されたダンジョンの魔物ですが、名前以外の見た目や性質、採取素材などは完全創作です。なので、既存の魔物の特徴とは違っています。
灰かぶり特有の魔物だと飲み込んで頂けたら幸いです。
因みに国名や地名、薬草名や種類、薬効などはすべて完全オリジナルです。
これも「そういうものだ」とご理解頂けると嬉しいです!
『公爵令嬢に転生したけど、中身はオッサンです。』も更新しております。
そちらもご興味がありましたら覗いてみてくださいね~!