表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔女王様の後日談

作者: 龍川歌凪

 昔々あるところに、魔法により発展した王国がありました。その国では魔力が高ければ高い程権力と財産を手に入れる事が出来ました。


 そんな魔法王国のとある貴族の家に、カーツェという娘がいました。

 カーツェはとても高い魔力を有しており、この国の王子との婚約が決まっていました。


 けれどもある日、平民の出にもかかわらず高い魔力を有した少女が現れ、あろうことか王子は彼女に一目惚れしてしまいました。


 そしてなんと王子はカーツェに婚約破棄を言い渡したのでした。

 当然納得のいかないカーツェは意義を申し立てましたが、王族に意見するとは何事だ、と王子は激昂し、カーツェを国外追放してしまいました。


 しかし絶大な魔力を持ったカーツェはやがてその身を魔へと堕とし、いつしか『魔女王』と呼ばれる悪の権化と成り果てたのでした。


 事態を重く見た王国側は一人の若者を光の勇者として旅立たせ、ついに魔女王を討ち取ったのでした。


 勇者の剣に貫かれた際、魔女王の魔力は12の宝石となって流れ出しました。宝石は世界各地にばらまかれ、これでもう魔女王が復活する事もありません。


 かくして王国に平和が訪れたのでした。めでたしめでたし。





 ――これが現在絵本として伝わっている『魔女王伝説』の概要である。


(ふん、どうせあたしは悪の権化よ!)


 何か売れる物はないかとゴミ捨て場を漁っていた少女は、そこに捨てられていた絵本を放り投げながら舌打ちした。


 彼女の名はカーツェ。そう、かつて魔法王国を恐怖のどん底に陥れた魔女王その人である。


 世間一般には悪虐非道の限りを尽くしたと伝えられる彼女ではあるが、実際は王国に不満を持つ老若男女の集団、通称『魔女』を率いるリーダーとして、税金使途の透明化の主張運動や、城お抱えの魔法使い達による非倫理的な研究への抗議運動、及び魔法施設建設の為に立ち退きを余儀なくされている村の反対デモ等をおこなう程度のものであった。


 とはいえ王国はデモ鎮静化の為に武力行使に出た為、彼女もその余りある魔力により応戦した。それなりに手加減していた為意図的に相手を絶命させる事はなかったが、もしかしたら打ち所が悪くてその後亡くなった者はいたかもしれない。


 また、彼女が魔に身を堕とした事も事実である。


 王子への憎悪に彼女の中の魔力が反応し、その身を魔の者へと変貌させてしまったのである。


 これらの事実を王国はここぞとばかりに利用した。自分達にとって都合の悪い存在である彼女を、王国の騎士団の中で一番の剣の使い手を勇者として送り出し、排除させたのである。


 しかし恐るべき魔女王たる彼女を絶命たらしめる事は出来なかった。


 勇者の剣に貫かれた際に魔力の大半を失ったものの、一度魔の者となった彼女は長き時をほそぼそと生き続けてきたのであった。


「あー、もう!ろくなもんがないわ!レキ、もう行くよ!」


 彼女の隣で生ゴミを漁っていた白黒模様の長毛猫は顔を上げると、背中に生えた漆黒の翼をパタパタと羽ばたかせて彼女の後をついていった。


 この猫は翼猫つばさねこという魔物の一種であり、彼女の使い魔だ。

 一般的に翼猫の翼は純白や淡い黄色の翼が好まれる。しかしこの猫の翼はカラスのように真っ黒であった。

 ゆえに心ない魔法使いに捨てられてしまったのだろう。

 雨の中震えながらか細く鳴いている子猫を、カーツェは無視する事が出来なかった。王子に捨てられた自分自身の姿を重ねてしまったから……。


 一人と一匹が向かったのは路地裏にある小さな酒場。キィ、という音と共に木製の扉を開く。


「あらいらっしゃい野良猫さん。ご注文はいつものでいいのかしら?」


 酒場の女店主はグラスを拭いている手を一旦止めて顔を上げると、馴染みの客である彼女達にやんわりと微笑みかけた。長い亜麻色の髪を肩のあたりでゆったりと結わいた、落ち着いた雰囲気の女性である。


 店主は名を名乗ろうとしないカーツェの事を『野良猫さん』と呼んでいる。

 ここに来る客は素性を隠している者も多く、店主はそういった相手を独自の感性で付けたあだ名で呼んでいるのだ。


「うん、いつものでお願い。……それで、例の品は手に入ったの?」


 カウンター席に座りながら問い掛けると、店主は「ええ、苦労したんだから」と、棚から何やらぼろぼろの紙切れのような物を取り出し、カーツェに差し出した。そして身を翻すと、ちゃっちゃと料理に取り掛かり始めた。


「これが最後の魔宝石の在りかが記された地図、ね……」


 魔女王が倒された際に流れ出た魔力の塊は、ガーネット、アメシスト、ブラッドストーン、ダイヤモンド、エメラルド、アレキサンドライト、ルビー、ペリドット、サファイア、トルマリン、トパーズ、ラピスラズリの計12種類の宝石の形となり、それらは『魔宝石』と呼ばれるようになった。

 カーツェは長い年月の果てに11の魔宝石までは集め終わり、残りはあと一つ、ブラッドストーンで全てが揃うところまで来ていた。


 この店主は酒場の経営だけでなく、裏では非合法の品々も扱う万屋を営んでおり、こういったいわく付きの商品の仕入れはお手の物であった。


 店主から料理を受け取ると、食べながら地図を眺める。貴族の令嬢だった頃ならば行儀が悪いと周りから叱責されただろうが、今はもうそのような事を言う者はいない。


 どうやら魔宝石はかつて魔法王国があった大陸の隣に浮かぶ、小さな孤島にあるようだ。

 よもやこんな所に孤島があるとは……。普通の地図には載っていない為、今まで気づかなかった。


「……ねえ、野良猫さん。いいかげん冒険者なんかやめて良い男でも見つけなさいよ。せっかく可愛い顔してんだからさ」

「はぁ?何言ってんのさ。あたしは薄汚れた野良猫よ。見た目も性格も、可愛いげとは無縁の存在よ」


 かつては腰まで届く艶やかな黒髪が風になびくたび、周囲からは感嘆の吐息が漏れていたものだった。しかし冒険者となった今となっては長い髪など仕事の邪魔でしかない。とっとと切り落とし、ショートヘアーなどという品のある呼び方すら憚られる無造作ヘアーと化している。

 服装とて、貴族の娘だった頃は無数の装飾に彩られた豪奢なドレスに身を包んでいたものだが、今や月に一度催される古着市で買った格安の古着に袖を通している始末。

 腰には冒険者としての仕事用のナイフを一本差しており、令嬢としての面影はどこにもなかった。


 女子力などいらない。社会の最下層で生きていくのに必要なのは物理的なパワーだけなのだ。


「それこそ何言ってるんだか。酒場でそんな可愛いメニュー頼んでおいてさ」


 店主が指差した先には、パンの耳を油で揚げて砂糖をたっぷりまぶした、いわゆる揚げパンとコップ一杯のミルク。

 これがカーツェの言う『いつもの』である。

 まかない料理として提供されているこれは、この店で最も安価なメニューである。また飲み物もこの店で唯一アルコールを含まぬドリンクであった。


 ちなみにレキにはサラダ用のツナ缶と飲み水が振る舞われている。もしかしたらレキの餌代のほうがカーツェの食事代よりも高いかもしれない。


「う、うるさいわね!何頼もうとあたしの勝手でしょ!?」

「ここ一応酒場なんだけどね。まあ未成年に酒飲ます気はないけどね」


 カーツェの見た目はまだ少女と呼べる年齢で止まってしまっている。彼女が既に数百年の時を生きていると誰が気づけようか。


 このままだらだらと酒場にいては店主のお小言がどんどんエスカレートしていってしまう。

 カーツェはさっさと食事を終え、レキを連れて酒場を後にした。


※※


 ……その数日後。カーツェとレキは今、地図に記された島にある遺跡を松明片手に探索していた。


 水責め。

 壁から放たれる無数の矢。

 魔法で作り出されたと思しき業火のうごめく落とし穴。


 様々なトラップをくぐり抜け、いよいよ最奥の部屋。部屋の壁全体を走る雷の結界を解除し、ついに宝とご対面だ。


 魔力が戻ったら何をしよう?

 自分は偉大なる魔女王。何でも出来ると言っても過言ではない。

 少なくとも、もう惨めな極貧生活とはおさらば出来る。それは確定なのだ。


 自分の素晴らしい未来に思いを馳せながら、カーツェは部屋の中央へと一歩一歩進んでいった。


 松明の光に照らされた壁には、かつて繁栄していた魔法王国の紋章――睡蓮が描かれたタペストリーが飾られている。

 また床には大きな幾何学模様が描かれており、カーツェにはこれが何かすぐにわかった。これは……魔法陣だ。

 そして魔法陣の中央には何やら白くて細長い箱のような物が横たわっていた。


 宝石箱……にしては大きすぎる。2メートル近くはあるように見える。


 蓋を少しだけ持ち上げてみたところ、意外と軽く、トラップや魔法が施されている気配もない。

 カーツェは思いきって蓋を開けた。


 そこにあったのは魔宝石などではなかった。

 いや、「いたのは」と表現したほうが正しかろう。


 箱に入っていたのは……人間だった。


 若い男性だ。年の頃は十代後半か二十歳程度であろうか。簡素な黒いローブのような物を着ている。

 また、淡い金色の髪の隙間からは閉じられたまぶたが見えた。


 箱――もとい棺桶に横たわっている青年は、当然ながら永遠の眠りについている。


 ――そう思っていたのだが。


 ぴくり。


 前髪の隙間から覗くまぶたが小さく動いた。そのままゆっくりと開いていく。

 まぶたの下から現れたのは穏やかな菫色。カーツェの顔をぼんやりと見つめている。


「なっ……なっ……!?」


 あまりの事に絶句するカーツェをよそに、青年はゆっくりと上半身を起こし、そしてぽつりと言った。


「お腹すいた」



※※



「――ちょっと、浴槽の掃除まだ終わらないの!?これが終わったら薪割りだからね!」


 カーツェは切れ長できつそうな目をさらに細め、その緑色の瞳に苛立ちの色を浮かべて言った。



 あれから一週間後。

 青年は今、カーツェの家に厄介になっている。


 あの時、腹を空かせていた青年に、つい反射的に携帯食として持ってきていたパンの耳をあげてしまった。

 そうしたら懐かれた。ものすごく懐かれた。そしてあろうことか、自分を連れていって欲しいなどと抜かしてきたのだ。


 当然、こんな怪しげな奴を連れていけるはずもない。

 そもそもこいつは一体何者なのか。


 カーツェが首を横に振ると。


「だめ、なの……?」


 まるで捨てられた子犬のように切なげに瞳を揺らす青年に、カーツェは思わず「うっ……!」と怯んだ。


 傍から見れば青年の方が年上のように見えるが、実際はカーツェの方が遥かに年上である。

 いや、そもそも現在この世に生きる全ての人間はカーツェよりも年下であろう。

 カーツェにとっては人類全てが幼い子供に等しいのである。

 つまり今の状況は、カーツェが幼児を泣かせているも同然なのであった。


「オレ、何も覚えてないから……これからどうしていいのか、わかんないんだ……」

「何も覚えてない……?」

「うん……オレの名前も、ここがどこなのかも、全然思い出せないんだ。何か……やらなければならない事があった気がするんだけど……」


 カーツェは考える。

 この棺桶の内側には時を止める魔法が掛けられていたのではないだろうか、と。

 この魔法は食物の保存や貴重な品の劣化防止には大変重宝するが、いかんせん高度な魔法であり、扱いが難しいのだ。また通常、生身の人間に掛けるような魔法ではない。何か重大な副作用が出てもおかしくはないだろう。

 ゆえに、彼は自身の時と共に記憶までも封じられてしまったのではないだろうか。

 術そのものは既に解除されている為、何かきっかけがあれば記憶を取り戻せると思うが……。


「……ところであんた、このくらいの大きさの緑と赤の宝石を持ってない?」


 カーツェは人差し指と親指で円を作り、青年に問うた。


「え、宝石?ど、どうだろう……」


 青年はローブをパンパンとはたきながら探ったが、それらしき物は出てこない。


(無いわけがないのよ)


 宝石の気配がこの青年からかすかに感じられるのだ。自身の魔力の結晶だ、間違えるはずがない。


「あ!あったよ!」


 青年は自身のローブの襟をぐいと引っ張った。

 緑に赤の混じる宝玉が、彼の胸元にめり込むように埋まっていた。


「ちょっと!なんであんたが魔宝石を取り込んでんのよ!?」

「ええ!?わ、わかんないよ……!」


 青年は過去の記憶がないのだからわからないのは当然であった。


「くっ……あんたの記憶と体を封印した奴の仕業ね。……いいわ、しばらくの間は面倒見てあげるわ」

「ほんと!?」

「あんたのその胸に宿る宝石の取り出し方がわかるまでは、ね。まあわからなかった場合は無理矢理ほじくり出すだけだけどね。強引に取り外すとあんたの命に関わるかもしれないけど、あたしには知ったこっちゃないし」

「ええ……!?」

「さて、それじゃとっとと帰るわよ。うちに居座る分みっちり働いて貰うからね、覚悟しなさい!」



※※



 ――こうして現在に至るのであった。

 青年はカーツェにどんなにこき使われても決して文句一つこぼさず、それはそれは真面目に雑用をこなしていった。


 カーツェのねぐらは酒場のある街から少し離れた、とある廃村にあった。

 この地はかつて流行り病により多くの住人が死に、生き残った者達も村を去ってしまっていた。

 それからかなりの年月が経っているため、もう病原菌はとっくの昔に死滅している。もっとも、不死身の魔女王たるカーツェは人間の感染病程度で死にはしないが。


「明日はあたしの行き付けの酒場に行くわ。あんたも付いてきなさい」


 夜も更けた頃、水差しを傾け、グラスに水を注ぎながらカーツェは言った。

 彼女が手にしているのは睡蓮が描かれた青いカットグラスだ。とても美しい代物であり、天井や壁に空いた穴に板を大雑把に打ち付けて無理矢理修繕した小屋には似つかわしくない一品であった。


 カーツェの故郷の国ではガラス工芸が盛んであった。あの国を思い出す度に今なお憎しみが積るけれど、ステンドグラスやガラスのオブジェに彩られたあの町並みは嫌いではなかった。

 ゆえに店頭でこのグラスを見かけた際、思わず購入してしまったのである。

 亡国で作成された物という事で多少値が張ったものの、本来は色違いの物とのペアだったらしく、箱と片割れしか無いと言うことである程度値下げして貰ったのだった。


「いいけど、なんで?」

「あんたには出稼ぎに出てもらう」

「え……?」



※※



「いらっしゃいませ。こちらのお席へどうぞ……」


 カーツェの紹介により青年が酒場で住み込みで働きはじめてから、はや二週間。まだまだぎこちなさが残るものの、多少接客に慣れてきた。


 カーツェが突然見知らぬ青年を連れてきた時、店主は大層面食らったものだが、「記憶喪失の青年を保護したのでしばらくここで働かせてほしい」という旨を伝えると、彼女は快く承諾してくれた。

 店主は職業柄、得体の知れない相手であっても身元について詮索したりはしない。だがまさか彼があの遺跡に眠っていた存在であり、かつ魔宝石をその身に宿しているとは夢にも思うまい。


「リオ君、そろそろ休憩入っていいわよ」

「あ、は、はい!失礼します……!」


 リオというのはカーツェが青年に付けた名前であり、ブラッドストーンの別名であるヘリオトロープから名付けた。


 その当のカーツェはというと、街の図書館で闇魔法についての魔術書を漁っていた。


 闇魔法というのは「引力」、「吸収」、「同化」、「融合」、「増殖」等を司る。

 12に分かたれた魔宝石は元はカーツェの魔力である。それらを統合するには闇魔法を活用するのが最も適している、とカーツェは考えたのだ。

 魔女王と呼ばれた彼女とて全ての闇魔法に造詣が深い訳ではないし、ましてや魔力の大半を失ってしまった今の彼女は三流のペーペー魔法使いも良いところなのである。そんな彼女にも使用可能な魔法となると、見つけ出すのに大層骨が折れるのである。


(全く、なんであたしがここまでしてやらなきゃなんないのよ!それもこれもリオのせい……いや、もとはといえば「あいつ」のせいよ……!)


 カーツェは忌々しげにの者の姿を思い浮かべた。


 「あいつ」は元々、城仕えの騎士の一人に過ぎなかったらしい。国一番の剣の使い手ということで、魔女王討伐の任を与えられたのだそうだ。


 魔法を放つ際にはどうしても隙が生じてしまうものだ。その一瞬の隙を突かれ、カーツェは彼の剣に胸を貫かれた。退魔の剣でも何でもない、騎士団に一般的に配給されるただの鉄の塊に、だ。


 しかし心臓を潰す程度では魔女王たる彼女の息の根を止める事は出来なかった。


 だから彼女は彼に言ってやった。


 心臓だけでは足りない、首も落とさねば自分は死なぬぞ、と。


 わざわざ敵にそんな情報を教えたのは、プライド高い彼女の最後の意地だった。このまま生き恥をさらし続けるくらいならば死んだほうがマシだったのだ。


 そう思っていたのに。


 あいつはカーツェの傷口から血と共に次々と流れ出でる魔宝石を目にすると、言った。


 ――その宝石はお前の魔力そのものだろう?ならば、これでもうお前は悪さをする事が出来ないな。


 彼は12の魔宝石を全て拾い終えると、これを魔女王を討ち取った証にすると言い出したのだ。


 ……つまり、力を失ったカーツェなど、もはや驚異でもなんでもない。トドメの必要などない、見逃してやる、と暗に言ってきたのだ。


 ――なんという屈辱だろう!自分を捨てたあの王子の差金に敗れ、あまつさえ情けを掛けられようとは……!


 憤慨し、わめきたてる彼女を尻目に、あいつは去っていった。


 ……忌々しい、忌々しい、忌々しい……!!


 あいつの全身は鎧で覆われ、また鉄仮面によりどんな表情をしていたのかはわからなかった。声もくぐもってしまっていたので、そこから彼の感情を読み取ることは出来なかった。

 せいぜいわかった事といえば、恐らく彼はまだ年若い男なのだろう、という事くらいのものだった。


 彼が何を思ってカーツェを助けたのか、その真意は定かではない。大方安っぽい同情か、はたまたフェミニスト気取りのつもりか。


 だが今に見ていろ。

 何十年何百年掛かってでも12の魔宝石全てを取り戻し、復活してやる。

 そして自分をこんな目に遭わせたこの国に復讐してやる……!

 この首を取らなかった事を後悔させてやる……!!


 この日を境に、カーツェは全てを失った。

 だがそれと同時に、復活を遂げるまでは何がなんでも生き抜いてやると決意したのだった。


 普通の物理的な攻撃や病では死なぬ彼女とて、腹は空く。餓死する事があるかどうかはわからぬが、飢餓状態というものはそれだけで充分辛いものである。


 生きる為には金がいる。ゆえに彼女は冒険者になった。


 せいぜい初歩的な魔法を使うのがやっととなった彼女には、強い獲物を狩ることは出来ない。しかし断崖絶壁や雪山などの過酷な環境に棲む動植物や魔物は獲物としては弱いものの、他の冒険者は受けたがらず、彼女の不死の体は大いに役に立った。

 そうして仕事をこなしながら、同時に魔宝石の情報収集、回収を行い、流れ流れてこの地までやってきた。


 その間も故郷については風の噂で聞いていた。


 あの日から数年後。

 あの王子が即位したらしい。どうせろくな事にならないだろうな。


 十数年後。民は相変わらず圧政に苦しんでいるらしい。まあそうだろうな。


 さらに数十年後。

 ついに反乱が起き、あの国は――滅んだ。


 あいつは魔女王を討ち取った事で英雄視され、周囲にもてはやされていた。だがそれに慢心する事はなく、これまで通り王に忠誠を誓い、反乱の起こった日も懸命に城を守っていた。

 しかしかつては国一番の剣士と謳われた彼も、年には勝てなかった。

 最期は名も知らぬ民草に刺され、その生涯を終えたという。


 王の一族は全員処刑された。

 一説には、王の幼い孫だけは勇者の命懸けの活躍により、隠し通路から逃げおおせる事が出来た、という話もあるが、実に眉唾物の噂に過ぎない。

 また、勇者は生涯独身であった為、子孫と呼べる存在はいないらしい。


 国は滅び。

 あの王子も勇者も死に。

 その子孫も存在せず。


 復讐するべき相手はもうどこにもいない。


 残されたのは不老不死のカーツェだけ。


 魔宝石を全て取り戻し、魔女王として復活する事が当面の目標だ。それは変わらない。


 だが、その後は?


 やりたい事は沢山ある。

 魔力が沢山あればより多く金を稼ぐ事が出来る。

 金があれば腹一杯のご馳走も、広くて暖かい家も手に入る。


 けれど、果たしてこの心の空虚は満たされるのだろうか……?



(あーもうやめやめ!あたしったらなに柄にもなく辛気臭い事考えてんのよ!今は魔宝石を取り出す魔法を調べるのに集中しないと!)


 カーツェはぶんぶんと頭を振ると、再び調べものに没頭した。



 カーツェが図書館通いをしている間、リオはやはり真面目に働いていた。


 カーツェは身寄りも無ければ記憶も無いリオに食事と寝床を提供してくれた。安物の古着ではあるものの、ごく一般的な男性ものの服を買い与えてくれた。家計は常に火の車だろうに……。彼女はなんだかんだで世話焼きのお人好しなのだ。

 少しでも恩を返さねば罰が当たるというものだ。

 それにリオは仕事をしている時間が嫌いではなかった。

 記憶も何もないリオにとって、するべき事があるというのはそれだけで救いなのである。

 酒場の仕事は彼の生きがいとなった。


 先日この街の収穫祭があった影響で、この二週間は他の街からの行商人や観光客により繁忙期であった。

 繁忙期はいつも人手不足で大変だ、と店主はカーツェに常々ぼやいていた。その為カーツェはリオにこの二週間は住み込みで働くよう命じたのだが、それも今日で最後だ。今後はねぐらのある廃村から通う事になる。

 住み込みで働いている間は余った食材で店主がまかないを作ってくれていた。その際に作り方も教わったので、今日帰ったらカーツェに何か作ってあげようかとリオは考えていた。


 帰りに余った食材をすこしだけ分けてもらおうか……。


 そんな事を考えながら、リオは倉庫の片付けをしていた。

 繁忙期用に倉庫から多めに出していた食器類を再びしまわねばならないのだ。


 しかしどれがどの箱に収まっていたのだったか……。


 しっかり目印を付けておくべきだったと後悔したが、もう遅い。

 こうなったら手当たり次第蓋を開けていって中身を確認していくしかあるまい。


(えーと、このコップの箱はこれかな。この空っぽの箱はこの皿五枚がすっぽり入りそうだからここかな)


 全部しまい終わったら念の為店主に確認してもらおう。それでなんとかなるはずだ、多分。


 リオは片っ端から箱を開けていった。するとその中の一つ、倉庫の奥にある木製の小箱を手に取った時、少しばかり重みを感じた。どうやら中身がまだ入っているらしい。


(次の繁忙期に使うことになるかもしれないし、中に何の食器が入ってるのか一応見ておこうかな)


 リオが小箱の蓋を開けると、そこには赤いカットグラスが入っていた。そしてその側面には模様が描かれていた。

 このグラス、見覚えがある。

 そうだ、カーツェが愛用している青いグラスの色違いだ。

 だがこの模様――睡蓮の紋章。以前にもどこかで見たような……。

 ――ああそうか、自分が眠りについていた、あの遺跡のタペストリーにも同じ紋章が描かれていたのだった。


 ……だが、本当にその時が初めてだっただろうか?


 もっと前、もっと昔に、見た事がある気が……。



「リオ君、食器の片付け終わったー?」


 入り口からひょこりと店主が顔を出し、リオははっと我に返った。

 そして店主はリオの手の中にある物に気がつくと。


「あ、そのグラスはお客様用じゃないのよ」

「え、そうなんですか?」

「ええ、それは我が家に代々伝わる家宝みたいな物よ」

「え、家宝?」


 思いがけない言葉にリオはキョトンとした。

 手の中の箱は所々シミが付いており、お世辞にも高価な物が入れてあるようには到底思えなかった。またよく見てみると、グラスと箱の間には隙間があり、このグラス用に作られた箱であるようには見えなかった。


「元々はペアのグラスだったらしくてね、箱も専用のがちゃんとあったんだけど、数代前のご先祖様がお金に困って売り払っちゃったとか……。このグラスはもっとずっと昔のご先祖様が、今は滅んでしまったとある国のお城から持ってきた物なの」

「お城から?ご先祖様は……その……盗賊だったってことですか?」


 リオが少々言いにくそうに問うと、店主は「そうじゃないわ」と首を横に振った。


「私のご先祖様は――まあ眉唾物の話ではあるんだけど――その国の王族だったそうよ。代々口伝だけで伝えられててね、私は母からその事を聞いたわ。今の時代ならともかく、かつては王の血筋の者が生き残っていると世間に知られたらどんな目に遭うかわからなかったから、証拠になる物は一切残っていないのだけれどね。下手したら殺されちゃうからね」


 血族というだけで命を狙われるとは穏やかではない。

 店主の言い様に、さしものリオもピンときた。


「国が滅んでしまったのって、もしかして……」


 ええそうよ、と店主は頷いた。


「ご先祖様はとんでもない暴君だったらしくてね、ついには怒れる国民達により反乱が起きてしまった。そして一族は処刑された。それでもまだ幼かった王の孫だけは、お城の隠し通路を通って脱出する事が出来たの。その時城から唯一持ち出す事が出来たのがこのグラスだったそうよ」


 反乱により滅んだ国……。

 なんだろう、ずっと昔に聞いた事があるような……いや、見た事があるような……それもすぐ間近で。

 このグラスと同じように――!


 ドクンドクンと、鼓動が大きくなっていくのを感じる。


「ちなみに孫が命からがら脱出出来たのは、とある人物が時間を稼いでくれたおかげでね、そのグラスもかつてその人がプレゼントしてくれた品だそうよ。多少は高級品だったかもしれないけど、芸術品としての価値はほとんどない、その国ではごく一般的だったガラスのコップ。でね、その人物っていうのがね……」


 ふふ、と吹き出しながら店主は続けた。


「信憑性の欠片もない話なんだけど……あの有名な魔女王伝説に出てくる勇者様なんだってさ!」


 ドクン!!


 心臓がひときわ大きく跳ね上がった。



※※



(ついに、……ついに完成よ……!)


 図書館から借りられるだけ本を借り、研究に研究を重ね、これでもかという程の実験を繰り返し、ついに念願の闇魔法、『吸引魔法』が完成した。


 カーツェが手のひらを上に向けると、その上に直径15センチ程度の黒い魔力の球が浮かび上がった。またこの黒球はほのかに紫色のオーラを帯びている。

 次にカーツェは、現在所持している11の魔宝石全てを黒球の中に放り込んだ。

 魔宝石は吸い込まれるように黒球の中心部へと沈んでいくと、今までエネルギー体だった黒球が物質化していき、手のひらに収まる大きさへと縮まると同時に、黒曜石のごとき宝玉となった。


(あとはリオが帰ってきたらこれを再びエネルギー体に戻して、胸元のブラッドストーンに押し当てれば回収完了ね)


 先に11の魔宝石を取り込む事により、黒球を最後の魔宝石であるブラッドストーンにのみ反応するようにした。これによりリオの体からブラッドストーンのみが引きずり出され、黒球に吸収されるのである。

 また、胸のブラッドストーンが埋まっていた部分にはぽっかりと穴が空いてしまうわけだが、そこに闇の魔力が入り込み、同化する事で傷口が塞がれる。あとは自身の治癒力により皮膚が修復されていくにつれ、不要となった闇の魔力は周囲の細胞に取り込まれ、細胞の働きをより一層活性化させる。

 あまり知られていない事だが、闇属性というのは治癒の魔法として応用しやすいのである。


 丁度今日はリオが出稼ぎこと住み込みのバイトから帰ってくる日である。このまま彼が帰宅するのを待っていても良いが、今のカーツェはすこぶる機嫌が良かった。

 慣れない仕事を頑張ったリオへのねぎらいとして、酒場まで迎えに行ってやるのも良いかもしれない。そもそもあのどこか抜けている青年の事だ、この家までの道のりなどとうの昔に忘れているに違いないのだ。

 しかし今完成したばかりのこの黒球は命の次に大事な物だ。家に置いていくわけにはいかない。

 カーツェは肩掛け鞄に黒球を入れると、レキに留守番をさせ、家を出た。



 街に着くと、なにやら周囲がざわついていた。

 なんでも、若い男が魔法を暴発させたらしい。そして男は街の裏手にある山奥へと身を隠したそうだ。


(どうせ見習い魔法使いが練習中に失敗して、周りの人々を巻き込まないように人気のない所に去っていった、ってところでしょうね。まったく迷惑な話ね。ま、あたしには関係ない事だけど)


 しかし次に聞こえてきた言葉にカーツェは耳を疑った。


 魔法の暴発があったのは、カーツェの行きつけの店である、あの酒場だという……。


 カーツェは走った。行き交う人々に何度もぶつかり、その度に冷ややかな視線を向けられたり悪態をつかれたりしたが、悪いがそれどころではなかったのだ。


 一体何が起きたというのか。

 店主とリオは無事なのだろうか。

 そもそも若い男というのはリオの事なのか、はたまた第三者の存在があるのか……。


 その答えがわかるまで足を止めることは出来なかった。


 店に着くと、それは惨憺たる光景であった。

 扉は外れ、窓は割れ、店主自慢のガラス製食器の数々は見るも無惨にその破片を飛び散らせていた。

 また、その破片で切ったのか、腕や足から所々血が出ている店主の姿があった。


「ちょっと!一体何があったのよ!?」

「野良猫さん!?――ああ、リオ君を迎えに来てくれたのね……。けど……ごめんなさい。私にもよくわからないの……。ただ、リオ君の体から突然魔法らしきものが放たれて……」


 やはり若い男はリオの事だったらしい。

 店主いわく、リオの体から無数の紫色のオーラのようなものが立ちのぼり、それはやがて黒い渦と化していった。そして周囲の物を手当たり次第飲み込むと、まるで強力な力でねじ切るようにしてそれらを破壊していったそうだ。

 店主も危うく黒い渦に飲み込まれそうになったが、それに気づいたリオが「駄目だ!」と叫ぶやいなや、黒い渦は霧散していったという。

 けれどもリオの体からはいまだ紫色のオーラが立ちのぼっており、いつまた黒い渦が現れるかわからない状態だった。

 それを察してか、リオは一言「ごめんなさい……」とだけ言い残し、走り去ってしまったそうだ。


 リオの体から立ちのぼり、かつ彼の意志により消えたということは、黒い渦はリオが作り出したものである事は間違いないようだが、どうやら上手く制御出来ていないようだ。店主を巻き添えにする寸前に魔法を抑え込めたのは火事場の馬鹿力と言ったところか。

 彼と出会ってからのこの三週間、魔法の類いを使った事など一度もなかった彼が、一体どうしてしまったというのか……。


「ま、細かい話は本人に直接聞くのが一番ね。あいつは山の方に行ったのよね?ちょっくら行って取っ捕まえてきてあげるわ」

「え!?……確かに彼をこのままにしておくわけにはいかないけど……でも危険よ?またあの黒い渦が現れるかもしれないし……」

「あたしは魔法についてそれなりに知識があるから大丈夫よ。それに、リオに急ぎの用もあるしね……!」


 彼の胸には魔宝石が埋まったままなのだ。魔宝石に何かあっては困るのである。


(そうよ、魔宝石の為に行くのよ。別にあいつが心配なわけじゃないわ!)


 カーツェは自分にそう言い聞かせるのだった。


「そう……。私も一緒に行ってあげたいところだけど、店をこのままにしておくわけにはいかないの。ごめんなさいね……」


 恐らく酒場の備品だけでなく、万屋としての仕事道具や手に入れた個人情報、及び調査結果などまでめちゃくちゃになってしまったのだろう。情報漏洩に関わる為、全てを回収してからでなければこの場所を離れる訳にはいかぬのだろう。


 元々彼を紹介したのは自分なのだから店主が気にする必要はない、すぐに彼を連れ戻して店の修理を手伝わせる、という旨を店主に伝えると、カーツェは街の裏手にある山へと向かった。



※※



 かつてこの山の木々は薪用として利用されてきた。しかし近年では木こり業を継ぐ者がおらず、すっかり荒れた雑木林と化していた。今では足を踏み入れる者などまずいない。


 リオを探すのは簡単だった。

 本来ならば木々が生い茂り道などないのだが、彼の通り過ぎた跡は木々がねじ切るようにしてなぎ倒され、また厚く降り積もっているはずの落ち葉も吹き飛ばされ、地面が剥き出しになっているのだ。どうやら山に入った後も暴発を繰り返しているようである。


 彼は山の中腹付近にいた。

 身体中から涌き出る紫色のオーラを無理矢理抑え込もうとするかのようにうずくまっている。


「やーっと追い付いたわ!全く、こんな山奥まで逃げてくれたせいでもうへとへとよ!早く戻って壊した酒場の修理を手伝いなさい!あとついでに罰として今度レキをお風呂に入れるのあんたやりなさいよ!」

「カーツェ……?」


 リオはゆっくりと顔を上げた。その表情はどこか暗く感じられた。


「どうして、君がここに……?」

「店主からあんたの事を聞いて迎えに来たのよ!」

「……今は魔法の暴発が止まっているけど、もしまだ暴発が続いていたとしたらどうしていたんだ?今だっていつまた暴発が起きるかわからないだろう?オレを危険だとは思わなかったのか……?」


 いつになく大人びた口調でまくしたてるリオに多少の違和感を覚えつつも、カーツェは続ける。


「う、うるさいわね!あんたはあたしが命の次に大事にしてる魔宝石を持ってんのよ、あんたに何かあったら困るのよ!それにね、聞いて驚きなさい、ついに魔宝石回収の魔法が完成したの!」

「魔宝石……」


 リオがピクリと反応した。


「……ねえカーツェ。オレ、思い出したんだ。オレが何者なのか、どうしてあの場所で眠っていたのか……」

「え……!?……ああ、成程、記憶を取り戻した際の心の動揺が原因でうっかり魔法が暴発しちゃったってわけね。じゃああんたの本当の名前もわかったのね?」


 するとリオは静かに首を横に振った。


「いいや。オレには……名前なんてない」

「え?」

「オレは『復元体』。造られた存在だから」


 『復元体』……。聞いた事がある。闇魔法により蘇生された禁忌の存在だ。

 遺体の一部に闇属性の強力な回復魔法を掛けることで身体全体を再生させるという、禁断の蘇生魔法。

 また、復元された身体は稀に、死した際の年齢よりも若返る事さえあるという。

 かつてカーツェの故郷でも秘密裏に研究されていた禁術である。


 一般に、記憶というのは脳でしか蓄えられないと考えられているが、本当は違う。

 身体中の細胞に記憶は融けているのだ。

 ただ細胞一つ一つに融けた記憶はあまりにも小さすぎる為、思い出せないだけなのだ。

 その細胞の中の小さな記憶をそれぞれ闇魔法の融合の力により繋ぎ合わせる事で、復元体は生前の記憶の一部を引き継ぐのだという。


「遠い昔、とある魔法王国が滅んだ。その際にちりぢりになった、城のお抱え魔法使いの残党達によってオレは造られたんだ。ある目的の為に……」

「ある目的……?」


 どうやらカーツェの故郷の魔法使い達が一枚噛んでいるようだ。裏で禁術の研究に手を出しているというのはかつてから問題視されていた為、それほど驚く事ではなかった。


 だがそれよりも。


 ……なんだろう、どことなくリオの目に剣呑な光が宿り始めた気がする……。


「彼らの目的は故郷……魔法王国の再建。けれど彼らは亡国の残党である事が周囲にばれたら、国の再建どころか処刑されてしまうかもしれない。だからその夢を遠い未来に目覚めるであろうオレに託すことにした。もともとオレに施された蘇生魔法は不完全なものだったから、当時彼らが唯一所持していたブラッドストーンの魔宝石を埋め込む事で、生命維持の補助がなされた」


 蘇生魔法は倫理的観点及びそのあまりの難度の高さにより禁術とされてきた。

 彼がごく普通の人間の容姿に蘇生され、かつこれまでごく普通の生活を送れてきた事は奇跡に近い事であった。人の姿から程遠い肉塊のような姿になっていたとしても不思議ではないのだ。

 だが恐らくもうそれも限界のはずだ。時の止まったあの棺桶から出てしまった今、彼の身体は刻一刻と崩壊してきているはずだ。

 魔女王を倒した際に勇者が回収した魔宝石は、魔女王が二度と復活出来ぬよう世界中にばらまかれてしまった。だがその内の一つ、ブラッドストーンだけはどうやら魔法使い達が確保していたようだ。


造らうまれたばかりのオレに魔法使い達は言った。『その身体は長くは持たない。数年もすれば朽ち果てる運命だ。生きたければ残り11の魔宝石全てを手に入れろ。それまでは時の流れぬ棺の中で眠れ。11の魔宝石を持つ者が現れた時にのみ、棺の蓋は開かれる』って……」


 だが時魔法の副作用により、彼は記憶を失ってしまった。その記憶が今、何らかの理由により甦ってしまったらしい。


「彼らはとっくの昔に寿命を迎えてしまっている。国の再建なんていう無茶な使命を背負わせておいて、自分達は無責任にもあっさりとこの世を去ってしまったのさ……」


 リオは忌々しげに声を低くし、続ける。


「でもね、国の再建なんてのはきっと建前なんだ。彼らは魔法研究以外に興味なんて一切ない魔法狂い。祖国の事など微塵も気にしちゃいないさ」


 リオは吐き捨てるように言った。

 あの無邪気な子供のようだった彼からは想像もつかぬ姿であった。


「そもそもこんな気味の悪い化け物に人民の支持など集められるはずがないんだから、亡国の再建なんてどう考えたって不可能なんだ。本当に国の再建を第一に考えているのなら、自分達に時魔法を掛けて、ほとぼりが冷めるまで眠りについていればいいだけの話だろう?……彼らはね、不完全とはいえ、蘇生魔法の成功体を後世に末永く遺しておきたかっただけなんだよ。要は自分達の作品を自慢したいだけなのさ」


 自分達の自己満足の為だけに禁忌さえ犯し、それでいて責任は一切取らない。なんと身勝手な奴らなのだろうか……。


「……それで、あんたはこれからどうする気?」

「亡国の再建になんて興味はないし、するつもりもないよ。……オレは禁術で生まれた存在だ。この世にあってはならないモノ。きっと生きる事自体許されない。……でもね、それでもオレ…………死にたくないんだ……!!」


 突然、リオの身体から立ち上っていた紫色のオーラが強まるや否や、次の瞬間、リオとカーツェの間に例の黒い渦が出現し、渦の中へと引きずり込もうとする強力な引力が発生した。

 周囲の木々の葉や枝が渦の中心に飲み込まれては粉砕され、渦の反対側から排出されては地に落ちていく。

 カーツェは立っているだけでやっとの状態であり、吹き飛びそうになる肩掛け鞄を慌てて抑えた。この中には黒球――11の魔宝石――が入っているのだ。渦に飲み込ませる訳にはいかないのだ。


「魔宝石を奪い取る時は、その持ち主の事は殺せって魔法使い達が言ってた。そのほうが後で面倒な事にならずに済むからって」

「……あたしを殺すの?」

「君はそう簡単には死んでくれなさそうだけどね。――ねえ、魔女王?」

「!」


 リオの前で自分が伝説の魔女王であるという事は一度たりとも話した事がなかった。

 そもそも記憶喪失の頃の彼は魔女王伝説の存在すら知らなかった。魔宝石の事とて、「カーツェが血眼になって探し続けていたというなんか凄い物」、程度の認識しかなかったのだ。


 だが記憶を取り戻した今のリオは知っているのだ。魔女王の存在と、その魔女王の名前がカーツェである事を。

 ――いや、もしかしたらカーツェの顔や声さえも。


(そうだ、この闇魔法の波動は……!)


 魔法を使用する際には波動と呼ばれるものが発生する。それは指紋のようなものであり、一人一人違う。また、魔法の属性によりそれぞれ特徴がある。


 「あいつ」は剣術の達人であったが、魔法を使えないわけではなかった。ただ不得手だったらしく、目眩まし程度にしか使ってこなかったけれど。

 その時の波動を、カーツェは今思い出したのだ。


 ――「あいつ」の魔法属性は、闇だった。


 だが「あいつ」は様々な書物において、「光の子」「光の英雄」などとして描かれてきた。

 なぜならば、魔法をよく知らない者達にとっては、光=正義、闇=悪というイメージが強いからだ。


 本当は属性に善も悪も無いのに。ただの自然界のエネルギーに過ぎないのに。


 大悪人の闇の魔女王を成敗した光の英雄。そしてそんな彼が属する国こそ正義であり、魔女王討伐は正しい行いであったと後世に語り継いでいく為であった。


 ……そう、リオの正体は……。


「あんた……あたしを倒した勇者……?」

「そうだよ。正しくは勇者の亡骸からえぐり出された心臓から再生された存在、だけどね」


 国の為に戦死した者の亡骸を回収し、自分達の欲求を満たす為だけに利用する。どこまでも胸くそ悪い連中である。


「ねえ、魔女王。不老不死である君でも、心臓を潰して、さらに首を切り落としてしまえば死ぬんでしょ?君自身がそう言っていた事、ちゃんと覚えているよ」

「っ……!」


 彼が使用しているこの魔法は「ブラックホール」という上位闇魔法である。

 強力な重力の渦により、理論上は光すらも飲み込む事が可能と言われている魔法である。しかしそれを可能に出来る程の魔力を有する存在などあり得るはずもなく、全盛期のカーツェでさえ山一つを粉微塵にする程度が限界であった。

 幸い、リオの放つ魔法にはそれほど高い威力はなく、自然発生する竜巻にも満たなかった。

 とはいえもしも渦の中心に飲み込まれてしまったら、たちまち首も胴体も同時に引き千切られてしまう事だろう。

 それにこの魔法が高度なものである事に変わりはなく、かつての勇者ならばこの魔法を扱う事は到底不可能だったであろう。

 リオは闇魔法により甦った。ゆえにもともと闇属性であった彼の魔力が強化されたと考えられる。

 いや、それだけではない。恐らく魔法使い達はリオが封印の眠りにつく前に、彼に闇魔法についての手解きしていたのではないだろうか。

 魔宝石を手に入れたところで、身体に取り込む事が出来なければ意味がない。しかし「吸収」や「同化」を司る闇魔法を応用すれば、それが可能となるのだ。

 ゆえに、彼にある程度の闇魔法の知識及び技能を与えていてもおかしくはないのだ。


 今のリオはようやく落ち着きを取り戻したらしく、暴発が収まり、魔法を自由に操れている。

 彼の実力は今や上級魔法使いに匹敵すると言っても過言ではなかった。


「魔女王、君はオレに宿ったブラッドストーンが欲しいんでしょ?なら、オレを殺して奪いなよ。どのみちオレの身体はこのブラッドストーンを奪われた時点で朽ち果ててしまう。互いに殺し合って、生き残った方が魔宝石を全て手に入れられる。シンプルかつ後腐れが無くて良いでしょ?」


 リオは殺し合いを望んでいるようだ。


 ――だがなんだろう、どこか引っ掛かる物を感じる。


 彼がブラックホールを暴発させた際は酒場が半壊し、またここまでの道のりに生えていた木々はことごとくねじ切られてしまっていた。

 それ程の威力を出せるはずなのに、今は物に掴まらずとも両の足で立っていられる程度の威力しか出せていないのだ。

 制御が効かぬ暴発だったから通常よりも高い威力を出す事が出来た、と言ってしまえばそれまでだが、本当にそれだけだろうか……?


「どうしたの魔女王?早く殺しに来なよ。……ああ、その状態じゃ動けないか。オレもこのままじゃ他に何も出来ないし……それならこれでどう?」


 突然、ブラックホールからの引力がパタリと止まり、前方からの引力に抗う為に踏ん張っていたカーツェは危うく後ろに倒れるところだった。体勢を立て直して再び彼のほうを見ると、黒い渦が消え、代わりにリオの手のひらから無数の蝙蝠型のエネルギー体が出現していた。


 この闇魔法は「ヴァンパイアバット」。あの蝙蝠に食らい付かれると生命エネルギーを奪われてしまう。しかも蝙蝠が使用者の元に戻ると、奪ったエネルギーを使用者に吸収されてしまうのだ。いわゆるドレインタイプの魔法である。


「オレの使う魔法なんてたかが知れてるからさ、こんな蝙蝠達なんて物理的に斬り払われたら簡単に消えてしまうだろうね。噛まれたくなかったら試してみなよ、魔女王!」


 リオの言葉と共に大量の蝙蝠が一斉にカーツェを襲った。

 カーツェは腰に差していたナイフを素早く抜き放ち、襲い来る蝙蝠達を次々と撃破していった。

 彼の言う通り、蝙蝠は一撃で消滅していく。


「へー、魔法だけでなくナイフの扱いも上手いんだね」

「長く生きてれば芸の一つや二つ身に付くわよ。不本意だけどね……!」

「ふーん、そういうもんか。……じゃあ、本当は疲れるから嫌なんだけど、オレも本気で行かせてもらうよ……!」


 リオの身体からほとばしる紫色のオーラが一層強くなると同時に、彼の手のひらから先程の何倍もの蝙蝠が一斉に放たれた。

 圧倒的な数の暴力に、ナイフによる撃破が到底間に合うはずもなく、捌ききれなかった蝙蝠達がカーツェの身体を掠めるたびにエネルギーを奪っていく。

 だがそれに一瞬たりとも臆する事なくカーツェは突き進んでいった。


「!どうして……怖くはないのか……!?」

「かつてのあんたが教えてくれたんでしょうよ!強力な魔法に対して、最後に勝つのはただの力技だってね……!!」


 強大な魔力を持つ魔女王を下したのは、魔力の一切乗らぬ純粋な剣術であった。

 強い魔法を放つ際、術者は身動きが取れなくなる。


 それは今のリオも同様であった。


 カーツェは猛スピードで突進し、リオを突き倒した。仰向けに倒れた彼の首もとにナイフの切っ先を突きつける。

 改めて彼の姿を見てみると、顔面蒼白で手も血が通っていないかのように真っ白だった。


「あーあ、強い魔法を使い続けたせいでこの身体の寿命がさらに縮まっちゃったよ。この身体が持つのはあと何時間か何分か、ってところだね…。……ねえ、オレを殺すんでしょ?だったら一思いにグサッとやっちゃってよ」

「……そうね。あたしはあんたを殺す気だったわ。……あんたが本気であたしを殺しに来ていたら、ね」


 カーツェの言葉にリオは一瞬目を見開くと、「それ、どういう意味……?」と訝しげに眉をひそめた。その瞳にはわずかに動揺の色が浮かんでいた。


「だってあんたのやってる事矛盾だらけじゃないの!わざわざブラックホールなんて強力な魔法を見せつけてあたしの戦意を煽った割には、その威力を弱めていたり、自分の魔法の弱点を暴露したりしてさ」


 ブラッドストーンだけでは彼の身体は長くは持たず、強い魔法を使えば使う程寿命が縮まってしまう。威力を弱めてまでわざわざブラックホールのような上位魔法を使うくらいなら、初めからヴァンパイアバットだけを使っていれば良かったはずなのだ。

 さらに彼はヴァンパイアバットを撃破する為のヒントをわざわざカーツェに教え、かつ、今は自分にトドメを刺すようカーツェに促してさえいるのだ。


 まるで自分が本気でカーツェを殺そうとしていると思い込ませ、返り討ちにされるのを待っていたかのように。


「あんた本当は……死にたかったんじゃないの?あたしに殺して欲しかったんじゃないの?」

「……言ったでしょ?オレは死にたくなんてない。生きていたい。それは本当だよ。……でもさ……」


 リオの目がじわりと潤み始めた。


「カーツェを殺してまで生きたくなんかない……!!」


 溜まっていた涙が決壊し、ぼろぼろと彼の頬を伝っていく。


「この身体は勇者のものだ。勇者の記憶の一部だって引き継いでる。姿も声も、魂だって同じだけれど、オレはあいつとは違うんだ……!勇者のように誰かの為に自分の命を犠牲になんて、オレには出来ない……!だからこの山に逃げ込んだ後、オレは考えたんだ。君を殺して魔宝石を手に入れようって。生き延びる為なら仕方がないって。なのに……!」


 リオは嗚咽を圧し殺し、声を絞り出して叫んだ。


「君の事はやっぱり殺せそうになかった……!勇者にもなれない、魔法使い達の操り人形にもなれないオレに……何にもなれないオレに、君は居場所と名前を与えてくれた……!そんな君を殺すくらいなら、死んだ方がマシだって思ったんだ……!――ここに辿り着くまでに何度も暴発を起こしていたから、既にこの身体にはガタが来ていた。だからこの山で寿命が尽きるのを静かに待っていようって決めたんだ。……なのに、君は来てしまった……!」


 リオに受け継がれた記憶は身体に残る記憶であり、魂由来のものではない。

 魂由来の記憶だったならば、それは過去の思い出として甦り、勇者としての人格も取り戻していた事だろう。

 しかし身体由来の記憶というのは書物で得た知識のようなものであり、いわば第三者視点での記憶である。ゆえに彼はリオとしての人格のまま勇者の記憶を受け継いでしまった。

 しかも受け継がれた記憶は人生のほんの一部分のものでしかないのだ。


 かつての勇者にも戻れず。

 魔法使い達の傀儡となる事も望まず。

 記憶喪失だったがゆえに純粋無垢だった、これまでの彼のままでもいられず。


 今の彼はあまりにも不安定な存在だ。

 この哀れな生命を、救ってやるべきだ、とカーツェは思った。


「君が来てくれて、正直嬉しかった。このまま一緒に帰りたいって思っちゃったんだ。――折角死ぬ決心がついていたのに……!だからお願い、カーツェ。これ以上死が怖くなる前に、苦しくなる前に、オレを殺して。せめて、一瞬で楽にして欲しいんだ……!」


 するとカーツェはリオの首にあてがっていたナイフをゆっくりと振り上げた。


 リオは静かに瞼を閉じ、その時が来るのを待った。






 ――ゴンッ!


「いてっ!?」


 カーツェの降り下ろしたナイフ――の柄が、リオの頭に落ちてきた。

 殴られた部分を押さえながらリオは抗議の声を上げる。


「何するんだよカーツェ!?……ああそうか。君を傷つけたオレを楽には死なせないって事か。だからこうやってじわじわといたぶりながら……」

「ちっがうわよ!人を勝手に胸くそ悪い奴にしてんじゃないわよ!……まあ、あんたに攻撃された事への仕返しであるのは事実だけどね。でもこれでチャラよ、チャラ!」


 カーツェの全身には所々、ブラックホールの暴風で飛ばされてきた小枝等によるかすり傷が出来ており、またヴァンパイアバットに噛み付かれた部分は傷こそ出来てはいないものの、生命エネルギーが吸い取られているので非常に気だるい状態であった。


「チャラって言われても……オレは魔宝石がないと生きられないんだよ?君だってブラッドストーンを取り戻したいだろう?なら早く、殺……ごほっ、ごほっ!!」


 咳と共に口から血がこぼれ落ちた。


 胸が痛い。

 息が苦しい。

 早く死なせて欲しいのに……。

 カーツェは殺してくれない。


 やはり彼女は自分に生き地獄を味わわせた勇者の事を恨んでいるからなのか……。


「……確かに魔宝石は命の次に大事な物よ。魔女王としての力を取り戻せる時をどれ程待ちわびた事か……」


 突然、カーツェは肩掛け鞄から黒球を取り出すと、それをエネルギー体へと戻し、リオの胸に埋め込まれたブラッドストーンに押し当てた。

 それが闇魔法を応用した吸引魔法だとリオは瞬時に気が付いた。

 そして吸引魔法によりブラッドストーンを奪う事で、自分にトドメを刺してくれるのだと思った。


 しかしそうではなかった。


 黒球が消えるとブラッドストーンも消えていた。

 否、どちらもリオの体内に吸収されるように溶け込んでしまったのだ。


 しかも。


 胸が痛くない。

 息も苦しくない。

 これはまさか……。


「けどね、命の次に大事な物だからこそ、命には代えられないわ。あたしの魔宝石全部、あんたにあげるわよ」


 魔宝石――魔女王の力の根元を、 リオにくれてやるとカーツェは言っているのだ。


「え……え??そんな、なんで……!?オレは最初、君を殺す気だったんだよ……!?そもそも魔女王の魔力を奪ったのは勇者なんだし……!そ、それに、魔宝石がなければ君は全盛期の力を永遠に取り戻す事が出来なくなるんじゃ……!?」

「あたしだって最初はあんたを殺す気だったわ。あんたがかつてあの勇者だったって知った時はなおの事、ね。だからお互い様よ。それにね、ガキが死にたくないって泣き喚いてんのよ?年長者たるもの、それを無視出来るわけないじゃないの!」

「ガ、ガキって……。勇者が死んだのはそれなりに年老いてからだったけど……」

「それはあくまで勇者の話でしょ?自分は勇者とは違うってあんたが自分で言ったんじゃないの。どうせあんたとしての人格が出来てからそんなに時間経ってないんでしょ?」

「うっ……」


 図星だった。

 自我が芽生えた時には既に彼は十代後半くらいの見た目だった。それから封印の眠りにつくまで、恐らく2年くらいしか活動していない気がする。


「それに勇者の年齢を加算したところであたしの方が年上なのは間違いないし」


 それを言われたらどうあっても彼女に年齢で勝てるはずもなく。そもそも彼女に勝てる人間などまずいないだろう。


「どのみちもうあげちゃったんだから今更ごちゃごちゃ言っても遅いわよ。返品不可ー!」


 魔宝石は12個全てが揃わなければ体内に取り込む事が出来ない。せいぜいブラッドストーンのように体の一部に埋め込むくらいが限界である。

 逆に言えば、一度体内に取り込まれてしまったら最後、魔宝石は消滅してしまうのだ。

 吸引魔法を本来とは逆の向きに作用させる事により、リオの体内で魔宝石は一つに融合し、そのままリオの身体に溶け込んだ。

 既に溶け込んでしまった以上、もう回収する事は出来ないのである。


「……はあ、カーツェ、君って奴は……馬鹿だね、本当に……。……ねえ、オレは生きていていいって、本当にそう思う?自然の理から外れた魔法生物のオレが、この世に存在していいって思うの?」


 するとカーツェは一切悪びれる様子もなく胸を張り、堂々と言い放った。


「別にいいんじゃない?それを言ったらあたしなんてお国に反逆した悪の権化の魔女王様よ?でもなんだかんだでこうやってひっそりと生き続けてるわ。魔女王も勇者も今やお伽話の存在よ。しれっと暮らしてればいいのよ」


 彼女のふてぶてしくて強かな物言いに、リオは思わず吹き出した。


 ――ああ、君はやはり悪人だ。


 世界一邪悪で優しい大悪党だ――……。


「あ、それとあたしの魔宝石を取り込んだ以上、あんたも不老不死になってるでしょうね。あたしと違って心臓の破壊と首を落とすだけじゃ死ねないと思うわ。魔宝石の効力が切れるまでは、ね。それまで途方もない時間を生きる事になるでしょうけど、もう後悔したって遅いんだからね!」

「……後悔なんてしないよ。君が隣で一緒に生きてくれるなら、オレはそれだけで幸せだから」


 リオはにっこりと屈託のない笑顔をカーツェに向けた。


 ――どうやら彼の小犬属性っぷりは記憶を取り戻しても健在らしい。


「この命は君に貰ったものだ。この身体が朽ち果てるまで、君を守る為だけに使う。オレはもう、勇者でも操り人形でもない。魔女王たる君の守護者だ……!」


 リオは自身の胸に手を当て、彼女に誓いを立てたのだった。



※※


 その後二人は店主の待つ酒場へと向かった。

 新米魔法使いによる魔法の暴発事件というのはしばしば発生する為、街の人々はリオが既に落ち着きを取り戻している事を確認すると、すぐさまいつもの日常へと戻っていった。

 今回被害に遭ったのがあの酒場だけだったというのも大きいだろう。


 リオは店主に深々と頭を下げ、事の顛末を説明した。

 今目の前にいるのが魔女王と勇者の復元体など、普通ならばまず信じられぬ事だが、店主はの国の王族の末裔と言われている。

 この二人の言う事も、彼女の一族先祖代々の言い伝えも、信じる他なかった。


 真実を知って驚愕したのは店主だけではない。

 カーツェもまた、店主があの忌まわしき王子の子孫である事に驚きを隠せなかった。

 世間は狭いとはよく言ったものである。


 店の損害分は働いて弁償するとリオは主張したが、店主は首を横に振った。

 自分の先祖のせいでカーツェは人生をめちゃくちゃにされ、勇者は戦の中で命を落とす事になったのだ。

 謝っても謝り切れない、こちらこそ償いをさせてほしいと、今度は店主が深く頭を下げたのだった。

 いやいやこちらこそ、いやいやいやこちらこそ……とリオと店主の延々と続く遠慮合戦にしびれを切らしたのは、一番の被害者であるカーツェだった。

 そしてリオの宣言通り「損害分は働いて返す事」、「しかし今後カーツェ達が客として来た場合は毎回ミルクを無料サービスする事(おかわり可)」を条件に半ば強引にこの合戦を終わらせたのだった。


「本当にそんなのでいいの?野良猫さん。私の一族の事、恨んでるんじゃないの?」

「……あの馬鹿王子の事は今なお許しちゃいないわ。でも子孫に罪はないって今更ながらに気がついたから……。それに一体何世代離れてると思ってんのよ?こんだけ血が薄まってればもはや赤の他人でしょうよ」


 かつてはもしも王子や勇者の子孫が存在していたならば、そいつらに復讐してやる事が出来るのに、とカーツェは考えていた。

 しかし王子の子孫である店主や、勇者の復元体でありいわば生まれ変わりと言っても過言ではないリオに対し、もう殺意が湧いてくる事はない。


 あいつらと彼らは別人だ。違う存在なのだ。

 過去の者達への憎しみを、今を生きる者達に向けてはならない。


 カーツェは償いなどいらないと言ったが、店主は頑なにそれを良しとはしなかった。店主はわりと頑固者であるらしい。

 仕方がないのでミルクの無料サービスという事で手を打ったのだった。

 それに日々の食費を少しでも抑える事が出来るというのはカーツェとしても実にありがたい話なのである。


 そんなこんなで数日後。


「――それじゃレキの事、しっかり洗ってあげるのよ。ネコノミは猫だけでなく人も刺すからね」

「『猫のみ』なのに人も刺すの?」

「誰が上手い事言えって言ったのよ!――いい?ノミは一気に複数箇所刺してくる上に、強いかゆみが長く続くのよ。しかも繁殖力が強いから一度発生したら根絶するのが物凄く大変なんだから!」


 彼女の熱弁っぷりを見るに、きっとノミに相当苦労させられた事があるのだろう。


「あたしは明日から一週間ばかし出掛けるから、その準備をしてるわ」

「えっ!?明日?一週間??ど、どこ行くの!?」

「険しい谷底にのみ生える薬草採り」

「またそういう危険な依頼を引き受けて……!オレも一緒に行くよ!」


 カーツェは不死の身体を利用して、高額な反面危険度の高い仕事ばかりを引き受けるのだ。しかし彼女の不死は完全なものではない。心臓が破壊され、かつ首を切り落とされれば死んでしまうのだ。

 しかも彼女はもう全盛期の魔力を取り戻す事は叶わない。これまでと同様、初歩的な魔法しか使う事が出来ないのだ。

 ゆえにリオとしては、【魔宝石の力が続く限りは】という条件付きではあるものの、完全な不死者である自分が盾となってカーツェを守るべきだ、と考えているのだ。

 ――とはいえ心臓破壊と首切りが同時に起こるような特殊な状況に追い込まれる事などそうそうあるはずもなく。


「あんたには酒場の仕事があるでしょうよ。急に休んだら店に迷惑が掛かるでしょうが!」

「うっ……!」

「あんたは心配しすぎなのよ。それに、あんたはまだ魔法を数回使っただけでへばっちゃうでしょ」


 取り込まれた魔宝石はそのほとんどがリオの身体の維持に使われてしまっている。

 それまでは魔法を放つ際に胸に埋め込まれたブラッドストーンの力の一部を使用する事も出来ていたが、今はリオ自身の魔力を使うしかないのである。

 とはいえ、闇魔法で蘇生された彼の身体はいわば闇の魔力の塊と言ってもいい。長く訓練を積めばいずれは国お抱えの大魔導師レベルにまで到達するだろう。

 勿論リオは地位も権力も興味はない。得た力は全てカーツェを守る為だけに使うのだ。それが彼の存在意義なのだから。


「ま、半人前のガキは家でお留守番してればいいのよ」


 またもやガキ扱いされてリオは少しむっとしたが、自分が足手まといなのは事実である。彼女を守るどころか危険な目に遭わせては元も子もないのだ。


 なお、翼猫であるレキは空を飛べ、普通の猫よりも賢い。また、カーツェにとても懐いており従順である。

 カーツェの手の届かない場所にある素材の採集等においては実に役に立つ存在なのだ。

 ある意味、リオにとってはカーツェの相棒の座を奪い合うライバルなのであった。


 そんなレキはリオにはあまり懐いておらず、また水嫌いであった。

 さんざん引っ掛かれたり噛みつかれたりしながらようやくレキを洗い終えたが、まだ日が高かった。よって、日が暮れるまで剣に魔法を乗せる訓練をする事にした。


 リオの使う魔法は広範囲を攻撃出来るものの、燃費が悪く、敵に当たらなければ無駄に魔力を消耗してしまうものばかりなのだ。

 だが剣技と共に放てば最低限の魔力で効率よく魔法を使う事が出来るようになるである。

 例えばヴァンパイアバットを付与して斬撃を繰り出せば、斬り付けると同時に相手のエネルギーを奪い、即吸収する事が出来るようになるのである。

 まだまだ半人前である彼が、カーツェの仕事に一日でも早く同行出来るようになりたいがゆえの、苦肉の策であった。

 それにリオはやはり魔法よりも剣術のほうが得意なようだった。身体はまだ剣の振り方を覚えているようだ。

 とはいえ流石に鈍ってしまっているので、一から修業し直しではあるけれども。


 明日の支度が終わり、休憩がてらリオの訓練の様子を眺めていたカーツェはふと、ある事を思い出す。


「ねえリオ、ずっと疑問に思ってた事があってね。もし覚えてたらでいいんだけど、聞いてもいい?」

「ん?何?」

「勇者ってなんであたしにトドメを刺さなかったのかしら?」


 いずれ魔宝石を集め切った魔女王が復讐にやって来るのではないか、と考えても不思議ではないだろうに。

 するとリオは「ああ、それなら覚えてるよ」と頷くと、実にあっけらかんと答えた。


「カーツェの容姿が好みだったからだよ」

「……は?」

「勇者と言っても、彼は聖人君子なんかじゃない。時には私欲を優先するごく普通の人間だ。だから王国の将来に禍根を残す事になったとしても、一目惚れした女性を殺したくなかったんだよ」


 表情を一切崩すことなく淡々と説明するリオとは対照的に、カーツェの頬はみるみるうちに赤みを帯びていった。


「は、はぁ!?ば、ばっかじゃないの!?敵に対してありえないし!……もうほんと、馬鹿みたい!!」


 急に顔を真っ赤に染めて取り乱し始めたカーツェに、リオは小首を傾げて問う。


「……カーツェ、もしかして照れてる?」

「は!!?べ、別に照れてないし!呆れてるだけだし!!あ、そ、そうだ、明日の準備でまだやる事があるんだったわ!それじゃね!!」


 そう言って、既に準備が終わっているからここに来たはずのカーツェは、そそくさと走り去っていった。


 いつもは年上ぶっている彼女の意外にも可愛らしい姿に、リオは思わず吹き出した。


 かつて魔女王と呼ばれた少女と。

 勇者の復元体うまれかわりと。

 亡国の王族の子孫である女店主は。


 今日も人知れずひっそりと、しかし穏やかな日々を送っている。


 魔女王様の後日談は、まだまだ始まったばかり――……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ