第4話 会いたくない人とトラウマ
俺は何かから逃げるように迷宮の中を走り抜ける。
魔力は尽き、左手で押さえる腹部から流れる血は止まらない。
視界は霞んで、なんども地面に足をとられながらも前に進むことだけを考えていた。
「いやだ……嫌だ嫌だ嫌だ。俺は……!」
息が苦しい。迫りくる死に怯え、俺は涙を流しながら走っていた。
*****
「――っ!」
俺は思い切り飛び起きる。
周囲を見回すが、そこは宿の一室。
「夢、か」
額の汗を乱暴に腕で拭い、乱れていた呼吸を整えてから俺は顔を洗う。
明け方の冷たい水で意識をはっきりさせ、タオルで拭きながら顔を上げる。
そこには普段よりも顔色の悪い自分が立っている。
「酷い顔だな」
鼻で笑い、自嘲する。
そして手洗い場から離れ、支度をして部屋から出ようと戸を開ける。
すると、目の前にルシアが立っている。
この状況に慣れてきてしまっている自分に俺は恐怖すら抱きつつあった。
「おはよう、ランス」
「……今日は本当にどうなっても助けないからな」
昨日の火トカゲの一件を思い出しながら一応俺は忠告しておく。
だがやはりルシアは俺から離れるつもりがないらしい。
彼女は頷くと俺の後ろにぴったりと引っ付いた。
俺は気を引き締めて迷宮へ向かった。
*****
明け方だからだろう。迷宮前にいる冒険者は少なかった。
迷宮へ足を踏み込むが、中はしんと静まり返っている。
相変わらず序盤の方は魔物が少なく、体力を温存しながら先へ進むことができた。
明け方になれば眠る魔物も多くなるため、中間地点も手こずることはなかった。
その調子で迷宮の四分の三辺りまで進んだところで、地面にまだ新しそうな魔物の死体が転がり始める。
絶命した魔物たちの負っている傷は人為的なものだ。
「俺達以外に冒険者がいるのか」
さすがに数が増えてきた魔物を剣で斬りつけながら先へ進む。
だが魔物の死体は見当たるものの、冒険者らしき姿は見当たらない。
通り道で遭遇しないのであれば、例の巨大な魔物の討伐が目的だろう。
先を越されて倒されていないことを願いつつ、俺は最深部へ急ぐ。
「……やっぱり先客がいたか」
最深部の手前へたどり着いた時、離れた場所で何やら話し合っている団体を発見した。
チラチラと最奥の方へ視線を送らせているところを見ると、どうやって倒そうか考えているのだろうか。
「……流石に奥までは付いてこないよな?」
恐る恐る聞くと、ルシアは小さく頷いて、少し大きな岩を指さす。
「あそこにいる」
「わかった」
少し安心しつつ、冒険者たちを避けるように迂回して、先へ足を進める。
だが、途中でその冒険者たちの方から声が飛んでくる。
「すみませーん!」
面倒臭くなる予感を感じながら、俺は仕方なく足を止めてそちらへ顔を向ける。
声をかけてきたと思われる男が一団から抜け、手を振りながら近づいてくる。
段々と近づいてくる彼を睨みつけていた俺であったが、その顔を見て目を見張った。
「そんな、馬鹿な……」
思わず擦れた声が漏れる。
それを聞き取ったルシアが心配げにこちらを見たが、彼女のことを気にすることができなかった。
近づいてきたのは、エルヴィスと同じくらいの年齢の青年。
彼は人の好さそうな笑みを浮かべて俺に話しかける。
「いきなりすみません。実は僕達、今から最深部の魔物を倒しに行こうと思うんですけど、少し不安だなって思ってて。そちらのパーティはお二人ですか? もしよろしければ、一緒にどうですか?」
眩暈がして、ぐにゃりと視界が歪む。
気持ちが悪くなり、しゃがみこみたくなるのを我慢しながら、声を絞り出す。
「おれ、は……」
だが声が震えて、上手く言葉を繋げられない。
彼は心配そうに顔を顰めてこちらを見た。
青年はきっと、フードを被っている俺の顔が見えていないのだろう。
でなければ、もっと別の反応をしたはずである。
俺はこの青年と共闘したことすらあるのだから。
青年の名はクロード・ラコスト。
この辺りではそこそこ名の知れた冒険者パーティのリーダーである。
そして、俺が最も合いたくない人物であった。
「あの、大丈夫ですか? どこか怪我でも……?」
優しい声色が、俺の鼓膜を振動する。
それがどうしようもなく、耳障りだった。
俺の様子を見て心配げな顔をするクロードは、俺の肩に手をかけようとした。
だが、それをルシアが払う。
「……?」
「大丈夫」
一言だけ言うと、驚いているクロードをよそに、ルシアは俺の手をぐいと引っ張って移動し始める。
俺は項垂れたまま大人しくそれに従う。
その間も俺の頭の中はクロードや、クロードとともにいたであろう者たちのことでいっぱいだった。
ルシアは俺を最深部の空間近くにある岩陰に座らせた。
座り込んだ俺は痛む頭を抱え込んで蹲る。
浅い呼吸しかできず、落ち着かなくてはいけないことはわかるのに、それができない。
「ランス」
ルシアが優しく声をかけ、同じく優しくに抱き着く。
だが今の状態では、彼女の優しささえどうしようもなく怖かった。
「近づくな!」
俺はルシアを突き飛ばす。
地面に転ぶ彼女を見て、俺はすぐに自分の行いを恥じる。
「……すまない」
そう言って俺は顔を両膝に埋めた。
頭は負の感情でぐちゃぐちゃになり、頭痛はどんどん激しくなる。
そして俺は考えることをやめた。
*****
前進に激しい痛みを覚え、俺は我に返った。
俺は壁に身体を打ち付けて地面に倒れ込む。
周囲の様子を確認しようと顔を上げたところで、俺は息を呑んだ。
すぐ前方に、巨大な魔物の姿。
その角の生えた牛の頭を持ち、人の身体を持つ魔物。
それがゆっくりとした動作で、自分の持っている斧をこちらにむかって振り上げている。
何故、俺が最深部にいるのか。
混乱した頭で唯一思ったこと。
――逃げなくては。
今、自分が死の淵に立たされていることだけは、理解ができた。
身体を起こそうと力を入れるが、その刹那、痛みが全身を駆け巡る。
「ぐぁっ……」
そのまま地面に崩れる俺を見下ろして、魔物は咆哮した。
そして、その斧が振り下ろされようとしていた時。
「ランス!」
突然、右腕が思い切り引っ張り上げられる。
身体が引きずられ、痛みを感じる最中、足元に巨大な斧が振り下ろされた。
大きな衝撃と共に俺と、俺を引き上げた一人は風圧で吹き飛ばされる。
地面を大きく転がり、やがて仰向けになって止まる。
すぐ隣で、同じように倒れているルシアの姿があった。
ルシアは少し顔を顰めながら俺の元へ駆け寄り、抱き上げた。
そして、ポケットの中から一つの瓶を取り出す。
明るい黄緑色の液体が、中で揺れている。
「飲んで」
「……っ」
半開きになっていた俺の口へ小瓶の中身が注がれる。
液体の味が分からないほど、俺の口の中には鉄の味が広がっていた。
正体のわからない液体を飲んだ数秒後、急に身体の痛みが和らぐのを感じた。
回復薬の一種だったのだろう。
「歩ける?」
ルシアの声を聞いて、俺は再度手足に力を籠める。
痛みが完全に引いたわけではなかったが、それでも今度はすんなりと立つことができる。
だが、すぐに立ち眩んだ。
ルシアは前に倒れかけた俺を受け止め、肩に手を回す。
「……出よう、ランス」
支えられながら、俺はルシアと歩き出す。
幸いだったのは、吹き飛ばされたのが最深部の出口に近い場所であったことだろうか。
途中まで魔物の追ってくる音がしたが、それもすぐに止む。
そこでやっと緊張が解け、身体の力が抜けていくのを感じた。
そしてそのまま、俺は意識を手放した。




