第2話 常識外れ
やばい女、ルシアを助けてしまってから三日が過ぎた。
俺は今朝も森での鍛錬を行ったあと、今後必要になるであろう物の買い出しをしようと考えていた。
鍛錬から宿に戻って、顔を洗って、鏡を見る。
紺色の前髪は若干目にかかっていて、釣り上がった金色の目がこちらを見つめている。
鏡に反射した自分の姿。
そこから俺の視線は斜め後ろへ切り替わる。
「おはよう、ランス」
「出ていけ」
銀髪の少女、ルシアが鏡越しに俺に挨拶をする。
俺は振り返って彼女の両肩を掴むと、乱暴に部屋の外へ追い出した。
そのまま部屋の戸を閉めて、さらに開かないようにもたれかかる。
ドンドンと戸が叩かれる振動を感じながら、俺は額に手をやった。
やがて振動は収まり、俺はこっそりと廊下から顔を出して様子を窺うが、ルシアの姿は見当たらない。
それを確認し、胸を撫でおろしてから俺は、ハンガーにかけられていた黒いローブを着用してフードを深く被り、革袋を手に外へ出た。
物資の調達を目標に、俺は店の並ぶ市場へ赴く。
……がしかし、俺は進めていた足を途中で止め、振り返った。
朝日が町を照らし出した路地。
時間が経つにつれて、人通りも多くなってきた道を俺は見回す。
そして、俺から一番近い曲がり角の陰から様子を窺っているルシアの姿。
まだ諦めていなかったのかと呆れながら俺は彼女に近づく。
途中で自分の存在に気付かれたことは察しただろうが、俺が近寄って睨みつけても彼女は表情一つ変えない。
「……おい、いい加減にしろ。あの日からずっと後を付けられている俺の身にもなってみろ」
「どうしたら結婚してくれるの? お金いる?」
「いらないから話を聞いてくれ」
故意なのか無意識なのか、彼女は俺を付け回すとき、自身の気配を消す。
さらに、何故初対面の俺に結婚を迫るのか、彼女が何を企んでいるのか全く分からない。
それらが俺の警戒心を高めていた。
「あんた、何が目的だ?」
無表情な彼女から少しでも情報を絞り取ろうとする。
些細な表情の動きすら見逃さぬ様俺はルシアを睨みつけた。
「貴方と、結婚がしたい」
結果、声色も、返答も、表情の変化も皆無。
まるで人形のように淡々とルシアは答えたのだった。
「お金なら、ある」
どうにかして彼女との関係を絶つことはできないかと頭を悩ませていると、彼女はポケットを漁りだした。
そして何かを引っ掴んでポケットから出すと、俺の前でその手を開いた。
ルシアの手に握られていたのは十枚の金貨。
俺は反射的にその金貨を隠すように彼女の手を握りしめる。
「ばっ……」
「どうしたの?」
小首を傾げ、俺を見上げるルシア。
その様子に俺は再び頭を抱えるしかなかった。
金貨は本来、ただの民間人はほとんど見ることすらできない硬貨である。
銅貨が十枚もあれば数週間分の食事が、銀貨が数枚あれば一週間は宿に泊まれるほどの価値がある。
民間人にとっては銀貨が手に入ればもうかったと思えるほどの価値がある。
では金貨はどうか。
相場は変わったりするが、金貨は基本、一枚で銀貨二十枚分相当になる。
一枚差し出せば大抵の宿には二か月以上泊まることができる程の大金だ。
それを朝だとはいえ、周囲に人がいる中見せびらかすなど、正気の沙汰ではない。
どんな問題に巻き込まれるかわかったもんじゃないし、ルシアのせいで俺まで巻き込まれるなど遠慮願いたいところだ。
「これはしまってくれ。こんな大金を見せびらかして歩くな。俺まで面倒ごとに巻き込まれかねないだろ」
「……ランスが困るなら」
ルシアは小さく頷くと、それを自分のポケットに詰め込んだ。
「それで、何が欲しいの? 武器? 道具? アクセサリー?」
「何もいらないから近づく……」
俺は言いかけた言葉を止め、勢いよく後ろを振り返る。
複数の視線を感じたのだ。
その視線の正体を探ろうと辺りを見回すと、とある一団が目に入る。
小汚い布を纏い、皆がフードで顔を隠している。
だが、彼らは明らかに俺と彼女の方を見ていた。
俺は無言で睨みつける。
一団は俺に気付かれたことを悟ったのか、すぐに路地裏へ続く道へ姿を消した。
「どうしたの?」
「……いや、なんでもない」
不穏な空気を感じつつ、俺は視線を戻す。
フードの一団のことを考えながら、一先ず先へ進もうとしたとき。
俺の後ろでルシアが転んだ。
「……おい」
「――ってえなぁ、おい」
呆れて振り返ると同時に聞こえるのは男の怒号。
尻餅をついたルシアと俺の間にガタイのいい男が立っていた。
男は右腕をさすりながら彼女を見下ろす。
「あー、いてえな。折れてたらどうしてくれるんだ? あ?」
言わんこっちゃない。
どうせ意図的にでもぶつかられたんだろう。
恐らく理由は先ほどの金貨のやり取り。
面倒だが、むしろここで庇いに入らなければ周囲から非難の視線がそそられるに違いない。
俺は早歩きでルシアと男の前に移動する。
「悪いな、うちの連れがどうかしたか?」
「あ? どうもこうも、こいつがぶつかってきやがったせいで怪我したんだよ。治療費出せよ」
「悪いが、あんたに渡す金は持ってないな」
「さっき、そっちの嬢ちゃんが大金ジャラジャラ持ってんのは見たんだ。しらばっくれてねえでとっとと寄こせよ」
大男が何やら合図をすると、さらに二人の男が見守る通行人の中から近づいてくる。
彼らの手に握られているのはナイフ。
俺は下がっていろと言う意を込めて、ルシアをあしらう。
彼女は小さく頷くと、その場から離れる。
逃げようとする彼女を捕まえようと、いちゃもんを付けた男が動く。
「おい、まだ話は――」
俺は右足を一歩前へ踏み込み、男の右腕を掴む。
それを捻って掴んだまま男の背中に持っていく。
「いだだっ、いてえ!!」
「ああ、よかった。骨、折れてないみたいだな」
「このっ……!」
途中から現れた二人がナイフを片手に突進してくる。
ナイフの利点は武器の軽さから、隙を作りにくいこと。
だが最大の欠点は、リーチの短さだ。
俺は一人の攻撃を手で受け流し、懐へ潜り込んで鳩尾に拳を突きつける。
汚い唾液をまき散らしながら崩れ落ちる男を避け、背後から迫りくる男へ振り返る。
そして、ナイフを腹部へ突き出してくる男の手を俺は蹴り上げた。
ナイフは男の手から離れ、地面に落ちる。
俺は空になった相手の手を掴んで引き寄せ、自分の足で相手の足を引っ掻ける。
そして男がバランスを崩したところで相手の身体を背負い投げる。
地面に体を叩きつけられて呻く男をよそに、俺は落ちていたナイフを拾い上げてルシアに絡んできた男を睨む。
「ひ、ひぃっ……!」
男は仲間がやられるのを呆然と見ていたが、俺の標的が自分へ変わったことに気付くと背中を向けて逃げ出した。
それを俺は見送ってからナイフを捨てて、深く息を吐く。
身体を動かすことが嫌いなわけではないが、後々事情聴取をされるのは面倒だ。
周囲の視線が自分に集まっていることもあって、俺はとっととその場を去ろうと考える。
俺は建物の陰に身を潜めていたルシアを見つけると、彼女の手を引いてその場から立ち去った。
騒ぎを起こした場所からやや離れたところで俺は足を止め、ルシアを睨みつける。
「最近、特に治安は悪い。大金を持っていることを周囲に見せびらかせば、こうやって絡んでくるやつもいる。少しは考えて行動しろ」
「……ランス、ありがとう」
素直に礼を言われ、面食らう。
「やっぱり結婚しよ?」
「それしか言えないのか、あんた」
やはり通常運転だった彼女にうんざりしながら、俺は市場へ向かう。
先ほどの件もあるし、しばらくは見張っておいた方がいいかもしれない。
俺はルシアを振り払うことを諦め、とっとと自分の用事を済ませてしまおうと考えた。