第1話 銀髪の美女
「……何してんだ、あんた」
俺は呻きながら上半身を起こす。
真夜中のベッドとクローゼットしかない狭い一室で眠りにつこうとしていた俺の意識は一瞬にして現実に引き戻されていた。
暗い視界の中に浮かび上がる人影、重い身体。
ベッドで横になっていた俺の上で、少女が馬乗りになっていた。
「ランス、大好き。結婚して」
「……寝言は寝て言え」
毎日のように夜這いに来たり、気配を消して近づかれる俺の身にもなって欲しい。
心臓に悪い上に体の疲れを癒すことすらままならないのだ。
「養ってあげるから。ね? いいでしょ?」
「……勘弁してくれ」
一人で静かに生きていこうと思っていたのに、どうしてこうなってしまったんだろうか。
*****
明け方、木漏れ日が差す森の中。
俺は何体もの魔物を両手剣で切り伏せていた。
「――っ!」
風を切る音の後に聞こえる相手の血が噴き出す音。
魔物は最後に大きく呻くとその場に倒れて動かなくなった。
頬を伝う汗を袖で乱暴に拭いながら俺は不満を漏らす。
「……足りない」
それは己の実力に対する不満。
一人で誰にも頼らずに生きていけるほどの力を俺は欲していた。
「もう二度と、あんな目に合うのはごめんだ」
蘇る記憶を振り払って、俺は踵を返す。
そしてもと来た道を戻ろうとしたとき。
「っ!?」
俺はこちらに向かって走ってくる複数の足音を聞きつけた。
すかさず両手剣を抜いて構える。
このままならば、俺の数メートル前方にそれらは現れるはず……。
そして、相手の動きを予測しながら身構えていた俺の視線の先に、一つの影が飛び出す。
走って斬りかかろうとしていた俺は、それがなんであるかを認識したところで動きを止めた。
「女……?」
美しい銀色の長い髪、色の薄い透き通るような肌。
上等な服に身を包んだ少女は俺のことなど目もくれず、表情を崩すこともなく横切っていった。
だがその数秒後に少女は木の根に躓き、転倒した。
登場から転倒までの一部始終を見せられた俺はしかし、声をかけようかどうか迷っていた。
人とむやみにかかわりたくない、と言う気持ちと、僅かに残っている良心が喧嘩をしている。
そんな最中、身体を起こそうとした少女めがけて、さらに複数の影が飛び出してきた。
それらは少女よりも大きく、そして鋭く尖った牙を持っていた。
魔物だ。
それらは少女を取り囲むと、じりじりと彼女との距離を詰めていく。
戦えないのならば、むやみに森に入らなければいいのに、と俺は思った。
人が多くいるような場所であれば魔物に襲われる心配もないのだから。
「まったく、面倒だな」
ぼやきながら、鞘に納めたばかりの剣を再び抜く。
他人と関わりたくはないが、かといってここで見捨てれば寝覚めが悪くなる。
俺は仕方なしに彼女らの方へ向かって走り出した。
そして、背後から距離を縮めて魔物一体の首をはねる。
一体の魔物を倒したところで崩れた陣形の穴をすり抜け、俺は少女の前に立つ。
残り五体。
視線を巡らせ、敵の数を確認する。
俺が一体一体を威圧するように見まわすと、魔物たちは低く唸る。
互いに牽制しあったまま時は流れ。
最初に動いたのは二体の魔物だった。
二体が同時に俺の首を噛み千切ろうと牙を剥きだして飛びかかってくる。
俺は一体へ向かって突進し、すれすれのところで身を躱す。
獲物を捕らえられなかった一体は減速し、方向転換を図る。
だがそれよりも先に俺の右足が相手の腹部に深く入り込んだ。
蹴りを喰らった魔物は犬のような高い悲鳴を上げながら地に転がる。
更に俺の左方から迫りくるのは同時に飛び出したもう一体。
無防備な少女より先に俺を始末する考えなのか、はたまた俺の参戦によって混乱して少女のことなど忘れてしまったのか。
何はともあれ、標的が俺に向いてくれるのはありがたい。
誰かと協力したり守ったりすることを前提としていない俺の戦い方で少女を庇いながら戦うことになったのならば、やりにくかったことだろう。
もう一体の魔物へ、俺は容赦なく剣を振るった。
遅れて、相手の顔を上下に切り分けるように赤い線が浮かび上がる。
そしてそれは赤黒い血を噴き出して絶命した。
剣を振り下ろした状態から体勢を戻し、残りの三体を見やる。
彼らは狼狽えたようにじりじりと俺から距離を取り始めた。
逃げる瞬間、すなわち俺に隙ができるのを待っていたのだろう。
だがその瞬間が来るよりも早く、今度は俺から攻撃を仕掛けた。
僅か三秒にも満たない間で一体との距離を詰め、首を切断。
どうやら彼らは俺の動きを捉えられるほどの動体視力を持ち合わせていなかったようで、首が斬り落とされた仲間を見て混乱した結果、撤退を試みた。
だが彼らが踵を返したところで俺は一体の頭に深く剣を突き刺して殺し、走り出したもう一体の横腹を掻っ捌いた。
最後の一体が絶命したと同時に戻ってくる明け方の森の静けさ。
遠くで小鳥が囀っているのを聞きながら俺は剣を鞘に戻した。
そして一息ついてから周囲の様子を確かめる。
俺の周りは、凄惨と言う言葉が似あう状態だった。
地面は赤黒い血が染め上げ、鉄臭い。
俺も少女も返り血で衣類や身体を汚していた。
「あんた、大丈夫か?」
一応の安否確認をする。
彼女は死にかけたり、返り血まみれになったりとしているくせに表情一つ変えずに頷いた。
「森に入れば、魔物に襲われる。それくらい常識だろ。自殺がしたいなら俺のいないところでやれ」
ひとしきり文句を吐き出したのはいいものの、このまま放っていけば、結局彼女は他の魔物に襲われて命を落とすことになるかもしれない。
面倒だとは思うが、俺も森に隣接する町まで戻ろうと思っていたところだ。
ついでに森から出る手伝いくらいはしてやってもいい。
「森の外まで送ってやる。これに懲りたら次からは戦えるやつと来るんだな」
少女は青く大きな瞳で俺の顔を見つめながら、相変わらずの無表情で再び頷く。
しゃがみこんでいた体勢から立ち上がらせてやるために、俺は彼女へ手を差し出した。
少女は俺の手を掴むも立ち上がるそぶりを見せることなく、俺の顔を持って見つめていた。
何をしているんだと問いかけようとしたところで、彼女が口を開く。
「結婚して」
「……は?」
突然の言葉に数秒間思考が停止する。
いや、だが聞き間違い以外にあり得ないだろう。
俺は無言で彼女を引き上げ、立たせてやる。
「結婚して。お金はたくさんあるし、養ってあげるから」
聞き間違いじゃなかったことと彼女の言葉に衝撃を覚える。
あまりに突然のことに狼狽え、厄介な人間と縁を持ってしまったことに早くも後悔した。
これが、仲間に裏切られた俺と、俺をヒモにしたがる少女との出会いだった。