刺激
----あ、まただ。
体が動かない。
楽しいことも考えつかない。
かと言って死にたいわけでもない。
ただひたすら、暗い闇の底へ心が落ちていく。
スーッと、ただひたすら、深い闇へ。
毎日変わらない通学路。
この道を曲がると。
いつも優香は立っている。
「おっす〜おはおは。今日化学のプリント提出だよ〜」
毎朝、彼女は私に挨拶をしてはその日のタスクを教えてくれる。
いつも通りの授業を受ける。
休み時間もお弁当を食べながらいたって普通の歓談をする。
午後の授業は眠い。先生に叩き起こされながらも寝る。
男の子じゃないけど「突然テロリストが学校に襲撃してくる」妄想をしたり、「たまたま拾った宝くじで3億円を当てる」妄想をしたり、今までと違う日常を想像する。いや、妄想する。
決してつまらない人生を送っているわけではない。今日も優香から放課後カラオケなんてどうだいなんて言われて行くことになった。
カラオケでもバカみたいに騒いで「あー3日分くらい歌ったわ〜」とか漏らしてみたりする。
家に帰って友達と電話をしたりもする。
毎日「そこそこ楽しい」生活を送ってる。そこそこ楽しいこそ正義。そう思ってもいる。
ただ次の日の朝、またそれはくる。
あまり後ろ向きな人間ではない。よく笑うし、よく怒るし、よく泣く。感情が何かに抑えつけられてることもない。
それでも、朝は苦しい。
その瞬間だけ全ての感情は抑えこまれる。一つ残っているとすると、「めんどくさい」。その感情が露骨すぎて感情ですらなく感じる。
ただひたすら、心が深い闇の底へ落ちて行く。でも這い上がるのも簡単。少し待てばいつもの自分になることができる。
自分を演じているわけではない。友達に今日気分悪い?なんて心配をされたこともない。
楽しい日常の反動を、朝に感じている。ただそれだけだと思う。
楽しい日常を送っているんだから、そのくらいしょうがないじゃないか、そう考えるようにしてる。
もちろん、「そこそこ楽しい」じゃなくて、「他人の比じゃなく楽しい」なんてなったらそんなこともなくなるのかなとは考える。
でも、ただの一般人として「そこそこ楽しい」以上は望まない。望む必要がない。楽しいのは確かなのだから。
とある日、優香が亡くなった。
トラックに轢かれ、即死だったらしい。
もちろん大切な友人が亡くなったことは悲しかった。一生分の涙が出きったのではないかと思うほど泣いた。
ただその報せを聞いた次の日の朝、それは来なかった。
スッキリ目が覚めてスッといつもの自分になった。
まだ悲しい感情は残ってる。悔しい感情もあれば、トラックの運転手に対する怒りもある。嬉しい感情なんて一欠片もない。ただ、それらの感情が朝起きた時からある。
心が深い闇へ堕ちていく感覚は一切なかった。
いつもの通学路。
ただ、この道を曲がっても今日からは優香は待っていない。
お弁当を食べる時も優香はいない。
放課後にカラオケに誘う優香もいない。
突然訪れた、心の刺激。
読む人ごとに思うことは違うと思います。一応補足しておくと、主人公は優香の死を1mmも喜んでいません。