3.
3時間の苦闘の跡ですので、たぶん誤字脱字矛盾がハンパないかと……。後日訂正入れる可能性大です
「そういえば、ひとつ疑問なんですけど」
姉妹仲良くローストビーフをほお張る二人、特に正面に座る莉愛さんに対して、俺はふと湧いて出た疑問をぶつける。ちなみに彩菜は右隣の座席だ。
「どうして俺、莉愛さんのこと知らなかったんでしょうか?」
主に小学生のころ、俺は鳴海家にちょくちょく遊びに行っていたし、泊まりにだって何回も行っていた。それなのに、なぜ姉である莉愛さんのことを知らなかったのだろうか。
と、口に入った肉を先に咀嚼し終えた彩菜が、代わりに俺に答える。
「そっか、達也くん知らなかったんだ」
「ああ、お前ずっと一人っ子だと思ってた」
「えっとね、お姉ちゃん、中学校入ってから五年間くらい、留学してたんだよ」
「なるほど、道理で……って、留学ぅ!?」
「うん。お姉ちゃん、すっごく頭いいんだから」
満面の笑みでえっへん、と自分のことのように姉を自慢する彩菜。
莉愛さんは少し照れくさそうに頭を掻きながら、
「昔のことだよ。もう今はその辺によくいる、しがない研究者でしかないし」
「よく言うよ、教授さんに気に入られて来月から准教授でしょ? まったく、全国のしがない研究者さんたちに謝ってほしいよ」
「だから、そんなの周りの人たちもみんなやってることで……」
「はいはい、その言い訳はもう聞き飽きましたー」
傍から見るとただの微笑ましい姉妹の会話であるが、俺には衝撃の事実だった。なんか勝手に俺の中で、「莉愛さん=頭弱い人」的な図式が勝手に出来上がってたんだけども。
「……達也くん、なによその目は」
「いやあ、莉愛さんってそんなに頭いい人だったのかと……」
「何を失敬な、これでも十五歳で大学卒業資格は取ったんだから」
「うへぇ……」
「ちなみにお姉ちゃんが行ってた学校ってプリンストン大だよ」
「プリンストン!?」
プリンストン大学ってアレだろ、確か六年間くらい連続でハーバードとかを抑えて、アメリカの大学ランキングでトップのところだろ?
引くくらいに頭いい人じゃないか、この人。そういえばさっきの会話で「来月から准教授」とか言ってたけど、確かに莉愛さんならそれも頷ける。
と、俺がしきりに感心していると。今度は莉愛さんが俺に対して爆弾をぶち込んでくる。
「で、達也くん」
「はい、なんですか」
「君は今、何をしてるのかな?」
「何って、普通にフランスパン齧ってますけども」
「そうじゃなくて、今の職業はなんですかってお話」
「え、あ、ああ、そういう……」
そういえば莉愛さんからの呼び名も「達也くん」になったみたいだが、今はそんなことに構っている場合ではなくて。
まずい、このままでは俺が無職フリーターだということがバレてしまう。
「……今は高校生です!」
仕方なく、苦肉の策を講じる。三月三十一日までは誰が何を言おうとも高校生だ。
よし、これで切り抜け……
「へえ、それじゃあ四月からは?」
「ですよねー!」
残念だが、当然切り抜けられなかった。彩菜からは「達也くんも農大生じゃないの?」みたいな目が向けられてるし、正直つらい。
観念した俺は、正直に今の自分の立場について告白することにした。
「えーっと、実はですね……」
***
「……ってことなんですよ」
「なるほど、話は分かったよ」
「莉愛さんが話分かる人でよかったです……」
「つまり、達也くんは四月から無職フリーターなクソニートなのね」
「いきなりバッサリ切り捨てすぎじゃないですか莉愛さん!?」
「いや、お姉ちゃん正しいでしょ」
「彩菜ああああああああ!!」
約十五分の懺悔のあと。俺は目の前の女性二人から辛辣な言葉を浴びせられることになった。
落ちたやつが悪いんだろうとか、そういう正論はこの際無視するとして。
「なんでこんなに俺は責められなきゃいけないんだ……」
「当たり前でしょ、今の話だけ聞くと達也くん、『自分の学力に自惚れてたら大学落ちた挙句、家まで飛び出してフリーターやってる、勉強もしない自称浪人生』系男子だよ?」
「なんでこんなに俺は責められなきゃいけないんだ」
ここまでサンドバックにされるほどの悪いことだろうか、自宅浪人。
と、さっきから心の中で恐れていることを、おそるおそる聞いてみる。
「えーっと莉愛さん、ひとつ聞きたいんですけど」
「どうしたの達也くん、勉強なら彩菜に見てもらいな?」
「そういうことじゃなくて、いやその辺もお願いしたいんですけど、そうじゃなくて」
微妙にさっきより風当たりが強いことを感じつつも、俺は質問を続ける。
「莉愛さんって、お仕事先どちらなんですか?」
「え、そんなの決まってるじゃん」
なんでいまさらそんなこと聞いてくるの、と言いたそうな雰囲気を出しつつ、莉愛さんは続ける。
「日農大の生命工学部だけど」
「ですよねー!」
恐れていたことが起きてしまった。なんと俺以外、みんな農大関係者。なんだか泣きたくなってきた。
「大丈夫大丈夫、大学だけで人の価値は決まらないから!」
「じゃあそんな彩菜さんに聞くけど、いったい人の価値は何で決まるんですか?」
「えーっと、…………経済力?」
「うわ現実的! むしろそれ学力よりもっと無いよ! 俺の価値ゼロ近似されちまったよ!」
「どう、励まされた?」
「励まされねえよ! どうしてお前は今の話の流れで励まされたと思ったの!? むしろ奈落の底に落とされた気分だよ!」
「大丈夫大丈夫、人の価値は顔じゃないよ!」
「そこでなんで第三のゼロが出てくるの!?」
「学力ゼロ、経済力ゼロ、更に魅力ゼロ」
「ビールのCMやってんじゃねえんだよおおおお!!!」
はぁはぁと息を切らせながらも、俺はいちいち高クオリティなボケにツッコミを食らわせていく。すると、その掛け合いを見ていた莉愛さんが突然、クスクスと笑い出した。
「……どうしたんですか莉愛さん」
「いや、二人とも気が合ってるなあって」
「そりゃあ、幼少期を一緒に過ごしてきましたからね……」
こういう無駄なところだけ息ピッタリ。世間的に言う幼馴染ってのは、案外こんなもんではないだろうか。
そんな俺たちを、なんだかくすぐったいような目で莉愛さんは見る。そして、
「と、そんな君たちにひとつ提案があるんだけど」
莉愛さんが右手に持っていたフォークを取り皿の上に置くと、その右手の人差し指を立てたあと、まずは俺に対してその指を向ける。
「達也くんは料理が出来るが、大学に落ちたのでもう一年勉強しなければいけない」
「まあ、確かに」
続いて、その指は、俺の隣の彩菜の方へ。
「かたや彩菜は、大学には受かったものの、料理に関してはからっきし」
「うぅ……」
「どうだい、二人とも。なんだか利害が一致しているとは思わない?」
「利害、というと?」
「達也くんは料理を彩菜に教える、彩菜は達也くんに勉強を教える。こうすればみんなハッピーだと思わない?」
「確かに確かに!」
お姉ちゃんすごーい、とか言って莉愛さんの手をとってぶんぶんと上下に揺さぶる彩菜。
……だが、俺はそんなものには騙されない。
「……その心は?」
「その心って、どういう意味かな」
「どうしてそれは俺なんですか、それこそ莉愛さんが今までどおり、彩菜の面倒を見ていけばいいんじゃないでしょうか」
それが出来ないということは、きっと莉愛さんがこれから忙しくなり始めて、彩菜の面倒を見切れなくなってしまうとか、そういう事情があるのではないかと邪推してしまう。だが、俺にはその話を了承することは出来ず。
俺は、やっぱりまだどこかで、彩菜への罪悪感というか後ろめたさを消せていない。そんな状況である以上、おいそれと安請け合いすることは出来なかった。
「俺はこの話、正直あまり気乗りしてません。少なくとも、彩菜とは『隣人』の関係でいるつもりですし、農大に入れたとしてもそれを変えるつもりはありません。勝手で本当に申し訳ないんですけど、この話はお断りさせてほしいです」
なるべく丁寧に、莉愛さんの好意を無碍にしないように断りを伝える。どうやらその気持ちはちゃんと伝わったようで、しばらく複雑な表情を浮かべてはいたものの、
「そっか、名案だと思ったんだけど」
と、最終的には納得してくれた。
少し変な雰囲気になってしまったが、致し方ない。気を取り直して目の前のコンソメスープを啜ろうと、左手でスープカップを持とうとして、
「なんでよ!」
その手はすぐ隣からの叫びに遮られ、宙ぶらりんになってしまった。
声の主は続ける。
「達也くんなんでよ、どうして私とまた料理してくれないの!? そんなに私と料理しててつまらなかった? それともなに、私のことそんなに嫌いなの!?」
そこまで言うと、彩菜の慟哭に似た叫びが止まる。と、その隙を突いて、俺はそれに対する弁明をし始めた。
「俺は、さっきお前と料理してて、めちゃくちゃ楽しかったぞ。それに、俺はお前のことが決して嫌いなんかじゃない。これは絶対だ。お前のことは大事な幼馴染だったし、それは今でも変わってない」
「じゃあなんでよ!」
「それは……」
言えない。お前の不幸を願ってしまったからだなんて、俺の勝手な独りよがりだなんて。言えるはずもない。だから、俺は嘘をつくことにした。
「……忙しいからだよ」
「忙しいって、達也くんに何があるっていうのさ」
「宅浪生だろうと、予定はいろいろあるんだよ。今月中はまだ高校時代の友達と遊んだりもするだろうし、4月になってからもバイトなり勉強なりで忙しいんだ」
だからお前には付き合えないんだ、と。なるべく冷たい言い方で突き放したつもり、だったのだが……。
「じゃあ、空いてるときだけでもいいから!」
「お前、今俺が言ったこと聞こえてなかったのか? 無理だ、と言ってるんだ」
「なんでよ、なんでよー!」
半分泣きべそをかきながら、必死に彩菜は訴えかけてくる。なんで俺に対してそんなに執着してくるんだ、お前だって、新しい大学生活で友達見つけたりかっこいい男捕まえたりして、そいつらから教えてもらったほうが百倍いいだろうに。
と、そんなことを思っていると、莉愛さんが俺に、衝撃の発言をする。
「それじゃあ、達也くんの退居の日程だけど」
「…………退居?」
「そう、契約違反に基づく退居」
「退居って、この家を出て行くっていうアレですか?」
「うん。だってほら、契約書」
そう言うと、莉愛さんは細身のジーンズの左ポケットから紙切れをひとつ取り出し、こちらに寄越す。
中を見ると、そこには先月末に取り交わした賃貸契約書、それの「第八条【この賃貸契約に付随する権利または義務】」が拡大コピーされていた。
「なんですか、これ」
「まあいいから読んでみなって」
とりあえずそれを読んでみる。すると、とんでもない事項が書いてあった。
「……なんですかこの、『契約者には周囲の入居者と互助し、必要に応じて支援するなどの手段を講ずる義務が生じる』って」
「まあつまりそういうことだから、達也くんには彩菜にかいがいしくお世話する義務が生じるってわけ」
「鬼ですかアンタ!?」
どうやらこの話は彩菜も初耳だったみたいで、唖然とした表情で莉愛さんを見ている。というかこんな細かい字、一字一句読んでるはずもないでしょうが……。
というかなんだこれ、まるで俺のためだけに追記されたような事項じゃないか。
「あ、ちなみにこの契約書、どうやらウチの両親と達也くんのお父さんで談合し合って作った文書らしいんだけどさ」
「親父ぃぃぃっぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいぃぃぃ!!!!!」
「私もお父さんのほうが引っ越してくると思ってたら、まさかの達也くんだったからなあ……」
なんだあの父親! 「契約のほうは俺に任せて、とりあえずお前は勉強してろ」って言ってた受験期の優しい父親殿は仮面だったのかよ!
「……ちなみに、父親が本当に引っ越してきてたらどうするつもりだったんですか?」
「お金でもせびって、彩菜には逞しく生きてもらおうかなって」
「やっぱり鬼でしょアンタ!」
俺の中の莉愛さん観、さっきからジェットコースター状態。ちなみに今は限りなくどん底です。
「その代わり、家賃はかなり割り引いてあるんだけどね」
「へぇ、ちなみにいくらくらいなんですか?」
「共益費込みで、月々税込み3980円」
「それ貸し倉庫代の間違いじゃないですかね?」
なるほど、あの時、父親も母親も一人暮らしを快諾してくれていた理由はそれか、それだったのか! そう思うと、あの別れのときの笑顔も霞んで見え出した気がする……。
「というか、なんで鳴海家とうちの両親がそんなこと……」
「ごめん、それ私のせいかも」
「それってどういうことだ、彩菜」
「私はただ、お母さんに『達也くんも農大行くんだって、また会えるかなあ』とか言っただけでそれ以上は何もしてないけど、お母さんのことだからそれくらいやりかねないかなって……」
「……何でお前、俺の志望校知ってたんだよ」
「えーっと、夏くらいに達也くんの家の前通り過ぎたとき、おばさんから……」
「お袋ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおぉぉぉ!!!!!」
ダメだ、うちと彩菜の家族の辞書には、「当事者の意見と同意」とか「プライバシーの保護」とか、そういう言葉は載ってないらしい。
「で、達也くん、やるの、それともやらないの?」
「理不尽だ……」
……なんだかとんでもなく損な役回りを被っている気がするが、どうやら俺に拒否する選択肢は残っていないらしく。
俺はわざとらしく大きいため息を一つついてから、
「わかりましたよ、やりますよ……」
諦めて声を吐き出す。すると、さっきまでいじけたり怒ったりなんなりとしていた彩菜はこっちに身をぐいと近づけ、
「やったね、絶対だからね!」
さっきと同じように、俺の手を取ってぶんぶんと振る。手先から感じる、女子の柔らかな感覚が妙にリアルだった。
「じゃあ私たち、これから夕食同盟だね!」
「……夕食同盟?」
いきなり出てきたその名前に、俺と莉愛さんは二人で首をかしげる。そんな俺たちに彩菜は勝ち誇ったように説明し始める。
「夕食を一緒に作る同盟、それが夕食同盟、だよ! いいネーミングセンスだと思わない?」
「いや、全く思わん」
「ひっどー!」
そう言ってから、また彩菜はすね始め、残った料理にがっつきながらそっぽを向いてしまう。泣いたり笑ったり怒ったり、いろいろ忙しいやつだ。
まあ、確かに全くいいネーミングだとは思わない。今さっき、ぱっと思いついた感満載の名前。
だが。
このくらいのでこぼこさが俺たちには合ってるのかもしれないと思うと、とたんにその名前はしっくりと来るように感じられた。
夕食同盟。
嫌々ながら受けたこの関係だけれども、この名前だけは、なんだかあっさりと気に入ってしまった。