2.
目を開くと、真っ暗な世界がそこには広がっていた。
いや、真っ暗と言うと語弊があるかもしれない。人工的な布で視覚を無理やり覆ったような、所々に光の跡が感じられる不完全な暗がり……とでも言えばいいんだろうか。
てことで、その視覚と髪の毛の触覚から感じた目の前の覆いを取ろうと、俺は右腕を持ち上げようとして……、その重量に驚きを感じる。
自分の腕だ。なのに、なぜか持ち上がらない。
そこに軽いパニックを一瞬感じたものの、普段より大きい力を加えてあげれば動くことが一応は分かったので、渾身の力を振り絞りつつ腕を持ち上げ、ようやくその目隠しを取っ払った。
すると、暗がりに慣れていた目には眩しすぎる光の束が飛び込んできて、思わず目をぎゅっと瞑る。
そして、おそるおそる視界を開いてみると、そこにあったのは一面の青だった。
それが本当にこの世界に存在するものなのか怪しく感じて、思わず動きの重い右腕を眼前にかざしてしまうほどの、それほどのスカイブルー。
俺は夏の雰囲気漂う色の暴力に目を慣らしつつ、現状を把握しようと試みる。
さて俺は、一体ここで何をしてるんだっけか。
雅彦たちに釣りに連れて来られて、確か、なんか成り行きで彩菜さんから良さげな回答を頂いて、なんかめっちゃ舞い上がって……。ダメだ、その後が思い出せない。
そこまで考えをめぐらせて、そういえば……と、ようやく自分の身体が地面に横たわっていることを思い出す。なるほど、この光景は雲ひとつ無く晴れ渡る空だったのな、とも。
それほどに俺の三半規管はマヒしていたみたいで、それが証拠に、地面に手を付いて身体を起き上がらせようとしても、
「……っとっと」
どすん、と尻餅をついて重力に従わざるを得なくなってしまっていた。
動けないことには何も出来やしない。手持ち無沙汰になった俺は、ふと周りを逡巡する。
すると、まず目隠しをしてたのは彩菜の麦わら帽子だったことに気付いて、なんだか若干の感動を覚えてしまう。そしてその横に、エサが入ったハコを重石にして一枚のメモ書きが置いてあるのを見つけた。
起きたばかりでなかなか焦点の合わない眼をどうにか凝らしてピントを合わせると、そこには『みっちゃんたち探してきます 読んだら連絡してね』との文字が。
どうやら、彩菜が書き残して行ってくれたらしい。
そして、そこでようやく合点がいった。
「俺、ぶっ倒れたのか……」
そういや水平線が縦線になっていったの覚えてるわ、俺。なるほどね、アレは体が横に倒れていって物理的にそう見えてただけだったのね……。
自身の体調管理のずさんさに苦笑しつつ、俺はカバンからスマホを取り出してから発信履歴の画面を開く。いっつも彩菜とくらいしか電話してなかったから、こっちから見たほうが電話帳開くより早いんだよね。
そのまま表示された番号をコールし、耳元で呼び出し音を幾度か聞いてると、
『もしもし!? 達也くん!?』
普段より幾分シリアスめな声がスピーカーから飛び出してきた。
「もしもーし、彩菜か?」
『彩菜だよっ! それよりたっちゃん、具合どう!? 頭痛かったりしない!?』
「ん、大丈夫大丈夫。今どこだ?」
『え、ここどこだろ? えっと、えー……あ、さっき最初にいたところからすぐ近く』
おいおい、と俺は苦笑しながら言う。
「おう、了解。そんじゃ俺もそっち行くわ」
『ダメだよっ、ちゃんと大人しくしてないとでしょ』
「いやいや、こんなところで大人しくしてても干上がっちまうって。それよりそっちのほうが休憩スペースとかもあるんだしさ、ゆっくりするにはいい場所だろ」
『んー…………』
「それにさ、別に俺自身どこも痛いとか気持ち悪いとか無いんだよ、不思議なことに。だから歩くのとかは出来るしさ、な?」
『……了解、分かった……けど、私も一回そっち戻るからね! 荷物とかもあるし、心配だし!』
「おっけーおっけー、よろしく頼んます」
そこで通話を切る。そろそろ二時間の待ち合わせ時間にもなる頃合いだろうし、まあちょうどいいタイミングっちゃあそうだったのかもしんない。つーか俺、ホントに始めてすぐでぶっ倒れたんだなぁ……。
俺は二の舞を防ぐべく、やっとこさ上がるようになった重い腰を持ち上げて、ぐーっと伸びをしてから持ってきたスポーツドリンクを飲もうとする。不思議とあんまり喉は渇いてないんだけどさ、一応な。
カバンの中身を漁って、目当てのペットボトルを探し当ててからキャップを開けて……、あれ、俺このペットボトル開けたっけな? まだ飲んでなかった気がするんだけどなぁ、その割には減ってるしなぁ……。
ま、いっか。気にせず俺はそれをがぶつく。
ごく、ごく、ごく。
んー、暑い日に冷たい飲み物って最高。
すると、遠くからぱたぱたぱたと足音を立てて彩菜がやってきた。俺はそれを見つけると、軽く手を振って応える。
と、すぐ近くまでやってきてからぜいぜいと息を整えて、彩菜は血相を変えながら俺へと向いた。
「達也くん、ホント大丈夫!?」
「だから大丈夫だっての……」
力こぶをひとつ作ってみせて、俺は心配げな彩菜に体調の良さをアピールする。
すると、どうやら結構心配してくれてたらしく、へなへなと彩菜はそこにへたりこんで大きく息を吐いた。
「よかったぁ……」
「おいおい、そこまでかよ」
まあそりゃそうか、目の前で人がぶっ倒れたんだもんなぁ。
それから俺は、いろいろありがとな、とつぶやきながら腰の高さにある彩菜の頭をぐしゃぐしゃと撫で付ける。ん、なんだか幸せそうな顔をしてくれたので良かった。
さて俺たちも行こうか……と言うその前に、スポーツドリンクをもう一口飲もうとキャップを開けて……、そういえば、とふと疑問を口にしてみる。
「彩菜、俺の飲み物飲んだ?」
「え、あ、うん? いや、飲んでないよー?」
「ふーん、ま、いいや」
うーん、やっぱ勘違いかなぁ。
俺はそう一人ごちながら、最小限の荷物を持ちつつ彩菜の前を歩き始める。すると、彩菜の履いたビーチサンダルがぱたぱたと音を立てて、後ろをついてきた。
あ、そういや竿とか放置しっぱなしだわ。ま、その辺はあとで片付けりゃいいっしょー、盗まれるもんでもあるまいし。
「なぁ、彩菜?」
「……だって、口移し……なんて……ね。…………えへへ」
「……彩菜?」
「ん、ううん、なんでもなーい!」
「……?」
んー、よーわからん。




