1.
「海だー!!」
「イェーイ!」
「……」
「……」
謎の熱狂的興奮を見せる男女一名、そしてそれをどこか冷めた目で見る男女一名。
「なんだよ二人とも、もっとテンション高めていこうぜ!」
「そうだよ二人とも、夏だよ!? 海だよ!? めっちゃヤバくない!?」
何がヤバいんだろうか、俺には訳が分からん。
てことで俺と彩菜と雅彦と美鶴、すっかりお決まりになってしまったメンバーが電車に揺られること一時間。
眼前に広がるのは果てしない水平線が見える、陽の光をキラキラと反射させて輝いた海、といったわけである。
雅彦経由で「海に行こう」とお誘いを受けたのは数日前のこと。LINEで彩菜にも聞いたところ、「行く」とだけのそっけないお返事があり、どことなくぎこちない間柄のまま今日を迎えたわけなんだけれども。
砂浜でのキャッキャウフフとか波打ち際のアハハハハとかでこんな関係も打ち解けてくれるかなぁ……なんてぼんやりと願っていたわけでして。
そして今。
その願いはどうやら、ただの空想というか妄想に過ぎなかったことが判明したわけでございます。
なぜかって言うとだな……
「なぁ雅彦、一個聞いてもいいか?」
「おうどうした、何でも聞くがいい! なんたって今、俺は海のように心が広い人間だからな!!」
「キャー! まーくんカッコいー!」
……なんだろう、俺は今、こいつらが果てしないバカのように見えてきたよ。それこそ海のようにな。
一応こいつ、元生徒会副会長とかいう大層なご身分だったはずなんだけどなぁ……。
まあいいや。一旦それは無視しといて、とりあえずは率直な疑問をぶつけてみることにする。
「あのさぁ、お前海に連れてきてくれるって言ったよな?」
「おう、その通り海に連れてきたけど?」
「……いやまあ、それは正しいんだけどさ……」
俺は息を吐く。いや、確かにそれは正しい。正しいんだけど……
ちらり、と目の前にある看板を見て一言。
「釣りに来るってのなら早く言ってくれよ……」
そこに書いてあるのは、なけなしの期待を見事に裏切ってくれる「海釣り施設」の文字。
「大丈夫大丈夫、竿とかは貸してくれるみたいだし」
「そうじゃねえよ」
百八十度くらいズレた雅彦の助言に俺はツッコむ。
確かに電車に乗る時点でおかしいと思ったんだよ。だって俺と彩菜が着替えとか入れたかばんを持ってるだけなのに対して、雅彦はなんか細長いナニカとクーラーボックス持ってるんだもん。でもって美鶴はなぜか調味料一式持ってきてるし。
そのときはその細長いモノはビーチパラソルかなって思ったし、クーラーボックスは飲み物でも入れてるのかなって思ったし、調味料とかの類はバーベキューでもやるのかな? なんて思ったりもしたし、結構楽観的に考えてはいたんだけれども……。
「私、釣りとかやったことないよ……」
「大丈夫だよー、ここ結構入れ食いだから初心者でもすぐ釣れるし、それにちゃんと手取り足取り教えてくれるし」
「へぇ、そうなんだ」
じゃあ平気だね、と胸を撫で下ろす彩菜。いや撫で下ろすなよお前。それだからチョロインとか……いや、なんでもない。
「にしてもスゴイな、ちゃんとレクチャーとかしてくれるんだな」
「? どゆこと?」
「え、だってお前今、『手取り足取り教えてくれるから』って……」
「へ? 何言ってんのさ、たっちゃん」
からから、と笑いながら手をぶらぶらと振る美鶴。
待てよ、これ嫌な予感が……
「……一応聞いておくけど、誰が彩菜に教えるんだ?」
「え、そんなの決まってるじゃん」
と、美鶴は一呼吸を置いてから、
「たっちゃんが彩ちゃんに教えるんだよ?」
「はぁぁぁぁぁあぁあぁぁ??」
うっわ出たよこの謎展開! マジかよおい!
「ちょっちょっ待ちっ、俺ほとんど釣りとかやったことないぞ」
「ん、でも基本くらいは出来るでしょ?」
「まあ投げ釣りとかくらいなら出来るけど……」
「ほらー、そしたら大丈夫だよー。私とまーくんは今晩のおかず調達してくるからさ、あとは頼んだよん」
両目でウインクした美鶴に「えぇ……」と、俺は気の抜けた声を出す。
ただでさえ今彩菜と気まずい感じになってるのに、その上二人っきりになってアレコレレクチャーするとか……普通にこう……キツいっす……。
でもまあ、美鶴の隣で困ったようにあわあわしてる彩菜を見てると、かなりいたたまれない気持ちにもなって来てですね……。
「あーもう、分かったよ、ったく……」
ため息をつきつつも渋々OKする俺。波打ち際のロマンティックを期待してたはずなのに、どうしてこうなったかなぁ。
と、美鶴も彩菜も俺の言葉に一応は胸を撫で下ろしたようで、二人でなにやらガールズトークの類を始め出す。
てことで、俺は道具の点検をしていた雅彦の元へと。
「ってか、なんで釣りなんだよ」
「なんでって、俺が好きだからに決まってんだろ」
「嘘だろおい……」
「まあまあ、それにさ、ほら」
と、そこで雅彦は一旦言葉を区切り、美鶴と彩菜が雑談しているのを見てから、勘付かれないよう小声で続ける。
「彩ちゃんと何時間も二人っきりになんだからさ、積もる話も出来るだろ、な?」
「うぐっ……まあそりゃぁな……」
そこを突かれると痛い。確かにここ数日、お返事やらお話やらはおろか、ちゃんと挨拶すら出来てないからなぁ……。
「とりあえずお前はきちんと返事をしろ。いいならいい、ダメならダメだ。分かったか?」
「は、はい……」
「放置プレイが一番最悪なパターンだからな、覚えとけよ」
そうとだけ言って、雅彦はなんだか高価そうなルアーキットをケースに仕舞い込むと、美鶴たちに声を掛けに行った。どうやらそろそろ中に入るみたいだ。
財布の中から入場料の五百円を取り出して受付のおじさんに渡し、横の売店でエサを買って竿の貸し出しを受ける。ついでに彩菜のぶんも一緒に借りてくると、そっけない表情で「あ、ありがと」と言われた。これは「素直じゃないんだから……」と捉えていいんだろうか、全然わからん……。
施設の中は防波堤の真上に桟橋を作ったような……とでも言おうか、幅二メートルくらいの幅で出来た道が海岸をぐるっと囲っているような造りになっていた。まあまあ大きい岬を丸々使っている感じなので、アクセスのよさと季節柄にも関わらず案外スペースにはゆとりがありそうな感じだった。
と、雅彦と美鶴が俺と彩菜を走って追い越しながら叫ぶ。
「じゃあ二時間後にここ集合なー! また後でー!」
「……は?」
そして二人は瞬く間に遠くへと去っていく。
いや待て待て待て、早速二人きりにしていくのかよ……。
「……とりあえず、行くか」
「う、うん」
売店の前でぼーっとしてるのも迷惑だし、俺たちはその辺を適当にぶらつき始めることに。
とはいえ俺も彩菜も未経験に限りなく近い釣り初心者なもんだから、当然いいポイントなんて分かるわけもなく、とりあえずは十分くらい歩いたところにちょうど空いていた場所へと腰を据えることにした。
「俺は適当に投げてるけど……、彩菜はどうする?」
「え、あ、ん、私はまだ大丈夫かなぁ」
「あ、そう……」
むー、見事に目を逸らされながら返されてしまった。ここ数日、こんな調子だからなぁ。
若干しょんぼりしつつも、俺はリールを取り付け、天秤を結び付けてから仕掛けをセットする。すると、なんだか好奇の目を向けてくるのは少し離れた隣にいる彩菜。
「……達也くん、なんか慣れてるんだね」
「お、ん、まあなぁ」
いきなり声を掛けられたもんだから少しビビったが、反面ちょっとほっとしつつ曖昧に返す。いやほら、今日ずっとあの調子だと思ったからさ……。
「なにこれ、針が二個ついてる」
「あぁ、投げ釣りにはこんな感じでいくつかの針が付いてるのを使うのが多いんだよ。この針のところにエサをくっつけんの」
「へぇー、ちなみにエサって何使うの? エビとか?」
「初心者の釣りにそんな大層なモノ使わねえよ、蒔くわけでもあるまいし……」
と言ってから、俺はさっき買ってきたエサのパックを彩菜に見せようと、ビニール袋に手を突っ込んでそれを取り出す。
「……砂利?」
「あぁ、この中にエサが住んでんの」
「……住んでる??」
ハテナマークを浮かべる彩菜。まあ初めてってのなら分からなくても仕方ないかぁ……。
てことで俺はパックを開き、その砂利の中に指を突っ込んで一つまみ。
「ほれ、これ」
「ぎゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」
そして俺の指先を見るや否や、彩菜は一目散に十メートルくらい先まで逃げ出す。周りの目が痛いからやめてくれよ……。
「なにその、うねっとしたの、なになにそれ!?」
「この子はアオイソメちゃんと言ってだな、リーズナブルかつお手軽な便利系エサだぞ」
「ちょっ、やだやだ! それ一旦しまってよ!」
「えぇ……」
苦笑しつつも、俺はパックの中に一旦ムカデにもミミズにも似たそれを戻す。するとそれと同時に、彩菜も元いた場所におそるおそる戻ってきた。
「私、釣りとか絶対ムリ……」
「まあエサ付けるのとかはやってやるから、何回かくらいはやってみろよ」
「んー…………じゃあそうする……」
どうやら少しはやる気になってくれたみたいなので、俺はさっき用意した竿にイソメを取り付け(その間彩菜は二メートルくらい離れていた。少しさっきよりも距離が近いのが進歩か)、それを彩菜に手渡す。
「えっと、これをどうすればいいの……?」
「まずリールから出てる糸を、竿を持った手の人差し指で引っ掛けて」
「こ、こう?」
「そうそう。で、その輪っかみたいなストッパーを持ち上げて外して」
「ん、それで?」
「後はそのまま、タイミングよく人差し指を離しつつ投げる」
「投げるって、竿を?」
「竿ごと投げてどうすんだよ……」
なんだか困惑した様子だったので、やって見せるべく彩菜の竿もセットし、エサを付けてスタンバイする。
「やっぱ達也くん、すっごい手つきが慣れてるよねー。昔やってたの?」
「叔父さんが好きだったんだよ、釣り。俺もたまに連れてってもらったりしてたから」
「へぇー……」
感心したように声を上げる彩菜。いや、これってただの慣れだし、別にそんなすごいもんでもないと思うんだけどなぁ……。
が、それとは裏腹に感嘆の声を上げ続ける彩菜。
「すごいねぇ、さすが達也くんだね」
「お、おう……」
なんか普段よりも褒め殺してくるなぁ、こいつ……。
俺は気恥ずかしくなってそれを無理やり制止し、投げ方レクチャーへと戻る。
「んじゃ一回投げてみるから、ちゃんと見とけよ」
「はーい」
そして、針がどこかに引っかからないようにそーっと後ろに竿を構えてから、ボールを投げるときみたいに振りかぶる。
と、リールがシュルルルと音を立てて、しばらくしてからボチャンという水音が聞こえた。
「そしたらベイルアーム……このストッパーのことなんだけど、これを元に戻してくるくるたるんだ糸を巻く。で、後は放置」
「放置?」
「そうそう、魚が引っかかるまでは基本放置するんだよ。たまに動かしてあげないとヒトデとかが食ってくるから要注意だけど」
「へぇ、ヒトデが釣れるんだ……」
どこかウキウキとした表情を浮かべる彩菜。こいつはまだ、本物のヒトデが幾多の触手をうねうねと動かす気持ち悪い生命体だということを知らない。
「ほれ、とりあえずやってみ」
「うん、やってみる」
糸が絡まないように少し横に移動させてから、彩菜はさっきの俺と同じように振りかぶり、そしてキャストする。すると同じようにシュルルルと音を立て、俺よりも少し短い間隔を置いてから着水の音が聞こえた。
「やったやった、出来たー!」
「ん、なかなか上出来だとは思うぞ」
案外こいつ運動神経いいのかもなぁ、なんて思いつつ俺は彩菜を褒めてやる。
そして彩菜はたるんだ糸を巻き取り切り、竿を柵に立てかけて満足げな表情を浮かべた。
「何が釣れるかなぁ、マグロかな、カツオかな」
「なわけねえだろ……」
俺は鼻で笑いつつ、彩菜の妄言にツッコむ。そういえば、こいつのマイペースさを見るのも割と久々のことかもしれない。というか、なんだかすっかり元の感じに戻ってるな、俺たち……。
俺と彩菜は海に面していないほうの通路脇に腰掛けて、目の前に広がる雄大な大海原と蒼い空を眺める。
優しい潮風がどこからか吹いてきて、ゆったりとした時間がそこには流れているようだった。うーん、大自然って偉大。
ギャア、ギャアと遠くを飛んでいる海鳥が鳴いている。それはまるで、「ほら、早く切り出せよ」と俺を急かしてきているようにも感じられて。
てことで俺は隣の彩菜を横目で見つつも、今しかない……とばかりに話を切り出す。
「彩菜」
「ん、どしたの?」
「あのさ、こないだの話なんだけど」
「……ん」
と、つい数秒前までのリラックスした表情は彩菜の顔から掻き消え、代わりに出てきたのは強張った面持ち。
「あの後、俺なりにいろいろ考えてさ」
「うん」
「で、出した結論なんだけど……」
いったんそこで俺は言葉を区切り、軽く深呼吸してから一気に言葉を紡いでいく。
「彩菜があんとき、どういった意図で言ったのかは分からないし、もしかしたらあの場を誤魔化すための方便で言ってたのかもしれない。……でも、俺は今、思いっきり勘違いさせてもらうな、勘弁してくれ。
彩菜、俺もお前が……たぶん小学生くらいのときから、ずっと好きだった。……いや、最近惚れ直したって言ったほうがいいかな。お前がいると、なんつーか、その場があったかくなる感じがするんだ。でもってもし良かったら、これからも一緒にいてくれると………………彩菜?」
するとその言葉の途中で突然、彩菜は顔を両手で覆って下を俯いてしまう。その様子に慌てた俺は、
「あ、ホントごめんな!? せっかく元通りに接してくれてたのに、こんな変なこと言って台無しにしちまったよな、あ、そうだ、竿! 竿見てこようぜ、な?」
てな感じであわあわしつつも話題を逸らそうと、俺は竿のほうへと歩き出すべく立ち上がろうとして……、
「……まって」
そのか細い声と共に、彩菜は覆っていた手の片方を外して俺のシャツの裾のあたりをつまんでくる。
「……彩菜?」
いやいや、その仕草とか反則級でしょう……なんて思いを理性で無理やり押し込め、俺は彼女の名前を呼んだ。
すると、ふるふると彩菜が震えたかと思うと……、その刹那、鼻をすする声がそこから聞こえてきた。
「ど、どうした彩菜?」
まさか泣くほど嫌だったのか……? なんて心配にもなるが、どうやらそれは杞憂だったらしく。
「ちがうの……っ、ぐすっ、これはその、嬉しくて……」
「……は、はぁ」
思ってたよりもめちゃくちゃ芳しい回答に、思わず気の抜けた返事をしてしまったりもして。
そして、その言葉の意味を原因不明の動悸が邪魔をして図りかねていたとき。どうやら落ち着いたらしい彩菜が、ふっと口を開いた。
「その、私も、達也くんのこと…………大好き、です……」
……このときの俺の気持ちを表現するならば、それは天を駆け巡ってついでにバク転くらいしちゃうような気持ち、あるいは身体に感じる歓びに震えを震度7の地震と間違えてしまうほどの気持ち、といったところだろうか。
心臓の鼓動は和太鼓の生演奏のように全身を響かせ、速すぎる血の巡りは夏の日差しも相まってか汗となって体中から滲み出て、呼吸は普段よりも心なしか浅く早く。そして視覚はぼんやり遠のき、重力が自らの右半身に多くかかったような錯覚さえ覚えて、遠くに見える水平線はだんだんと角度を変えて縦の一本線へと近づいていき……。
………………縦の一本線? と、そこで怪訝に思ったのも束の間。
ドスン! と大きな爆発音みたいのが耳元で聞こえて、次に彩菜の悲鳴が聞こえてきて。
それから、俺の意識はブラックアウトしていった。
熱中症には気を付けましょう。




