2.
お料理回。
「うひゃーっ、疲れたー!」
「あぁ……疲れたよ……」
ぐったりする俺となんだか楽しげな彩菜。ようやく家までたどり着いた俺たちは、たくさんの小瓶が入ったレジ袋を手に提げつつ短い廊下を抜けてキッチンへと向かう。
あの後結局、「いたるや」ではほとんどスパイスが売っていないということで、歩いて二十分ほどかかる大手スーパーまでカレーの材料を買いに行った俺たち。特売はいいのかと彩菜に訊いたところ、「いいのいいの、今日は特別だから♪」ということらしい。チラシの前で唸っていたあの時間はなんだったんだろう。
俺はさっきの情景を思い出して内心苦笑しつつも、テーブルにどさりとレジ袋を置いて、中から材料を取り出していく。野菜類や肉といった定番の食材に、赤茶色が目立つスパイスの数々。それと……
「あ、もうこんな時間じゃん」
と、彩菜がふと呟いたのを聞いて、俺も食材を出す手を止めて時計に目を向ける。げ、もう六時じゃねえか。
あいつらが来るのは七時過ぎの予定だったはずだから、食事を用意する時間がもうあと一時間ちょっとしかないということになる。
「ったく、やるぞ彩菜……」
「んー、りょうかーい」
気の抜けた返事を返す彩菜。本当は少し麦茶でも飲みつつアイスを齧るなどして休息を取りたかった気もしないでもないが、どうやらそんなヒマはなさそうだった。
俺たち二人はキッチンの前に立つと、彩菜がこちらを伺いながら訊いてきた。
「えーっと、で、どうやって作ればいいの?」
「ん? あぁ」
スパイスからのカレー作り初体験だという彩菜は、今回の買い物を全て俺に任せてきた。というか作り方やらなんやらも全く知らないということで、今日は完全にレクチャーする形になりそう。
「まずは買ってきたタマネギをみじん切りして、あめ色になるまで鍋で炒める」
「え、櫛切りじゃないの?」
「まあどっちでもいいんだけど、俺はそっちのほうが好きなの。別々にして両方入れる方法も無くはないんだけど、なんか面倒だし」
「ふーん、まあいいや」
了解了解、と言って彩菜は包丁とまな板を取り出し、思い出したようにエプロンも身に着けると、慣れた手つきで包丁をリズミカルに動かしていく。
つい二、三ヶ月前まで「サ○ウのごはんが主食です!」なんて言った人間とは思えないほどこなれた手つきを見るに、やっぱりこいつはやれば出来る子タイプなんだなぁなんてぼんやり思っていると。
「……ぐすっ」
隣からなにやらすすり泣く声。あぁはいはい、タマネギのみじん切りだからね、仕方ないね。
……とは言え、二人っきりの密室において隣の女子が泣くなんてシチュエーション、こいつと初めてタマネギのみじん切りやった時以前には全く経験がなかったため、やっぱりなんとなく居心地悪い感じもする。
「あー、彩菜、大丈夫か?」
「ん……、大丈夫……ぐすっ」
どこからどう見ても大丈夫じゃないだろお前。というかなんというか、女子の目が潤んでる状態って、どことなく扇情的というかなんというか、そんな気が……
「たつやくんっ、どうした、のっ……ずびっ」
いやお前がどうしたよ、っていう野暮な突っ込みは飲み込みつつも、大丈夫だと軽く手を振って応える。それ以上彩菜も深追いはしなかったので、結果として涙ぐむ美少女&隣でそれを見守る無職という、なんとも微妙な構図が数分続いた。
そして最後のタマネギを切り刻み終えると、彩菜は蛇口で水を出して顔を洗い、ポッケに入っていた自前のハンカチで手やら顔やらを満遍なく拭く。
「終わったよ、達也くん!」
「お前すごいな……」
「?」
あの状況で何も感じなかったのかよ、なんていう問いをしてしまうとむしろこっちが変に思われそうなので、適当に肩をすくめて誤魔化す。
「変な達也くんー」
「ほっとけ」
「もう……。で、次は何するの?」
「だから炒めるって言っただろ」
「あ、そうだった」
ぽん、と手を打ってから彩菜は鍋を棚から取り出し、サラダ油をひいてタマネギを投入したそれに火をかける。
どこかリズミカルに木べらを動かす彩菜。なんだか新妻みたいだなぁなんていう、過去に幾度思ったか分からないくらいのピンクな妄想を振り払いつつも俺は次を指示する。
「ある程度火が通ったら、そこに水とにんにく、しょうがを投入」
「水の量はどうする?」
「ただの焦げ付き防止用だから、ほんの少しでいい。せいぜいお玉一杯ぶんくらい」
「らじゃー」
五分ほど炒めてタマネギが透明~黄金色になってきたのを見ると、彼女はそこへにんにく、しょうがのペーストを加えて混ぜ、それから水を投入する。
「そしたら弱火にして、そこに豚肉投入。表面に軽く焼き目つけるだけでいいから、そこまで長くやる必要はないぞ」
「ん、了解」
買って来たパック詰めの豚肉(カレー用)を開封し、鍋に投げ入れる彩菜。
「もう既に切ってあるって便利でいいよね」
「まあなー、俺としてはもうちょい大きめサイズのほうが好きなんだけど」
「えー、私としてはもうちょっと小さめにしてほしいくらいだよ」
「それ、もう肉の食感無くならないか?」
「あるかないか、たまーに感じるくらいがちょうどいいんだよ。達也くん、分かってないなぁ」
「む……」
木ベラを持ちつつも、器用に人差し指を立ててちっちっち、とやる彩菜。反論したい気もあるが、まあ人の好みの話は泥沼化すると過去の経験上知っているので、とりあえず適当に流しておくことにしよう。
さて、そうこう無駄話をしている間に、気付くと肉へほんのり焦げ茶色の焼き目がついてきていた。
「よし、一旦火を落とせ」
「はいよー」
「そしたらそこに、買って来たスパイス類を適当に入れる」
「え、適当でいいの?」
「そりゃ本当は計量しながらのほうがいいんだけどな、『これは多めに入れる』とか『これはほんの少しだけ』とかが分かってればそれでいいんじゃねえかな。そもそもカレー粉の調合に正解なんて無いんだし、後から調整も出来るし」
「ふーん、そうなんだ」
「ああ、今回はとりあえずチリペッパーを少なめ、ガラムマサラを多めにしとけば大丈夫」
「りょーかい」
そう言うと、彩菜は買って来たスパイスを一つ一つ、スプーンですくって入れていく。
今回用意したスパイスは、ガラムマサラ、ターメリック、クミン、コリアンダー、チリペッパー。
ガラムマサラってのはいろんなスパイスがあらかじめ調合されてるやつのため、本格的に調合するときはあまり用いられないのだが、今回は初めての取り組みということもあって加えてみた。これベースにしておけば基本間違いないし。
「入れたよー」
「OK、そしたらカットトマトの缶詰と塩を加える」
まあこれも本当は生トマトを使うべきなんだろうけども、今回は時短ということで。トマトの皮むきとか地味に面倒だし。
「そしたらまた弱火にかけつつ水分を飛ばして、その間に買って来た野菜類を切るぞ」
「はーい」
これまた買って来たニンジン、ジャガイモと隠し味用のリンゴをカットする俺と彩菜。今回は割とチキンカレー寄せな味付けにしているので、野菜は小さめにカットする。リンゴは薄く、いちょう切りくらいの大きさを目標に。
トントントントンと小気味よい音を数分キッチンに響かせ、俺たちは野菜カットを終えると、鍋のほうに目をやって状況を確認する。よし、この程度ならもう大丈夫だろう。
「そしたらそろそろ水分飛んだと思うから、そこに野菜とリンゴ、それと生クリーム投入」
「へー、生クリームなんて入れるんだ」
「おう、これがあると味がまろやかになるんだよ」
「ふーん、了解…………あれ、生クリームってどこ?」
「え? さっき買って来ただろ」
「えーっと、ちょっと待ってて」
彩菜はテーブルのほうに向かうと、置いてあったカバンからごそごそとサイフを取り出し、さっきの買い物のレシートを取り出す。
「……うん、やっぱりさっき買って来てないよ、生クリーム」
「はぁ? 俺さっき、カゴに投げ入れたはずだけど……」
「…………もしかして、これ?」
そう言うと、彩菜は袋から一つの紙パックを取り出し、俺に見せる。そうそう、それそr……
「……牛乳じゃねえか」
「……うん、牛乳だね」
しばし沈黙。なるほど、どうやらやらかしてしまったようだった。
「…………代用するぞ、代用」
「なんか釈然としないなぁ……」
若干じとーっとした目でこっちを見てくる彩菜の視線を背に受けつつも、俺はキッチンラックに入ったコーヒーセットの中から、一つの粉を取り出す。
「これを使います」
「これって、クリープ?」
「そうそう、まああの独特のまろやかさとかは出にくいけど、それでも近い味には出来るから」
「へー」
さっきまでのジト目は納まり、代わりに感心の目を向けてくる彩菜。こいつが心変わりしやすいやつでホント良かった。
ということで野菜やらなんやらを投入し、最後に水を加えてやると、一気にカレーっぽさが出てくる。あとは後ほど味を見て、スパイスや塩などの調整をするだけ。
「これであとはしばらく煮込めば完成、だな」
「おー」
ぱちぱちぱち、と手を叩く彩菜。
「それにしても、案外簡単に出来ちゃうもんなんだね」
「カレーをスパイスから作るのって、材料集める難しさとか値段の高さとかがハードル上げてる感はあるからなあ」
一食辺りで考えれば、下手すればカレールーよりも安く作る事だって出来るのだが、いかんせんスパイス類って結構多めな量で売ってることが多いんだよね。そのせいで、どうしても売ってる値段としては高くなってしまう。
俺だって、やっぱり自分ひとりで作るときとかはルー使っちゃうし。
「さてと、あとは付け合せのサラダだね」
「おう、そっちは任せた」
「任されたよ!」
ぐっ、と親指を立てて彩菜は応えて、それから買い物袋をごそごそと漁る。確かロメインレタスを買ってきてたはずだから、おおかたシーザーサラダでも作るのだろう。クルトンの買い置きあるし。
さて、時計を見ると六時四十分を指していた。どうやら、ヤツらの来襲には間に合いそうだ。




